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SOSの猿
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SOSの猿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全111件 21~40 2/6ページ
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グラスホッパー、マリアビートルのような爽快なタッチの文章ではなく、正直、文章を読んでいても話の内容が最後まで頭に入ってきませんでした。正直、面白くありませんでした。 短い時間を見つけて途切れ途切れ読むと、それまで読んだ内容を忘れてしまいずっと???です。 活字が苦手な方にはおすすめ出来ません。 | ||||
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西遊記とエクソシストとひきこもりが合体した小説です。 夢と現実を行き来する、現代的なファンタジーの世界を楽しめます。 漫画の方も読んでみたくなりました。 | ||||
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二人の主人公、二郎と五十嵐。そしてその二人をつなぐ孫悟空。 因果関係をテーマに、この3者の複雑な絡みを描いたエンターテイメント小説。 伊坂作品らしく、複数人称視点から描写されるのは本作も同様。 複数の物語の進行が最終的に1つに集約されていくのも同様。 しかし、わかりにくい作品であった。 それは因果関係をテーマにし、相関性を強調したが故ではなかろうか。 終わり方についても、もっと明快で心地よいものであったなら違ったはず。 そう考えると少し残念。 | ||||
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最初は著者も村○春○のようなワンダーランドの世界に陥ったのかといぶかしげに読み進みました。ところがどっこい、トランプの札がひとつひとつ表にひっくり返されるように、語り口の違う2つのストーリーが未蛾とに一致していきます。 これまでも著者の本には「やられた」という感想を記してきましたが、今回はいつもより「さらにやられた」という気分です。 | ||||
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読み終わって、結局?という感じになってしまいました。最初の部分をネットブックで立ち読みをしてすぐに購入を決めたのですが、読み進める家に今ひとつよく分からなくなってきました。 | ||||
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悪口になってしまったら、ファンの方にはすみません。 ただ、この作品からは、人間や人間性に対する優しさに溢れているようで、その実、酷く醒めた眼差ししか感じない。 作品には二人の主人公が登場します。一人はガチガチのコンピューター男、一人はそこそこ常識人のエクソシスト。 二人は、性格の差こそあれひたすら相手を、理解するのではなく分析し分析し分析し分析しようとする点では変わらない。 この分析が、本当にただの分析なんです。ミスを犯した同僚を、あるいは引き篭もりの少年を、理解するのではなく大脳新皮質でひたすら分解し、細切れにし、言葉という光で射し、理性の砂浜に引き上げる。そんな感じ。 でも人間ってのは本来、分析できる部分だけではなく分析できない、無意識の原生林みたいなよーわからん部分も含んで初めて人間として存在するものじゃないですか? そういう部分に対しては、相手も、とにかくわからんが受け止めてやる、ってかんじで、目ぇつむって抱きとめるしかない。それが、本来は理解と呼ばれる行動ではないのですか? しかし、この作品で描かれる“理解”はさにあらず。 この作品はそういう人間のようわからん部分はあえて描かず、人間の全てに理由をつけ、言語化し、きれいに片付けてしまう、というか、最初から、それが可能なキャラクターを造型して登場させる。だから、読んでいて人間ドラマというより限りなく人間の姿に近い人形劇を見せられているような薄気味の悪さを覚えてしまう。 まぁ、全ての小説やマンガは所詮人形劇なのですよといわれたら、それまでなのですが・・・。 あと、ちょいちょい登場するショートエピソードはいちいちイラッときます。 たとえば山手線で中学生に騙された婆ちゃんと遭遇したくだり。助けられなかった、それを悔しいと思うのはまぁいいとして、そのように悔しいと思っている人間を周りの人間がまるでグループセラピーみたいにひたすら肯定し祝福するような話は正直、うっとうしさを覚える。おかげで、それを悩み続ける引き篭もりの少年が、単なる独りよがりなナルシストにしか見えない。悩み続ければいいって・・・悩もうが悩むまいが、救えなかったのは事実で、どんなに作り話で昇華させようが、それは事実として残る。まして、結局はばあちゃんが悪かったみたいなオチはもはや噴飯。だからってキミが無力なのには変わりがないのですよ、少年。 確かに、物語には人を癒す力があるのかもしれない。ただ、それは結果論であって、最初から物語を自分の所業を誤魔化すための道具に使ってくれるなと言いたい。物語はそんなに安くない。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を見ろ! 小説としての完成度は、もちろん高いと思います。構成としても、二つの話が最後で繋がるというのは面白いですし、また心理学や悪魔祓いなど、専門的な知識に関しては、自分は専門家ではありませんが恐らく丁寧に調べられているのでしょう。そういう意味で、商品としては充分に価値をなしています。 伏線回収の小気味よさが味わいたい方にはおすすめです! | ||||
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読みやすいし、話の展開も引き込まれる感じで面白い。 奇想天外なファンタジーと現実が重なってるのも作者らしい。 作者のメッセージがとても共感できます。 彼の価値観がきちんと入ってる作品だと思います。 | ||||
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ちょっと前置き。 本作は五十嵐大介著「SARU」との競作だそうです。 五十嵐サイドから伊坂側へ申し入れがあり、競作は実現したらしい。 私は「SARU」というコミック作品から読みました。 この「SOSの猿」とはあらすじ上まったく関係のない作品だけど、非常におもしろかったです。 「SARU」も「SOSの猿」も「2つの概念のせめぎ合い」を強く意識させられるお話でした。 陰陽思想の道教のマークがフッと頭の片隅に浮かびます。 2作に出てくる共通のキーワード: ・エクソシスト ・孫悟空 このキーワードは五十嵐大介からの提案であったそうで、そう聞くと、「SARU」→「SOSの猿」という流れで読めて良かったようにも思います。 というのも、この「SOSの猿」は物語やエピソード、誰かの言った言葉などが無数に散りばめられた空間そのもの、といった様相を呈していて、一本の物語としてあらすじを書くことすら難しいような作品でした。 その「散りばめられた」点のいくつかに「SARU」に登場する人物や出来ごとが混ざっていました。 しかもそれらが互いに関係があるようには書かれていないので、「SARU」を読むまでは何の事だか分からぬまま終幕となります。 「SARU」は単行本描きおろし、「SOSの猿」は新聞の連載小説として発表されたものでしたので、条件としては伊坂幸太郎の方が分が悪い…と私は思ってしまいました。しかも「SARU」上下巻が揃ったのは、「SOSの猿」が終わってずいぶん経ってからでした。 競作相手の作品の全容が分からぬまま(打合せは何度かしていたようですが)キーワードをからめていくのですから、なかなかのご苦労があったのではないかと思います。 そういう事情を了解していたというのもあるかもしれませんが、とても面白く読めました。 とある青年がファミレスでひと回り年上の女性と向かい合って話している。 そんな情景から始まります。 二人は互いの母を通じて昔からの知り合いなので、互いの母の話がちょくちょく出て来ます。 この母二人がとってもイイ。 「孔子 孟子」というコンビ名で漫才を試みてみたり、息子が呆れるくらいのんきなおばさん達なのですが。 そんな母の若い頃を、とてもナイーブで美しい残像として息子は記憶の中に留めています。 ふっくらした輪郭をそなえた現在の彼女たちを見ながら、なんでこんなに変わってしまったんだ?昔の彼女たちを返してよ。とこれまたナイーブな青年である息子は肚の中でぼやいたり。 ちょっと残酷な言い草にも聞こえるけれど、ちょっとセンチメンタルで、息子のかわいげとも思える言い草が、私はとっても心地よかった。 とある青年はその女性から、長らくひきこもっている息子について相談されます。 家電量販店で働く青年の非公開の副業はエクソシストだったのです。 「悪魔はいるのか?」「ひきこもりと悪魔憑きの比較」など興味深いワードが次々出て来て引き込まれます。 とある青年の話と並行で語られる、企業の品質管理部で働く男性の話でも「なぜミスが起こるのか」をとことん追求していく過程で、「ミスをすると恥ずかしいと思うのはなぜか」とか「うっかりミスを引き起こした要因は何か」など気になるワードが次々披露されて行きます。 この「事例集」のような構成を読んで、先日読んだオルダス・ハクスリー著「ルーダンの悪魔」を思い出しました。 17世紀に起きた実在の悪魔憑き事件を取材した、ルポルタージュ小説というようなもので、数多くの文献から事件に関する事実をあぶりだし、当事者たちの心情にまで迫る力作でした。その文献は事件には直接関わりのない資料も採用されていました。 当事者男性の倫理観に迫る為に、同時代の科学者が残した手記をたよりに、その時代や階級の常識を探り当て、その行動の意図を推し量ってゆきます。 この「SOSの猿」でも「ミス」や「ひきこもり」という事件や状態の、見えない要因をその周辺の事例や研究結果から推し量り核心に迫ろうとする試みのように見えました。 小説の構成としては枝葉末節が多くて読みづらいですが、細部から大局へ少しずつ迫ってゆく過程はなかなかにエキサイティングで、本当に面白かったです。 「ミス」はもちろん「ひきこもり」も自分にとってひとごとの遠い存在ではないと思いますし。 この小説を読んで、モヤッとした感じが残った方、競作のかたわれ五十嵐大介の「SARU」も読まれることをお薦めします。 また単行本で「SOSの猿」を読まれてモヤッとされた方は、「SARU」とのリンクが分かり易くなるよう加筆修正されたこの文庫版「SOSの猿」を読まれることをお薦めします。 色々な事情で時差が生じてしまった2つの作品のつながりを、伊坂氏、修正してくれたようです。お疲れさまでした。 | ||||
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SOSの猿(以下、SOS)だけの評価ならば、★三つという評価はある意味妥当と言える。 しかしこの作品は五十嵐大介のSARUとの競作なのである。 両方の作品を読んだものにしか味わえない感動がこの二つの作品にはある。 SOSの評価が凡作の評価を受けているのは、眞人君のひきこもりが消化されなかったからかもしれない。 SOSだけではそういう評価になってしまうのは仕方がないことなのだ。 SARUを読むことで、眞人君は立ち直れたのだと私は考えている。 その理由はこうだ。 SOS終盤──五十嵐が、二郎に眞人君の心象風景を、親戚の漫画家に漫画のネタを提供することを提案する。 そこで生まれた漫画が、SARUだ。 眞人君の心象風景をただ漫画にしたのではなく、二郎が原作者、というところが、この二つの物語のポイントである。 SARUは奈々という女性の存在が世界を救ったとして扱われている。 奈々はどうして、世界を救うきっかけとなりえたのか、SOSに答えは隠されている。 終盤の二郎と辺見のお姉さんが語る場面がある。 辺見のお姉さんの名前が、「奈々」であることが判明する。これは名前がただリンクしているだけではなく、SARUの奈々と密接な関係性をもっているのだ。 辺見のお姉さんは、眞人君に対しての思いを、二郎に語っている。 「あのね、母親ってのは、夢の中で息子が困ってるなら、その夢の中にも飛び込んでいきたいものなのよ」 この発言を聞いた二郎は、SARU(眞人君の夢)の中で、奈々を登場させ、世界を救うきっかけにした。 SARUは、眞人君がまだひきこもっているという「SOS」の声に向けた、二郎の救いの手なのである。 きっとSARUを読むことで、眞人君の心は、救われたはずだ。 漫画で人の心が救われることなんてあるのだろうか――ある、のだ。 雁子さん、曰く。 「それこそが作り話の効力よ。物語は、時々、人を救うんだから」 | ||||
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西遊記の内容をおさらいしたくなりますが、 伊坂さんの話は犯人やカラクリがわかってきた後のオチまで、楽しいです。 てゆうか、犯人がわかっても、オチを予想できないオリジナリティが、私にとってとってもたまらなくクセになっています。 | ||||
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引きこもりの相談にのった悪魔払いの青年と,株取引の誤入力を調査する品質管理担当のサラリーマン. たくさんの伏線を散りばめながら,2つのストーリーが収束する真相は? 2つのストーリーが交互に語られ, 悪魔払いや孫悟空といったファンタジー的な色付けでミスリードして, 終盤ではいきなりリアルな真相が明かされるという, ある意味で新しい手法の叙述トリックと言える. 思わせぶりで明からさまな伏線やもったいぶったセリフ回しには好みも分かれるし, 何よりファンタジーからリアリティへの唐突な転換についていけないと 理解不能な作品になるかもしれないが,個人的にはけっこう好きな1冊. | ||||
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伊坂作品はほぼ全て読破しています。 伊坂幸太郎の新境地が垣間見える作品だと個人的に思います。 なぜか評価がイマイチですが・・・。 「物語」を「物語」としてそのまま受け止めたらかなり面白く読めるのでは? 村上春樹作品もすべて読んでいますが、村上春樹が紡ぐ物語に近い感じもします。 伊坂幸太郎も村上春樹も好きな方にはお勧めです。 | ||||
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伊坂ファン必読の一冊でしょう。五十嵐大介氏のSARUと対作品ということですがそれぞれに 問題と答があるように感じました。まずはSARUを読んでからsosの猿を読むと幾重にも別れた複線も繋がりやすく大きな一つのお話として楽しめるのではないでしょ。SARUの中の身化身ナワンナムギャルは56億7千万年かけて成長するとありますがこれって弥勒菩薩のことなのかしら?気になります。両作品とも因果と縁起、何か仏教の教えが絡んでいるようで深いです。読み進んでいくと伊坂ワールドにどんどん引き込まれてしまうこと間違いなし! | ||||
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伊坂幸太郎の本をいくつか読んでいる人には、あ、この感じ。と思ってもらえるでしょう。 遠藤さんと五十嵐さんと猿の物語が重なって進んでいくのですが、はじめの方は`誰の話や?'と思うので、読み進めるのに時間がかかります。後半は、話がまとまっていくので気持ちいいです。 何となく不思議なお話なので、伊坂幸太郎をはじめて読まれる方には不向きかも。ゴールデンスランバーやチルドレンなんかのほうが、私は好きです。 | ||||
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伊坂作品は軽く読めるわりに構成がしっかりしていて内容が面白く、仕事の合間の気分転換用にはもってこい、と思っていましたが、これは読み進められません。 たいていの伊坂作品の巻末には参考資料が載せてあり、専門的な事柄についての裏打ちがあること、作家として責任を持とうという姿勢が拝察され、それが実現されていることは作品の内容自体からも伝わってきます。 ただし、この作品の場合には、序盤でイタリア人の友人の父親が神父という件があり、そこで引っかかってしまいました。イタリア、すなわちカトリックの本拠地での神父に子供がいることはあり得ない。「元神父」ならいざ知らず。 というわけで、なんかいい加減なこと書くなぁ、あるいは何かの伏線なのかなぁと、一応は読み進めてはみましたが、内容も表層的で惹き付けられず、読み続ける自信なし、です。伊坂作品としては初めて読み止しにする小説となるかもしれません。 | ||||
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伊坂さんの世界観がすごく好きで、初期の作品から読んでいますが、正直この作品は単調でページを進めるのがしんどかったです。っというより、なかなかページが進みませんでした。 読み終わった今、特に何も心に残っておらず、ただただ次は別の作家さんの何か重厚な一冊を読みたいと思うばかりです。 | ||||
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SARUから読んだ私にはSOSの猿は面白かったのですが、 逆にSOSの去るから読んだ方にはいまいち伝わりにくいと思う。 伊坂幸太郎のSOSの猿とSARU(著者五十嵐大介)でひとつの作品ともいえます。 そもそもの企画がふたつでひとつみたいな感じでしたから。 SOSの猿を読んだことが無い方は、SARUから読み始めても良いと思いますよ。 | ||||
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書評では賛否両論、かなりの伊坂ファンの方もが、 途中でやめたとか、この作品だけは読めないとか、 そんなレビューもあったけど、 すんなりさらっと読めて、 読後感も悪くなく、押し付けがましく訴えかける感じではなく、 物語の中でいろんなテーマをパッケージして、 優しくコミカルに展開し、とても後味のいい作品だった。 いろんなテーマが織り込まれているので、 何もこれだけ、ということではないけれど、 私が印象深かったのは、 「原因の原因の原因」というテーマだ。 何かが起きた裏には原因がある。 でもその原因が起きたことにも原因があり、 そのまた原因にもその原因がある。 いつまでどこまでさかぼればいいんかい! という話なんだけど、 でも人々のいろんな営みが、 相互に影響しあって社会を形作っていて、 1つの出来事は上っ面で見れば、 1つの結果に過ぎないのかもしれないけれど、 でもそこに至る原因や要素が様々あって、 それをいろいろ探っていくと、 不幸な出来事が幸せな出来事に見えるかもしれない。 そういうポジティブに生きるために、 原因の原因をつなぎあわせて、 ハッピーエンドな結果にする、 “物語”を作ることが人には必要なんじゃないか。 そんな思いも感じさせた。 前半はややとまどうかもしれないが、 あまり深く考えず、 というか伊坂作品なんてこんなものだと思いながら、 読み進めていくと、この物語の輪郭が浮かび上がってきて、 それがどんどん相互に関連しあってきて、 1つの収束していく気持ちのいい読後感を、 私は味わえたと思います。 | ||||
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伊坂氏の作品は全て好きです 飄々と独特のユーモアを交えて綴られるエッセイまでも全て好きで拝読しています それが本作は無理でした 読むにあたってのスケジューリングが万全で無かったせいもあるでしょうか 途中で読むのをやめてしまいました 面白くないわけではありません ただいつものワクワク感がありません ワクワクドキドキハラハラする独特のスピード感が見当たらないのです 真の作家とはオーディエンスの事を気にせずに自分のやりたい事を追及するものだと思います 作者もその領域なのでしょうか | ||||
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ジャケ買いならぬ、「タイトル買い」しました。 孫悟空が出てきたりエクソシストが出てくる一方でシステム会社の社員が株の誤発注の原因を探るという、現実離れしたファンタジーのような要素と現実との対極的な要素が引きこもりの男性を仲介してだんだんとストーリーが噛み合っていく感じはとても楽しめました。 印象的な様々な登場人物はタイトルや表装を裏切らないインパクトを残してくれます。読み進めていくうちに、中だるみな感じもしてきますが、個性的な登場人物たちのおかげで、退屈はしませんでした。 殺人事件が出てきますが、後味はいいです。論理的な要素はやや欠けるかもしれません(エクソシストが出てくる時点で論理的なものを求める人には読み進めるにはキツい作品かと…。)が、十分に納得はできる終わり方です。 「ミステリは読みたいけれど、読後、落ち込んだ気分になるのはイヤだなぁ」という時に読むのにオススメです。 遠藤二郎さん(作中の悪魔祓い見習い)からエアコンを購入してみたいです。きっといい気持ちで買い物の相談に乗ってくれるんだろうな〜。 | ||||
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