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屍者の帝国
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屍者の帝国の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全114件 41~60 3/6ページ
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ハーモニーとか虐殺器官とかで今までにないインパクトを感じて面白かったのですが、この本は書評の紹介でスチームパンク云々という言葉が目について、いままでにその分野であまり面白い作品に当たったことがないため手を付けずにいました。 読んでみてかなり面白かったです。 ハーモニーの人の意識とはというテーマが本作品でもメインで、多少無茶なところはありつつもSFとしては有かなという感じ。 難を言えば実在人物の名を使っているわりに登場人物のキャラが薄っぺらなところ、屍者が動くエネルギーって何というところが最後まで引っ掛かって。 円城さんのせい??。 ストーリーはスピード感もありあっという間に読んでしまえます。 | ||||
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伊東計劃的なわかりやすい細密な描写から始まり、禅問答のような精神描写、オカルト小説の1ページまるごと引用、といった感じで広範囲な文章が出てきます。 円状塔のいつもの作品ほどの話の飛び方ではないですがある程度は寛容的に読める人向けでしょう。 内容は他の方に任せるとして個人的な感想は、こんな調子で円状塔に書き続けてほしいと思う出来でした。 | ||||
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円城は面白い文学を書けても、面白い物語は書けないとつくづく分からせてくれた。 伊藤と円城は違うタイプの作家なのに、どうして出版社はこれを書かせたのか。 正直金返せ。 | ||||
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とても上から目線のコメントで申し訳ないです。でも、正直な感想です。そもそも、私は伊藤計劃さんの映画が公開されるというのがきっかけで本書などを読み始めました。「虐殺器官」から「ハーモニー」、そして本書をと、発行順に読んできました。3作品を比べると、明らかに本作品は伊藤計劃さんのテイストというか色が薄いのです。違う色だと言った方がいいかもしれません。もちろん、ほとんどの部分は円城氏が執筆しているのだから仕方ないのですが。そんなわけで、伊藤計劃さんの作品として読もうとするのはやめた方がいいです。 ところどころ、あえて伊藤計劃さんを意識した文章もあります。意識の定義みたいなものは「ハーモニー」のそれのようだし。生きている者と死んでいるものとの絡め方は伊藤計劃さんの考えに近いのかなと感じます。 最初に書きましたが、読み方としては、伊藤計劃作品というのを忘れた方が楽しめます。単体の作品として良くできているので、円城さんの作品として楽しむべきなのでしょう。そうしないと私のように何か物足りなさを感じてしまうので。 最後に、伊藤計劃作品として読もうとする人は、読む順番を考えた方がいいかもしれません。もしかすると、最初に本書を読んで、次に「虐殺器官」、最後に「ハーモニー」と続けるのが、個人的には良いと感じました。「ハーモニー」を最後にするのがポイントです。 | ||||
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前半は19世紀末を舞台にした歴史改変SFの常道を行くかに思えたが、後半すこし雰囲気を変える。 円城塔の言語へのこだわり、問いの深まりが物語を停滞させ、世界観に歪みや亀裂を生じさせている。 屍体を物理的に保存して産業に利用するという設定がどこまで実現できて、どの程度奇抜なのかは19世紀の科学に詳しくないので分からない。 先行作品への目配せがハンパなく多い。 個人的に、日本篇は山田風太郎へのオマージュかなと思ったが、どうだろう? 古代宗教で言葉がどう扱われていたかに興味を持った。 言葉の感染力が意識を可能にするのか? | ||||
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伊藤計劃さんの本が大好きで売られているのを見つけた瞬間即買いしてしまいましたが…これは期待はずれとしか言えませんでした。最初のプロローグは続きが気になるワクワク感に溢れていたのですが、そのあとはよくわからない理屈をごねごね綴っていてザ文系の私は正直はぁ?って感じでした。作者がやはり作風も大幅に変わってしまうのでしょうが、これは私には合わないと言わざるを得ない作品でした。伊藤計劃さんが好きな方は絶対に買わないことをお勧めします。映画なら節々を省略してくれるので観やすいかなという気がしますので映画だけ観るのがいいと思います。 | ||||
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作者のお二人の作品をどちらも読んだことがないです。 劇場で見る前に予習しようかな、くらいの軽い気持ちで書店で購入しました。 劇場アニメの公開順に読もうかと思ったので『虐殺機関』『ハーモニー』未読。 冒頭30Pのみが伊藤計劃先生執筆というのは知っていたのですが、読む中で他のの作品を読んだことがない私でも、どんどん続きが気になりページをめくる手も軽いのが自分でも分かり、(言い方は失礼ですが)「あ、この作者アタリだ!」と思いました。 対照的に円城先生の執筆になった途端、途端に読むスピードが落ちました。文章が重いというか…説明的、なのに切り替えが早く理解が追いついていけないという箇所が多く、3回読み返したところもありました。私自身読書家ではないし活字に強いというわけでもないので、読みやすいか否かは単にお二方の作風が自分にあっているかあってないかだったと思います。題材の「屍者」はとても興味深いテーマでしたし、『虐殺機関』『ハーモニー』を読んだあとにこの作品を読んでいたら世界観をより理解しやすかっただろうし楽しめたと思います。 読みづらい印象を受けたとはいえ、面白かったので、この作品がどのように映像化されるのかとても楽しみです。 公開までに同シリーズの2冊も読了したいと思います。 | ||||
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ハーモニーや虐殺器官を読んだ後、こちらを読ませていただきました。感想、「モヤっと」です。 他の方もコメントなさっていた様に、私は伊藤先生が作品中で広げている生命や意識、魂といったテーマについての解釈が非常に好きです。難しいテーマなのですが、ストーリーに組み込まれ展開されていること、対話や独和が上手く利用されていることで読み進めやすく、そのうち理解が追いついてきます。 ですが、この作品は読み進めても読み返しても解りづらい部分は無くなりません。むしろ読み進めるにつれ増え続けます。「言語による菌株の不死化によってヒトを屍者化」辺りからは、もう頭に浮かぶ「?」を消していくために進んでは読み返すの繰り返し作業でした。 菌株が意識そのもの?それとも拡大派と保守派の対立が意識を生み出す? 「通常の菌株は宿主の死とともに活動を停止する」 だとしたらどうやって死んだ菌株を不死化させる? 「菌株の非晶質体だ」............................??? SF染みてきたストーリーにお手上げ状態となりかけていた私にトドメを刺したのは花嫁の再登場(再形成?)でした。本当に(゚Д゚)のような表情で固まっった後、一気に脱力しました。そこからは機械的にページをめくり続けたため、内容をほとんど覚えていません。巨大な虚脱感のみが残りました。.読者にとって物語が理解できない以上のバッドエンドがあるでしょうか。 正直、これは伊藤先生の要素を組み込んだだけの別物だと感じます。これならば未完のほうが良かった。先生のファンにはおすすめできません。 | ||||
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未完の「屍者の帝国」をこのような形で読みたくはなかった。 円城氏も、伊藤氏も被害者だ。 この本を売って得をした人間と出版社に文句の一つでも言いたくなった。 | ||||
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読み終わって、しばらく涙が止まりませんでした。 「虐殺器官」、「ハーモニー」で、伊藤計劃は世界への壮大なレクイエムを描いてきた。 この「屍者の帝国」のプロローグも、これから始まる荘厳なミサを予感させるものだったが、めくる頁の先に始まったのは世界を股にかけたドタバタのオペレッタ。斬鉄剣は出てくるわ、ノーチラス号は特攻するわ、何度読むのを止めようと思ったことか。 世界を一周してたどり着いた礼拝堂で、やっと壮大なミサが始まり、物語の幕は閉じられた。そして、すべての頁を閉じてはじめて、この物語が円城塔が伊藤計劃に宛てた、哀切に満ちた、類い稀なる弔辞であることに気づかされた。 数多の平行世界のどこかで、伊藤計劃はまだ活躍し続けているに違いない。 | ||||
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一人よがりのわけのわからない文章が延々と続いて、ともかく読みにくく、ページを繰るのが捗らない。「ハーモニー」や「虐殺機関」を期待して読むと、まったくの肩透かし。この作者は一体、なんなんだろうか?ともかく、面白くなかった。 | ||||
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設定が素晴らしいです。 舞台は大英帝国がグレート・ゲームを展開している19世紀。 実在した米国の大統領とか、英国の“あの医者”とかが出てきます。 大きな違いは、人類が死者を操る技術を確立しているということ。 この技術と、国際情勢とが複雑にからみあって、壮大な物語が紡ぎ出されていきます。 ストーリーは掛け値なし。本当に面白いです。 ただ、いかんせん、多少の予備知識が必要となってしまう。 また、物語のテンポが良すぎる反面、「もうちょい背景とか記述してほしかった」と思ってしまうところはありました。 この点が気になってしまい、☆4つです。 それでも、ストーリーは大変に面白い。 アニメでも実写でも、映像化したらなかなか面白い作品になるんではないかと、素人ながら思ってしまいました。 | ||||
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好き嫌いが分かれる作品かな、と 私は嫌いかな 最初30頁は面白いがその後は予備知識がないと面白くない無駄に長い何してるか分からない 伊藤の作品特有(?)のあぁなるほどこういう考えがあるんだな、というのがない まぁ伊藤が書いたわけじゃないからなぁ 伊藤の作品は他にもあるからそっちをオススメする こっちは円城ファンが読めば良い | ||||
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伊藤氏円城氏の両名は日本を代表するSF作家である。SFの題材は屍者である。屍者という題材を通して意識や、命のありかについて社会に問いただしているような内容である。プロローグ後はすべて円城氏が書いている。氏の過去作品のどれよりも分かりやすい文章になっている。 理系向けだと書かれたレビューもあったが全く的外れだと思う。作品における論理や構成に文理の差異は無い。違いをあるとすればそれは表現技法である。作品の内容も示唆に富むものであった。読んで損は無い1冊である。 | ||||
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Kindleで買いましたが、最初の25%ぐらい、世界観や情勢の説明ぐらいまで一気に読み進みましたが、 本編っぽく動き出した登場人物にいまいち興味が湧かず、何をやってるのかもよくわからず 飽きてしまって何度リトライしても読み進めません。まーつまりおもしろくないんだろうなという結論に。 世界観はかなりおもしろそうだったんだけど。 | ||||
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著者略歴にあるようにバリバリの理数系研究者畑を歩んできた作者の著作を文系のやり方で理解しようとしても無理です 文系は前後の文章だけで感覚的に理解するような人種ですが、理数系は感覚などという曖昧なものには頼らない論理的思考しか信じない人種です。こういう人種が書いたものを理解しようと思ったら解るところまで戻るという読み方が必要です。 さすがに完全に自分自身の作品というわけではない為か、円城塔にしては読みやすいので初めてこの人の作品を読もうというのであれば入門編として最適かもしれません。 最後になりましたが、すでに大勢の方が言及されているように伊藤計劃の作品を期待して読むようなものではありませんでした プライベートでは盟友だったかもしれませんが、小説の性格が違いすぎる二人なので合作とか無理があるわ | ||||
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作者が亡くなってから作品を知ったのですが、とても好きになりました。限られた作品ですので大事にしたいと思います。 | ||||
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屍体蘇生技術が進歩し、「屍者」が労働力として使役されていた十九世紀後期。医学生ジョン・ワトソンは、民間伝承の研究家にして精神医学教授ヴァン・ヘルシングに、とある場所へと連れて行かれる。そこでワトソンは諜報機関にスカウトされるが…。 伊藤計劃が残した原稿用紙三十枚ほどの未完の遺稿を、円城塔が完成させたのが本書です。 円城の作品は難解なことで有名ですが、本書は伊藤が残したあらすじに基づいていることから、充分に娯楽作品としての性質を残しています。じっさい本書はもともと「荒唐無稽な軽い読み物として構想されて」いたと円城があとがきで述べていますし、円城も伊藤の意向を尊重しているのだと思います(ほかのレビュアーも指摘されていますが、あとがきは最後に読んでください)。くわえて物語の定型的な “文法” に従っているので、円城の諸作品のように(内容はともかく)形式として難しいところはありません。 伊藤の作品は多少の瑕疵があっても、気にせずぐんぐんとページをめくってしまわせるほどの推進力が持ち味でしたが、残念ながら本書でそれは失われています。伊藤のドライブ感ある文体が、円城のロジカルで緻密な文体に置き換えられているからです。 反対に、伊藤の(否定的な意味ばかりではなく)着飾ったような “軽さ” はなくなり、“密度の濃い” 文体になっています。ですので伊藤単著の作品よりも読み進めるうえでは遅くなりますが、個人的には収支としてはゼロだと思いました(もちろん伊藤ファンにはおおきなマイナスでしょうが)。 本書はいわゆるパステーシュ小説です。主人公兼 “語り手” は『シャーロック・ホームズ』のワトソン。『吸血鬼ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』のキャラクターたちも登場し、それらフィクション上の人物と史実上の人物が織りなす「荒唐無稽な」物語となっています。 したがって名だたる諸作家のオマージュやパロディが散りばめられていたり、過去に実在した人物や団体や出来事に関連するネタが随所に仕込まれています。もちろん読み飛ばしてもいいのですが、そのつどネットなどで調べながら遊び心ある仕かけを探して読んでも楽しむことができるでしょう。 テーマとしても “言語” や “意識” という伊藤が好んだものがあつかわれています。ほかにも現在の社会、経済、政治に対する風刺がふくまれていますが、もしかすると、それも作品に政治性を取り込むのを好んだ伊藤に対する円城なりのオマージュなのかもしれません。 なにより読解の鍵となるのがエピローグ。そこに本書が “共著” であることの意味が示されています。物語の “語り手” とはどのような存在か、他者の物語を語るとはどのようなことかを考えさせられる内容や構成になっているからです。 生前、〈メタルギア ソリッド〉という “他者” がつくったゲームのノベライズを執筆した伊藤。彼はそこで「人が他者の物語を語り継ぐことの意味」について考察しています。彼によれば、「人が物語っていくその方法というのは、『物語そのもの』と同じくらいの意味や価値を持ちうる」。それゆえ「他者の物語」であっても「語り口において自らの物語を語」ること、すなわち批評的視点から「他者の物語」を語り直すことが可能である。だからこそ、語り継がれた「他者の物語」とは、「物語を語ることの意味を語る、物語についての物語」となりうる、と彼は語っています(『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』あとがきより)。 言い換えれば、伊藤はたとえ「他者の物語」であっても、雰囲気をなぞっただけの模造品を描くことを潔しとはせず、自らの語り口で語ろうとしました。 伊藤の遺稿を引き継ぐとき、そうした彼の想いに対して円城は自分なりに応えようとしたのではないでしょうか。本書で語られた物語は、伊藤の物語を語り継ぐことの意味を円城自身の語り口で語った、「物語についての物語」なのです。エピローグまで読むと、そう思えてなりませんでした。 | ||||
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伊藤 計劃の他作品は全て読んでます。 非常に退屈な作品で、途中で飽きてしまいました。 こういう小難しい説明が散りばめられた作品を好む人も居るとは思いますが、伊藤 計劃とは方向性が違いすぎます。 円城 塔ファンにはオススメかもしれません。 個人的には、”未完の遺作”のままだったほうが良かったです。 | ||||
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悲しい造り物が描いた、儚く慎ましい理想の世界観が美しい。 感性が鈍い読者は、理解できない、使い古された登場人物の模倣と批判するに違いない。 されど、故人となった作者はそれほど浅はかで軽率ではない。 私は「ザ・ワン」=「伊藤 計劃」となぞらえ読み進めた。 ワトソンの最期が「病魔を悟った伊藤 計劃の願望」と詠んだ。 日本の文壇は惜しい人をなくした。 わかるまで何度も読め!言わずにいられない名作です。 | ||||
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