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パレード
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パレードの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全185件 41~60 3/10ページ
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山本周五郎賞ということで読んでみました。 男女5人の同居生活について、 5章に分けて、各章でそれぞれの登場人物の目線で、 日々の生活、思いが書かれています。 読み終えての個人的な感想としては、「まったく面白くなかった」でした。 理由としては、 ・人物の深い心の部分などが書かれているわけでない ・場面や情景の描写が面白いわけでもない 山本周五郎賞はこの本のどこを評価したのか知りたいと思いました。 | ||||
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おもしろい! こんな日常は普通にあり得るようなリアルなストリーです。 | ||||
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周五郎賞受賞作、吉田修一作、というので、手に取りました。 食わず嫌い、の一言で、今まで読んできませんでしたが、期待して 期待して、我慢して、我慢して読みました。 物語は、湊かなえさんの告白形式というか、一人語りの連続。という 手法を取っています。 明らかに都会にしか存在しない、いや都会にもおそらく殆ど見られない であろう男女四人の共同生活。何が何だかよく分からない四人の関係。 ただひたすらだらだらと、何も噛み合わず。 サトル君の登場と言って、何が変わるわけでもなく。 唐突なラスト。盛り上がりもなく、突然の描写。意識消失。描かれたのは つぶれた女性の顔。 乾くるみさんのイニシエーションラブを思い出しました。 私、年間最低100冊は本を読んでいますが、時折こういった小説に出くわして しまいます。少なくとも私の頭のレベル、私の知識のレベルでは、解釈、及び 理解が困難な一冊でした。 こういうのが芸術だ、とおっしゃる方の顔が見てみたい。きっと優秀な人達 なんだろうなあと思います。 私のような凡夫には10点。 同じような方々、お勧めしません。やめた方が無難です。 | ||||
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何が面白いのかさっぱりわからない。 何でこんなに高評価なんでしょうか? 5人の緩い人物像や人間関係も、特に回収するまでもなく、ゆる~く残したまま終わり。 読み終わった後「はい?、これで終わり?」ってガッカリしました。 そりゃあ最後にちょっとした驚きはありますよ。でも、それだけ? なんじゃこりゃ?って感じ。 この作品が好きな人には申し訳ないけど、私としては今年読んだ本の中でダントツで駄作でした。 | ||||
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登場人物のつまらない日常を延々と読んでいく中、驚きの結末だけを楽しみに待っていたのに・・・。 最終章でちょっとしたオチはあることはありましたが、期待させておいてそれだけ??? と言う感じでした。 この作品が映画化した理由が分かりません。読む意味が分かりません。 | ||||
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まったく面白くありません。 無気力な4人がだらだら生活している姿を何百ページも描いているだけです。 ドキドキするような展開や、飽きさせないようにしかけてくるストーリが好きな人には、 反吐が出るような作品です。 それとは逆に、この無気力感にどこか共感を覚える人は、 異常にハマるかもしれません。 それと文章力と、構成は確かに秀逸です。 しかし、話の内容としてはまったく面白くもないので、 玄人がこのむ小説かもしれません。 僕はこの小説まったく合いませんでした。 1ミリも面白くなかったし、何回読んでも恐くも何ともありません。 解説で川上氏が 「文章の魔法によってキャラ達が好きになれば、この小説にハマっていく」 というような表現をされています。 それが最大の原因かもしれません。 僕はこのキャラ達全員大嫌いです。 読めば読む程嫌いっていうか、 まったくどうでもいい人間にしか見えなかったです。 最後にちょこっととある事件があるのですが、 それによって今までの伏線も活きてきますが、 たいした事はありませんし、伏線にすらなっていません。 この小説がなぜこんなに評価されているのかは、 今の段階では理解不能です。 結論としてはまったく面白くないです。 以上。 | ||||
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私はこの本で吉田修一を読み始めました。 だいぶ前に買ったのですが、今でも思い出して読み返してしまう、飽きない本です。 それぞれの感情、秘密、事情を抱えた登場人物たちが、絶妙なバランスで同居生活を送っている。青春小説かなと思って手にとったのですが、予想は見事に覆されました。 ラストまで一気に読むことをお勧めします。 途中までそんなことなかったのに、後半疾走し、急に終わる。そのラストは私にとって衝撃で、しばらく余韻に浸ってしまいました。この後味は新鮮で、とにかく読んで欲しいです。ちょっとだけ人間不信に、なってしまうかも。。。? | ||||
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最終章の震えるような感動によって、 予想外の結末ものと勘違いしそうになるけれど、 読んだ後思いだすと すべて素晴らしかったな、と思える傑作です。 手放しに「おもしろかったよ!」とおすすめしたくなる作品です。 読後感の悪さが、いっそすがすがしい。 ここでもし座りのよい結末を用意されていたら、と思うとそれの方が怖いです。 | ||||
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吉田修一さんの本は何冊か読みましたが、同性愛者の話が多いですね。このパレードに登場する少年も新宿で体を売って生計を立てていることになっています。一般人からすれば、そのような事が良くあることのようには思えず、ちょっとリアリティーを感じません。 若い人たちが2LDKのマンションに同居しているという設定はとても面白いのですが、一番落ち着いて、しっかりしていると認められていた一人が突然ストーカーと変わるところが唐突でよく理解できない。前ふりとしてそのストーカーの話題が少しは出てくるが、そんな事よりも日常生活の話題の方に読者の注目を集めていて、突然夜道を歩いている女性に危害を加えるシーンになっているのは、著者の作戦なんですかね。それを高く評価していた、川上未映子さんの書評も読みましたが、やはり人の好みはそれぞれという事ですかね。 被害者の女性は顔を潰されてしまうのだが、犯人がなぜそのような事をするのかについては何の示唆も無く、腑に落ちない。理由もないのにそんな事をする人間がたくさんいるとも思えない、リアリティーに欠ける。 ストーリーに拘る私としては、たったそれだけの話に、何でこんな長い話が必要だったのかという気がします。 | ||||
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不思議な関係性で同居してる男女5人の物語、それぞれの語りで始まる 淡々とした内容であるがぱっとしない日常に埋没したような人々を描き だす手法はうまい、しかし最終章の意外な結末含めなぜか共感できない というのが読後の感想である。 | ||||
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今流行りの、ルームシェア(と言っていいんだろうか)をテーマに、それぞれの目線で描いて行くのですが、それぞれの人間関係の希薄さと、深さが絡みあった何とも不思議な気分にさせられる小説です。 買って損をしない本だと思います。 | ||||
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「人と人とは、きっと心を開き合って、お互いを理解し合えるんだ」 という、ポジティブな考えと、 「自分と他人。他人は自分ではなく、結局理解し合えることは永遠にないんだ」 という、ネガティブな考え方があると思います。 私は、どちらも正しいというか、 これらを行ったり来たり、永遠に繰り返していくんだろうなーと、常日頃感じているのですが、、 この本は、後者のネガティブマインドをとんでもなく増幅させます。 読後に感じる薄気味悪さは、ここから来ているようです。 東京新宿まですぐの、千歳烏山のマンションで、共同生活をしている5人の若者が主人公。 先輩の恋人への横恋慕に悩む大学生や、退路を断ってゴールの見えない恋愛に立ち向かう美人フリーター、 何も産み出せない呑んだくれアーティスト、自称夜の仕事に勤務する少年、一番年長の映画配給会社勤務の男。 マンションで5人全員が絡むお話というのは、物語の本筋ではありません。そもそもそんなエピソード自体ありません。 重きが置かれるのは、各人それぞれに起こる、マンション外での出来事です。 5人に特別な共通点はなく、それらの出来事も独立して起こります。対処も各々で。 とんでもなくバラバラな5人ですが、付かず離れずの距離感というやつです。 それでもなお、人と人との ”ほどよい” 触れ合いを、 5人は気に入っているようですし、その気持は何か分かる気がします。 自分自身、問題をさらけ出さなくとも、一緒に生活も出来るし、仲良くもやれる。 でも、一緒の家に住んでいても、いつまでたっても、自分を本当に理解してくれる他人は現れない。 でも、人のぬくもりは欲しい。 そんな人間の不完全さ、チグハグさを突きつけられる本でした。 物語のちょっとした小道具(隣人、友人、恋人、浮気相手)など、結構多くの人物が登場しますが、 あまりうざったくないし、物語をよりリアルに深くしています。そんな所も凄い小説。 | ||||
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なぜこの本は、130もレビューがあって4つ星なのか、全く理解できない。 キンドルで読める、安くて評価の高い本を探してここに行き着いたが、 200円そこらでも、損をしたと思ってしまうほど面白くなかった。 各章が、登場人物一人一人の目線で書かれているが、何の伏線もなく、 どこにでもいそうな個人の日常がダラダラ書かれている印象。 「驚き」「こわい」と言われている最終章も、内容が薄く、たいした落ちもない。 この作者の本は、二度とお金を出して読むことはないと思う。 | ||||
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リアル世界とヴァーチャル世界は対立するものではなく、ヴァーチャル世界のなかに空胞のようにしてリアル世界がある。そんな世界観を見せてくれる本。SNSもスマホもない時代に書かれた小説。携帯やメールといった小道具もほとんど。5人の若者の独白のリレーによって話が展開していく。読んでいくうちに私たちは誰ひとりとして同じ世界には住んでいないということに気づく。同じ人物に対しても異なる評価、同じ出来事に対するしても異なる解釈がいく通りも存在し、最大公約数的なものを「真実」とか「事実」と私たちは思い込んでいるに過ぎない。この感覚は、私たち一人一人が自分の世界観を意図的に可視化することができるネット空間においてさらに強く感じる。たとえば私が今日死んでも、フェイスブックの「友だち」は誰ひとり気づかないだろうし、私のタイムライン上に出てくる人間が死んだとしても、私がそれを知るのはFB上ではないだろう。私のタイムラインと「友だち」のタイムラインは並行して走っているだけで、たまに相互乗り入れはしても、完全に交わって一本化することはない。本書に登場する5人の主観はそのまま五つの世界である。シェアハウスという言葉のない時代にその本質を描いたともいえる作品だが、こうして考えるとシェアハウスとはリアルなフェイスブックのようなものではないだろうか。著者は本書の5人の主要登場人物のうちの一人、「琴美」に、こんな発言をさせている。 「[ネット空間の]中には適度にフレンドリーかつ適度に真摯な会話を楽しめるサイトもあるという。そこは『善意に満ち溢れた場所』らしい。互いに悩みを打ち明け、心からの同情と声援を送り合う。(中略)そこは善意のみが入場可能な、出入り自由の空間なのだ。たぶん私たちが暮らしているこの部屋も、そんな場所なのだと思う。嫌なら出ていくしかない。いるなら笑っているしかない。(中略)」 そして「未来」にはこう言わせる。 「ここでうまく暮らしていくには、ここに一番ぴったりと適応できそうな自分を、自分で演じていくしかない。(中略)ここで暮らしている私は、間違いなく私が創り出した『この部屋用の私』である。(『この部屋用の私』はシリアスなものを受け付けない)よって、実際の私は、この部屋には存在しない。ここの住人(良助や琴や直輝やサトル)とうまくやっているのは、『この部屋用の私』なのだと思う」 最後に本書のトリをつとめるキーパーソン直輝はこう語る。 「ふと浮かんだ奇妙な疑念というのは、美咲だけではなく、あのマンションで暮らしている誰もが、実はそれぞれ別の場所で暮らしているのではないか……。美咲が日頃は晴海の高層マンションで暮らしているように、未来や琴ちゃんや良介やサトルも、それぞれここ以外の場所に、自分の部屋を持っているんじゃないだろうかというものだった」 同じ屋根の下に住んでいてもまったく違う世界に棲んでいるということへ絶望。しかしその絶望の先にぽっかりとあいた暗い穴に入り込むことができたなら、深い安堵が得られるのかもしれない。 朝井リョウの『何者』、平野啓一郎の『私とは何か―個人から分人へ』など、ネット時代におけるペルソナの細分化をテーマにした本を最近何冊か読んだが、これらの本より10年以上前(2002年)も本書のほうが掘り下げ方が深く、描き方がしたたかである。 | ||||
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すでに100本を超えるレビューが書かれており、しかも読み方は十人十色。「退屈だった」と投げ出す方もいれば、最終章に愕然としつつ「リアル過ぎる」と称賛を惜しまない方も多数といった具合。こちらとしては、いろいろな読み方が出来る現代風ロマンの傑作だととりあえずピン留めしたうえで、最後までクイクイ読ませるプロットのうまさはさすがだ、というにとどめておきたい。若い男女5人の共同生活の書き分けは面白かったものの、結局、キモの部分はよく分からなかったから。川上弘美さんの「解説」は、さらに輪をかけて難しかったし。 | ||||
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都会に暮らす若者の群像劇。各章ごとに一人称で登場人物を描くことで、それぞれのキャラクターが際立ち、物語に引き込まれます。映像化を最初に想定して小説を書いているのかも知れません。巷にありそうな物語が、恐怖に裏打ちされたものだと知る衝撃に「やられた」と思いました。 | ||||
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解説を先に読んでしまって、第5章に何かあると期待しながら読んだのがよくなかったのかもしれないです。・・・意味不明なオチ以外何もありませんでした(正確にはオチてもないと思います・・・)。 ルームシェアをしている4人の日常が第4章まで書いてありました、第5章で、いきなり、そのうち一人が殺人鬼だったと分かるのですが、でも実はみんなそれを知って知らない振りをしていたらしいです、という内容です。それだけです。 ルームシェアしている人はみんながみんなかなり変な人です。先輩の彼女にストーキングした上でいきなり理由なく泣き出したり、レイプシーンを集めたビデオを作っていたり、いきなり見ず知らずの人間の部屋に忍び込んで2時間過ごしただけでそのまま出てきたり、そういう意味で誰が殺人犯だとなっても、みんな心の闇があるという感じで、思わせぶりな描写もたっぷりで話が進んでいくので、誰が殺人犯でも驚きもしないし、それ自体はいいのですが、みんなが実はそれを知っていたという点については、第5章までにそれをうかがわせる描写や伏線が一切ありません。正確には最後の最後に、その殺人鬼が、「その時だ。こいつら、本当に知っているのだと肌で感じた。本当に知っていたのだと、肌で感じた。」と独白するのですが、多分思い過ごしだろうとしか思えません。 周到に張り巡らされた伏線があるというレビュアーの方もいらっしゃるのですが、もう一度読んでも、みな知って知らないふりをしていたという点については、伏線なんか何もないとしか思えません。殺人鬼の子供のころの家出の話とか映画の話とか占い師の占いとか繰り返し出てくる誰も本当の自分を見せないから誰もいないのと同じだとかそんなの、みんな知っていたということになる伏線でもなんでもないでしょうし・・・。ここが伏線なのです、という人はできれば丁寧に教えていただけるとうれしいです。 現代の若者の互いに無関心で表面的なつながりがなんたらというようなことを描きたかったのであって、ミステリの謎解きのようなものを表現したかったのではないということかも知れませんが、であれば主要人物を殺人鬼にしない方がまだ何か伝わってきたかもしれないです。ちなみに本書と似たような読後感なのが、「迷宮」(集英社文庫) 清水 義範著でした。「迷宮」を面白いと感じられた方であれば本書も楽しめるかもと思います。私には、どちらも唐突なオチが最後にいきなり出てきて何の納得感もカタルシスもなく、時間の無駄でした。 | ||||
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さまざまな人間関係で、それぞれのキャラクターに個性があり楽しめます。 さいごには結構びっくり! | ||||
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本作品は、2LDKのマンションをシェアする男女の群像劇だ。 登場人物は、H大学経済学部 杉本良介(21)、無職 大垣内琴美(23)、イラストレータ兼雑貨屋店長 相馬未来(24)、「夜のお仕事」に勤務 小窪サトル(18)、映画配給会社勤務 伊原直輝(28)。彼らが、各章の語り手になって、ストーリーが展開していく。 冒頭の、先輩の彼女に恋してしまった杉本良介の話は、ゆるゆるの青春小説の趣だ。酒を酌み交わしたり、ドライブしたり、ちょっとした悩み事を相談したり。概ねその人のことを理解しているけれど、内面にはけっして踏み込んでいかない、至極あっさりした関係。シェアハウスを舞台として、上辺だけの心地よい付き合いを満喫する、男女の姿が描かれている。 涙あり笑いありで最後はホットなドラマを予想してしまったが、これは、すっかり裏切られることになる。 リビングでの集いが、チャットルームに例えられている通り、彼らは、それぞれが皆に期待される人物として振舞っている。読み進めるうちに、そのギャップと心に抱える闇が明らかになっていくのだ。同居人に適応するための形づくられたペルソナ。本当の自分が、熾火のように燻り続けている。男娼のサトルの登場が引き金となって、彼らの仮面に綻びを見せ始めるわけだが、ゆるゆるな出だしとの落差が大きいだけに衝撃的である。 クライマックスの沸騰する悪意を決定づけるシーンより、それでもなお、チャットルームの匿名性に戻ろうとする彼らの意思に寒々としたものを感じる。 | ||||
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あるマンションで共同生活することとなった5人それぞれの視点をリレーしつつ 彼らの日常が描かれます。 展開は作品のはじめから一貫した調子で、単にいろんな日常の出来事を通じて、各人物の内面が語られるパートが続きます。 そして終章でガラっと変わり、途端に終了 僕は最初読み終わったとき、終章の展開に対し「なぜそういうことをするのか」と、単にかなりムカつきました。 それで、理不尽さを解消するため、とりあえず「怖い」「ゾクッとする」等のいろんなレビューを読みました。 この小説には実に多くの伏線が周到に張られていたことを知り 自分がまんまと(伏線を)読み過ごしてしまったことに吃驚し 解釈次第では、成る程、登場人物の「ペルソナ」は登場人物同士だけでなく、読者である自分自身にも向けられていたのだ、 作中の人物の共同生活を神の視点で眺めているつもりだった自分(読者)が 実は登場人物に観察されていた感を覚えました。 そういう文脈で読み返すと、人物の印象が180度変わります。 「あ〜なるほどね。たしかにね〜。ゾックとするね〜」と思いましたが、やっぱり怖くないです。 リアルじゃないからです。 設定自体は現実にありえなくもないとは思います。 破天荒な若者同士が集まって生活する。 自分の内面は曝け出さずに、相手に応じて自分を自然に演出する。 このこと自体は別に心理学的にごく普通に観察されることで、怖くもなんともありません。 ただ「怖い」「ゾクッとする」文脈で読み返してみると、テッド・バンディなんかう◯こと言わんばかりに、登場人物たちの演出ぶりが完璧すぎるのです。 ただ一人、もう一歩足を踏み出せなかった人物を除いて。 この小説が不気味だと思う所以は、登場人物のほぼ全員が、「極端なまでにそれを徹底しきれている」ことにあります。 しかしそれは同時に、「サイコパスのトップエリートばかりが集まって、たがいに欺き合いながら快活な生活するようなもの」です。 リアルからかけ離れていて、結局創作なんだと思うことになりました。 それはそれで(そういうプロットだから)構わないし、描ききる筆力には驚きます。 さはあれ、読み進めているうちに、村上春樹と、(比較的ライトな作品における)村上龍を足して2で割ったような感じの展開(小気味よすぎる綺麗すぎる展開、あらゆる価値を単に傍観しているような冷たさ、グロそのものを描いた単なるグロ)に 若干うんざりしました。 というのも 僕は吉田さんの作品の「悪人」の重さと清々しさに感動して他の著書を読み始めたので、正直「悪人」に比べると格調がガタ落ちしている感を味わったからです。 少し吉田さんの印象が変わってしまいました。 | ||||
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