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パレード
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パレードの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全185件 81~100 5/10ページ
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ずいぶん前に小説を読んで、最近映画版も観ました。 初めて小説で読んだ時、正直、全く驚きもしなかったし怖いとも思いませんでした。 つまらない訳ではないけど、「何も感じないお話だな」と。 皆さんのレビューでの解説を読んで「なるほど、そーゆーことを表しているのか、そこが怖いのか」などと頭ではわかるのですが、心にはすっと入ってこない、なんだかモヤモヤした気分でした。 しばらくして映画が公開され、もう一度映像で観れば何かわかるかしら?と観てみたものの、やっぱり何も感じませんでした。 みなさんの評価は軒並み高いし、解説されいる内容もわかるし、決してつまらない作品ではないのだけど、自分の気持ちとしてはなんだかしっくりこない。 なぜだろう? と、考えた時、気づきました。 この、「なにも感じない。」 ことこそが、リアルなんだと。 自分自身が小説の彼等と同じだから、なにも不自然に感じないんだと。 小説の中で描かれている怖さに、違和感を感じない。 なぜなら自分自身が、登場人物のひとりだから。 これほどのリアルはないな、と思いました。 | ||||
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みなさん最終章を 驚いたとか、怖いとか書いてますが、 あまりに唐突過ぎる感じがして はぁ?って感じでした。 全然前の章からのつながりもなく 必然性がなく、動機がまったく不明 こんなラストがゆるされるなら なんでも有りになっちゃうんじゃないの? こういう小説が評価高いのって どうなんだろう? | ||||
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よくある光景よねぇ、気楽でいいじゃない、私もよくあるわぁ―― そこまで登場人物に共感しておいて、ラストに突き落とされる怖さ。 さっきまでは「少し変な人たちだけど、いい関係よね」なんて思っていたのに、 「世の中、こんなもんじゃない?同類同類」なんて思ってしまったのに、 私はこの人たちと同じなのか!!それは嫌だ! 直輝が“ジョギング”へ行くときに玄関で迷惑そうな顔を琴たちはしてみせる。 しかし、“ジョギング”自体を止めようとしない。 彼がどうなってもいいと言うことなんだな、結局私も。 と、思ってしまったら、自分のことが空恐ろしくなった。 | ||||
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身近にルームシェアしてる友達が居る身としては、 生活の描写や、それぞれのやり取りに思い当たる節が多かったです。 けれど友人たちは「話したいことを話してる」ので、それが大きな違いだな、と思いました。 この小説に出て来る登場人物は、決められた役割に沿って、慎重に空気を読んで、 最大公約数の話をしている、そんな印象を受けます。 作中、とある事件が同時進行していくんですが、話が進んで行くうち、 「もうこのまま思わせぶりに、事件は未解決のまま終わればいいのに」と思っていました。 あの終わらせ方は、問題のすり替えというか、どこか真摯じゃないと思います。 良介の、車が綺麗に並んで進む話だとか、琴ちゃんの過去、 それぞれのエピソードが面白かっただけに、妙な落とし方で勿体ないと思いました。 | ||||
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5人の若者が、2LDKのマンションで同居する生活の中で それぞれが、日常生活を淡々と語る話。 ●第1章 良介 実家が寿司屋を営む、普通の大学生 ●第2章 琴美 売出し中の俳優と付き合う、ニート ●第3章 未来 イラストレーター兼、雑貨屋でバイト中 ●第4章 サトル ひょんな事から同居することになった謎の多い若者 ●第5章 直樹 一番ちゃんとしてる(?)映画会社に勤める社会人 一体、何が起こるのかと思いつつ 読み進める。 ただ単に、本当に”ただ単に”日々のことを綴っていく過程は さほどの面白みも無いが、その分味リアリティーがある。 人と必要以上に係わり合いになることを避けながら それでも、やはり寂しいので 都合のいい部分だけは、仲良くと過ごす毎日。 深い部分での繋がりは面倒臭いが、孤独は嫌だという ご都合主義的な部分は、居心地がいいのかもしれない。 何が怖いのか…。 読み終えて、思ったのは 人との深い係わり合いを保つことを、面倒なことだと 割り切れること。 確かに、そういう部分は誰にでもある。 冷めているという言葉では表現出来ない何かが怖い。 それなりに、楽しい生活。 大きな変化も無く、悪く言えばダラダラと過ぎて行く毎日。 だからこそ、思わず「えっ」となる最終章。 そして何よりも空恐ろしいのは、その事実が判った後の方。 これを怖いと思うか、思わないのかは 人それぞれなのかもしれない。 | ||||
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都内の2LDKをシェアする男女4人の若者。 そこにある日突然18歳の少年サトルが加わる。 お気楽な共同生活を章毎に一人一人が主人公となり、自分の視点で生活を語るストーリー。 まっとうに暮らしている私からすると、 最初の良介からクレイジーに見える。 まぁ、でも小説だからこんなものかな、という感じ。 サトルの章でだいぶ衝撃を受けた。 「みんなが知っているサトルなんていない」というのはこういうことなのかな、と。 最終章でさらに衝撃を受けた。 ある部分の予想はついた。でもそういうオチだとは。。。 最後まで読んで、最初に戻って拾い読みした。 世界が逆転する。 深読みしすぎかもしれないけど、、、 この作品の中の怖さは他にもある。 「自分だけが知っているつもりの自分」が、 「他人も知っている自分」であったということ。 自分だけの秘密が実は他人に気付かれている、という点もすごく怖かった。 占い師の存在が象徴的だった。 | ||||
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ひょんなことから同居することになった四人の若者。大学生の良介、ニートの琴美、フリーター の未来に会社員の直樹。恋愛関係でないし、親友でもない4人は奇妙なバランスを取りながら 暮らしている。そんなとき、また一人若者が紛れ込んできた。一方その頃、近所で謎の連続婦 女暴行事件が起こり始めていて・・・ 芥川賞作家吉田修一の『パレード』は、同じ2LDKの部屋で起こることを5人の異なる人物の視 点から描き出す手法をとっている。この手法は、これ以後の吉田作品『悪人』でも使われている。 あの作品でも、同じことを立場の違う複数の人の視点から描き、読者にとっての「悪人像」をぼか していることに成功しているが、今にして思えばこの手法をもっとも効果的に、そして解説の川上 弘美の表現を借りればもっとも「こわい」ものを描くことに成功しているのは、実はこの『パレード』 の方だったかもしれない。 普段はあまり干渉しあわないが、いざという時は協力しあう。そんな若者が描きがちな、(都合の いい)理想的なコミュニティー(今年すごく流行った言葉だ)をこの本は描こうとしているように見え る。少なくとも最後までは…。 最初、多くの読者は油断するだろう。この手法で描かれるのは、たぶんある視点人物だけが「知っ ていること」の真相なのだ、と。その人だけの知っていた秘密が明かされ、我々読者につまらない 日々の暮らしにちょっとした驚きを与えてくれるのだ、と。 だがそうではないのだ。事態はまったく逆、その人物だけが「知らなかったこと」なのだ。もちろんこ れ以上は語ることはできないが、その真相がその視点人物に対して明かされたとき、世界は一気 に不気味なものとなる。それが川上いわく「こわい」のだ。この小説は「チャットみたい」なコミュニ ティーの気軽さを一気に反転したときに現れる、「人」の見えない深淵の不気味さだ。快作といって いい。 | ||||
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読み終えた後、さまざまな疑問がわき起こってくる。 人によって、いろいろな解釈の出来る作品だと思う。 作中人物の誰もが、わかっているようでわかっていない。本当の自分さえも。 わかっているつもりで読んでいたこちらも、どこまでわかっていたのか不安になってくる。 芥川龍之介の「薮の中」を思い起こさせる。 誰もがこんなふうに心の中に病んだ部分を抱えながら、それでも微妙な距離感を保って、日常を生きている。 そのバランスは、崩れそうで崩れない。 でも実は、とっくに崩れているのかもしれない。 作中人物のキャラクターは個性的なようでわりと似通っている。 都会に暮らす若者たち、少し非常識で、ナイーブで、優しく、愛すべき人物たち、一様に心の中に小さな闇を抱えている。 しかし、事件は予期しない方向から唐突に起きる。 そこにトリッキーな不合理さを感じて冷めてしまう人もいるかもしれないが その不合理さこそこそリアルなのだという気もする。 | ||||
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「とにかく最後まで読んでみろ。面白いのは最後だから!」 と同僚に言われて読み始めました。 なんら”展開”らしきものもない淡々とした(率直にいえば だらだらぐだぐだとした)五人それぞれの視点による瑣末な日常のあれこれが 綴られているだけでじきに退屈してしまい、途中で何度も放り出そうと しましたが、同僚の言葉を信じ、きっと最後には思いもよらぬ どんでん返しなりがあって感服させられるのだろうと期待しながら 我慢に我慢を重ねて読み続けたのに・・・・・。 それまでの四章はいったいなんだったのよと叫びたくなる とってつけたような五章の”意外な結末(というより唐突な結末!)”には怒りを通り越して ただ呆れるばかりでした。やたら評価が高いのが不思議でなりません。 | ||||
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消化不良を起こしているのか? むしろストンと腑に落ちているのか? 自分でもよくわからなくなります 5人の語りによって淡々と進むことでそこに感じるリアルさと嘘臭さ 正直な話、ラストの展開は何となく読めてしまうかもしれません ただだからこそ「こわさ」が生まれるのだと思います 特にピンクパンサーのパレードの描写にはこの「こわさ」の全てが凝縮されています あまりにも衝撃を求めてしまうと肩をすかされイライラとしてしまいますが、 あっさりとしているのにどこか重たい そんな感覚を味わいければ読んでみる価値はあるかと思います | ||||
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私は、本書のレビューを見て興味を持ち、読み始めました。 最初のうちは、男女5人の共同生活がダラダラと書かれている。 しかし、最終章を読んだ後には、そのダラダラと書かれていた 共同生活がとてつもなく怖ろしいものに一変する・・・ って感じのレビューを見てたので、最終章に起こるなにかを もの凄い期待していたのだが、期待し過ぎたが故に、「あれっ、 こんなもんか?」と期待外れになってしまった。 著者も言っていたことだが、数回読めば、また、違ったおもしろさ が出てくるとは思う。時間があれば、最初から読み直してみたいと は思う。 | ||||
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途中までは、こんなのもありか、と淡々と読めたけど、後半退屈で飛ばし読み。特にラストは何なの?後味悪いし、読まなければ良かった、と思う小説だった。「悪人」と同じ作家ですか??? | ||||
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東京のマンションで、若い男女五人が気楽な共同生活。 他人として適度な距離をたもちながら、気が向いたときは一緒に飲んだりビデオを見たり、 悩みを相談したり。 一時期、リゾートバイトなどでシェア暮らしをしていたものとしては、とても魅力的な感じ。 ドラマみたいに、やたらと他人に干渉してアツくないのも良い。 楽しかった日々を思いながら、登場人物の誰かに自分を重ね合わせて共感していた。 そしてラスト。 少し変わっているけど正常だと思っていた自分(登場人物)が 「実は狂っていた」という事実。 どんな本を読んでも、その本の中で自分が正しいと思える人物を知らず知らずに見つけているもの。 それをいきなり否定される怖さ。 山本文緒の「恋愛中毒」を読んだときのような。 自分が参加して、踊って、行進している「パレード(人生)」は、 果たして本当に正常なのだろうか? | ||||
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映画を先に見ていたので、第5章はどこで「来る」かばかりを気にして結果ラストの怖さは些細なものとなったけど、やはり吉田修一の作品はある意味で腑に落ちる。それは「リアル」という言葉を使えば簡単に説明できそうな手触りであっても、その「リアル」さは最後に「うそ寒さ」へ変わることで読者を裏切る。他愛のないツッコミや気遣いのある(ように思える)言葉、そしてそれぞれが抱えている悩みや不安さえも読後はぺらぺらなものに思えてしまう。「ここにいたければ笑っていればいい」から、他人の悩みはめんどくさいものとして流される。 しかし、それにもかかわらずこの5人の生活感は愛おしい。「愛おしい」ということは、「わかる」ということ。あーわかる、の「わかる」。解説で川上弘美さんも言っていたように、この小説の怖さは自在に変容する。その数ある怖さのなかでも打ち捨てておけないのは、同じ部屋に住んでいる人間の重大な行為を「めんどくさい」で片付けられてしまう人たちの気持ちや生活を「わかっ」てしまうことではないか。 吉田修一はほんとに、いそうでいなさそうで、実はいそうな人間を描くのがうまい。 | ||||
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若い男女が、恋愛関係なしに共同生活をしているけれど、 表面的なつきあいで、淡々としている、という、現代のフツーの人の孤独を 描いた小説かと思ったら。 最終章は何でしょう。ここで一気に特殊な人の話になってしまう。 小説としては、淡々とした内容だけでは面白みにかけ、表面的なつきあいの裏には、 こんな部分があるのだよという、衝撃的な最終章が必要だったのかもしれないけれど、 ついていけなかった。 最終章のせいで、フツーの人たちの話では なくなってしまうのが残念だった。 | ||||
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人と人とのつながりのなかで、近すぎない関係の中で生まれる「無関心」。 同じ空間を共にし、兄弟のように接して軽口を叩いても、彼らのあいだには、心地いい無関心が流れている。 でも、そんな無関心は、実は心地いいものなんかではない。 とても、恐ろしいものだ。 登場人物の年齢層は10代〜20代。 主人公の彼らはそれぞれ闇を抱えていて、どこかしら私たちとつながる部分を抱えているようにも思える。 けれど、この小説に描かれている人物は、あまりにも軽く、薄っぺらいし、陳腐だと思う。 ゲームの設定のように現実感が無い。 少なくとも私はこの小説の登場人物のように、現実感のない、心の触れ合いのない人間関係は築けない。 全く共感できなかった。 だから、もしこの小説が現代の若者を揶揄しているなら、私は「違う」と言いたい。 こんなにも、触れ合いのない、つめたい外面だけの関係など、いらない。 読み進むのが苦痛なわけではなかったが、読後は不快だった。 ひとつのメッセージ性を持った小説であるとは思う。上手いやり方でそれを浮かび上がらせているとも思う。 けれど、陳腐な寸劇を見ているような、入り込めない現実味の無さが、私には合わない小説だった。 | ||||
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映画キッカケで読みました。 映画はラストが原作以上に観客に対して 丸投げされていたので、スクリーンに映る 登場人物たちの表情が、無機質で怖かったのですが、 原作も十二分に怖くて、読み終わったとき、恐怖のあまり鳥肌が立ってしまいました。 私も大学生時代に 男4人のルームシェア経験があったのですが 当時の人間模様を思い出してしまいました。似ている部分もありました。 なお現在進行形で、 ルームシェアをされている人は 相手に対して不信感を抱く可能性が ありますので読まないほうがイイかもしれません。 それほどまでにリアリティに溢れている証拠、褒め言葉ですよ(笑顔) | ||||
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吉田修一はこの小説を書くに当たり面白い構成をとった。パレードは五人の共同生活を送る若者たちを描く小説である。そしてそれは5つの章からなるオムニバス形式で構成される。それぞれの章でその五人の若者はそれぞれ一人称で登場し、読者はそれぞれの心理やホを知る。この構成により読者はそれぞれの視点から共同生活を見ることが可能になり、一つの安定したコミュニティーの中で、各人は安定した暮らしをするための役割を演じているに過ぎないことを知る。吉田修一はよく現代の若者を描くのに巧みな作家であると言われるが、この作品が扱うテーマはどの時代にも当てはまる普遍的なものであろう。 | ||||
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この作品は、共同生活を送る男女四人+一人、計五人の物語です。 そして、それぞれ章ごとに五人の一人称形式で書かれています。 こうした構成は「それぞれの若者の言い分をそれぞれに語らせることで読者には客観的に見てもらう」という狙いではないか、と思います。 作品自体は、若者達の生活に少々のミステリー風味を加えて、ラストに衝撃的な事象を持ってくる、というパターンで、単なるミステリーとしても読むことが出来ます。 しかし、解説を書いている川上弘美氏の言う「こわさ」とは多分このラストを示して言っているのではないでしょう。この物語の本質のこわさ…。それはむしろ、客観的に若者の思考を読むことで際立つ「若さに対するこわさ」ではないか、と思います。 そして、それは若くない人、要は私みたいな人間にはとてもこわいことに思えました。 ですので、若い人は登場人物と同調してしまって、そのこわさに気付かないかもしれません。 ミステリーとして捉えられるかもしれませんが、私は純文学だと思います。 その二面性も、また魅力の一つです。 | ||||
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最初の印象と最後の印象があまりにも違いすぎる。 私はこの本を笑いながら読んでいた。 文体のセンスが良く、ユーモアに溢れ、気持ちのいい空気だった。 あれはないだろう。 ああいうのを想像してはいなかった。 | ||||
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