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屍者の帝国
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屍者の帝国の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全114件 101~114 6/6ページ
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伊藤氏へのオマージュ。円城氏の力作です。 エンターテイメントとして、これでもかとコラージュが施されています。 他の評者の方も書いておられましたが、最後のページにはジーンときます。 # 「フライデー」という主人公の書記係のような存在が登場しますが、これは主人公=伊藤氏、フライデー=円塔氏と見るのはうがち過ぎかな? | ||||
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時代は19世紀末の1878年。この世界ではフランケンシュタイン博士が生み出した技術である屍者化技術の発達成功により、死んだ人間に、ネクロウェアと呼ばれるソフトをインストールし、単純作業が行えるが、しかし喋ったり能動的な事は出来ない『屍者』が満ちています。既に屍者がいないとまわることが出来なくなった世界の首都と言えるロンドンの卒業直前の医学生、ジョン・H・ワトソンは国家のエージェントに誘われるのですが・・・というのが冒頭です。 屍者という存在が日常的となり、そのことを飲み込ませる様々な手段が高じられた結果、非常にスムーズに物語に入ることが出来ました。これはやはり円城さんの、もしくはプロローグである伊藤さんの筆力というよりも、あの名作『虐殺器官』と『ハーモニー』を世に出した伊藤さんの本を読んでいたからこそなのかもしれません。 しかも偽史モノであり、パラレルな世界、SFの世界を舞台としながらも、現代を生きる人間の『命』や『魂』、もっと言えば『意識』を通しての『アイデンティティ』とは何か?という壮大なスケールを扱いながらも、リーダビリティを落さないでエンターテイメント作品として仕上げている部分に、伊藤 計劃作品の底に流れる同じ水脈を感じました。 最も、多少毛色の違いは感じさせますし、実在の人物や有名な架空の人物を登場させることで、読み手が知っているその人物への知識をテコにしている部分は上手いながらも伊藤さんの手法ではない感じがしました。ただ、過去の偽史モノということで伊藤さんも暖めていたプロットであるかも知れません。特にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をモチーフにしている部分は、とても、とてもスリリングで良かったですし、もし「カラマーゾフの兄弟」を読んでいらっしゃる方であれば納得の展開です。アリョーシャの行動原理やこの物語に於ける立ち位地が絶妙でして、1章だけでやられてしまいました。 3部構成の見事さも当然ですが、底の底を破って、さらに底を見せるという伊藤さんのやり方を円城さんも踏襲されていて、個人的にはエピローグに最も心を動かされました。エンターテイメント性と文学性の両方を犠牲にしない完成度は流石ですし、それこそ伊藤 計劃の真骨頂だと思います。 円城さんの素晴らしさを感じた上で、やはり伊藤 計劃は失われてしまったのだと、より強く感じさせられる小説。伊藤さんがご存命ならこの作品は無かったわけで、読後伊藤さんの「屍者の帝国」を夢想しないわけにはいかない、そんな読書体験でした。 「虐殺器官」を「ハーモニー」を読まれた方にオススメ致します。 | ||||
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死者ならぬ「屍者」が当たり前に生者とともに共存する19世紀末。医学生ジョン・ワトソンはカラマーゾフという男の野望を挫く密命をおびてアジアへ赴く。カラマーゾフは屍者とともにある帝国を築こうとしていた…。 夭折した伊藤計劃によるわずか30頁足らずの遺構をエピローグに据え、盟友・円城塔が書き継いでいった400頁を越える歴史改変SF巨編です。伊藤の類い稀な文章力を引き継ぐ円城の才幹たるや、ほれぼれするほどです。 『シャーロック・ホームズ』、『フランケンシュタイン』、『ドラキュラ』、『風と共に去りぬ』、『カラマーゾフの兄弟』といった私も楽しく読んだ数々の著名な小説の登場人物たちが陸続と登場して切り結んでいきます。そして彼らがイギリスからアフガニスタン、日本、アメリカと遠大な旅をしながら物語を紡ぎあげて行くのです。ワトソンがカラマーゾフを訪ねて行く道程を描く前段部分は『闇の奥』(映画『地獄の黙示録』のもととなった小説)を意識していることは間違いないでしょう。 先人たちが織りなしたそうした物語の上に伊藤×円城が堅固に構築したストーリーは驚嘆と興奮を与え続けてくれます。私自身の若いころの読書経験を懐かしく思い出しながら読むこの『屍者の帝国』は、時に微苦笑を誘い、そして大いに惑乱させてくれたのです。 ただし後半は一転、私には思弁的で大変難解な展開をみせます。小説『フランケンシュタイン』の後半でヴィクター・フランケンシュタインに対して被造物である怪物が、驚くほど雄弁に語りを続ける場面がありましたが、それをほうふつさせる場面が延々と続くのです。 伊藤計劃の『虐殺器官』が描いたような言語によって人間が突き動かされる様を、また別の角度から描いたように感じられるこの後段の進行状況は、私が味わうには少々歯ごたえがあり過ぎたというのが率直な感想です。 それでもわずかに、ザ・ワンから発せられる言葉の中に、心すべきものを見出して、奥歯を噛む思いを味わいました。 「今、わたしたちはこう問うべきだ。人間という種が全て、上書きによる屍者となった場合に何が問題となるのか、とな。人類が生み出したという美や崇高が地表から吹き去られたとして、美や崇高を理解する能力も同時に消えた場合に、何が問題となるのかね。それもまた人の進化の姿の一つにすぎないのではないかとな。どのみち地上に溢れ続ける人類は、これから先も非道な行為をやめることはできないだろう。科学技術の発達はより大量の殺戮を短時間で実行することを可能としていく。その速度は思考をさえもしのぎ、合議は全て後手になるだろう。朝にバッハに耳を傾け、昼にゲーテに涙したのち、夕には罪なき人々をためらいなくこ ろすことのできるや つらの時代はもうすぐそこだ。」(381〜382頁) 最後の下りは、心を洗うはずの偉大な音楽や文学がその発祥国ドイツでナチスに愛好されることを予見していますが、日本の小説家・辻邦生もエッセイの中で同様のことに触れていたことを懐かしく思い出しました。 | ||||
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ダークな装丁がいい雰囲気をかもし出していて、久々にハードカバーを手に取った。プロローグでひき込まれる。死体にプログラムを書き込んで兵士や労働者として使役するというアイデアもすごいが、物語の舞台を19世紀末に設定している点が天才伊藤氏ならでは。 遺志を引き継いだ円城氏は「意識」や「私」とは何か?といった哲学的な問いを、エンタメとして楽しく読ませるよう努力したあとがうかがえる。ワトソン、アリョーシャ、ヴァン・ヘルシングといった、本の世界のきら星のごとき「有名人」たちが各自の特性を発揮して活躍するパロディ小説としても面白い。 ただ、終わりに近づくにつれて衒学趣味の色が濃くなり、観念的になり、やや晦渋になる。文庫化の際は、その辺の改善に期待しています。 | ||||
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と言うととザックリ切りすぎかな? 19世紀を主題とした探偵小説・怪奇小説・SF小説・大河小説、おっと20世紀ののスパイ小説、もちろん伊藤氏の『虐殺器官』からも、から呼び出した、実在・虚構の人・物が入り乱れて暴れまわってます。 誰がどんな風に料理されているかは、読んでのお楽しみ^^ 少年時代にこの本読んだな〜とか、今度読んでみるか、とか、ここでこの人物が出てくるのか!!とか思いながら楽しく一気に読み通しました。 逆に元ネタにが全く思い浮かばない人、或いは元ネタに思い入れが強い人、単純に死体が苦手な人はダメでしょうね〜。 最後の、―彼岸の伊藤氏を見ている、此岸の自分(円城氏)―をイメージさせる場面には、ホロリとさせられました。 | ||||
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皆が本書に求めたのは、伊藤計劃節だったんじゃないのだろうか? 一向に始まらない物語、動きがない登場人物。 屍者という世界を意図して、わざとやってるのかもしれないが、思い出補正があるやもしれないが、「俺の読みたかった伊藤計劃はコレジャナイ」でした。 あと一編でもいいから、新しい伊藤計劃が読みたくて堪らない人は、期待して読んでください。そして、嗚呼、伊藤先生は、もういないんだと納得し決着をつけるための本です。 | ||||
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その誕生の経緯から話題沸騰の本書ですが、内容的には、正直失望を感じるものでした。 SF小説(に限らないことかもしれませんが)の妙味とは、オリジナリティあふれる世界観やテクノロジーの設定と、その舞台で織り成される登場人物のドラマや、心象がバランス良く描かれていることかと思うのですが、あまりにも一冊に詰め込みすぎ、消化不良、といった印象です。 そのため、主人公含む主要登場人物の深掘りもなく(他の作品からの借用が多いので、そっちのイメージで見てよ、ということかもしれませんが)、次々に立場が入れ替わったり、名前が変わったり、そもそも「え?これは今誰が誰に何をしているの??」ということさえ見失いがちになります。 また、世界観についても「屍者がインフラとして機能している」世界の描写が希薄で、せっかくの設定も活かしきれていない気がします。 もう少し短めのストーリーをふくらませて描くか、描写に三倍くらいの頁数を費やせば、面白くなったと思うのですが・・・残念です | ||||
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久々にハードカバーの本を読む。 仕事の帰りに本屋によって、冲方丁の「光圀伝」とどっちにするか、悩むんだが、本から出る「オーラ(本当!)」と本の厚さ(笑)で、本書を選んだ。しかし、ハードカバーは、高けぇなぁ(笑)。 フランケンシュタインの技術(死者の復活、いや再生か)が不完全ながら定着しつつあると言う時代設定は、なかなか面白かった。終盤、ストーリーが少々、駆け足気味になるが、それを考慮しても、良書であった。 伊藤計劃は、既に亡くなって3年が経つので、本書そのものが、死者の再生と考えられなくもない。しかし、伊藤計劃が若くして亡くなったのは、誠にに残念だ。 追伸) 不完全な作品をここまでのレベルに再生した円城塔の才能と苦労に脱帽。 | ||||
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完璧評価が続く中、あえて星を一つ減らしてみた。理由は第三部とエピローグの 構成の悪さ。イブ(花嫁)とザ・ワンの計画に対するワトソンの考察は、第三部 クライマックスに於いて事象を追って畳み掛ける様になされるべきかと思う。 読者には格別解釈が難しいわけでもないが、はっきりと示されないうえに正邪 (というほど確定もできない)の区別も付き難い状況を提示し、後で「こうだった のだろう」と言われても困る。私としては「ああやっぱり」と思いつつ「確信 を持って読めていればもっとノレたのに・・・」と、つい考えてしまう。 またハダリーの正体が、名前が出た時点でバレバレなのは良いとしても、それを エピローグまで引っ張るのもどうか。ワトソンが認識したのは教会の銃撃であり、 ならばあの会話はノーチラス艦内がふさわしい。とにかくエピローグが太りすぎ なのだ。前半をカットして第三部中に組み込み、Xの挿入とフライデーに絞って 欲しかったと感じる。 などと文句を言いつつも傑作なのは否定しない。いかにもなガジェットに、著名人を ふんだんに登場させる、スチームパンクの魅力を十二分に味わえる、逸品である。 ただ、コスチューム物が増えた最近のハリウッド作品の影響で、キャストに俳優の 顔がチラついて困ったwザ・ワンは『薔薇の名前』か『ザ・ロック』のショーン・コネリー。 ワトソンとMはガイ・リッチー監督のバリツホームズ映画版。レット・バトラーは勿論 ゲーブル。そして当然ながらアンソニー・ホプキンス。フライデーはキリアン・マーフィー 辺りかな? ゾンビ作品が市民権を得た今日なら実写化は可能だと思うのだが、 どうだろう。まぁ原型を留めないとは思うけど、ちょっと見てみたい気がする(^^;)。 | ||||
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円城塔と伊藤計劃という、似ても似つかない作風の二人の共著、という事で期待半分心配半分で手に取りました。 結果としては大満足です。 冒頭のプロローグの時点で、面白いことが起こる予感がして、それを引き継ぎつつも面白いだけでは終わらない物語を提示してくれました。 屍体が動く世界。 その時点で、ややファンタジーめいていますが、そこに出てくる登場人物は有名な人物達。フランケンシュタインやワトソンを始め、様々な物語のヒーローが活躍し、実在の人物達も交えて大活劇を繰り広げます。 屍体を動かすことで、人間とは何かに迫るという割と観念的なテーマが面白いと思われます。 ただ、伊藤計劃に期待していたような映像的な描写に関してはもの足りないと感じます。意図的に少なくしている感はありますが。確かに長々と続けられてもなあ、という描写であり、その辺りは作家が冷静な判断を下しているようです。 一方で、円城らしい概念へのアプローチが見え隠れしていて、伊藤計劃がプロローグにのみ示した設定に深みが生まれています。一読する価値はあります。 SFとして新しいアイディアがあったのかといえば、そこまで新鮮なものがあったわけではありませんが、屍者がうごめく19世紀という世界観がそれを補って余りある新鮮なイメージを提供してくれます。マジかよ・・・というような真実も提示されます。 なにやらアニメのパロディらしき台詞もありますし、普段は見られない円城塔が見れた、という点でも大喜びです。 話を収束させていく段になると、少しずつ遊び心が無くなっていき、それが良くもあり悪くもありました。そればかりは、この本のいきさつからして仕方が無いとしかいいようがありません。 久々に、質の良いSFエンタメに出会った気がします。 <余談> 伊藤計劃と円城塔の才能が混ざり合ったらどうなるのか、そればかりがこの本の出版まで気になり続けていました。 プロローグに該当する、伊藤計劃本人の遺稿30P、その出だしだけでも、この物語は面白いと感じていました。伊藤計劃が亡くなってから数年。円城塔がこの作品を引き継ぐと聞いたときに、どれだけ胸が躍ったか分かりません。 天才の遺稿を、もう一人の天才が引き継ぐ。この本には、内容の外にもドラマがあります。 本書の世界観はサイバーパンクの旗手、ギブスンとスターリングの共著『ディファレンス・エンジン』に影響されています。文庫版で同書の解説を共著した伊藤計劃と円城塔が、結果としてこの本を「共著」する形になったことに、どこか運命のようなものを感じます。 出版してくれてありがとう。それこそが、この作品に送るただ一つの言葉なのだと思います。 | ||||
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円城塔の中にいる伊藤計劃。伊藤計劃をインストールした円城塔。 表現の仕方はさておき、円城塔のSF作家としての底しれぬ力量を感じさせる傑作で、年代設定的にも、「虐殺器官」と「ハーモニー」を巻き戻したような、意識のない屍者に纏わる物語です。「その先」を書こうとして、結果的にいい意味で原点に戻っているように思えました。 伊藤計劃が残したプロローグからの移行部分である第一部は風呂敷を広げていくところでちと展開スピードに不満も感じましたが、第二部以降はまさに一級のエンターテインメントであり、あんな人やこんな人が最後までいろいろ出てきて、さらに世代的にエヴァンゲリオンを彷彿とされるギミックが散りばめられた、ザ・サイエンスフィクションと言える作品です。 エピローグを読みながら、この話が終わってしまうことが残念でならなかったですが、そのエピローグで、伊藤計劃の残した「呪い」を開放したことに、円城塔の想いを読み取りました。そして、物語はプロローグ前の引用に繋がります。 完全に余談ですが、小学生のときにこのプロローグの作品を読んだ時に、一つの物語が終わるんだと不思議に思ったことを思い出しました。小さい頃に読んだ記憶って意外と保持されているものですね。 複数の言葉に支配された、物質化した情報のひとつとして、そう思います。 The second phase, or a curse, of the Project Itoh comes to settle happily. But, the Project will continue, and never end. | ||||
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大半が円城氏の書き下ろしということもあって、多少の不安はありましたが、全くの杞憂でした。 30ページ余りのプロローグから、ここまでの物語が紡ぎだされるとは。 「虐殺器官」「ハーモニー」を通して語られてきたモチーフ。進化、言語、意識、etc…それら諸々に決着を着けた、至上の作品です。 濃厚な物語と、重厚な歴史考証。 時折挟まれる、茶化したようなユーモアも、伊藤計劃氏の文を思わせます。 盟友、円城塔氏によって、Project Itohはひとつの完結を迎えました。 作品の可能性を遺した伊藤計劃。 その可能性を、余すところなく使いきった円城塔。 SF小説として、ひとつの作品として紛れもない傑作。 ここまで良質な物語を紡ぎだしてくれた両氏に、感謝です。 | ||||
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ゼロ年代最大の鬼才である伊藤計劃の未刊長編を、「道化師の蝶」で本年度芥川賞受賞した作家であり盟友の円城塔が引き継ぎ完成させた本書。 (「道化師の蝶」は石原慎太郎が酷評した?…気にするなそんな事) 実に素晴らしい。本作は「虐殺器官」と「ハーモニー」で示された本質の終着点を見事に完成させた。 フランケンシュタインの技術が拡散した19世紀末の世界を舞台としたという情報を聞き、前述した長編二作に出てきた用語が鍵となるのではないかと予想したが、その予想を遥かに超える内容だった。 今年3月に伊藤先生の短編集が刊行された時の円城先生への願いが達成されたようで、私としては感無量です。 SFマガジンで「再考・伊藤計劃」の様な特集をやってはもらえないだろうか…と、また浅ましい願望が浮かんでしまった(笑) | ||||
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この作品は故伊藤計劃が残した「試し書き」とプロットを基に、友人である芥川賞作家、円城塔が完成させたSF小説です。死者の復活が可能になった世界を描くことで、『虐殺器官』や『ハーモニー』など伊藤計劃作品のメインテーマであった「意識」や「魂」「言語」に対する回答が円城塔氏によって導きだされています。この結論が伊藤計劃氏の回答と一致するのか検証するのはもはや不可能ですが、伊藤計劃も同じ結論にたどり着いたのではないかと私は思っています。 上記の哲学的なテーマを描くだけではなく、本作では『フランケンシュタイン』や『シャーロック・ホームズ』さらには『カラマーゾフの兄弟』といった名作小説のキャラクター、設定、さらにはアフガンでのグレートゲームや日本、アメリカ史実といった歴史的要素までが取り入れられており、知的闇鍋のようなムードを醸しだしています。(しかもストパンネタまで!) 伊藤計劃氏、円城塔氏お疲れ様でした! | ||||
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