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疾走
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疾走の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全273件 121~140 7/14ページ
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とにかく重くて暗い。下巻は上巻よりもさらにヘビーだ。 しかも何所からも、やはり救いの様な物はなかった。 もう主人公に関わる全ての人が不幸に陥る、または陥っているのだが、そもそも何故そうなるのか・・・。 あるキャラのカミングアウトと言い、あまりにも絶望的すぎて言葉も出ず・・・。 中学生が考えたような不幸話はそれまで頑張って読んでいたのに一瞬で白けさせてしまった。 そして何より、主人公が何故これほど慕われるのだろうか。 確かに半端なく不幸な星の下に生まれたとは言えるが、それだけなのでは? 登場人物は一体この主人公の何処に魅かれたのだろう。 最後なんて、殆ど英雄のような扱いである。 | ||||
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上巻を読んだ限りでは、夢も希望もない感じ。 家庭内暴力を振るう引きこもりの兄、その兄を叱れないダメな親、能書きを垂れ続ける偉そうな神父、醜いいじめっ子に変わる友人、そして周りに流されているだけの主人公、とこの本に出てくるのは腹が立つ人間ばかりだ。 特に兄貴は最悪で、挫折をしたからってそこから努力もせずに堕落を続け最後は・・・、と救いようのないダメ人間だ。 なぜこんな奴を家族は甘やかしておくのかが、正直わからなかった。 ここまではイライラさせられることばかりなので、下巻を読まなければ何とも評価できません。 | ||||
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先日秋葉原で起きた通り魔事件。その容疑者を見たとき、この本の主人公が思い浮かんだ。家庭が崩壊し、愛情を与えらずに育つ。「誰か一緒に生きてください。」シュウジの叫びは容疑者の思いと同じだったのではないだろうか。 友達もいなく、女にも相手にされなかった容疑者。ひとりでいるのが寂しい「孤独」。それに押しつぶされて壊れていく自分。手を差し伸べることをしない社会。何かが歪んでいて、疾走できなかった容疑者。もちろん通り魔事件はひどく身勝手な事件であち、被害者は本当にやりきれない思いだろう。しかし、シュウジを生んだ社会、容疑者を生み出した社会を私たちは見て見ぬふりはできないのではないだろうか。 この作品はハッピーエンドでは終わらない、社会の歪みを見つめた作品であると思う。読んでて暗い気持ちになるが、だからと言って目を背けることは出来ない。フィクションであるが、本質的にノンフィクションなのだから。 | ||||
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最後はやりきれない気持になった。 泣きたいんだけれど泣けない、みたいな。 でも、なんとなくこういうラストは 予想できたのかもしれない。 前半、なかなか読み進まなかった。 内容の重さもさることながら、本の重さもネックだと思った。 (ハードカバーで読んだので) でも、後半は途中でやめることができなくなって一気に読めた。 シュウジの生き方は 可哀相、だとか、悲惨なんて言葉で片付けられない。 周りの環境のせいで、何もかもが崩れていく そんな中、シュウジ自身はきちんと自分自身を生きてたと思う。 孤独、孤立、孤高。 「ひとり」 という意味を色々と考えさせられる そんな作品だったと思う。 | ||||
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表紙の少年の顔がこの物語をよく表現してると思います。 これを読んだのは高校生くらいだったので正直途中で本を閉じてしまいました。そのくらい読み続けるのがつらく、痛々しいストーリーです。こんなに真っ暗な人生がこの世に存在するのかと思いました。 結局はシュウジの真っ暗な人生が少しでも救われなぃのかと、結末が気になったので読みましたが… 感動しました。。。結末に至る途中も、痛々しかったけど、最後は暗い中にも少し光が見えたようなかんじでスッキリした終わり方だと思います。 すごく強烈な作品だけど人との繋がりなしで人は生きられないみたぃな事を考えさせられたように思います。 | ||||
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重松清は、小説家としてではなく、ライターとしてこの物語を書かざるを得なかったのだろう。疾走していたのは、シュウジではなく、作者自身ではなかったのか。 それほどまでに彼を追い詰めたのはなんだったんだろう。 ある人は、彼の暗黒面といい、ある人はジャーナリスト魂という。 私は、彼の持つ人間に対する苛立ちではなかったかと思う。 これを書いたことでつき物が落ちたような感じではないか。 これが、真の重松清であり、流星ワゴンなんかはシゲマツなんだろう。 そういう意味で、主人公の名前はカタカナではなく、感じでよかったような気がするのだが。 今までのファンを裏切りかねない冒険と思うが、他のペンネームではなく、 重松清として本作を送り出した勇気をたたえたい。 文庫版に解説がないのは、誰も書いてくれなかったからなのか、作者が拒否したのか。 「文庫版のためのあとがき」がないことからして、後者かな。 そこに、重松清の作家としての矜持と本作への意欲を見る。 | ||||
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まさに疾走するが如く15歳の人生を駆け抜けた少年シュウジ。多分岡山県と思われる郷土で優秀なはずの兄が結局は落ちこぼれて放火犯になり、町や学校で孤立するシュウジ。父は失踪、母はギャンブルに走り、何のいいこともなかった郷土を出て、やくざの情婦アカネの元に行くシュウジ。しかし、そこでやくざにおぞましい行為を強制され、そのやくざを殺してしまう。東京に出たシュウジは ここでも裏切られていく。唯一心の通じる友、エリ、しかし、彼女の叔父を刺してしまう彼。やがて警官に射殺されて何のいいこともなかった人生を終えるシュウジ。常に一人であり、一人で強く生きることを目指した彼だが、彼が求めていたのは人とのつながりであり、誰か一緒に生きる人を探すことであった。若くして煉獄の道を歩まされるシュウジ。彼が求めた人とのつながりは結局彼には来なかった。あまりにも悲しい人生。彼が残した小さな命は本当に幸せな道を歩んでくれるのだろうか。本当に希望はあるのだろうか。誰か一緒に生きて下さいというシュウジの叫びだけがいつまでも心に残る。 | ||||
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“ひとり”で背負うのには、あまりに重く、そしてあまりにも残酷な運命を背負わされてしまったシュウジ。 逃げ遅れたがために、家族全員の罪と不幸を背負うことになってしまったシュウジ。 本を読んでいて、こんなにも辛いと思ったことは初めてのことでした。 最後の最後で、物語に一筋の光が差し込みますが、それすらも闇を強調しているように思え、心がふるえました。 今でも表紙を見るだけで、シュウジの心の慟哭が聞こえてくるような気がします。 | ||||
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孤独が生み出す悪循環と悲劇。 誰かと繋がりたいという声にならない主人公の少年の嘆きに胸が締め付けられるような痛みに襲われます。 | ||||
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疾走する思春期の破壊的な人間模様が巧みに描かれています。 主人公の少年を通して、人間の儚さや脆さや卑しさを見ることができるシリアスで重い作品。 | ||||
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痛くて苦しい。 読んでいてこんなに痛い話は初めてです。 心臓を少しずつ握りしめられていくようなじわじわとした感覚。。 人はいつだって「弱い」し「ひとり」、 だから「強い」ようにふるまうし「だれか」と繋がりたいと思う。 繋がりをただひたすらに求める少年の話。 聖書の引用の仕方と、話全体に漂うもの悲しい雰囲気が素晴らしいです。 私にとっては文句なしの5ツ星。 | ||||
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主人公の少年が家族に起こった出来事をきっかけに、自分の意図しない・望んでもいないところで事件に巻き込まれ、迷える道を疾走していってしまう。 そこには暗い闇が広がり、主人公はそこからわずかな光を見出しそこから抜け出ようと疾走する・・・。 僕はメッセージしていきたい。 自分の意図しない・望んでいないところで、「家族」「親」を失ったり、過酷な状況に追いこまれてしまう子供たちのことを。 この小説で「ひとり」という表現が頻繁に使われる。そして、その「ひとり」はこう言う。 「いつか走ろう・・・ふたりで」 「ただ、ひととつながりたい」 「誰か一緒に生きてください」 「ひとり」でさ迷う子供には誰か「家族」となれる人が一人でも居ることが必要だ。 たった一人でもいいのだ。 「小説の主人公の話」「小説の街の話」ではない。現実にこの主人公のような体験をし、疾走している子供たちはいるのだ。 闇を避けるのではなく、見ないのではなく、あえてその闇に入り光を与えたい。 そういう活動がしたい。 この小説を読んで社会の闇から発せられたメッセージを考えてほしい。 そう思います。 | ||||
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この物語では5人の命が失われてしまう。 どれもその人が望んだことではないのに。 まるで宿命なのかのように。 絶たれる命がなければ人の悲しみ、憎悪、絶望、孤独を表現できなかったのかも知れない。 だから、この物語に引き込まれたのだと思う。 死んで良かったと思える人間も中には居た。 そうすれば「ひとり」だった者が「ふたりのひとつ」になれる。 でも、やはり人が死ぬのは見たくないです。 微かな救いは最後に「望」が残されたこと。 この人達の宿命はたった一つの「望」を残すために存在していた気もする。 今から言っても遅いけど、重松さん、命が絶たれる物語はこれで十分です。 | ||||
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仲間がほしいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」 「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」 誇りのある「ひとり」が、「孤高」 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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現在角川文庫で上下巻に分かれて発行されている方を読んだ。 胸を深くえぐられるような衝撃的作品だった。 この本を読んでテンション上がる奴の顔を見てみたい。 人は強くもあり、弱くもある。ぜひ読むべき作品。 僕にとって、重松清最高傑作です。 | ||||
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救いのない物語だ、と思った。 偉大な物語だ、と思った。 誤魔化していない、向き合っている物語だ、と。 悲劇を書くのは簡単なことで、悲惨さを謳うのも容易ではあるのだろうけれども、一つの線を貫いて、抑制を効かせた文体は、悲劇を黙示録へと昇華させている。 いや、批評はいいや。 この作品に、こういうことはくだらない。 エリとシュウジの終盤を読みながら、本当に暗澹たる気持ちになっていたのだけれど、実は読み終わって仕事をしながら、 「これは、救いの物語なのではないか」 と思い始めた。 シュウジは、エリが変わってしまい、損なわれてしまっても、自分勝手にエリを操作しようとしなかった。 全てを含めて、エリと、エリに連なる世界とを、受け容れて、大切に思った。それは、作中では出てこない言葉であり、手垢の付き過ぎた述語ではあるけれども、シュウジなりの愛という姿勢であったのだろうと思う。 極限の苦難の中。 全ての救いと支えはエリだった。 そのエリが、変質した。 それは微妙でありながら、やはり決定的な変質だった。 救いは、喪われた、はずだった。 外部に、信じられるものは、無くなった、はずだった。 シュウジは、しかし走り続けた。 シュウジの態度が、黙示録なのだと思う。 ・・・言葉にしにくい。 けれども逃げないで、何度も読み返して、何度も味わって、何度も考えて、そして生きよう。 | ||||
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主人公シュウジを「おまえ」と呼ぶ語り口に違和感を感じて,感情移入にちょっと時間がかかったが,読み出してみると本当に止まらない。上下とも,休む時間すら惜しくて,あっという間に読み終えてしまった。 シュウジを取り巻く状況は,本当にシビアだ。家庭崩壊,自殺一歩手前まで追い込まれるイジメ,暴力的セックス(読んでいて,これほど辛い性描写は初めてだった)と殺人,孤独。 本当に救いのない状況だし,その救いのない状況を本当に誰も救ってはくれないのだけど,ラストで,「シュウジ」と語りかけられる部分ではボロボロと泣かされ,ああ,「おまえ」という語り口はそういうことだったのか,とも納得させられた。 読んでいて居ても立ってもいられないほどの辛さと,一転しての心地よい涙と……やっぱり,重松清はうまいなぁと思う。 | ||||
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心の底から恐かった。逃げ場のない子供たちを次から次へと大人が襲う。そしてあの男。あの男たち。重松清の本は普通のサラリーマンが主人公の物語が好きだけど、きよしこといい疾走といい読んでいてティシュが一箱なくなりそうなくらい泣かされる作品も多い。TVの矢沢栄吉ルポみたいなのの重松清見てると同世代の親近感溢れる人なのに。作家って凄いなぁ。 | ||||
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主人公は言葉に絶望しながらも、最後まで「言葉」を捨てられない。彼にとっての「聖書」は超越的な存在としての「神」ではない。「言葉」そのもの。「ことばとはなんだろう」主人公はかつて問ういました。彼が最後のギリギリの場面で聞いたのも、見ず知らずの者の「言葉」でした。 物語に救いはあったか、彼は、救われたのか。彼の存在そのものを許して、信じていた存在。人生が、ここまで堕ちるほどに、人間がここまで壊れるほどに酷くないならば、確かに救いの手はあるのかもしれません。 | ||||
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周りの評価を聞くと若い世代にも感動を与え、支持されているようだ。率直に言って自分の子供には薦められない。主題を表現するために作中でこれほどまでに中学生のシュウジをいたぶる必要があるのだろうか?下巻ではラストに向かうにしたがい残虐で俗悪になって行き用意されいた救いに消化不良をおこした。シュウジを再生させて欲しかった.....。 | ||||
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