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SOSの猿
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SOSの猿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 1~20 1/3ページ
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交互に現れて同時進行的に展開する2つの話、「私の話」と「猿の話」。この2つがどこでどう繋がるのかと読み進むうちに、孫悟空の分身を介して一つの物語に収斂する。そこでのテーマは「人間の善と悪」と言う事と感じられた、いつも軽妙なトーンで楽しませてくれる著者に似合わぬ重いテーマは消化するのが困難で、結末には唐突な感が残った。 | ||||
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本書読後に五十嵐大介の『SARU』を読んでみました。 人類の存在価値にまで言及される『SARU』の世界規模のカタストロフ物語と比較すると、本書『SOSの猿』は日本の一地域というミニマムな世界におけるお話ですが、個々のミニマムなお話が地球的規模の破滅を防ぐというバタフライエフェクト的関係性を感じさせられました。 『SARU』の中で「青年の母親が家族旅行の写真をリビングに飾った」ことがSARUの脅威を封じることに貢献した、だから小さなことを侮ってはいけない、と語られる場面があります。 そして『SOSの猿』では、引きこもりの息子を持つ女性、辺見奈々が、リビングに飾られた家族写真について「これはチベットに行ったときの写真でここにいる僧侶はナムギャル君ていうの」「こっちはイタリアで出会った神父のカンディド」と語られる場面がありますが、ナムギャルとカンディドは『SARU』における重要な登場人物になります。 また、『SOSの猿』においてコンビニ前で合唱の練習をしている雁子(かりこ)が「わたしたちが歌うと空のずっとむこうの目に見えない石が、聴いている相手に落ちてくる」と歌の効力を比喩的に語る場面がありますが、『SARU』の登場人物ビエラ・カリは歌の魔法で現実に隕石を落とすことができます。 また、『SOSの猿』の中で孫悟空の分身の話が出てきますが、そこでの語りは『SARU』の話そのものですので、『SOSの猿』で十分イメージがつかめなかった人は『SARU』を読むことをお勧めします。『SOSの猿』と『SARU』はお互いを補完しあう関係にもあります。片方を読むと片方をより理解することができるでしょう。 他にも『SOSの猿』と『SARU』の共鳴しあう場面は多数ありますが、「一人の人間には善い部分と悪い部分とがあって、それはいつも綱引きをしていて戦っている。決着はつかない。大事なのはバランス」という考え方においてテーマは共通しているように思います。 もうひとつ、両作品において共通するのは、「小さな物事が世界を変える兆しかもしれない」という因果関係の物語であるという点。 というわけで、『SOSの猿』を読んだ人には『SARU』を、『SARU』を読んだ人には『SOSの猿』をお勧めしたいですね。 | ||||
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孫悟空は実際に存在したのか眞人が作り出した想像なのか、予言は超能力だったのかどうか、など少し混乱して理解し辛いところがあってモヤモヤしたかな。 | ||||
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奇想天外。その一言につきます。 | ||||
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面白い。あるKING~SOSの猿に流れる、決して一般的では無いが作者伊坂の一種独特な"洒落"が判ればとても面白い。こういうのがダメな方にはダメな小説でしょうが、漫画SARUを置いといたとしても面白い。 フランク・ミラーのsin cityがお好きな方なら日本にもこんな小説書ける人が居たんだ、と思える良書でした。 | ||||
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エクソシストにはじまり、西遊記、心理学、株売買、ひきこもり、虐待と久しぶりの伊坂幸太郎でしたが、様々なジャンルの事象が絡み合う内容は圧巻でした。 しかし、やはり夢中で読んだ初期の伊坂幸太郎には及ばず、読む前の期待からすれば少し物足りなさを感じました。 というより、伊坂幸太郎は進化しているのに僕の嗜好が変化しているだけかも知れません。 | ||||
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普段、あまり作者を気にせず、タイトルや背表紙や帯の紹介文で読む本を選んでいました。 むしろ、読んだ本の作者など知らずに日々過ごしていました。 『SOSの猿』もその一つで、当時(2009年位)の帯には、こんな文が書かれていました。 『この物語が、誰かを救う』 『SaveOurSouls私たちの魂を助けて』『引きこもり青年の「悪魔祓い」を頼まれた青年と、一瞬にして300億円の損失を出した株誤発注事故の原因を調査する男。そして、斉天大聖・孫悟空___救いの物語をつくるのは、彼ら』 そりゃ気になりますよ。 他の方のレビューを読んで、伊坂氏がミステリー作家だと知りました。確かにミステリー作家と思って『SOSの猿』を読んだら違和感があるかもしれませんが、私はジャンルすら把握せずに読んだもので、伊坂氏の時系列のトリックにまんまとやられ、一人奇妙な声を上げながら一晩で(徹夜)読んでしまいました。 最初、オカルトな感じかな?と読んでいると、急に、オカルト?いや、オカルトに当てはめた単なる精神描写?現実?妄想?と混乱して読み進めていきました。 そして、とある2つの物語が交わった時、思わず「おおっ…」と声が漏れました。 それからはもう自分で「またかよ」と思うくらい奇声を上げ続け、気づけば朝…。 現実として納得いかない部分に、慰めのような『斉天大聖・孫悟空』の存在がまた心地よいです! 久々に読んで、少しでも多くの人に読んでもらいたくなったのでレビューしました。 是非是非。 | ||||
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副業で「悪魔祓い」を営む遠藤次郎の物語「私の話」。 株の誤発注問題の原因調査を進める五十嵐大介の物語「猿の話」。 2つのストーリーが交互に綴られた長編小説です。 遠藤はある日、ひきこもりとなってしまった青年・眞人の悪魔祓いを依頼される。 しぶしぶながらも、もともと他人のSOSに敏感な遠藤は、この依頼を引き受けることにする。 一方、五十嵐は、300億円もの損失を出した株誤発注問題が、自社システムに関わっているかを調査するために取引先に出向き話を聞くが、突然、西遊記に登場する妖怪の幻覚を見るようになってしまう。 一見、無関係に見える2つのストーリーが最後に上手く絡み合い、1つの事件を解決に導く。 「悪魔祓い」と「西遊記」。 難しい題材を巧みにストーリーに溶け込ませ、伊坂ワールドにはめてみせた見事な一冊だと思います。 | ||||
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伊坂幸太郎で外れることはないので購入。 期待通りだったし、伊坂幸太郎作品には納得できる好きな言葉がいつも必ず多く出てくる。 この作品も例外ではなかった。 | ||||
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2009年に出た単行本の文庫化。 もともと『読売新聞』夕刊に2008-09年に連載されたもの。設定やアイデアが五十嵐大介『SARU』と対になっており、あわせて読むべきらしい。なお、文庫化にあたって大幅な加筆修正がなされたという。 『西遊記』とエクソシスト、ひきこもり、株の誤発注などのテーマが盛り込まれており、そのごちゃごちゃ感に戸惑っているうちに、すべてがするするとまとまっていって不思議な結末を迎える。 そのあたりのとぼけた語りぶりが楽しい。 ただし、肩すかしの伏線も多く、この時期の伊坂作品が苦手なひとは「ああ、またか!」と怒るかも。 | ||||
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いくつかのストーリーが最後につながる。 作者の撒いた種が、次々と実になるのを楽しみに 読み進めたが、中々晩生なのか、読むのに(実になるのに) 時間がかかりました・・・。 果実も晩生の方が美味しいのと同じように、 「SOSの猿」も後半から一気に美味しくなりました。 作者の持つ、伏線がしっかり拾われる作風が やっぱり好きです。 | ||||
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タイトルからして気にならざるをえない著作ですが。。。読んでみてください | ||||
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最初は著者も村○春○のようなワンダーランドの世界に陥ったのかといぶかしげに読み進みました。ところがどっこい、トランプの札がひとつひとつ表にひっくり返されるように、語り口の違う2つのストーリーが未蛾とに一致していきます。 これまでも著者の本には「やられた」という感想を記してきましたが、今回はいつもより「さらにやられた」という気分です。 | ||||
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読みやすいし、話の展開も引き込まれる感じで面白い。 奇想天外なファンタジーと現実が重なってるのも作者らしい。 作者のメッセージがとても共感できます。 彼の価値観がきちんと入ってる作品だと思います。 | ||||
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ちょっと前置き。 本作は五十嵐大介著「SARU」との競作だそうです。 五十嵐サイドから伊坂側へ申し入れがあり、競作は実現したらしい。 私は「SARU」というコミック作品から読みました。 この「SOSの猿」とはあらすじ上まったく関係のない作品だけど、非常におもしろかったです。 「SARU」も「SOSの猿」も「2つの概念のせめぎ合い」を強く意識させられるお話でした。 陰陽思想の道教のマークがフッと頭の片隅に浮かびます。 2作に出てくる共通のキーワード: ・エクソシスト ・孫悟空 このキーワードは五十嵐大介からの提案であったそうで、そう聞くと、「SARU」→「SOSの猿」という流れで読めて良かったようにも思います。 というのも、この「SOSの猿」は物語やエピソード、誰かの言った言葉などが無数に散りばめられた空間そのもの、といった様相を呈していて、一本の物語としてあらすじを書くことすら難しいような作品でした。 その「散りばめられた」点のいくつかに「SARU」に登場する人物や出来ごとが混ざっていました。 しかもそれらが互いに関係があるようには書かれていないので、「SARU」を読むまでは何の事だか分からぬまま終幕となります。 「SARU」は単行本描きおろし、「SOSの猿」は新聞の連載小説として発表されたものでしたので、条件としては伊坂幸太郎の方が分が悪い…と私は思ってしまいました。しかも「SARU」上下巻が揃ったのは、「SOSの猿」が終わってずいぶん経ってからでした。 競作相手の作品の全容が分からぬまま(打合せは何度かしていたようですが)キーワードをからめていくのですから、なかなかのご苦労があったのではないかと思います。 そういう事情を了解していたというのもあるかもしれませんが、とても面白く読めました。 とある青年がファミレスでひと回り年上の女性と向かい合って話している。 そんな情景から始まります。 二人は互いの母を通じて昔からの知り合いなので、互いの母の話がちょくちょく出て来ます。 この母二人がとってもイイ。 「孔子 孟子」というコンビ名で漫才を試みてみたり、息子が呆れるくらいのんきなおばさん達なのですが。 そんな母の若い頃を、とてもナイーブで美しい残像として息子は記憶の中に留めています。 ふっくらした輪郭をそなえた現在の彼女たちを見ながら、なんでこんなに変わってしまったんだ?昔の彼女たちを返してよ。とこれまたナイーブな青年である息子は肚の中でぼやいたり。 ちょっと残酷な言い草にも聞こえるけれど、ちょっとセンチメンタルで、息子のかわいげとも思える言い草が、私はとっても心地よかった。 とある青年はその女性から、長らくひきこもっている息子について相談されます。 家電量販店で働く青年の非公開の副業はエクソシストだったのです。 「悪魔はいるのか?」「ひきこもりと悪魔憑きの比較」など興味深いワードが次々出て来て引き込まれます。 とある青年の話と並行で語られる、企業の品質管理部で働く男性の話でも「なぜミスが起こるのか」をとことん追求していく過程で、「ミスをすると恥ずかしいと思うのはなぜか」とか「うっかりミスを引き起こした要因は何か」など気になるワードが次々披露されて行きます。 この「事例集」のような構成を読んで、先日読んだオルダス・ハクスリー著「ルーダンの悪魔」を思い出しました。 17世紀に起きた実在の悪魔憑き事件を取材した、ルポルタージュ小説というようなもので、数多くの文献から事件に関する事実をあぶりだし、当事者たちの心情にまで迫る力作でした。その文献は事件には直接関わりのない資料も採用されていました。 当事者男性の倫理観に迫る為に、同時代の科学者が残した手記をたよりに、その時代や階級の常識を探り当て、その行動の意図を推し量ってゆきます。 この「SOSの猿」でも「ミス」や「ひきこもり」という事件や状態の、見えない要因をその周辺の事例や研究結果から推し量り核心に迫ろうとする試みのように見えました。 小説の構成としては枝葉末節が多くて読みづらいですが、細部から大局へ少しずつ迫ってゆく過程はなかなかにエキサイティングで、本当に面白かったです。 「ミス」はもちろん「ひきこもり」も自分にとってひとごとの遠い存在ではないと思いますし。 この小説を読んで、モヤッとした感じが残った方、競作のかたわれ五十嵐大介の「SARU」も読まれることをお薦めします。 また単行本で「SOSの猿」を読まれてモヤッとされた方は、「SARU」とのリンクが分かり易くなるよう加筆修正されたこの文庫版「SOSの猿」を読まれることをお薦めします。 色々な事情で時差が生じてしまった2つの作品のつながりを、伊坂氏、修正してくれたようです。お疲れさまでした。 | ||||
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SOSの猿(以下、SOS)だけの評価ならば、★三つという評価はある意味妥当と言える。 しかしこの作品は五十嵐大介のSARUとの競作なのである。 両方の作品を読んだものにしか味わえない感動がこの二つの作品にはある。 SOSの評価が凡作の評価を受けているのは、眞人君のひきこもりが消化されなかったからかもしれない。 SOSだけではそういう評価になってしまうのは仕方がないことなのだ。 SARUを読むことで、眞人君は立ち直れたのだと私は考えている。 その理由はこうだ。 SOS終盤──五十嵐が、二郎に眞人君の心象風景を、親戚の漫画家に漫画のネタを提供することを提案する。 そこで生まれた漫画が、SARUだ。 眞人君の心象風景をただ漫画にしたのではなく、二郎が原作者、というところが、この二つの物語のポイントである。 SARUは奈々という女性の存在が世界を救ったとして扱われている。 奈々はどうして、世界を救うきっかけとなりえたのか、SOSに答えは隠されている。 終盤の二郎と辺見のお姉さんが語る場面がある。 辺見のお姉さんの名前が、「奈々」であることが判明する。これは名前がただリンクしているだけではなく、SARUの奈々と密接な関係性をもっているのだ。 辺見のお姉さんは、眞人君に対しての思いを、二郎に語っている。 「あのね、母親ってのは、夢の中で息子が困ってるなら、その夢の中にも飛び込んでいきたいものなのよ」 この発言を聞いた二郎は、SARU(眞人君の夢)の中で、奈々を登場させ、世界を救うきっかけにした。 SARUは、眞人君がまだひきこもっているという「SOS」の声に向けた、二郎の救いの手なのである。 きっとSARUを読むことで、眞人君の心は、救われたはずだ。 漫画で人の心が救われることなんてあるのだろうか――ある、のだ。 雁子さん、曰く。 「それこそが作り話の効力よ。物語は、時々、人を救うんだから」 | ||||
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西遊記の内容をおさらいしたくなりますが、 伊坂さんの話は犯人やカラクリがわかってきた後のオチまで、楽しいです。 てゆうか、犯人がわかっても、オチを予想できないオリジナリティが、私にとってとってもたまらなくクセになっています。 | ||||
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引きこもりの相談にのった悪魔払いの青年と,株取引の誤入力を調査する品質管理担当のサラリーマン. たくさんの伏線を散りばめながら,2つのストーリーが収束する真相は? 2つのストーリーが交互に語られ, 悪魔払いや孫悟空といったファンタジー的な色付けでミスリードして, 終盤ではいきなりリアルな真相が明かされるという, ある意味で新しい手法の叙述トリックと言える. 思わせぶりで明からさまな伏線やもったいぶったセリフ回しには好みも分かれるし, 何よりファンタジーからリアリティへの唐突な転換についていけないと 理解不能な作品になるかもしれないが,個人的にはけっこう好きな1冊. | ||||
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伊坂作品はほぼ全て読破しています。 伊坂幸太郎の新境地が垣間見える作品だと個人的に思います。 なぜか評価がイマイチですが・・・。 「物語」を「物語」としてそのまま受け止めたらかなり面白く読めるのでは? 村上春樹作品もすべて読んでいますが、村上春樹が紡ぐ物語に近い感じもします。 伊坂幸太郎も村上春樹も好きな方にはお勧めです。 | ||||
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伊坂ファン必読の一冊でしょう。五十嵐大介氏のSARUと対作品ということですがそれぞれに 問題と答があるように感じました。まずはSARUを読んでからsosの猿を読むと幾重にも別れた複線も繋がりやすく大きな一つのお話として楽しめるのではないでしょ。SARUの中の身化身ナワンナムギャルは56億7千万年かけて成長するとありますがこれって弥勒菩薩のことなのかしら?気になります。両作品とも因果と縁起、何か仏教の教えが絡んでいるようで深いです。読み進んでいくと伊坂ワールドにどんどん引き込まれてしまうこと間違いなし! | ||||
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