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華氏451度
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華氏451度の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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ひらがなを多用していて読み難い。 初めは心理的な不安や狂気の演出の為なのかと思ってたのだが、違うようだ。稚拙に感じられる。 | ||||
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話自体は心躍るようなワクワク感はなく、手に汗握る緊迫感は多少ありましたが、どんどん先を読みたくなるような面白さにはちょっと欠けると思いました。ただ警鐘として人って楽な方、心地いい方に浸ってしまうと無意識に思考自体が止まってしまうような怖さがあるのかなと思いました。また、ナチス政権下での焚書のことと重なるような気がしました。自分たちの価値観に合わない物事は抹殺される。そして体制に扇動され結局破滅してしまった。本書の内容と同じですね。 | ||||
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4-2-3-1(4-5-1)とか4-3-3(鏡で見ると3-3-4を1000で引くと666に)とか サッカーって左翼なスポーツなのは皆さんご存知の通り。 音楽界も同じように左翼なようであるフランス映画では「左翼的」ないとはぶられるとか。 本場イタリアのスポーツ新聞の編集長もある本でそう言われていました。 欧州ではフットボールでアメリカでは「サッカー」であるのはなかなか面白い。 はじめ読んで途中で見る気が失せました。 | ||||
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モンターグは、世界で禁じられている「本」を見つけ出し焼き払う焚書官だった。何も考える ことなく黙々と仕事をこなしていたが、あるとき本を手にしてから人生観が大きく変わり始めた。 「何が正しいことなのか?」モンターグの行きつく先は・・・。 本を所持したり読んだりすることは重大な犯罪だ。人々は、ラジオやテレビから一方的に送られる 情報のみを受け入れ、そのことに何の疑問も抱かずに生活していた。深く考えることもせず、 知識の蓄積もない生活。本のない世界なんてまったく考えられないし、想像もできない。一方的な 情報で自分たちの行動や考え方を決められてしまう世界。一部の権力者たちが情報を操作し、そして 人を操作する。恐ろしい話だ。架空の話だとは分かっていても、どこか現実の世界につながる部分を 感じて、読んでいてぞっとした。 自分で考え自分の意思で行動することに”目覚めた”モンターグたちの行く先には、いったいどんな 未来があるというのか?楽観的になれないラストはつらいものがあった。 | ||||
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本書は「華氏451度」という象徴的なタイトルと、本を持つことが禁止されたディストピア社会で本を燃やす人、という概略で昔からかなり著名な本だ。僕も本書を読み始め、「本を焼くことをワン・モチーフで書かれた小説なんだろうな〜」という意識でいた。確かに焚書は本作のメイン・テーマである。しかし、この作品はそのテーマだけに留まってはいない。主人公のモンターグは焚書にいった先の家でその本を守ろうとした老女が焼身自殺をとげることで、焚書そのものと生きることへの意識の変化が生じはじめる。そして自ら盗みかくしていた本が仲間によって燃やされ、その後、自分の上司や仲間を殺してしまうことから、更に展開をみせていく。そこからこの物語のストーリ・テリングはぐっと冴え、かなり面白くなってくる。 そして実存の重みとしても様々な様相をおびてくる。逃げ延びるなかで、感じる「暇」=自分の生をほんとうにゆっくり考えてみること。川や自然のなかでゆったりと身を浸していくこと。etc,etc・・・。本書は書物の重さのみ意図した作品ではなく、人の生死にかかわることによって、自分の実存的な生に目覚めていくことを描いた、幅広い作品である。 追記:星が3つなのは、 ・前半の第一部(全三部)のストーリー展開が不条理めいたあたりはいいが、構成がやや雑駁かつ前半部分のストーリテリングが冗漫なこと。 ・作品の中にテーマを直接しゃべってしまう人物が数人おり、小説の完成度からいうと「理におちている点」があること。 などが理由です。 追記・本作の死に接することで実存にかわるあたりに興味をおぼえた方はドン・デリーロの『コズモポリス (新潮文庫)にも手を伸ばしてはいかがでしょうか。ポストモダン純文学でなかなか読むのに苦労する作品ですが一読の価値はある作品です。 | ||||
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本書は「華氏451度」という象徴的なタイトルと、本を持つことが禁止されたディストピア社会で本を燃やす人、という概略で昔からかなり著名な本だ。僕も本書を読み始め、「本を焼くことをワン・モチーフで書かれた小説なんだろうな〜」という意識でいた。確かに焚書は本作のメイン・テーマである。しかし、この作品はそのテーマだけに留まってはいない。主人公のモンターグは焚書にいった先の家でその本を守ろうとした老女が焼身自殺をとげることで、焚書そのものと生きることへの意識の変化が生じはじめる。そして自ら盗みかくしていた本が仲間によって燃やされ、その後、自分の上司や仲間を殺してしまうことから、更に展開をみせていく。そこからこの物語のストーリ・テリングはぐっと冴え、かなり面白くなってくる。 そして実存の重みとしても様々な様相をおびてくる。逃げ延びるなかで、感じる「暇」=自分の生をほんとうにゆっくり考えてみること。川や自然のなかでゆったりと身を浸していくこと。etc,etc・・・。本書は書物の重さのみ意図した作品ではなく、人の生死にかかわることによって、自分の実存的な生に目覚めていくことを描いた、幅広い作品である。 追記:星が3つなのは、 ・前半の第一部(全三部)のストーリー展開が不条理めいたあたりはいいが、構成がやや雑駁かつ前半部分のストーリテリングが冗漫なこと。 ・作品の中にテーマを直接しゃべってしまう人物が数人おり、小説の完成度からいうと「理におちている点」があること。 などが理由です。 追記・本作の死に接することで実存にかわるあたりに興味をおぼえた方はドン・デリーロの『コズモポリス (新潮文庫)にも手を伸ばしてはいかがでしょうか。ポストモダン純文学でなかなか読むのに苦労する作品ですが一読の価値はある作品です。 | ||||
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テレビやラジオなどのメディアが本にとって代わり活字離れが進むことへの警告が含まれているわけですが、その本のレビューをインターネットで書くというのもへんな話ですね。この小説が発表された当時はまだまだ本を読む人がたくさんいたはずなので活字離れを食い止めるために世に出す意味はあったと思いますが、今は読まない人は全く読まない時代です。ですから読書家しかこの本を読まないわけです。今の時代、この本面白いから読んでみなよ、と言ったところで「はぁ?」という顔をされるだけです。つまりもう手遅れなんだと思います。 | ||||
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完全統制された社会への警鐘とも取れる「1984年」のライトノベル判という感じ。 本の消失した世界というあり得ないはずの世界が、本のデジタル化が進み、あり得るかもしれなくなってきた昨今。デジタル化した本なら、簡単に中身の捏造や削除がなされてしまいそうで怖い。時の政権を握る者にとって都合のいい内容の本しか存在しない世の中になるのでは? 危惧しているのは私だけ? 本は次世代に残せる人類の財産。出版社の皆さんには、時代の波に逆らってでも、紙の書籍という形で良書を残していただきたいと願っている。 | ||||
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名前だけは知ってるけどなかなか読む機会が無かった本、なんか、痴愚神礼讃みたいにこいつはマッカーシズムみたいな野郎だと思って途中で読むのを辞めたくなりましたが、最後まで読めばまぁ違うとわかります、そんな赤狩りみたいな本が名作として残ってるわけないですからね、でも感情を込めて書かれすぎていて本当はどっちを言いたいのかわからなくなる、痴愚神礼讃もそうだって渡辺教授が言っていました。大江の作品にも右派の青年を描いたものがあったけど、たぶんそれは、それを意識したものでしょう。ドストの作品もそういうとこがある・・アリョーシャよりもイヴァンのほうがキャラクターとして生きている気がする・・・しかし赤狩りなんて言論の自由を掲げて共産主義的発言をしたやつを文字通り叩き殺してるだけですからね、同情の余地がなさすぎる・・、こんな程度の政治的レベルしかねぇ国に負けたんか・・・って思いますよね。そしていまの自分たちの政府をふと思いだし、そりゃ負けるわと思い直すw でもちょっと反動的すぎる、って気がしますね。芸術家は前衛ではなくて、激烈な反動主義者だというのは大方正解だと思います、だから体制と敵対するのでしょう、リベラルなアーティストってのはまぁいませんから、みんなナチスよりもぐっと右で、ぐっと民族主義者ですよね、自然に帰れ・・・ってわけだ、金持ちアーティストの発言ほど世間の共感を集めない発言もない。 ピカソは芸術を前に進めないで、全速力で後ろに走って行きましたから、そしてラスコーの壁画が最高の芸術だと言うに違い有りません。そういう人は多いですね、ソローみたいな生活をして人間の尊厳を取戻せみたいな事いう人、ハイジみたいな・・ ・ 私達に昔ながらの生活が人間の本性に合ったものだと思えるのは、私達がまだ昔ながらのコトバを使い、そのコトバを使って世界を見ているからだ。あらゆる価値感の全面的変更が必要だ。 とニーチェは言いました。ニーチェはそのあらゆる価値の大転換を初めてすぐに 、馬に抱きついて人間失格になりましたが、最近の研究ではその後の療養期間が長すぎることから梅毒転移ではなく、本当に精神的な崩壊・・・・、もしくは本当にあらゆる価値の大転換が成功したのかもしれないとという面白い話になってます。 確かに本質的な価値の大転換ではあるw infin de siecle | ||||
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痛烈な現代批判であると思う。 山手線に乗っていてデナムの歯磨を思い起こさない人はいないだろう。 監視社会、 コマーシャリズムによる情緒の侵略、社会的紐帯の切断。 グロテスクに拡大された現代社会の特徴そのものだ。 でもやはり、 作者がおそらくそう願ったようにこの本が啓蒙の書となるためには、 not A but B のBがもっとはっきりと示されていて欲しかった。 彼が何をよしとし、またそれをよしとしなければならなかったのか。 確かに、 「そうだ!想像力を失ってはならないんだ!」 と思わせるものはある。 しかし、人や人の歴史への想像力によってどれほど人が幸福になれるのか。どれほど安心して、おびえずに暮らせるのか。 引用が唐突でありすぎるためか、 書物にどれほどのことができるのか、 今ひとつ説得力を欠いていた。 読者が渇望せずにはいられない、憧れずにはいられない何かが描かれている本では残念ながらなかったような気がする。 | ||||
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「文化」が禁忌の対象となった未来を描いた小説です。主人公のガイはファイアマンですが、火を消すことではなく、本を所持している人の家を焼くことが彼の仕事です。ブラッドベリらしい技巧的で詩的な文章によってペシミスティックな未来像が語られています。この小説は50年前に書かれたものですが、現在の社会を描いているかのような描写があ時折あって、はっとさせられます。 | ||||
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