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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年



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【この小説が収録されている参考書籍】
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の評価: 3.41/5点 レビュー 1023件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.41pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全1023件 161~180 9/52ページ
No.863:
(4pt)

次作に期待

なんとなく今回はわたしとしてはあまり感じませんでした。次に期待したいとおもいます。ただ、過去に関わった人と向きあうべき(たまには会うべき)だと思わせてくれるいい機会でした。

つくる はどうなったのでしょうか、気になります。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
4163821104
No.862:
(1pt)

主人公

主人公の性格がどの本でも一緒だよね。
村上春樹を久しぶりに読んで(アフターダーク以来)、
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」がピークだったんだと再認識出来ました。
多感な時期に読んだ過去の作品以外、もう読むことはない。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
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No.861:
(5pt)

初 村上春樹

村上春樹 初めて読みました!
おもしろかったです!

最後も いろんな 想像が できる
意味深な 終わり方で
人それぞれ 続きを 考えられるような
終わり方で
自分は
ハッピーエンドを
信じたいなって
思いました。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
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No.860:
(3pt)

つくるがうらやましい。

カスタマーレビューを読んでいるとやたら評価が低いが、逆説的に言えばそれだけみなハルキ愛が強いというか、良い作品を書いて欲しいという期待や思い入れが強すぎるというのか、決してそんなに悪い作品ではない。むしろにわか文芸評論家きどりの方々が散々悪評を書き散らすのは読んでいてあまり気持ちのいいものではない。はっきり言って小説家は自由だ。J.K.ローリングも言ってるようにどんな評論家や読者の嗜好に拘束される筋合いはないのだ。村上春樹も書きたいように書けばいい。あらためてこの作品をみてみると、空っぽなはずのつくるが実は大変恵まれた人間であるのがわかる。富裕な家に生まれ、容姿には恵まれ、女性にもそれなりにモテ、自分のしたい仕事ができ、心配してくれる友人も結局はちゃんといる。こういう主人公に共感をと言うほうが難しいだろう。世の中のほとんどの人間にそういうものは備わっていないからだ。そういう風にみてみると他の登場人物もまた色々問題をかかえているにせよ皆美しく彫琢され、リアルな私たちからみれば実はうらやましくさえある。正直少し現実離れした世界で物語は進行するが、どんな場を借りるにせよ、純粋無垢で限りなく調和のとれた価値観というものは意外に脆く移ろいやすいものだということだ。そしてそれが崩れたときに人どうやって新たな価値観を見出していくのであろう。例によって結論は読者に委ねられるが、破滅なのか新たな構築なのか、それは自分で選べばいい。昨今の○○賞作品に多くみられる最後にちょっとしたあり得ない奇跡が起きてホンワカと軟着陸する結末に辟易している読者にはすすめられる。ここではそういうことは起こらない。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
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No.859:
(4pt)

物語の力を提示するための物語。

最初、「微妙・・・。」っていう感じだったんですよ。大学時代の男女5人の仲良しグループの崩壊が根底にあるお話なわけですが、その大学生の描写が「古い」というかなんというか、とにかく変な違和感があって。でもね、読み続けて、「なぜ、そのグループは崩壊したのか?」っていう原因探しの旅に出始めたところあたりからドンドンおもろくなって来ました。

なんていうかねえ、とても一言で感想を言える本ではなく、「ここ、引用しよう♪」って思って、しおりをはさみまくったわけですが、「細かい断片を俺解釈で切り刻んで提示するのもどうかなあ・・・」って思ったのでやめておきます。

人生はね、やり直せませんね。過去に戻ることも出来ない。

どれだけ苦しい苦しみも、どれだけ悲しい悲しみも、起きたことは変えられず、ただ、耐えることしか出来なかったりします。悲しい経験を乗り越えたから、弱い人間が強い人間になるわけでもなく、「悲しい経験を乗り越えた弱い自分」がいるだけだったりするし。

人間、それでも人生ってものをやっていかなければいけないわけですが、悲しみばかりの人生や、苦しみだらけの人生の、そこで傷を抱えて泣いて戸惑っている自分に、「でも、そういうもんじゃない?」ってことを言ってくれる「肩に添えられたやさしい手」のような印象を得ました。

「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。」っていう短い言葉が沁みる人もいれば、この長大で難解で答えが一切提示されない物語が沁みる人もいるでしょう。

村上春樹が、いつも結論めいたものを提示しないで何だかわからないまま小説を終えるのは、物語の力を信じているからなんでしょうね。

「結論を言うための物語」ではなく、「物語の力を提示するための物語」。

そんなに多くの村上作品を読んでいるわけじゃないですが、基本的に小説はほとんど読まない人間なので、そう考えると自分の中では「そこそこ読んでいる作家さん」なわけですが、今まで読んだ村上作品の中では、1番、色んな事が沁みた作品かもしれません。

途中、かなり胸が痛くなったところもあったけれど、それは「この物語」と「私の物語」がリンクしたところがあり、「この物語」に「私の感性」が深く入っていったところがあったからでしょう。

この「ようわからんはっきりしない結末」に、「でも、人生ってそういうもんだよな。これで何がしかの明確な結論が出てしまったら、これは、『俺の物語』ではなくなってしまう。」ってことを思いました。「俺の物語」と「俺の結論」は、「俺の人生」の中で獲得し、提示し、時に打ちのめされ、嘆きもだえながらも、前に進んでいかなきゃいかんもの。

おすすめです。
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No.858:
(5pt)

おもしろかった

村上春樹は、ナルい人たちが読む本だと偏見を持っていて食わず嫌いでしたが
読む機会があったので、ある作品を読んでからややハマり、2作目でこちらの作品を読みました。

次から次へとページをめくりたくなるくらい世界に入り込むことができました。

読了して、この本のレビューはどんなかなとググってみたら、アマゾンのアンチレビュー1位の方のブログに辿り着きました。
こんなふうにしか感じられないって悲しいなと感じました。読んでいて確かに表現がくどいとか設定が…だとかそういう事はキリがないでしょうが、そんな事はどうでも良くて、それよりももっと他に感じるものがあると思います。

自分は村上春樹作品に感動できる感性を持っていて良かったと思います。これから他の作品を読むのが楽しみです。
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No.857:
(4pt)

読みやすい村上作品

村上作品としては読みやすく、比較的情景や登場人物の心情が想像しやすい。リアリティがあるという点ではノルウェイの森に近い印象を受けた。初めて村上春樹氏の作品を読む方にお勧めできる。
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No.856:
(5pt)

巡礼を通じて、変わらなかったものを探すことが大切

村上春樹の著作は初めて読みました。有名な著者であることはもちろん知っていたのですが、どうしてもタイトルや紹介文の内容が読む気にならなかったというのが理由です。今回はやはり一度は読んでみようと思い、キンドル版になっている本作を選んだのですが、そうはいっても読む前にはなんとくなく抵抗がありました。他の方のレビューにもありますが、紹介文を読む限りはぱっとしないというのか、陰気くさいというかそんな印象がありました。

読み終わった後の感想としては、これ1冊だけで村上春樹ワールドが理解できたかどうかはわかりませんが、なんとなく理解できたような気がします。ストーリは思いの他、表現が平易で、展開のテンポも早く、新しい年上の恋人から、かつての仲良しグループから除け者にされた理由探しをアドバイスされ、あっけなく、その「巡礼」の旅に出るという展開はなんとなく安っぽい印象を受け、多くの謎を残したまま終わる展開には賛否両論があるかと思いますが、推理小説ではなくので、それはそれでよいと思います。

個人的には主人公に共感できる部分が多くあります。40代になって、高校を卒業してから、20年以上が経ち、自分がなりたい自分になれなかったという思いが強く、主人公と同じように故郷との縁を断ち切るような形で東京に出てきて、帰属意識が弱い社会で暮らしてくると、どこで本来の自分が変わってしまったのであろうと、知らず知らずの内に、言い訳探しに走っている自分があります。主人公のような極端な経験はしておらず、そのような境遇にはなかなか至れないかもしれませんが、変わってしまったもの、無くなってしまったものを探すよりも、20年、30年という時間の中で、変わらなかったものこそを探し、それを活かす生き方を探すことが重要だと気づかされました。誰もがなれたい自分にはなれていないが、自分にあった生きるべき道を見つけられるようにすべきだと思います。

また、村上春樹の作品を読んでみたいと思います。
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No.855:
(5pt)

フィンランドは素晴らしい

この小説を読んでフィンランドに行ったんだけど、やっぱりフィンランドは美しい場所でしたt
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No.854:
(5pt)

思春期の傷つきとどう向き合うか?

誰にでも感性が合わないというか、好き嫌いというものはある。みんながおいしいと思う料理が苦手な人はいるだろう。これは理屈ではない、仕方ないことなのだ、どうしても無理、と。だからといって、その料理を皆がおいしいと感じている(らしい)ことは認めざるを得ないだろう。
村上作品も同じことだ。他のレビューを見たが、これほど生理的に嫌っている人がいるとは、少々驚きであった。確かに、理屈っぽいし、難解だし、受け入れがたいと感じる人もいるのだろう。

さて、本作、とても素晴らしかった。
誰にでも、程度の差こそあれ、思春期の出来事(傷つき)とどう向き合うか、それを自分の人生にどう布置するか、それをなすにはどうすればいいか、そもそも努力すればできるものなのか・・・とても大切で困難なことがテーマになっている。
そして、5人が歩む人生が、それぞれの立場を明確に表している。
つくるは死と隣り合わせの深い絶望に陥り、また、ある人は傷つきながら陶芸に自己を見出し外国に住む、そこを訪ねたつくるとのわずかな時間で思春期を生きなおし、またある人はそれに耐えきれず内なる悪魔に命を絶たれてしまう。あるいは、企業戦士として忙しく働き、あるいは、啓発セミナーを(自ら馬鹿にしつつ)開いて儲けている。
だれが正しいとというのでなく、それぞれの人生が描かれていく。
自分を投影できるかどうかは別にして、多くの人に読んでほしい、素晴らしい作品である。

追伸:非常に評価の低いレビュー(かつ、多くに支持されている)の中に「暗い淵が地球の芯にまでって・・・いくらなんでも深すぎです・・・。」という一文があった・・・。それほど深い傷つきと想像できなければ、この作品が理解できないのは無理はない。
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No.853:
(1pt)

厨二全開の文体は彼の持ち味なのでそれは問題ないにしろ

ここまで散らかした伏線(のようなもの)は、半分くらいは回収しないと
消化不良になるでしょうよ・・・・。

読後のモヤモヤ感が気持ち悪い作品です。
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No.852:
(4pt)

アンチ村上春樹のレビューがひどい

個人的には1q84より好きでした。
にしてもアンチのレビューが酷いかなあと。
本当に読んでるのか怪しい感じもするし。
人生の格言めいた事を言う、みたいなアンチに媚びるような自己ツッコミみたいなのはあまり必要無いと思いました。今までの作品が好きだったのでそういう一般やアンチへの媚みたいなものを垣間見ると内容にはいりこめなくなっちゃうんですよね。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年Amazon書評・レビュー:色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年より
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No.851:
(5pt)

昔からのファンは楽しめると思う。

春樹氏の不幸は、世界的に著名になり小説発売のたびに話題になることによって、もともと想定していない読者層が増えてしまったことだろう。
まあ売り上げに貢献しているわけだから不幸とまではいえないが。著者も言っているように、彼の小説は特定の読者にしか受け入れられないものなのだ。

会話が不自然だとか行動がしゃれてて腹立つとかはデビュー作からのことで、いちいち問題にすることではない。そこに自己を投影したり共感したりしようとすると拒絶反応が起こるのは当然。春樹氏の小説を長く読んでいる人は、よくわからないジャズの曲名やら人名やら、料理名やらなんやらはとくに気にせずに物語を楽しんできたはず。

つくる君が緑のバスローブを着ているとかカティーサークを飲んでいるとか、そういう描写が嫌だと言う人は、客観性が持てない人なのだろう。現実社会でも、自分の考えや習慣に合う人しか認めないのだろうか。世の中にはいろいろな人がいるし、まして小説なら当然だし、それを受け入れて物語世界に入り込むことで考え方やものの見方が広がるというものだ。

「多崎つくる~」は個人的には1Q84よりも完成度が高いと思う。謎をはらんでそれを追いかけていく筋立てであり、一応はその謎も結論がある。いくつかのエピソードは宙吊りのままだが、それも含めて推論の余地があり、いろいろと考えることができる。海辺のカフカ以降では、かなりわかりやすくまとまった小説ではないか。

春樹氏の小説はある意味哲学であり、思想であり、物語自体に入り込むものだ。それは考えるという作業に読者を誘うものでもあり、そういう意味で登場人物の行動やらセリフが日常と違うものなのも当然だ。そこで読者は立ち止まり、違和感を覚え、考える。彼の文章は確かに読みやすくなったが、すらすらと数時間で読める小説ではないと思う。漫画やアニメやライトノベルという、消費物として効率化を求める物語とは違うベクトルを向いていることは確かだし、それらに親しんでいる人には受け入れられないのも当然だろう。

この物語に共感を覚えるとか、登場人物に自己を投影するとかは、瑣末な問題だと思う。むしろ、共感し、つくるに自己投影できる人のほうが圧倒的に少ないだろう。そんなことより、多様性を認め、たくさんの可能性があったことを考え、物語世界に入り込む。春樹氏の小説にはそうさせる面白さがあると思う。単なる共感や自己投影を小説に求める人は、村上春樹の小説は受け入れられないだろう。

また、フェイスブックやらグーグル、スマートフォンなどといった単語が出てくることに驚いた。春樹氏も今の社会に合わせようとしてるんだなあと。携帯電話は小説の小道具として、多くのエピソードをつぶすものだ。他者の不在や音信不通というのは人間関係を描くのに便利なものだが、それを成り立たせなくさせる。だから今作でもつくる君は携帯電話を持たず、ネット検索を拒否し、自分の足で物語を作る。固定電話が鳴って、相手が誰か分からないなんていうのも、もうありえない事態になってきている。これから書く小説はどうするのだろう。ちょっと興味がある。

今作は、ある種の推理小説であり、わかりやすいトラウマ小説であり、死と再生の物語だ。シロの事件の犯人は誰なのか、沙羅はつくるを受け入れるのか、灰田とはなんだったのか、読み終えた後も楽しめる小説だと思う。リストの巡礼の年を広く知らしめた小説でもあるだろう。個人的には、海辺のカフカ以降に感じていた未消化・不条理感は影を潜め、どこか懐かしさを感じる小説だった。

春樹氏はレヴューなんかは読んでいないだろうが、一部の悪評に惑わされず(笑)、これからもたくさんの小説を書いて欲しい。多くの人に読まれれば、反対意見ももちろん出てくるし、そして何か自分の意見を言いたくなる、そんな魔力が村上春樹の小説にはある。読後の感想が否定的であれ、読書体験は残るわけで、その中にはリストやフィンランドの知識や、自己啓発セミナーへの抗体など、外の世界との繋がりもあるのだ。

1Q84ではNHK関係者を、多崎つくるでは名古屋人を敵にまわし(笑)、アンチも増えるだろうが、次は何を槍玉にあげるのか、楽しみでもある。
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No.850:
(5pt)

進んで読もうとはしないが、時々、ふっと手が伸びてしまう。

冒頭、死ぬことだけを考えて生きてきたと書いているので、これが色彩を持たないことかと思ったが、やがて高校時代の4人の友だちの苗字が、赤松、青海、白根、黒埜と各々色彩を持つ中で、多崎つくるだけが色彩を持たない理由であることが判る。(引き続き読むと、そんな単純ではないが) 巡礼の年はフランツ・リストのピアノ曲集にそのタイトルがあり、中の「ル・マルデュ・ペイ」の意訳は田園が人の心に呼び起こす理由のない哀しみというものらしい。

多崎つくるは大学生の時、4人の色彩のあるグループから完全拒絶され、36歳になった現在、ガールフレンドにその話をしてみる。ならば、その女性は、今逢うべくではないかと云う。かくして、多崎つくる、の巡礼の年が始まるのだが・・・・。

私は村上春樹の熱心な読者ではないが、それでも「1Q84」は単行本の段階で購入し、ストーリーそのものに釘付けになり、はるか昔に読んだ「ノルウェイの森」は、今でも京都の地図を見る機会が有れば、北東部に目が行く。ただ「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は箱入り本で買い、「国境の南、太陽の西」も単行本で買い、今でも持っているが読めていない。進んで読もうとはしないが、時々、ふっと手が伸びてしまう。そのような読者だ。

魅力は何処にあるのだろう。私の感性をくすぐるというのではなく、そういうものの考え方、発想、描写の運び方、例えば本書の中の以下の文章は読んだら直ぐに終わるが、書くとなると、なかなかどうして書けないものだ。――そしてつくるに椅子を勧め、また同じドアから姿を消した。クロームと白い革で作られた、スカンジナビア・デザインのシンプルな椅子だった。美しく清潔で静かで、温かみを欠いていた。細かい雨の降りしきる白夜のように。
このような文章にうまく乗せられつつも、それを楽しんでいるというか、興味を持ってしまう。

文学を文学っぽく読ませながら、文学を忘れさせて、村上ワールドへ誘われるというか、語り口は我々の言葉で語りながら、気が付くと、少なくともミステリーを読んだ時のような、単純に面白かった、面白くなかったという範疇では推し量れない読後感を残す。結局、ラストは興味を最高に高めて終わるが、未解決の豊饒な余韻が、「ル・マルデュ・ペイ」の曲とともに、いつまでも私のあたまから離れない。
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No.849:
(3pt)

哲学ジャンル小説

ジャンル小説とは、ライトノベルしかり、時代劇しかり、お約束小説である。キャラクターもストーリーも場面展開も、読者と作者の間のお約束が成立し、お約束の展開と結末が読者の求めるところである。期待通りの読後感を求めて、読者は作品を読む。
村上春樹の小説は、デビュー作からそれを意図して書いているようだ。村上春樹の場合、それは「哲学ジャンル小説」
彼は哲学を語るために小説を書く。したがって、すべてのキャラクター、場面展開、ストーリーは、それを表現するための類型的なもの。ステレオタイプ。多くの読者は、彼の描くキャラクターがリアリティーを欠いた硬直的な人間であることに気づくだろう。多面性がなく、人としての深みがない。こんなにわかりやすい人間など現実には存在しない。ストーリーも、場面展開も、ご都合主義に走る。村上春樹ファンなら、当然期待するところを、そのままきちんと再現されていることになるだろう。
だがそれでよい。村上春樹にとって、キャラも場面もストーリーも、すべては哲学的思想の帰結に向かっての矢印でしかなく、記号でしかない。つまり単純化された、説明的な単語でしかない。当然リアルな人間、リアルな人生、リアルな運命ではありえない。だから村上小説を読むときには、常に「この記号が何を表現しているか」を注意深く検証しなければならない。いわば謎解きの文学。ゲームでダンジョンを攻略するために、廊下のあらゆるところに埋め込まれ、隠されたアイテムや標識を、見落とさないようにしなければならないのと似ている。
村上春樹を楽しむには、こうした謎解きを楽しめなければならない。そこにある言葉から、突然立ち上がる鮮やかな情景など期待してはいけない。これは哲学書である。そこのあるのは、人類の深淵のマニュアルである。

村上春樹は、キーワードを巧みに隠す。それを見つけ出した人だけが、物語のそこにある真実の扉を開くことができる。
そして村上春樹は、時代時代にぴったりとマッチしたスタイリッシュな言葉と情景で、真実を隠す。言葉の装飾で読者をあしらい、目を欺き、熱狂させながら、真実は隠してしまうのである。

ということで、まあすごいんだろうなとは思います。ただ好みじゃないので、星三つ。好きな人は好きだろうなあというのは、なんとなくわかりますので、とりあえず読んでみたらどうでしょうか。
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No.848:
(4pt)

もったいない。

思いつき?の内容と、主人公と紗羅以外の人物描写の軽さが「軽い」作品になってしまっている。ドストエフスキーなどの大作家でも、細かい人物描写でリアリテイーが増したし、創作ノートを書いて物語を進めている。作者の特別な意図があるのかもしれないが、「また読みたいと思わせる文章」なだけに余計に勿体ない。
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No.847:
(5pt)

読めば読むほど最後の結果を一刻も早く知りたかった。

非常に深い印象を残してくれた小説です。人間の孤独感の描写はよかったです。最後の結果は読者に想像を任せるのは驚いたが、よりいろいろ考えられました。
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No.846:
(4pt)

失うことが 物語を つくる。失うことで ヒトであることを認識する。

失うことが 物語を つくる。
失うことは 痛みを 覚える。
失うことは あやうさであることを知る。
失うことで ヒトであることを認識する。

何と、物語の舞台が、名古屋だった。
名古屋が舞台という小説は、あまりないね。
ふーん。
どんな名古屋が出てくるのだろうと期待したが、
一つの記号に過ぎなかった。

読み終えた感じとして、文章が冗漫になっているなぁ。
と感じた。直裁ではなく 風景と心の動きをえがくのに
まだろっこしい 言葉が続く。
そういう デコレイティブな言葉がはめ込まれている。
ちょっと、その言葉の使い方に ムラカミハルキの老いを感じる。

物語としては、軽い感覚なんですね。
拒絶されて 死を意識したが 立ち直り
36歳になって 初めて 拒絶されて理由を探そうとする。
それは 次への新しい愛をつむぐために。

夢にあらわれること。
5人とは 5本指につながる。
どうして、6本指があるのだろうか。

この物語は 勢いのある思い込みと仮説の中で
橋げたを 一生懸命つくろうとする。

ムラカミハルキのテーマである 空っぽ
ということに対して 答えが うまく出されている。
珍しいことだ。
心が空っぽから 容器が空っぽであってもいいという
アナロジーで説明する。

多崎つくる。自分の名前の重さを自覚しながら
背負っていく オトコで、クールでたくましい。
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No.845:
(4pt)

精神的な喪失に対する「巡礼」という作業の必要性について

村上春樹の本は、過去に一度手に取っただけしなかい。
その本も全く印象に残らなかった。

今回、改めて村上春樹の本を読むきっかけは、
「見たいものを見るのではなく、見なくてはいけないものを見る」
という、文庫本の帯に書かれている文章が気になったから。
もちろん、この文章は、本文中にあるのだけれど、
「これって、ユリウス・カエサルでは?」と気になり、手に取った次第。

多崎つくる君、なぜか親近感を感じた。
鉄道に興味があり、(私は鉄道会社に勤務はしていないけれど)
精神的な喪失感を抱えた。(彼は大学の時、私は2014年にという違いはあるけれど)
読み進めるにしたがって、他人事じゃないように感じた。
もちろん、私が勝手にそう感じただけで、作者村上春樹が上手く、その術中に嵌っただけともいえる。

だから、この稿は、文芸評論ではない。主人公に対して、この上なき親近感を覚えた
一人の同世代(彼は36歳、私は39歳である)の人間としての感想になる。
他人事ではないほどの親近感を感じたからか、読み進めるにしたがって、
飲み下しにくい、唇をかむような、苦い何かを抱えずにはいられなかった。

彼は本当に強かったんじゃないか。私は、彼をうらやましいとさえ感じた。
精神的な大喪失も、体を鍛えることで、ひとまずは乗り越えたようだし。
(こういう激震は、もし経験するなら、社会人になる前の時期に限る。
 会社勤めをしている最中に襲われてしまうと、本当に対処が難しい。
 そしてそれより大切なこととしては、この種の激震を経験しなくて済むなら、その方がよい)
女性にだって不自由していたわけじゃないようだ。
現に親しくしている女もいる(聡明な女のようであることも彼にふさわしい)。

おそらく、精神的な喪失は、彼のように巡礼をすることでしか解決できないのだろう。
それが「見るべきものを見る」ことだと思う。
だからだろうか、読後に何かしらの諦観のようなものを感じた。

この巡礼という作業というか、行為について。
おそらく、少し前に流行った(?)、「自分探し」とは違うものだ。
青い鳥を探しているのではない。
自分の傷を改めて確認し、今なお静かに流れ続ける血を直視し、
それがどのくらい深い闇を広げているかを目の当たりにしてもなお、
それが真の治癒をもたらす、ということなのだ。
そして、たぶん、ひとりではこの巡礼に出ることは難しい。
そのような巡礼に出るときに、伴侶(つくる君が彼女と結婚するのかはわからないけれど)
は必須で、そのような人を持てたことは彼にとって、幸福であったとさえ思う。
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No.844:
(3pt)

反リアリズムの極致

「『コックはウェイタ ーを憎み 、どちらもが客を憎む 』 」と灰田は言った 。 「ア ーノルド ・ウェスカ ーの 『調理場 』という戯曲に出てくる言葉です 。自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります 。そう思いませんか ?僕はそういう生き方をしたくない 」 「束縛されない状況にいつも身を置いて 、自分の頭で自由にものを考える ─ ─それが君の望んでいることなんだね ? 」

なんというリアリティのない会話だろうか。
人と会話するとき、こんな風に話す人がいるだろうか。
これはこの小説の登場人物の会話の一部だが、この小説は全編この調子だ。
まだ口語と文語の区別がついていない若年のオタク少年たちには文語調で話す人がいるが、作者村上春樹氏はそういった人たちの同類なのだろうか?
元ジャズ喫茶経営という経歴からはそうは思えないのだが…

村上春樹氏はおそらく、意識的にリアリズムを排除している。
この小説は、上のようなまったくリアリティのない会話や、ほかにもリアリズムをあえて否定するような要素で構成されている。

この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の主人公は鉄道会社の設計部勤務という設定で、作中では彼の勤務風景も少し描かれるのだが、これが驚くほどリアリティがない。
ちょっと本当の鉄道会社の設計部の人たちの仕事ぶりを取材してから書けばよかったのに、と思う。多分全く取材してない。
泥臭い人間生活のリアルな部分は描きたくないようだ。
(代わりに力を込めているのは、レストランでの食事風景とか、新宿駅の急行列車の旅客の様子とか、村上春樹氏お得意の都会の消費生活の描写で、こちらは本領発揮といったところ。現実味のない、空疎な都会の大量消費生活の描写をさせるとものすごく上手い。)

また、村上春樹作品全般に言えることだが、登場人物全員が非常に合理的な考え方をする。
本当の人間は非合理的で不条理な思考をするもので、だからこそ人間同士が分かりあうことは困難であり、社会は衝突と摩擦に満ちている。
村上春樹作品のように多くの人間が合理的に考えることができたら、人間同士の衝突は激減し、ほとんどの問題は解決するだろう。
実際、この「色彩を持たない〜」で主人公はかつて自分を疎外した旧友たちと十数年ぶりに再会するのだが、あっけないほど簡単に和解する。
合理的に考え、理路整然と語る非現実的な登場人物同士なれば、当然の帰結だろう。
しかしこれはリアルな人間の姿ではない。

評者はリアリズムのない作品に興味がない。
だからほとんどの村上春樹作品に興味がない(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」だけは好きだ。あれは作者自身の「本物の」幻想が書かれていると思うから)のだが、唯一興味があるのは、村上春樹氏はなぜここまで徹底的にリアリズムを排除した作品を書くのか、という一点だ。
氏のエッセイはそれほど読んでいないのだが、作品外の発信も多い氏のこと、どこかにこの理由についても語られているのだろうか。
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4163821104

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