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ポリティコン
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ポリティコンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 1~20 1/3ページ
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ぼくにとっては不可思議な作家というジャンルでトップ3に入るのが、桐野夏生である。読んでみないと面白いのかつまらないのか、わからない。最初は探偵・村野ミロのシリーズでエンタメ界に登場したものの、徐々にシリーズ外作品での独自性を見せ始める。その切り替えスイッチとなったのは、まぎれもなく『OUT』だったと思う。 かつてのぼくの桐野評。『ぼくがリスペクトしたいと思うクリエイターは、どちらかと言えば、馴れ、という領域を逸脱しようと、常にチャレンジする精神を維持し続けている部類の作家である。』 もう一つ。『通り一遍の評価を受けることで満足することなく、次から次へと異色の作品を出し続け、いい意味で読者の予想を裏切り続ける女流作家としては、トップ・ランナーである。』 そう、本作『ポリティコン』は、実験小説のようにも見える。一つの原始共産主義的な<村社会>を東北の一山村に作り上げた一族の血を継いで、現代の若き村長が時代に沿った変革を施してゆく、というと聴こえは良いが、この新村長となる主人公の東一(といち)は、ページを繰るにつれ、軽薄で身勝手で、獣欲に身を任せるエゴイストで、様々な意味での愚かさを全身に纏った出来の悪い男であることが明確になってゆく。それでいて妙な自信を備えていて、性格も弱いくせにプライドは強い。客観性がなく、村民たちへの思いやりも薄いし、怒りっぽい。理想を抱えているのかどうかわからないが、自分の中では何となく整理できているらしいし、これといった信念がないせいか、ある程度の危機を平気で乗り越えてしまいそうなタフさと不思議なまでの強運は備えている。それにしても読んでいて、ああやだ、こんな男は嫌だ、と嫌悪感を感じてしまう類いのキャラクターであることは間違いない。 「私は白黒つけがたい、善悪がわからない、そんな薄気味悪い中間地点にいるような人が、好きなんですね。最近、善悪だけでなく、物事をわかりやすくしようという傾向が文学でも強いと思いますが、私はそれに乗りたくないんです。人はそんなに簡単に分けることができないし、差異は常にある」 というのが、作者の言葉なので、これを読むとなるほどと思うが、この主人公が規制のキャラクターという概念から抜けているのも、かく言う作者が読者たちに向けて投じた一石のおかげなのかもしれない。 ちなみに本書の主人公は基本的には、唯腕村(いわんむら)である。大正時代にユートピアとして作り上げられた共同体としての開拓村である。そしてそこに住む個性の強い村人たちである。桐野作品の凄さはこれら村人の個性をしっかりと描き分けて造形してしまうところである。『東京島』という奇妙な場所をクリエイトした作品との共通項でもある。 そして不思議なことに、こんな内容の作品なのに、読んで面白い。リーダビリティが抜群なのである。これと言ったストーリーがない代わりに、大作ゆえに、時代のうねりのようなものが二世代三世代の村の歴史に生じていて、そこを出入りするキャラクターたちのバリエーションも桐野作品らしく個性豊かで興味深い。いわゆる「何が起こるかわからない」実験現場のような作品でもあるのだ。 さらに言えばタイトルの『ポリティコン』という言葉は作中に一度も登場しない。このあたりのアンチ・サービス精神も、作品を説明しないという桐野力学の一部なのだろう。ポリティコンとは、政治的動物のことであるらしい。本書は共同体の構築と運営を描く小さな建国神話であるようだ。読後感としては、村の規模が小さすぎるため、建国という言葉とは僕の中では全く結びつかない作品であったように思うが、ともかく。 タイトルもストーリーも含めてかように謎に満ちた作品なのだが、何となく面白く読まされてしまう。それぞれの人間の個性も、彼らの間に働く物語性と、対抗する力学のようなものも、ギリシャ喜劇でも観ているかのようで何となく親和性を覚えつつ、キャラクターの一部は愛すべきで、一部は苦手と感じてしまう。まるで読者の生きる現実世界の鏡面のような物語世界を、不思議がるのも、面白がるのも、投げ出すのも自由、といわんばかりの謎めいていて、人を食ったような大作。 桐野作品の中では異常に長い小説である。著者が五年の歳月を費やして書いた作品だと言う。人間の多様さ、罪深さ、たくましさ、愛と性、貧富、生きる方途、その他、すべてを凝縮して描き切る桐野夏生という極めて個性的な作家の、記念碑的作品であることは間違いない。 それにしても主人公の人間性の悪さが鼻について仕方がなかった。第二部が、不幸な女性マヤの側面から描かれるようになって、だいぶ心が安らいだ。彼女が如何に不幸であれ、その逞しさは伝わってくるせいかもしれない。しかし、全体を通して、東一への憎悪をエネルギーに変えて読めてしまう不思議作品であるのかもしれない。奇妙だ。こんな作品はどこにもない。 | ||||
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ぼくにとっては不可思議な作家というジャンルでトップ3に入るのが、桐野夏生である。読んでみないと面白いのかつまらないのか、わからない。最初は探偵・村野ミロのシリーズでエンタメ界に登場したものの、徐々にシリーズ外作品での独自性を見せ始める。その切り替えスイッチとなったのは、まぎれもなく『OUT』だったと思う。 かつてのぼくの桐野評。『ぼくがリスペクトしたいと思うクリエイターは、どちらかと言えば、馴れ、という領域を逸脱しようと、常にチャレンジする精神を維持し続けている部類の作家である。』 もう一つ。『通り一遍の評価を受けることで満足することなく、次から次へと異色の作品を出し続け、いい意味で読者の予想を裏切り続ける女流作家としては、トップ・ランナーである。』 そう、本作『ポリティコン』は、実験小説のようにも見える。一つの原始共産主義的な<村社会>を東北の一山村に作り上げた一族の血を継いで、現代の若き村長が時代に沿った変革を施してゆく、というと聴こえは良いが、この新村長となる主人公の東一(といち)は、ページを繰るにつれ、軽薄で身勝手で、獣欲に身を任せるエゴイストで、様々な意味での愚かさを全身に纏った出来の悪い男であることが明確になってゆく。それでいて妙な自信を備えていて、性格も弱いくせにプライドは強い。客観性がなく、村民たちへの思いやりも薄いし、怒りっぽい。理想を抱えているのかどうかわからないが、自分の中では何となく整理できているらしいし、これといった信念がないせいか、ある程度の危機を平気で乗り越えてしまいそうなタフさと不思議なまでの強運は備えている。それにしても読んでいて、ああやだ、こんな男は嫌だ、と嫌悪感を感じてしまう類いのキャラクターであることは間違いない。 「私は白黒つけがたい、善悪がわからない、そんな薄気味悪い中間地点にいるような人が、好きなんですね。最近、善悪だけでなく、物事をわかりやすくしようという傾向が文学でも強いと思いますが、私はそれに乗りたくないんです。人はそんなに簡単に分けることができないし、差異は常にある」 というのが、作者の言葉なので、これを読むとなるほどと思うが、この主人公が規制のキャラクターという概念から抜けているのも、かく言う作者が読者たちに向けて投じた一石のおかげなのかもしれない。 ちなみに本書の主人公は基本的には、唯腕村(いわんむら)である。大正時代にユートピアとして作り上げられた共同体としての開拓村である。そしてそこに住む個性の強い村人たちである。桐野作品の凄さはこれら村人の個性をしっかりと描き分けて造形してしまうところである。『東京島』という奇妙な場所をクリエイトした作品との共通項でもある。 そして不思議なことに、こんな内容の作品なのに、読んで面白い。リーダビリティが抜群なのである。これと言ったストーリーがない代わりに、大作ゆえに、時代のうねりのようなものが二世代三世代の村の歴史に生じていて、そこを出入りするキャラクターたちのバリエーションも桐野作品らしく個性豊かで興味深い。いわゆる「何が起こるかわからない」実験現場のような作品でもあるのだ。 さらに言えばタイトルの『ポリティコン』という言葉は作中に一度も登場しない。このあたりのアンチ・サービス精神も、作品を説明しないという桐野力学の一部なのだろう。ポリティコンとは、政治的動物のことであるらしい。本書は共同体の構築と運営を描く小さな建国神話であるようだ。読後感としては、村の規模が小さすぎるため、建国という言葉とは僕の中では全く結びつかない作品であったように思うが、ともかく。 タイトルもストーリーも含めてかように謎に満ちた作品なのだが、何となく面白く読まされてしまう。それぞれの人間の個性も、彼らの間に働く物語性と、対抗する力学のようなものも、ギリシャ喜劇でも観ているかのようで何となく親和性を覚えつつ、キャラクターの一部は愛すべきで、一部は苦手と感じてしまう。まるで読者の生きる現実世界の鏡面のような物語世界を、不思議がるのも、面白がるのも、投げ出すのも自由、といわんばかりの謎めいていて、人を食ったような大作。 桐野作品の中では異常に長い小説である。著者が五年の歳月を費やして書いた作品だと言う。人間の多様さ、罪深さ、たくましさ、愛と性、貧富、生きる方途、その他、すべてを凝縮して描き切る桐野夏生という極めて個性的な作家の、記念碑的作品であることは間違いない。 それにしても主人公の人間性の悪さが鼻について仕方がなかった。第二部が、不幸な女性マヤの側面から描かれるようになって、だいぶ心が安らいだ。彼女が如何に不幸であれ、その逞しさは伝わってくるせいかもしれない。しかし、全体を通して、東一への憎悪をエネルギーに変えて読めてしまう不思議作品であるのかもしれない。奇妙だ。こんな作品はどこにもない。 | ||||
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約10年ぶりの再読。 一度しか読んでいなかったが、読後「高浪東一」という名前は心に残る程の欲の塊を見せつけられる本書。 著者の他の作品で、すぐに名前を思い出せるというと、ユリコと雅子と佐竹くらいだろうか。 美しくも、心は孤独そのものでどこにも辿り着けないマヤと、独裁者よろしく放埒な東一の物語のようにも見えるが、ただただ東一のダダ漏れな私利私欲を書き切ったように見ています。 そこに付いてくる様々な社会的な問題がこの作品を面白くしています。 ちょっと詰め込みすぎで、厚みは増しましたが、それはそれで読了した時の満足感もあります。 ここのところ、3冊まとめて桐野夏生さんを再読していますが、やはり人間の欲と、人の心の奥に見え隠れする悪意を書かせたらこの方の右に出る人は現代の存命作家さんには居ないのではないかと。 そこが本当に好きですね。 | ||||
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桐野夏生さんの本です。 視点人物は、最初は真矢ですが、やがてすぐに高浪東一に切りかわります。 高浪東一は、山形県の過疎の唯腕村に住む若者。 唯腕村は白樺派の羅我誠と高浪素峰によって解放されたコミュニティ。 村人たちは、互いに助け合い、生活することを理想とするが、 当初の理念は忘れ去られ、現在では、過疎化がすすみ、ジリ貧。 東一はなんとか村を立て直そうと孤軍奮闘。 そこに、外国人のスオンや、真矢、北田が流れてくる。 真矢の圧倒的な美しさに魅入られる東一。 しかし、村で孤立していく東一は、やがて東京へ。 東京で自分の母と出会ったりしつつ、なんとか生活する。 ところが、父が死んだ知らせが届き、唯腕村に帰る。 そこで、唯腕村を立て直そうと決意するものの、怪しげな男に借金をする…。 とりあえず、現在の日本の縮図というか、今後おこってくるはずの問題を、唯腕村が先取りしている、という感じの話でした。 口うるさい老人たちが生きていて、若者は苦労するという図式ですね。 東一の真矢に対する欲望や、金に苦しむ様がよく描かれています。 また、ヤマギシズムっぽい「理想郷」って、実情はこういうもんだよね、という現実が描かれているように感じました。 | ||||
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下巻は、唯腕村の経営で「若き農業カリスマ」になった東一の話が前半で、後半は、真矢視点で話がすすんでいきます。 前半部は、東一がかなりやばい商売をしつつ、しかし一方では「農業カリスマ」として東京のマスコミにとりあげられていく話です。 真矢への思いは強く、真矢の大学進学の資金を出す約束をしてしまいます。かわりに、おセクスをさせてもらうということに。 しかし、真矢は「ヤル気」がないのね。ここは笑えました。 ところが、借金がかさみ、やがて真矢を「売る」ことに…。 ここいらへんで、真矢視点に切りかわります。 真矢は東一に売られ、水商売をしながら生活をしている。 やがて都会に出る。 都会で生活していると、父親がわりだった北田が、唯腕村で死んだことを知る。 ふたたび、唯腕村で東一と出会うことに。 東一はホアと結婚し、子どもを儲けて、唯腕村の経営を精力的にすすめている。 しかし、その「経営」は独善的で、古くからの村人は反発している。 はたして、東一と真矢の運命は? 「理想郷」って、やっぱり、難しいんだよね、という話ですよね。 また、日本の貧しさというか、経済的な行き詰まりってのが、めぐりめぐって、地方の寒村にももろ影響しているよね、ということが示されていたように思います。 また、「人材」という意味で、外国人たちも、そういうコミュニティに積極的に関与させないとたちゆかなくなるんだろうなぁ。 そういう意味では、唯腕村は日本の縮図ですね。 いろいろな不正をしていて、それを表にはせずにおこなう、という、日本的な欺瞞がよく描かれているように思いました。 いろいろと示唆させてくれる小説で、おもしろく、一気に読みました。 | ||||
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「新しき村」とか「ヤマギシ会」のような 私有財産をみとめない理想郷 でも、権力者は・・・言ってることとやってることが 全く違う。 「村」の住民は年をとるばかりで 数すくない若者に希望はない。 今の日本社会の縮図のような「村」 面白く読みました。 | ||||
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多分多くの桐野夏生の作品を読んできた人は同じなのでは?特に女性は。 | ||||
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他の人と同じ感想。桐野さん、どうしたの。そりゃ毎度毎度これは共感できるて訳にはいかないと思う。 でも今回の違和感は凄かった。 女性には受け入れられない。 女性を支配したい男性には読んでて面白いんじゃないですか? はっきりいって、不快でした。 | ||||
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ユートピア:唯腕村 村人たちはお互いを全く信用しておらず、彼らの人間関係を描いている。 | ||||
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結局社会主義国家が理想に終わるのは、そこに人間が関わるためだということを再認識しました。 私有財産を持たず相互に助け合う理想郷としてつくられた唯腕村でしたが、崩壊の発端は、単なる私利私欲で、それは人間の本能でもあると思いますので、現実的には成り立たない様が描かれています。 全共闘時代の生き残りであっても、結局は私利に走る現実から見れば、福祉国家の限界はすでに分かり切っています。 東一が新たな唯腕村をつくるとすれば、それは単なる王国であり封建主義への回帰ということなのでしょうが、それが現代において成り立つならば一種の宗教でしかありえないなどと考えながら読了しました。 本書は脱北ビジネスや農業、人心掌握、世代間格差などいくつかのテーマを含んだ小説です。 後半、東一とマヤの視点が絶妙のタイミングで移り、面白く一気読みできました。 | ||||
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結局社会主義国家が理想に終わるのは、そこに人間が関わるためだということを再認識しました。 私有財産を持たず相互に助け合う理想郷としてつくられた唯腕村でしたが、崩壊の発端は、単なる私利私欲で、それは人間の本能でもあると思いますので、現実的には成り立たない様が描かれています。 全共闘時代の生き残りであっても、結局は私利に走る現実から見れば、福祉国家の限界はすでに分かり切っています。 東一が新たな唯腕村をつくるとすれば、それは単なる王国であり封建主義への回帰ということなのでしょうが、それが現代において成り立つならば一種の宗教でしかありえないなどと考えながら読了しました。 本書は脱北ビジネスや農業、人心掌握、世代間格差などいくつかのテーマを含んだ小説です。 後半、東一とマヤの視点が絶妙のタイミングで移り、面白く一気読みできました。 | ||||
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みたいな感じだろうか? 閉鎖空間=東京島 とんでもない女子高生=グロテスク 既視感がある。 とは言え、一気読みしてしまった。 | ||||
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ちょっと後半ダレてくるかな? 多分筆者も悩んだんじゃないか、なんてことを考えてしまった。 | ||||
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主人公東一は時代遅れで身勝手なひどい男。無骨で生命力あふれすぎる東一。 そして東一が惚れ込んだ美少女マヤは、不幸な環境から逃げ込んだ先で、だまされてヤクザに売られてしまいます。 夢中で読むことができた理由には次のようなことがあると思います。 *作者の東一に対する愛情があちこちで感じられたこと *不器用な東一と、彼と犬猿の仲である山路夫妻の対比がはっきりしていた。「人間くさい東一」対「プチブルジョアで正論を滔々と述べる山路夫妻」 *汚い世界に放り込まれても、汚い言葉を使っても、どこまでも清らかさが感じられるマヤ *清らかなマヤと他の村の女たちとの対比 最後のシーンは美を極めた形で終わりました。 | ||||
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初めての桐野作品がポリティコンだったのですが、なかなかページが進まず上下巻読み終わるのに時間がかかってしまいました。 東一が本能のままに行動している姿は、時に面白くもあり、同情出来る事もありました。裸の王様になっている東一を自分に置き換えてしまっている瞬間があり、嫌われたくない。一人になりたくない。と、感情移入してしまう程のめり込んでしまう展開があり、読み終わる時にはどっと疲れてしまいました。 読み返す事は無いと思いますが、印象深い作品でした。 | ||||
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皆が互いを愛し、助け合い、私欲を捨て、ともに生きる「理想郷」。崇高な理念のもとに作られた「夢の国」は、どのように機能不全に陥り、あるいはどのように理想とは似ても似つかないものに変質するのか。桐野氏はこのことに深い関心を寄せ、綿密な取材をもとに作品を生み出している。人間の汚くて醜い部分を容赦なく描き出し、どんな理念も理想も信じていない、信じてたまるかと挑戦的な眼差しを向ける筆者は、それでも絶望はしていない。桐野氏には、もし唯一希望を見出しうるものがあるとしたら、それは極めて個人的で私的な愛だけだ、という想いがあるのではないだろうか。 | ||||
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図書館で上巻を借りて、我慢出来ずに下巻は購入しました。桐野作品って感じでしたね。 しかし、先生は何故、不器用に世間の端っこで 生きている人間を書くのが上手いんでしょうか。 今回も、たっぷり、感情移入させていただきました。 | ||||
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桐野夏生さんの作品はとても大好きで欠かさず読んでいますが、これは全くダメでした。ページをめくる手が捗らず、読み進めるのが苦痛でした。 アイムソーリーママ、リアルワールド、残虐記、東京島、不思議と世間の評価は高いのに自分の中で「駄作」だと位置づけてしまう作品。その中にまた一作加わった、そんな印象です。 まず、読み進めても頭の中に物語の風景が全く浮かんでこない。リアリティがない。 どの登場人物にも感情移入が出来ない。 桐野さんは一般的に起承転結の「結」がうまくないと言われますが、残念ながら今作もその印象が拭えない。 さぁもう一度、という気になれない作品でした。 自作に期待します。 | ||||
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40代、男性。 主人公の東一の根本にある「他人に認めてもらいたい」とか「気になる異性によく思われたい」とか「成功したい」という欲は、多くの男性が抱いている思いではないだろうか。しかし、それを他人や異性に見せることは大人としては恥ずかしいことであり、思いの多くは心に留めておく。時折、そんな強欲が言動になって出てしまうことがあり、ひやっとすることもあるのだが・・・。主人公の東一は、それを我慢できず、日常的にさらけ出す。 読んでいて何度も恥ずかしくなった。恥ずかしさの連続。しかし、その恥ずかしさは、自分と重なる部分があるからだ。東一を通して、自分にもある「甘え」を見た。そして、たやすく甘えをさらけ出す東一に、爽快感さえ覚えた。 東一に共感することに賛否はあろうが、共感に至った一番の要因は、筆者の描写力にある。登場人物の表情や感情がまるで映画を見ているように映像化でき、各エピソードも登場人物を肉付けするためにどれも不可欠であったと思う。読み進めるごとに、東一の行く末を早く知りたくなり、ページをめくるスピードが加速した。登場人物の魅力は「メタボラ」に匹敵すると思った。女性は東一に腹が立つでしょうね・・・。 社会生活の中で我慢している中年男性が、空想の中で自我を解放するにはうってつけのエンターテイメント小説であると思う。 | ||||
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ダメ人間の、ダメ生活を描いており、なんの得るものもなく、途中で読むのをやめました。 この作者の他の作品は好きなんですが・・・・。 あまりにも得るものがなくて、買って損しました。 | ||||
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