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(短編集)
キミトピア
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キミトピアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.80pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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絶版しているらしく新品はプレミア(?)が付いて高すぎたので中古本を購入しましたが、特に気になるような汚れも無く、配送期間も早かったので満足です。 | ||||
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舞城王太郎ファンです。 一番のお気に入りの短編は「やさしナリン」。 身近でもやさしさが暴走しがちな人がいるので、とてもリアルに感じました。 そして、小説ならではの吹っ飛んだ展開。 このふたつのバランス感覚が、とても絶妙です。 | ||||
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全く意味わかんないし、意味ないような物語ばっかり書いてる舞城だけど、 毎回、根底には明確な一個のテーマがある。 そんなところがいい。 この短編もそんな感じ。 衝撃の展開とかどんでん返しとかすっきりした読後感とか、 そういうのがもてはやされがちだけど、 この小説にそんなものはない。 ってか舞城はそんなのばっかだ。 全部どこかもやっとしたまま、で、なんだったの?ってオチばっかだ。 でも、そんな作品を書ける作家がいてくれることが嬉しい。 | ||||
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どの短編も舞城ワールド溢れる作品で、ファンとしての満足度は高かった。星を一つ削った理由は、過去の作品に似ているお話が一部あったのと、サイコな登場人物や人間心理深掘り会話の連打に、近頃体力減退気味の中年オサーンの私は少し疲れちゃったためである。 そういう点では、得意のイってるキャラを登場させず、志賀直哉のように小さなエピソードを淡々と紡いだ芥川賞候補作「美味しいシャワーヘッド」は本書の収穫だった。(決して完璧な作品ではないんだが、更なる伸びシロを感じさせるというか。)主人公の母親とのエピソードのように消化が今ひとつできてない話さえも、リアルな空気感で読めてしまうのが流石である。だって、実際に僕らは毎日の生活の全てを言語化し、理屈に落としているわけではないからだ。そして、まさにその言語化作用について書かれたのが、まえがき的な1ページ目であり、最初に収められた短編「やさしナリン」だったりするという編集もお見事である。良い作家だなあ。 | ||||
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文学作品を評価する観点には様々なものがあると思いますが、私が舞城王太郎の作品を好きな理由は、そこに2000年代の現代的な感性が描かれているように感じられるためです(ちなみに、70〜80年代なら村上春樹や村上龍の捉え方が、80〜90年代の感性なら阿部和重の捉え方がいいと思っています)。 本作は「やさしナリン」、「添木添太郎」、「すっとこどっこいしょ」などの短編からなっています。それぞれ短編だけに、ネタバレにならずにその感性の魅力を伝えるのはとても難しいのですが、例えば冒頭におかれた「やさしナリン」の描いているのは、「優しさ」に含まれる「善意」の問題。「善意」が持つ容易にあらがいがたい力が、いかに人を疲弊させ、ときに傷つけるかを実に上手く描いていると思います。今を生きる私たちの心の中を、薬の成分みたいに区分していったら、そこには何が残るんでしょうか。色々考えさせられる作品です。 そして、その事態を「やさしナリン」と名指す感性に痺れます。ある種の概念への命名は、問題を〈〉でくくって棚上げせずに、正面から取りくむときにどうしても必要なものだと思います。その点、舞城王太郎は名前を付けることから逃げないところも良いと思います。 私が読んだ短編集としては今年(8月時点で)一番の出来! 初期の作品に比して文体的な癖も減ってきましたし、好みの分かれる世界観までをも疑うミステリー(といっていいのかどうか? 私は好きですが)のような癖もほとんどありません。舞城王太郎食わず嫌いの方に是非読んでいただきたいです。そしてここからはまって、『煙か土か食い物』などの優れた長編にもトライしてみてほしいです。 | ||||
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舞城王太郎、初めて読みました。 とても文章が巧い。 7篇すべて一人称の語りですが、男性4人、女性3人の語り手いずれも、キャラクターが活き活きと眼前に浮かびます。現代口語調がまことに自然でリズムがよくて、読むのが気持ちいい。 中身も面白い。 日常がわずかに崩れ、その崩れ方がだんだんと大きくなり、最初は軽い寒気だけだったのが、次のページをめくるのが怖くなってくる。 たとえば、単なる青春小説みたいだった『すっとこどっこいしょ』で、枡琉(ますうる)という変な名前の女の子が、屋根裏部屋に潜んでいた「俺」を「手製の薙刀」で下から突き刺すという予想外の展開に、うわっ、こりゃあナンだ!と仰天(これ「掛詞」になっています、説明は本書122ページにあり)。突然、どうして忍者映画になるんだよ。ますう、怖すぎ。 しかし、どの小説も、途中はいろいろ怖いのに、最後は何か拍子抜けで終わっている感じがします。そのため、結局印象が薄まり、怖さがなくなってしまう。たとえば、薙刀(いや、これは槍でしょう)で串刺しにされた「俺」は人工透析しなければならない身体になるのだが、あたかも他人事みたいにしか語っていない。人生の選択肢は「まったく減っていない」とうそぶくのだ。そんなはずなかろうに。 どの小説もどこかで読んだ気がします。こういうのって、1960年代、70年代のアメリカのSFによくありました。SFといってもサイエンス系ではなく粋なセンスを売りものにするファンタジー系。昨日の自分と「僕」が出会うという『あまりぼっち』の趣向など、いくらでも例があります。記憶がはっきりしませんが、日本では星新一のショートショートに類似のものがありませんでしたか。 でも、いちばん似ているのは1970年代、80年代の筒井康隆。若いときの筒井の作品と比べてみると、『キミトピア』で感じられる拍子抜け感がなぜなのかが分かります。ナンセンス・ホラーとして突き抜けていない、はじけそこねているんですね。 普通の主婦がだんだんと日常から外れていく『真夜中のブラブラ蜂』はとても面白くて、きわめてリアルかつすばらしく異常な展開なんだけど、最後のエピソードがリアリティーに欠けていて、盛り下がっちゃう。筒井康隆だったら、ここぞとばかり徹底的にリアルにグロく、もうやめてと言いたいくらい詳細に書き込むだろうに。舞城王太郎はあっさりしすぎ。 面白くて、かつ感動したのは『添木添太郎』。子供の世界が実によく描かれている。大人になることの悲しみがにじみ出ているのです。 いちばん怖かったのは『ンポ先輩』。「心の穴」が実体化していくというのは、思い出すだけでもゾクゾクと寒気がしてくる。 ごちゃまぜ小説『美味しいシャワーヘッド』のエピソードの一つに出てくるキチガイ女(とその「つれ子」の「チイちゃん」)も怖い。 冒頭の『やさしナリン』はアイデアだけという感じで怖さが足りない。最初にこれを読んで、残りの6篇も全部こんな調子だったら400ページ超を読み通すのは辛いなあ、と心配したら、後はなかなか上出来の作品ばかりでよかった。筒井康隆のような天才と比べたのはちょっと酷だったかな。 でも、舞城さん、もっと徹底してはじけてくださいよ、そしたら筒井を超えられそうな才能をあなたは持っている。 | ||||
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