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華氏451度
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華氏451度の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全60件 1~20 1/3ページ
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ひらがなを多用していて読み難い。 初めは心理的な不安や狂気の演出の為なのかと思ってたのだが、違うようだ。稚拙に感じられる。 | ||||
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文庫本で例えると、活字が小さく紙質も少しざらっとしていた頃のようなクラシックな訳です。Kindleのトップに出てくる、黒い表紙に赤い模様の新訳版とはだいぶリズムが違います(表紙のデザインは炎のこちらの方が新しそうだから紛らわしい)。好みですが、私はこちらの旧訳がテンポよく読みやすく、雰囲気も独特で好きです。 | ||||
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最初は翻訳だからか独特の意味の取りにくい比喩ばかりで飽き飽きします。 それでも、指輪物語のように途中から面白くなるだろうと、がんばって読み進めます。 途中ようやく、登場人物の会話が始まり何を書いた小説なのか見え始めます。 しかし、そこで唐突に戦争がはじまり、自分たちがドロップアウトしようとした国が滅びます。 そこで、終わり。 打ち切りの漫画がよくやる俺たちの冒険はここから始まるんだ的な何も解決しないままの終了。 正直、つまらない。 | ||||
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学生です。小説に詳しい訳でもないため、本書の批評は他の方に譲りますが、感想を少しだけ記載しておきます。少しでも参考になれば幸いです。 私たちの身の回りには手軽に享受できる娯楽が溢れています。ともすれば、思考を放棄して、刺激を、快楽を求める方向に傾きがちだと思います。少なくとも、私にはその傾向がありました。しかし、本書を読んでみて、時にはゆっくり読書をして、物思いに耽ることの有用性を思い出すことができました。 個人的には、とても興味深く読めました。もしお時間があればご一読してみてはいかがでしょうか。 | ||||
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1953年に書かれたというのが、なんとも言えない凄みを感じる。今から未来をよくとらえている。 主人公は、モンターグという「昇火士」。おじいちゃん、父親も、昇火士だった。昇火士の仕事は、本を燃やすことだった。そのことに、仕事のやりがいを感じていた。 本は、人を考えさせてしまう。「考える人間なんか存在させてはならん。本を読む人間は、いつどのようなことを考え出すかわからんからだ。そんなやつらを、一分間も野放しにしておくのは、危険極まりない」という。モンターグも、妻のミルトレッドも、ほとんど記憶がない。ミルトレッドは、テレビばかり見て、「海の貝」(イヤホン)を耳の穴に四六時中入れている。テレビ依存症だ。テレビは、部屋の壁3面に映る大型のテレビ室なのだ。そこで一日中過ごす。そして、車をぶっ飛ばすことやスポーツに専念する。考えないことが当たり前の世界。ほとんどの人が刹那に生きている。だから、本はいらないし、燃やすべき対象となる。 モンターグは、クラリスという17歳の女性に会う。クラリスは自由で、月を見上げたり、雨を口で受けたりする。そしてモンターグに率直な質問をする。「あんたが燃やした本のうち、どれか読んだことある?」「あんた、幸福なの?」 モンターグは幸福だと思っていたが、家に帰ったらミルトレッドは睡眠薬を飲んで自殺を図った。なんとか、一命をとりとめる。そこから、幸福だったのか?悩み始める。ミルトレッドに、 モンターグはいつものように出動して、本を燃やそうとし本に石油をかける。本の中に老婆が立っていた。本から老婆に離れるように言うが、老婆は自分でマッチを燃やし、本と一緒に燃えてしまう。 モンターグは、命をかけるほどの本には価値があるのかと衝撃を受ける。 モンターグには、秘密があった。本を燃やすたびに、1冊を盗んでいたのだ。そして、本を読み始める。「書物の背後には、それぞれひとりの人間がいるとことを知った。その人間が考えぬいた上で、長い時間をかけ、その考えを紙の上に書き記したのが、あの書物なんだ。そのことを、僕は今まで、考えて見なかった」と告白する。 モンターグは、ミルトレッドの友達が二人きているところで、あまりにもつまらない話をしているので、突然本を持っていき、詩を朗読する。三人は驚き、二人は帰ってしまう。 モンターグは、体調が悪くて休んでいて、職場に復帰したら、ビーティ署長は、本の弊害について滔々と語る。ビーティ署長は、本をたくさん読んでいることがわかる。そして、通報がきた。 モンターグと署長たちは、通報の家に向かうが、それはモンターグの家だった。モンターグの妻が通報したのだった。そして、モンターグの妻は、モンターグに別れを告げず、テレビ室に別れを告げるのだ。モンターグは、悔しさとビーティ署長に火炎放射器を向けて殺してしまう。 そして、モンターグは逃げ回るのだが、突然 戦争が始まる。それで、物語は終わる。 なんというあっけない幕切れ。本の大切さがわかって、それから何が起しうるのかと期待したが。 本を読まないこと。無関心になること。テレビに依存すること。スポーツに夢中になること。そのことへの大きな警鐘。今の情報洪水の中で、本質が何か。その本質に向かって立ち向かうことを物語は語る。未来を予測しながら、未来の警句までも作り上げている。 華氏451度は、摂氏233度。つまり紙の燃える温度。表題もセンスがある。リアル・ホラーである。 | ||||
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"国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。"1953年発刊の本書は、情報が氾濫する今でも通じる魅力を放っています。 個人的には、1967年に本書を原作に公開されたトリュフォー監督の映画版【華氏451】はとても好きで何度も鑑賞しているのですが(一方で最近のリメイク版は微妙でしたが。。)そう言えば本の方を読んでなかったな?と今回手にとったのですが。映画ともまた違う、冒頭の主人公にキッカケを与える少女、クラリスとの出会いの場面や、意図的にSFらしさがあまりない映画では(当然に?)登場しなかった機械猟犬の活躍?に新鮮な魅力を感じました。 また本書では、映画版以上に主人公の上司であるベイティーが饒舌に(ある種の説明役として)ファイアマンがなぜ消火ではなく【書物を焼き尽くす様になったのか】を話すシーンがあるのですが。このあたりは映画ではバッサリとカットされてた気がしますが、あった方が良かったのになあ。。と映画と比較してばかりですが多少残念に思ったりしました。 本好きかつディストピアSF好きな誰かに。また映画版のファンの誰か、あと図書館戦争好きにもオススメ。 | ||||
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6時間ほどで読めました。多分5~6年近く積読していたと思います。 もっと早く読めばよかったです。数ページ読んで止めてしまったのが後悔です。 レイ・ブラッドベリは1984のイメージが強く、暗いディストピア世界で救いがないんだろうなとか思っていて、元気のあるときに一気に読むとか思っていましたが、この本はディストピア世界ではありますが、主人公が最後の最後まであらがい、またいないと思っていた味方が大勢いたこと。 体制派も諸外国との戦争で堅牢な地位を気づけていないことなど、救いがあり、SF的にも読みやすく面白かったです。 | ||||
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オルダスハクスリーの「すばらしい新世界」、伊藤計劃著の「ハーモニー」でもそう描かれてますが、管理したい側は物質的肉体的に満たされた「しあわせ」をえさに人びとを操ろうとするのでしょう。ですから、本当のこと、「真理」に近づこうとする動きには神経をとがらせます。 本の所有が禁止され、見つかれば焼かれてしまう(焚書)という本作のテーマは、管理側がその思惑に厚い布をかぶせるという小賢しいこともせず、直球で監視と管理の邪魔になる「真理」への接近を阻止しようというものです。 教育や条件付けにより常に空虚さを感じるように仕向け、そこへ大量で強烈な情報を浴びせて中毒患者に仕立て、自立心や考える力を奪ってしまいます。これはインターネットやスマートフォン、テレビなどから大量の情報を浴び、知らず知らずのうちにその奴隷となる現代人と共通するのではないでしょうか。 未来への希望を感じさせるエンディングと、詩的な比喩表現の多さは、他のディストピア小説とはまた違う趣のあるものでした。 | ||||
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活字文化の廃れた世界を背景にして、人間を描いた作品です。ディストピアと聞いていたのですが、最後に少しだけ救いがあったので、読後感はそれほどわるくありませんでした。 1953年の著作ですが、現代社会を風刺しているような感覚にとらわれます。優れたSF小説の特徴だと思います。 おすすめです。 | ||||
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話自体は心躍るようなワクワク感はなく、手に汗握る緊迫感は多少ありましたが、どんどん先を読みたくなるような面白さにはちょっと欠けると思いました。ただ警鐘として人って楽な方、心地いい方に浸ってしまうと無意識に思考自体が止まってしまうような怖さがあるのかなと思いました。また、ナチス政権下での焚書のことと重なるような気がしました。自分たちの価値観に合わない物事は抹殺される。そして体制に扇動され結局破滅してしまった。本書の内容と同じですね。 | ||||
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60年以上前に掛かれたSFの古典的作品とはいえ、テーマは現代でも色あせていないとも言えると思います。 ただ訳がかっこわるい。 この小説ではストーリーの展開においてセリフ部分がとても重要なのですが、それがいちいち古くさく、 アメリカ的な会話が上滑りしていて読んでいて恥ずかしくなります。 こういう訳だと原書の真価がわかりにくいですが、一読するかぎり冗長で、現代には少し退屈。 2008年に出しなおすなら、せめて新訳にすべきだったと思います。 | ||||
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面白そうと思って読んでみたが、わからない。。。。。話の世界がイメージできない。私には、あってなかったようです。 | ||||
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訳が終わっています。 原書と読み比べましたが、あまりにも明確な間違いや訳し 落としが有って驚きました。 新訳は読んでいませんが、この出来では新訳が出たのも当然でしょう。 どうして初版からちゃんと管理出来ないのでしょうね。 いつも初訳は拙速ですが、ハヤカワさんも最初からきちんと仕事してもらいたいものです。 | ||||
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2014年の横浜トリエンナーレのテーマということで買ったものの全然読めずにようやく読了。 今から60年以上も昔にこういう世界観を描いているのがすごい。 その当時に、本というメタファが変わるかもというのが示唆されていて、今の時代を予見しているかの感じなところに驚きました。 この先60年後に、本はどういう存在になっていくのだろうか。 | ||||
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米国のSF・幻想文学作家のレイ・ブラッドベリによる1953年発表の作品。 ジョージ・オーウェルの『1984年』などと並び、代表的なディストピア小説のひとつと言われる。ディストピア小説とは、SFなどで空想的な未来として、理想郷(=ユートピア)の正反対の社会(=ディストピア)を描いた小説で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多い。 華氏451度とは、摂氏では233度にあたり、紙が自然発火する温度というが、本作品は本の所有や読書が禁じられた近未来の物語である。 主人公は「焚書官」として、人類の叡智の結晶である本を焼き尽くす仕事をしているが、その一方で人々は超小型ラジオや家の大型テレビで絶え間なく娯楽を提供されている。彼らが生きている社会では、ホイットマンもフォークナーも聖書も禁書とされ、人々は権力者の都合のいい刹那的な娯楽により飼いならされ、自ら考えることを自然に奪い取られている。 主人公は、その後、謎の少女クラリス、元大学教授フェイバーと知り合い、自分の仕事に疑問を持つようになり、書物の重要性に目覚めて、自分の上官を焼き殺して逃走する。そして、最後に、書物を自分の頭に焼き付けて未来へ伝承しようとしている老人の一団に出会う。 現代の世の中は(少なくとも日本は)、体制側の明示的な意図によって、個々人が自らの考える材料や機会を制限されることは殆どない。しかし、TVをつければ大多数のチャンネルでお笑い番組が流れ、ネットを見れば多くの人がアクセスしたサイトや、過去の自分のアクセス・購入履歴に基づいたサイトが自動的に表示される。。。体制側の焚書官がわざわざ書物を焼かなくても、自らが考えることを放棄するような状況を作り出しているのではあるまいか。。。 まさに現代において考えるべき、重いテーマを扱った作品である。 (2013年1月了) | ||||
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昔から知っていた。 フランスの作品だとばかり思っていた。 ビデオでみてみたい。 書物のない世界を風刺している。考えることをやめた世界はこわい。いまのネット社会も、便利な情報に踊らされて自分で考える習慣がなくなったら、怖い。 | ||||
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4-2-3-1(4-5-1)とか4-3-3(鏡で見ると3-3-4を1000で引くと666に)とか サッカーって左翼なスポーツなのは皆さんご存知の通り。 音楽界も同じように左翼なようであるフランス映画では「左翼的」ないとはぶられるとか。 本場イタリアのスポーツ新聞の編集長もある本でそう言われていました。 欧州ではフットボールでアメリカでは「サッカー」であるのはなかなか面白い。 はじめ読んで途中で見る気が失せました。 | ||||
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20世紀半ばの テレビという情報機器の普及と原子力戦争に怯えた時代を反映する作品だが、インターネットとテロの時代と成った21世紀に再読すべきだ。 | ||||
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この本のお話自体は、そんなに面白いものじゃないけれども、随分いろんな有名な作品に真似されていそう。原点に立ち返る意味で、読むべき書籍だと思う。クラリスという、透明感があって理知的でミステリアスで非常に魅力的なティーンエイジャーの少女が出てくる。まさか・・・。ところで国民をコントロールしようとするのは、政府であれメディアであれ企業であれ有力な存在の常。最近はエンタメまで、コントロール・フリークだ。様々なものに依存症を患っている現代人に、この作品はまたも必読書となってきてる。聖書はいつの時代でもどこの国でも、人間による不当な支配を免れさせるんだと、裏付ける。 | ||||
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火の色は愉しかった。 で始まる約の方 この一文から始まるのがもう、グッとくる といろんなとこれで言われています 自分もそう思います 『1984年』と同じくらい有名なディストピアもの 本は焼かれて、大衆は政府から与えられる、より分かりやすいだけの娯楽に興じていて、それで良いと思って暮らしている そんな近未来の世界のはずなのに、現代と同じ感じをさせる怖い物語 ガンカタで有名な『リベリオン』のもろに元ネタだろうなぁ 偶然だけど、今、開催中の横浜トリエンナーレのテーマがこの本みたいです 最後の解説を書いているノンフィクション作家の 佐野眞一さんが、本を読まない人が増えて、人の心を読めない人も増えている って書いているのですが、本読まない人はこの文章を読まないよなと ディストピア的皮肉を感じました | ||||
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