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さよなら渓谷
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さよなら渓谷の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.58pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 21~40 2/5ページ
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息子の大学の課題図書で、購入しました。探してすぐ購入できたので、助かりました。 | ||||
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最初からどっさりと登場人物が出てきて、ちょっと混乱しましたが、読み進めるうちに、大体把握でき、その後はすっと読めました。 ただ、ミステリとして読みたいと思う方にはあまりお薦めはできません。叙述トリックが一応は入ってはいますが、きっとあらすじを面白いものにするためのスパイスみたいなもので、作者の方もあまりそこには無頓着というか、それありきの物語ではないという印象を受けましたので。 重要なのは、集団レイプを受けた被害者と加害者とのその後のこと。大学生活において、このようなことは表沙汰にならないだけで結構身近にあることだと思うし、自分も昔のことを思いだし、結構考えさせられました。 性的な被害者はいつも女性で、加害者の男性は比較的、社会は簡単に許してくれます。全くその通りだな、と。 作中の被害者の女性のように不幸の連鎖が断ち切れない方も当然いらっしゃるのでしょう。 よくこういう過去があるけど、今はバリバリ仕事頑張ってます!みたいな警察小説なんかがありますが、結局はそれって綺麗事なのかな、とも感じました。作品としては前向きで面白いのですが。 この作品に出てくる女性は、不幸の最先端みたいな被害者で、実際そこまで?と大袈裟にも感じましたが、小説だからこそ、そこは問題提示としてここまで追い詰められる可能性もあるんだよ、と。 性的なことをあまりにも容易に考えている男性にこそ読んでもらいたい作品です。 | ||||
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最高です、かなり楽しめました映画を見た後読みましたが、より細かくキャラの心情を理解できました。 | ||||
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期待していたけれど、ちょっと拍子抜けだったような気がする。 題名の真意はどこにあるんだろう?内容とあまりリンクしていない。 レビューを拝見していると、『悪人』と比較している人が目立つ。 確かに本書も“悪人”がテーマである。“悪人”であるがゆえに、“悪人”でしか遂行できない愛もある。確かに、本書で登場する男側(加害者)の意見も、女側(被害者)の意見も合理的には理解できる。 本来、一方的にしか見ない反対側の心境を見せてくれて、ハッとすることの多い吉田修一の作品。しかし、本書はその設定が少し非現実的に見えて、最後までちょっと世界観に入り込めなかったです。 映画化するには好ましいような内容ではありましたが。そして、題名にもなっている渓谷での子殺し。どうして殺されなければならなかったのか読み終わっても最後まで腑に落ちなかったです。 著者:法政大学経営学部卒、『最後の息子』で文學界新人賞。 発行:H22.12.1 - H25.7.21 6刷 読了:2015年/52冊(5月/3冊)★3.2 | ||||
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最後まで読んでいって一本筋がつながった感じがしました。 人の気持ちの葛藤、過去を引きずって今を生きられない人。 同じ青春時代を歩んだはずが大人になって感じる疎外感。 そんなたくさんの人生を一本の物語に紡いだすばらしい作品だと思いました。 | ||||
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この著者は、謎を謎と明言せずに、読む者に?を作らせるのが本当にうまい。 この作品も、最初は、幼児殺害の容疑がかかった母の話かと 思えば、隣の家の男女の話になり、その男女に対する謎を散らばめていく。 男に対して?と思えば、今度は女に対して?がついたりして 読者は?に翻弄される。私は、吉田修一作品を読むときこの?に翻弄されながら 読むのが好きだ。そしてぐいぐい話に引き込まれるというのがいつものパターンだ。 さて、本作品では、男女の愛について主題が置かれている(すくなくとも宣伝やレビューで) ようだが、私の見解はちょっと違う。 なぜ、幼児殺害事件をからませたか考えてみてほしい。はっきり言って二人の愛の話だけなら 幼児殺害事件は不要だったはず。報道されるのは、幼児殺害やレイプ事件のことで、 その後の話は、報道されない。そのことに疑問を投げかけていると思う。 問題は、レイプ事件がその報道が終われば終わるのではなく 当事者はずっとその事件とともに生きていかなくてはならず、その後の被害者なり加害者の 一生背負うものも含めて犯罪(事件)なんだ、ということが一番のメッセージと思う。 | ||||
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幼児殺人事件は必要だったのかな、子を持つ親として複雑です、と書いていた方がいましたが、まさにそれ。映画もミスキャストで、どう考えても里美が真木よう子だし…結局キレイ事で終わる。小説は奇なるもんじゃないとダメなんじゃないの? | ||||
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あの夜から逃れて,自分だけが幸せになっていくことを,一生心のどこかで許せずにいる男。 あの夜を必死に隠そうとして,いつバレるかといつもビクビク暮らして,自分なりに一生懸命かんばって,それでも結局ずっと酷い目ばかり,という女。 辛かった過去を忘れ,未来に目を向けて前向きに生きろ,と言うのは簡単だが,心の奥に居続ける罪悪感。 十数年たっても自分の罪を心から許すことができず,幸せになることよりも,罰を求め続ける。 「十数年という月日は,決して途方もなく長い歳月ではない。何かを十数年思い続けることなど,人間には簡単なことなのだ」 そんな男女を追う週刊誌記者渡辺自身,妻からは軽蔑され,二人の関係は冷め切っている。 その渡辺が取材をしていく中で,ふと気づく。 「俺は男だから,女のことは分かりっこないって,最初から諦めてた」 そして自分をバカにし続ける妻については 「逃げられなくなった女なのだ」とふと思う。「俺のような男から,自分が選んでしまった生活から,一歩も出ていけなくなった女なのだ,と」 他者を完全に理解することは不可能だ。 それでも人は,相手の気持ちを理解しようとし,もがき苦しんでいる。 「許し」よりも「罰」を求め続けるほどに心が悲鳴を上げ続けている男に幸福が訪れる日が来るのか。 それでも,微かな希望を感じさせる,そんな余韻を感じている。 | ||||
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景勝地として人気の高い桂川渓谷で発見された幼児の死体。殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、渓谷近隣の寂れた市営団地に暮らす幼児の母親 立花里美だった。里美は取り調べで、隣家に住む尾崎俊介の関与をほのめかす。母子家庭の母 里美と俊介に男女の関係があったというのだ。全く見に覚えのない俊介だったが、無実を知っているはずの妻かなこ は、二人の関係を認める発言をしてしまう。戸惑う俊介は、なぜか警察の取り調べで里美とかなこの証言が真実であると語り始めるのだった。俊介の行動に疑問を抱いた週刊誌記者 渡辺事件は、事件の背景を探るうちに、尾崎夫妻の隠された過去に気がついていく ・・・ 本作品は、殺人事件そのものをテーマとするミステリとは違う。事件は、俊介とかなこの凍りついたような不可思議な関係が、動き出すきっかけにすぎない。心を抉るような愛憎のものがたりなのだ。湿度が少ないながら、がっちりと気持ちをつかまれてしまうのが、吉田修一さんの恋愛小説。本作品も、ひとつの愛のかたちを提示する恋愛小説なのだろう。 過去の悲惨な出来事から抜け出せない俊介とかなこ。俊介とかなこがそれでも二人でいる理由、だからこそ離れられない理由は、読み手に大きくのしかかってくる。赦されたいけれど、それは別れを意味する。赦したいけれど、赦すと自分を見失ってしまう。二人の思いが交差する地点で、むねがアツくなるだろう。 哀しみや憎しみから出発する愛もある。そしてそれは真実の愛に辿り着くのかもしれない。現実的かどうかは別として、僕にとって深い感銘を残したのは確かである。 | ||||
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映画を見る前にこの原作を読んだ方がいいかな。 文章自体はそれほど難しくもなく、ストーリーもわかりやすいと思います。 | ||||
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なんだろう、受け付けない(^_^;A ミステリーとしても,そんなに… | ||||
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面白い、最初から最後まで一気に行ける。 でも推理ものにあるような、ページを進むほど真実に近づいているといった感覚ではない。 どこか、悲痛な感じで物語を見ていた。 ラストシーン、状況から考えると、主人公は彼女から許された。と言えると想像するが、 それにしても、もう少し二人にとって平穏な結末は描けなかったのかと、思う。 | ||||
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映画みて消化不良で、原作に手を伸ばした。 「男って、ほんとに嫉妬深いっていうか、狷介っていうか」作中の小林の、この言葉に集約されていると思う。 本作は、男・吉田修一による、男の小ささの内部告発である。 極端に装飾的・叙情的描写を抑え、 暑さに何もかも裸にされたような味気ない情景の中で、とにかく渡辺、俊介から汗が流れ、 生きているだけでからがらの、虜囚の情けなさ息苦しさが 重苦しい通奏低音のように描かれ続ける。 (その中を吹き抜ける涼しい渓谷は、 一歩踏み出せば楽になれる別の世界(死)の象徴なのだろうか。) 映画で描かれたら良かったのに、と思ったピースは、渡辺の原風景だ。 母が屈強な男達に侮辱され、あわや、という風景を見て渡辺少年は、 男達に飛びかかるでもなく、助けを呼びに行くでもない。 そしてその場に居尽くした彼が感じ、噛み締めた感情は、 大切な者を踏みにじられた憤りでもなく、哀れな母への同情でもなく、 「弱者の側になりたくない」という切迫し硬直した浅ましいプライドだ。 それが罪悪感も批難もなく、彼の青春の原動力となったのだ。 また渡辺は「男の犯人だと、なんとなく何を考えているかわかる。 女だと分からず、必要以上にマイクを突っ込んでしまう、もっと謝ってほしいと思っていしまう」 とも小林女史に告白している。 俗に言う、男は男に甘い、という部分が客観化や、 女というだけで未知の恐怖を抱き、そく攻撃性に変化してしまう小ささも告発している。 ほか、マウンティングの手段のようにレイプが発生したこと。 マッチョイズムの虜囚となって、そのなかでもがいた先にあるのは、 コネでしか生きられない、男の狷介な世界、という体育会系の暗部の告発も見逃し難い。 かなこが俊介と暮らすことを選ぶ、というのがありえるかどうか、が議論になっているようだが、 それほどまでに無情に性犯罪被害者を締め出している社会を描き出すための総体的な演出というか… そこの現実性つつき回すよりは、今も実社会で生きている性犯罪被害者に そんな選択肢を選ばせるような姿勢を自分は社会構成員として取っていないか、 省みる材料として心に留めておいては、と感じた。 | ||||
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ものすごい小説。 生きることの苦しみを突きつけられる。 だけど、それで苦しくなるわけじゃない。 むしろ、何か突き動かされるものがある。 こういう小説でこれだけ心を動かされるのは きちんと苦しんできたからだと思った。 辛いことを経験すればするほど、 新しい出会いが味わい深くなるのだと実感した。 数少ないけれど、 恋愛をしてきてよかったと思った。 辛いこともあったけれど、 それがなければ、 この小説は記憶にも残らなかったかもしれない。 | ||||
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このレビューを見てみると否定的な見解が多いのだが、 元来小説とはフィクションで、作者は共感してほしいとかではなく、 架空の話を創作し、世に出しているだけだというドライな感覚を前提に、 今作を読んでほしいと思う。 読者がいろいろ物議をかもしあっていることだけで価値がある。 確かに、性犯罪被害者の苦しみを軽んじているようにも見えるであろう。 ここまで贖罪意識が強い加害者が果たしてこのような犯罪を犯したであろうか という疑問を持つであろう。 しかも、この二人が・・・していることが一番ありえないと思えるだろう・・・。 しかしだ。 拙私は、幸いなことに犯罪加害者・被害者になったことのないいい年したおっさんなので、 あくまで仮定の話ではあるが、主人公の気持ちを察するにわからないでもない部分があった。 自分にとって、壮絶な過去を隠す必要のない唯一の対象は誰か? しかも、その対象が人生をかけて贖罪をしたいとそばにいたなら・・・。 必死に前向きに生きようと努力してきたが、過去の悲劇がそれをすべて ぶち壊してきた・・・。 人生を生きるにあたり、どうにもならないことの中で一番もどかしいことは何か? それは、「記憶を葬ること」ではないか。 いい思い出は消え去ってほしくないのだが、消え去ってほしい記憶こそ 忘れられない。 彼女が身体を重ねるのも、その瞬間だけは忌まわしい過去を記憶の中から消すため ではなかったか? 「幸せになりそうだったから・・・。」 切ない。やりきれない。幸せになっていいんだよ、夏美。 結末の解釈は、消し去れない記憶と共に、「強く生きていくこと」を選択 したんだろうと思いたい。 悩んだ末、他の人にこの役をやらせたくないと言って、演じきった真木よう子。 確かにアカデミー最優秀主演女優賞モノの凄味のある演技だった・・・。 | ||||
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映画「さよなら渓谷」を鑑賞したことで本書を読むきっかけとなった。 映画はかなり気に入った作品となった。題名にある「渓谷」も美しく描かれており、主人公のカナコが 渓谷を「去った」ことへのリアリティーが生まれていた。一方、原作は「暑さ」が際立っている。常に主人公は汗だくになっている印象を強く受けた。 「汗臭い」作品はいくつかある。例えば中上健次 のいくつかの作品は行間から正に汗の臭いが立ち上っていた。 においを漢字変換すると「臭い」と「匂い」が出てくるが、まさに「臭い」に当てはまる作品群であった。けもの 臭とすら言って良い。 それに比べると本作は汗まみれながらも、「匂い」という言葉が相応しい気がする。これは主人公と カナコにある妙な透明感によるものだろう。 主人公とカナコの透明感が何から齎されているのか。 本書が設定しているシチュエーションは透明感から程遠い。但し、そのシチュエーションに対峙している 二人の「対峙の有り様」が不思議と透明なのである。ある意味では「他人事」のように状況を眺めている かのような描き方だ。その意味で、現実感がそこにはない。いや、少なくともカナコが現実感を持つことを 恐れていた点は描かれている。 その意味ではカナコが最後に家を出て行ったところから現実感が動き出したのかもしれない。 本書はそこで終わっているので、その後の二人がどうなるのかは各自想像するしかないわけだが。 | ||||
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悪人の内容の濃さを思うと とんでもなく薄いと感じてしまった。 隣家の子供殺害をした母親との 心理的な絡みなどがあるのかなと思えば そうでもないし、ミステリー要素が もっと濃くなるのかなと言えばそうでもない。 若気の至り(で括るには残忍過ぎるが)で しでかしたレイプという犯罪に対して 意識の薄い人間とそうでない人間の対比を もっと掘り下げる方が面白くなった気もする。 主犯格がここまで懺悔できるかなぁ。 そんな良心的な思考の持ち主が レイプに走るかなぁという印象もある。 おまけにそんな残忍なことやった奴が どれだけいい奴になって 罪の意識に苛まれていようが クズであることに変わりはないので 感情移入もできないし、 世間から見放された男女が 傷を舐め合う形で一緒にいることになった という構図は理解出来ても 相手が自分の素性を分かっているのに セックスをしているカナコにも疑問。 (私は相手がカナコの素性を分かっていないと 最初思っていたので) いろんな意味で登場人物の思考に 寄り添えなかったから余計に薄い内容と 感じたのかもしれない。 面白いか面白くないかで言えば、 それほど面白くない、かな。 | ||||
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映画を観てから小説を読んだのですが,やはり小説の方が内容が濃く,自分の想像で映像をイメージ出来るので,大変面白かったです。 | ||||
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現実にはありえないと思うが、被害者と加害者がお互いそばにいることで、 世間からの差別を避けることができるならばその関係は成立するかもしれない。 最後のシーンに、事件の重い記憶からは決別できないが、 それでも未来はよりよくできるはずという希望を感じました。 | ||||
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映画を観てから 読んだので つい「真木洋子さん」が浮かんでしまいます・・ 大森さんの記者も良かったですね・・・ 原作よりも映画のほうが 良かったように思えてしまいます・・ ただ、渓谷のところは「原作」の方が 味わい深い感じがしました。。 やはり 映画です^^^ | ||||
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