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パレード
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パレードの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全185件 121~140 7/10ページ
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都内の2LDKのマンションで共に生活をする4人の男女達の物語。 それぞれの人物が順番にモノローグで語る自分自身のこと、 各々の目から見た他の登場人物のこと、そして一見平凡な共同生活のこと。 読み進むにつれてその空間にどんどん引きずられていき、 気付けば自分もそこの住人になっていた、という感覚でラストを迎えてしまった。 その暮らしを「インターネットでチャットをしているようなもの」と言う者もいれば、 「ここで暮らしている私は、間違いなく私が創り出した『この部屋用の私』である」と言う者もいる。 家庭用の自分、職場用の自分、友達用の自分、 誰でも「その場」に適応する自分を自ら創り出して演じているのかもしれない・・・ 偽っているわけではないけれど、しかし「ここではこの自分でいるのが最も適している」 と思うことは確かにあるし、ものすごく納得できる。 そしてこの話は、そのような生活の中にある「落とし穴」という表現が最もしっくりくるな、と最後に思った。 | ||||
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様々な事情から独りでは生活していくことができないため本当の自分を隠しながら「この部屋用の私」(130頁)として共同生活に入り、自己を抑制しつつ他の同居人に一応上辺だけは合わせて、しかしそれはそれで何となく充実的に生きてきた4人の人生の実相が、トリック・スターの登場で、暴露されるというストーリー。読み始めてすぐ何か背筋に寒いものが走りつつも、途切れのない緊張感をもって一気に読まされ、最終章でガツンと頭をぶん殴られたかのような刺激作。多くの現代人が多分抱え込んでいる筈のボッカリとした「虚無の世界」の存在を赤裸々に感得させる作品である。(タッチとしては、昔読んだJeffrey Eugenidesの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』を思わせた。) 結局、相馬未来はハワイへ、杉本良介と大垣内琴美は故郷へ、それぞれ散って行くのであろう。(にしても、良介が持っていた五本目の鍵(275頁)は、どこを開けるためのものだったのか。) カバーに記された粗筋に目を通さず、先入観なく虚心にそのこわさを味わってほしい。(但し、正直いって伊原直輝の人物描写から得られるその人物像と作中行為の必然性(連関性)は今一つよく分からないところがある。) | ||||
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まあ、それなりにいろいろ事情があって、同居することになった5人の若者の、 本音と建前 重たくもあり軽くもあり、 大変でもあり、何てことないようでもあり、 第15回山本周五郎賞受賞作なんですが、 ある意味では、「ホラー」のような気もしましたよ。 読んで損はないと思います。 | ||||
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読み終わって、思ったのは。「はぁ、なんだ。そっちで落としたか。」ということ。 意外といえば確かに意外だけど、唐突といえば唐突。 川上弘美が解説でいうほど「怖い」とはおもわない。どちらかというと 「そう来ましたか・・」 カタストロフィをもっともっと心理的なところに持って行くことも出来たのでは ないかなぁ。そっちのほうが多分怖い。というか、結局また血に逃げたな。 という気がした。 そのこと(読まないとわからない)が明らかにされた後の同居人たちの行動に 関しては、家の中で起きたことに関しては敏感な彼らは、それを離れたところで 起きたことに関しては、踏み込んでこない。その線を越えることはない。という ことを考えれば、納得がいく。 とはいえ、部屋を共有する彼らの付き合い方は決して上辺だけではないとおもう。 ただ、芯に踏み込まないだけ。 芯に踏み込まないというと、上辺だけというのとは絶対ちがう。 本人にも分からないその「芯」には、それゆえ本人ですら踏み込めないのだ。 人間は、ある場所にいればある役割・機能を果す。それは演じているのでは なくて、それは生きているということだとおもう。 会社の自分、恋人との自分、一人の自分、家族の中の自分。 全部ちがう自分。でも全てが自分なのだ。 自分の知っている自分。他人の知っている自分。それはちがう自分。 でもどちらも自分なのだ。この相対化された世界に中心なんてない。主人公も 脇役もいない。みんな、ただその役割・機能を果しているだけ。 そんな世界では、自分らしさも絶対的なものではなく、ある役割・機能の中に 存在する相対的なもの。そして、その役割・機能は「場」が代われば 自分らしさも変化する。変化することに自分の意思は必要ない。必要なのは受容。 そういう文脈で読むと、我々読者の知っている彼らは、吉田修一の知っている彼らと もちがうし、彼ら自身の知っている彼らともちがうんだ。 吉田修一がいくら登場人物の言葉を借りて繰り返していたのは、そういうことの ような気がする。 | ||||
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楽しく読めました。ですが、小説を読んだという感覚は残りませんでした。どちらかというとおもしろいドラマを観た感じです。 描写は細かく、作品としては素晴らしいのかもしれませんが、こちらが能動的に想像力を働かせて読む余地がないように感じました。 | ||||
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すでに何人かの方が述べられていますが、若者の描写がステレオタイプに思えたり、 たんたんと描かれる何もないような日常につまらなさを感じる方もおられるかと思います。 しかし、それでも読み続けてみてください。やがて巧妙に埋め込まれたかすかな違和感が ラストの章で突如作動し、爆発をはじめます。 そしてこの小説の代名詞(?)ともなっている「怖さ」を実感されることでしょう。 吉田修一の描く物語には、東京を舞台にしたもの、出身地の長崎を舞台にしたもの、 と大きく2パターンありますが、しがらみにより異質なものを排除しようとする地方、 洗練の名のものとに無関心を貫く都市。 その両者からあぶり出される現在が、この作品にも描かれています。 | ||||
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保坂和志の『草の上の猫』が野良猫たちのあつまりだとしたら、この小説の中で 暮らす五人の若者たちは、野良犬たちの集まりという感じ。 ちょっと凶暴で乱暴で寂しがり屋で生きるのがへたくそで 集団でなくてはうまく生きるられない野犬たち。 直樹くんがリーダ犬といったところだろうか。みな素顔を隠したまま 上手にお互いとの距離をとって生活している。 『草の上の猫』の奇妙な共同生活もいいなあ〜〜と思ったけれど、このカタチの 人間関係もまた、とてもいい。ぜひ、二冊比べて読んでみてください。 そして、考えてみて。あなたは、猫派?それとも犬派? | ||||
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2LDKのマンションの一室で共同生活を送る4人の登場人物。年齢も職業もバラバラな4人が一章づつ見事に書き分けられています。微妙なバランスで続く共同生活が、サトルの登場で壊れていって・・・読み終えてみると、4人の登場人物それぞれが、同じ一人の人間のさまざまな「内面の闇」を描いているようで、ものすごく怖くて気味の悪い(?)小説です。(解説でも、川上弘美さんも言ってますが)僕は、すごく好きだけど、すごく怖いし、また読みたいけど、読みたくないなぁ | ||||
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つくづく吉田修一という作家は達者な作家だとこの作品を読んで感じた。本作品が山本周五郎賞なのもうなづける。翻って言えば「パークライフ」で芥川賞など獲らなければ、この作品で彼は立派な直木賞作家になっていたであろう。 都会に住む若者の空虚感を描くことは彼のある意味お得意分野であるのかもしれない。五人の登場人物が別々の語り口で語る本音ともとれるモノローグはかつて橋本治が「桃尻娘」シリーズで使った手法ではあるがこの作品の深みを生み出している。 | ||||
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5人のそれぞれ目線で何気ない日常生活が語られていくので、 いったい最後はどんな展開が待っているのかと思っていたら、 こんな落としどころがあったんですね。 でもスムーズに話が進んでいくので、 僕はうかつにも気がつきませんでした。 さりげなく伏線が敷かれていたことに。 そう言った意味で、この小説は「怖い」です。 人物の何気ないセリフ・行動・描写に、違った意味が出てくるわけですよ。 もう1度読みかえして、じっくりと味わうことにしたいと思います。 | ||||
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読んだあと、無性に他の人の感想を聞きたくなりました。 「こわい」などという一言に丸め込んでしまうのは、あまりにももったいない気がして 何に怖さを感じたのか、どこに共感できるか、あるいは嫌悪するか おそらく人それぞれ微妙に違うであろう読後感を知りたくなる、魅力的な小説でした。 魅力的ではありますが、決してグイグイ引き込まれる小説ではありません。 4人の男女が色恋抜きのちょうどよい距離を保ちながら共同生活をする物語は 海外ドラマのようにクールで楽しげですが、特にこれといった事件が起きるわけでもなく 読んでいて少し退屈、だけど面白いという感じです。 登場人物も軽薄でつかみどころがない感じなのですが、それぞれがモノローグで語る本当の自分は意外に真っ当で 馬鹿そうに見えるけど、実はいろんなことを考えているんだねと共感したくなります。 そうやって軽く読んでいるうちに、不思議な違和感が胸に広がってきました。 人に見せている自分と、本当の自分との食い違い 他の人をどこか見下しながら、それに合わせて自分を演出して作るやさしい空間の空虚さ 気楽なドタバタした日常の描写の中に、その違和感が少しずつ広がっていくのがたまらなく不気味で だから最終章で物語ががらりと転換したときには、こわいというよりも、安心感すら感じました。 退屈だけどスリリングで、現実感がないのにリアル。すごい小説でした。 | ||||
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同じ時間軸をシェアルームという同じ空間で生活している5人の登場人物が、それぞれの視点から描くといった新しい形の小説です。パレードという題のとおり、地元のお祭りのパレードのように同じお祭りの行列でありながら、それぞれの団体によって出し物や衣装が違うように、同じ空間を違う視点で見る世界がここにはあります。すごくほのぼのとした時間軸で始まる本書に惹かれ、なんて面白い小説なんだろうと思っていました。そう、それこそパレードの観客の一人という立場で。そして、そのパレードは急に降り出した雨によって混乱します。最後は観客の私も本当に混乱しました。ものすごく面白く怖いパレードでした。 | ||||
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終わりがあるから楽しめる。楽しいことも辛いことも味わうことが出来る。本当はもう終わりにしたいのに、終わることが出来ないもどかしさ。でもそれは自分の弱さ所以のもの。 社会に属している以上、全てのしがらみから解消されるのは不可能だと思う。それも悪くない。なんでも自分の思い通りになるのであれば、人生への感激は皆無だ。 | ||||
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レビューを書いているほとんどの人がワンパターンに「怖い」という 浅はかな感想しか述べられないところに、作家・吉田修一の苦悩を感じる。 例の「直輝」を「直樹」と誤って記述しているのも気になるところ。 この小説は安いミステリーのように、オチで人を驚かさせたり怖がらせ たりすることを目的に書かれたものではない。 哀しみを描いてはいるが、怖さを描いた小説ではない。 「直輝」が抱える"闇"を、他人の目線を通して表現した文学作品だ。 もちろん、作者は逃げることも出来た。 ポップな青春小説として、第5章をもっと明るく能天気なものにすることも 出来たと思う。(石田衣良なら間違いなくそうするはずw) そうすれは、ドラマ化なり映画化なりされてビジネス的には美味しかった だろうことは想像に難くない。 しかしそれをしないところに、吉田修一の吉田修一らしさがあるように思う。 石田の美学とは対極のところにある吉田の美学に、作家としての誠実さを 感じるのは自分だけだろうか・・・・。 | ||||
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本当にやられた。こういうものを書ける人だとは全然思ってなかった。芥川賞を受賞した「パークライフ」なんかよりも百倍くらい面白いじゃないですか。 怖いですね、怖いですこういう作品は。村上春樹的手法をふんだんに取り込んだ最初の「僕」の語りから次々と変わっていく語り手。文体の変化もキャラの書き分けもものすごいうまいし、完璧なうわべだけの疑似生活が完璧に描かれている。第五章の、自分が住んでいるマンションの部屋を外から見つめる、という倒錯的な視点が描いた虚構性、そして、日常の逆転。いや、うますぎる。 タイトルもね、すごいですよ。哀愁じゃないですか、それ。御祭り騒ぎは続いてくんですね、たぶんこれからも。 | ||||
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もう一度読み返してみようかとはじめて思った本だ。 ふとしたことで一緒に暮らすようになった5人の「平凡な物語」。のはずだった…。最終章を読むまでは…。 お互い干渉せず、適度に親しく毎日を送る。メンバーの一人、大垣内琴美、通称「琴ちゃん」は「上辺だけの付き合い? 私にはそれくらいが丁度いい」と言う。 それが最終章で衝撃的な事実が明らかになる。しかし、衝撃を受けるのは「読者」だけ。そう、すべて知っていたかのように…。 最終章を読み終えて、しばらくたった後再び読み返せばお気楽学生の良介も、酒癖の悪い未来も、怪しい少年サトルも、面倒見の良い直樹も、そして琴ちゃんの言葉もとても不気味なものに思えてくる…。 ※この本は5人の語りで書かれていますが、始めから順に呼んでください。でないと意味不明になちゃいます。 | ||||
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吉田修一の作品は常に物足りない。 逃げてるだけじゃないかと思うくらい、物語をどこかに着地させない。これが彼の作品のどうしようもない弱点だ。だからいい、なんて思えない。作風なんて言葉で、無理な評価も出来ない。 この作品もそう。この作家は最後にどんなことを語りかけてくれるのかと期待して、きっと最後まで読んだとき、とんでもない切なさを届けてくれるんじゃないかと感じながら読んでいてたのに、あいた口がふさがらないほどがっかりしてしまう。 でも、・・・良助の切なさは確かに僕の心に届く。「とりあえず、金沢の公務員の息子は確保しました。」というセリフはいい。 川上弘美の解説がいい。その通りだと思う。吉田の作品は、登場人物が愛しくなるんだ。こんな才能のある人、きっと、いつかとんでもなくすごいものを書いてくれるに違いない。そう思い続けて、毎回彼の作品を買ってしまう。 「パレード」は、最後の数分で大逆転負けを喫したけど、あのまま歴史的な勝利を収めてくれる時がきっと来るに違いない。 負けたのに、誰にも出来ない試合をしてくれた。そんな記憶が残る作品。僕はそう感じています。 | ||||
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楽しい作品だ。 楽しく読めればいいというなら☆4つ。 文体も軽快な感じで流れる。 ただ、、、、、、、残らない。 楽しい。 でも残らない。 だからいつか書庫にも残さなくなる気がする。 どこかのブックオフに行く運命かも。 すでに芥川受賞作はそうなった。 個人的には本書の構成法も好みではない。 だから☆3つ。 | ||||
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マンションに同居している男3人・女2人の物語。 ひとりひとりの話がオムニバス形式で描かれている。 それぞれは色々な考えや思いを抱えているけど、 あまり深くは交わらず浅く軽く付き合っている5人は とてもうまくいっている。どの人もそれぞれ魅力的で 面白くてどんどんあっという間に読み進めた。 ただし、物語の途中途中に少しずつ登場する事柄が結末に こういう衝撃を持ってくるとは!同居って楽しいよねぇって 楽しく読んでいたのに「ががーん」って思った。 みんなそれぞれ自分が一番で他人の事を本当に考えては いないからこんなふうにつきあっていけるのかもしれない。 各人が他人から求められる架空の自分を演じている。 そしてそれぞれそのことに気づいている。 でもその歪みが最後の結末に表れているのかもしれない。 | ||||
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近しくもなく、かといって疎遠でもない微妙な関係でつながる、男女5人の共同生活を描いた連作小説である。 5つに分けられた章は、ひとりひとりを主人公にして、それぞれの主観的な目線で描かれる。読みすすめていくと互いの気持ちに些細な齟齬があることがわかってくるのだが、全章を読み終えたとき、それがこの不均衡な共同体でどんな役割を果たしているのか知ることになる。 日常のひとコマを繫ぎ合わせたような倦怠感漂う独特な文章と、何気ない会話の中に埋め込まれた胸をつくような科白も著者ならではである。 | ||||
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