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(アンソロジー)

ミニ・ミステリ傑作選



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ミニ・ミステリ傑作選 (創元推理文庫 104-24)

ミニ・ミステリ傑作選の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

ショートショートならぬミニ・ミステリ

短い物は4ページから、長くても10ページで構成されるショートショートならぬ、クイーンの命名によるミニ・ミステリを集めたアンソロジー。

冒頭は「最初のミステリ」と題してニュートン・ニューカークの「探偵業の起源」。これは今では有名となったアダムとイヴの物語を探偵物語に擬えた物。

次は「ミニ犯罪小説」として25編が収録されている。

完全犯罪を企てた男がある幸運から犯罪が瓦解するというサミュエル・ホプキンズ・アダムズの「百万に一つの偶然」を筆頭に、自殺した男をわざわざ自分が殺したと申し出る男の犯した犯罪を描くスティーヴ・アレンの「ハリウッド式殺人法」、毒蛇で浮気相手の男を殺そうとしたが、蛇に噛まれても死なないその男から明かされた意外な事実。だがしかし…というひねりを加えたロバート・ブロックの「生きている腕輪」。

小人がもう一人の小人を殺した理由は実に小人らしい理由だったというのが「検死審問」に、亡き兄の許に謂れのない本の請求書が送られてきたという紳士とひと悶着する「牧師の汚名」、過激な演説で知られる下院議員の阻止すべく、取ったある行動とは?ツイストの効いた作品はロード・ダンセイニの「演説」、アントニー・ギルバートの「わたしの目の黒いうちは」は娘を支配的に扱う母親が結婚の許しをしつこく請う娘に対してした仕打ちが意外なことになる。

最近になって再評価の気運高まっているジェラルド・カーシュの「詐欺師カルメシン」はいかにしてコイン式ガスメーターをただで使用したかを滔々とカルメシンが語る話。昔はコインを投入することで一定のガスが得られ、それを集金にガス会社の人間が来ていたらしい。カルメシンは氷で作ったコインを投入してガスを無料で使用したばかりか、その欠点をガス会社に指摘して1万フランせしめたという話だ。

ネタで云えば長編を一つ書き上げることが出来そうなのがラドヤード・キップリングの「パンベ・セラングの限界」。皆の前で侮辱を受けたマレイ人のパンベがその相手に報復を与えようと執念深くその男を捜し求める話だ。

ジャック・ロンドンの「豹男の話」はライオンの大きく開けた口に頭を入れる曲芸の時になぜライオンがその男の頭を噛みついてしまったのかというお話。
哀しいかな、これは天下の悪書、藤原宰太郎の推理クイズの本で出題されていたトリックで読んでいる最中にどんな話か解ってしまった。ちなみに豹男とは豹のような男といったフリークではなく、豹使いのこと。

フィリップ・マクドナルドの「信用第一」は一介の青年がイギリスの上流階級の娘といかにして結婚するに至ったという立身出世の話だが、父親の信頼を得るための資金を競馬で稼ぐという物。
本書において主人公の青年が他人から金を預かってそれを競馬に賭けて何倍にして返すという賭け屋である娘の父親を利用して資金を獲得する方法が機知に富んでいる。最後に明かされるトリックは恐らく当時流行った方法ではないだろうか?

庭で遊んでいた女の子が2人の肌の黒い大女と一緒に連れられてそれまで自分が出遭ったことのない人々や初めて見る海に興奮するという『不思議の国のアリス』風に展開するが、全てを題名で台無しにしているのがキャサリーン・マンスフィールドの「パール・バトンはいかにして誘拐されたか」だ。
つまりは誘拐されたことを気付かない女の子と彼女を取り巻く人々を一切登場人物の内面を描くことなく書いたところは素晴らしいのに、なぜこの題名をつけたのか、作者の真意を図りかねる。しかし誘拐犯とされている人物たちの少女への接し方は非常に好意的で物語は非常に牧歌的である。
ここで考えられるのは、実はただ見かけた少女に海を見せてあげたかっただけなのが、誘拐と誤解されたのか?それとも牧歌的な風景の背景に誘拐と云う犯罪が隠されていたという後に解る恐ろしさを演出したのか?
しかし後者であれば返す返すも題名が全てを台無しにしている。

フェレンツ・モルナールの「最善の策」は匿名の手紙によってある銀行の支店にいる出納係が公金横領を働いていると知らされ、調査に入るが全く問題は見つからなかった、にもかかわらず再度横領の密告文書が届いて…という作品。実にストレートな作品。

オグデン・ナッシュの「殺すか殺されるか」は世に評判の弁護士ブランダー・ギリスが『読心術入門』なる書物を読んで読心術を会得し、そのために誰が自分を殺したがっているかを知ってしまうというお話。そして自分が殺されるよりもいっそ殺してしまった方がいいと考えるが…と唐突なエンディングで呆気にとられてしまった。
恐らくは殺人相手が一歩先に甘んじたということなのだろうか。

奇妙な味の作品もあり、ロバート・ネイサンの「スタジアムに死す」がそれだ。物語は世界一の俳優と称された男が自分の死をスタジアムで公開するということで観客が集まるが、そこでは観客さえも奇妙な状態に陥るというもの。集団が成せる狂気をテーマにした物語か。

誰もが自分をモデルにしたと憤る作品を書いたというのがエルマー・ライスの「良心」だ。
その話とは年老いた父親から搾れるだけ財産の搾り取って家から追い出した2人の娘のお話なのだが、どうやらこれはシェークスピアの『リア王』の骨子らしい。つまりこれは原典を読まないと完全に理解できないのだが、それでも本書で伝えたかったこととはもはや物語は出尽くして新作という物は昔の作家の作品を焼き直した物しか存在しないということなのかもしれない。

いわゆる介護疲れをテーマにしたのがディラン・トーマスの「真実の物語」だ。長年の介護からの解放と老婆の財産を狙っての犯行。しかも毎日訪れる作男を色香で取り込んで…とジェームズ・M・ケインの『郵便配達夫は二度ベルを鳴らす』を髣髴するような話だ。

世間では知られていない業界の常識や作法というものがあるが、アレグザンダー・ウールコットの「Rien Ne Va Plus」はカジノのある風習が物語の鍵となっている。
カジノで大負けした青年が自ら心臓を撃って死んだ。カジノでは文無しの自殺体にある程度のお金を握らせ、厭世感(作中では世界苦と表現されている)から自殺したように見せかけるようだ(今はどうか知らないが)。しかし警察が駆けつけた時には青年の死体は忽然と消えていたという話。
真相は実は当の青年はただトマトジュースをこぼしてシャツを汚しただけであり、思わぬ収入で再度カジノに戻ったところ、今度は大勝してしまう。ちなみに題名の意味は「賭けは締め切りました」。

次は「ミニ・ミステリ」というテーマで7編が収録されている。現代ならミステリは推理小説、サスペンス、冒険小説などいわゆる犯罪や謎を扱った作品を統括する言葉となっているが、本書では本来の意味である超常現象、超自然現象と云った人智を超えた事象を扱った作品が集められている。

まずはゾーナ・ゲイルの「婚礼の池」。町一番の金持で成功した男はなぜ法廷で自分が妻を殺害したことを告白したのか?
事業は上手く行き、将来の不安もない安定した生活が約束された男の心に刺す一瞬の魔。安定しているがゆえに今後数十年間同じ生活を続けなければならないという先の見えた人生に逆に不安を覚える男が描く妻殺害の妄想。人の心の複雑さが本書のテーマか。

ヴィクター・カニングの「壁の中へ」は星新一氏のショートショートを髣髴させる不条理物。
知らなくてもいい事実、真実と云うのがあるが、本書の、ロンドンの住民には幽霊も交じっているという事実が判明した時に訪れる突然の変化。
なかなか面白い1編。

作中に作者が登場する不思議な一編、アンナ・カサリン・グリーンの「青ペンキの謎」は留守中に部屋の塗装を任された職人が部下に命じて依頼人の家へ行かせたところ、番地を間違えて違う家の塗装をしてしまったという話。そして間違った家の家主は近所でも評判の悪い意地の悪い住民で、忠告通りに放っておいたら、どうなったでしょうという話。

オリヴァー・ラ・ファージの「幽霊屋敷」は難破したボートに乗っていた男が流れ着いた先は「幽霊屋敷」の異名で名高いヘイル家の屋敷だった。ボートはすっかり壊れてしまって屋敷に泊めてもらうしかないので家主の夫人と話をすると、一瞬だが彼女の声が聞き取れなくなってくる。そこで彼が気付いたのは…と云うお話。

淡々としながらも一種忘れない話がアーサー・ミラーの「ある老人の死」。
ダイナーで夕食を摂っていた常連の警官がおもむろに話し出したのは若かりし頃に自殺未遂で逮捕した老人がついさっき死んだのだというもの。
警官はその成り行きについて話しだす。自殺未遂で逮捕した人間の罪状を自殺未遂で処理すると釈放か精神病院への送還かどちらかという選択肢があり、釈放して再犯になるとその警官のキャリアの汚点になり、減点の対象になるというのは本当なのかどうか解らないが、自分が若い頃に釈放した老人が10年後に再び会った時は自殺未遂なぞせず、当時よりも格段に貧しく孤独な生活を送りながらもひたすら生きていたことに驚愕する。
それは本当に警官との約束を守るためだったのか定かではないが、一晩のある出来事の話としてはなんとも云いようのない感慨を覚える。

とにかくどこへ向かうのか解らない話が実は見事に着地するのがクリストファー・モーリイの「ダヴ・ダルセットの明察」だ。
実は最初にさりげなく書かれている「退屈のあまりアメリカ合衆国国璽をたっぷり観察することが出来た」という一文が伏線になっているのがミソ。

このカテゴリー最後の1編はサキの「開かれた窓」。
人を待っている最中にその娘から聞かされたその家の開かれた窓に関するある悲劇。しかし夫人が戻ってくると死者が舞い戻ってきて…と一見ホラーかと思わせて、やはりサキ、実に軽妙にひっくり返す。

次は「ミニ・クラシック」というカテゴリーでいわゆる文豪たちの手によるミニ・ミステリが収められている。

その口火を切る一編はなんと作者不詳の「絶妙なる弁護」。
詐欺には詐欺を、と云わんばかりのタイトル通り絶妙な弁護。上手い!

ドン・キホーテで有名なミゲル・デ・セルヴァンテスの「サンチョ・パンサの名探偵ぶり」は借金の返済を巡って押し問答を繰り返す2人の老人を見事に裁く物語。
いわゆる「大岡裁き」のような機転の利いた仲裁かと思いきや、最後に借金の在処が解るという趣向。
しかし解らないものかね、この秘密は。音が鳴るだろうに。

ロシアの文豪チェーホフによる「子守歌」は小間使いの女がさんざんこき使われ睡眠不足に襲われる極限状態を語ったもの。
現代の社会問題となっている児童虐待、子殺しの現実とはこんなものなのだろう。
私も子を持つ親の身なので赤ん坊だった頃の夜泣きの辛さは解る。でも殺意にまではやはり至らない。愛情がそれを押し留めるからだ。しかし自分の子ならそうだが、他人の子なら…と一抹の恐怖を感じる。

イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの「手袋」は殺人事件の現場に置いてあった汚れた手袋の所有者を警察が粘り強く探し当てるが…という話。

アレクサンドル・デュマの「ナイフの男」はある部族長が巻き込まれたある詐欺を扱った話。
正直独特の文化と風習を持つ部族の話を理解するのに頭を費やしたので肝心の詐欺の話の妙味には惹かれなかった。

次はモーパッサンが2編続く。まず一つ目の「復讐」は一人息子を殺された老婆が殺人犯に復讐を誓うが、非力な老婆が採った方法とは…と云うお話。
飼い犬を手懐けて殺しの方法を特訓するのだが、その方法が面白い。人間に見立てた藁人形にソーセージのネクタイを掛け、犬を飢えさせた後、飛びつくように訓練するのだ。正直物語の核はこの特訓にあり、息子が殺害された理由や敵討ちのシーンなどは寸描に過ぎない。

モーパッサンのもう1編は「正義の費用」。
モナド公国というモナコをモデルにした地中海沿岸の小国。国民が少ないことからカジノの収益が貴重な国の財源。そんな一都市に過ぎない規模の国で起こった殺人事件。死刑執行が命ぜられるが処刑道具もない国では何をするにもお金がかかる。終身刑を命じても死ぬまで養うのに50年はかかり、脱獄させようと牢屋を開放しても囚人は居心地が良くて逃げようとしない、と実に面白い。
星新一氏のショートショートを髣髴させる1編。
2作とも面白いがやはり後者が私好み。

マーク・トウェインの「私の懐中時計」はお気に入りの時計が停まってしまったので時計屋に修理を出したが今度は時計が進みだした。その後も別の時計屋に修理を出すたびに時計は奇妙な時を刻み出して…と云う話。
『トム・ソーヤの冒険』で有名なマーク・トウェインだが、実は奇妙な作品が多いらしく、本書も懐中時計が修理するたびにおかしくなっていくのが執拗に語られる。肝心の犯罪は物語の最後の7行目で唐突に起こる殺人がそれだが、特に警察の介入無く殺した当人が葬儀費用を出して葬ったとだけなっているのが可笑しい。
しかし現代では時計屋に修理を出すたびに狂い出すというのは信じがたい笑い話のように思えるが、当時はまだそんな技術もなかっただろうから案外本当の話なのかもしれない。

これまた星新一氏の作品を髣髴させるのがヴォルテールの「犬と馬」だ。
見てはいないがどんな物かは推理すれば解ると云えば捕えられ、逆に見たが見ていないと云えばこれまた捕えられ、と困惑する哲学者の物語。
いやはやとかくこの世は住みにくい。

さて5番目のカテゴリーはやはり在ったシャーロック・ホームズ物のミニ・ミステリ。題して「ミニ・シャーロッキアーナ」。

皮切りとなるのが本書で最も長い題名のスティーヴン・リーコックによる「これ以上短縮できない探偵小説、または髪の毛一本が運命の分れ目、または、超ミニ殺人ミステリ」だ。
他殺と断定されているその事件で唯一証拠として残されたのは犯人の物と思しき1本の髪の毛。偉大なる探偵はその所有者を探し求める。
題名は最も長いが作品はたった2ページと最も短い作品。1本の髪の毛が犯人断定の手がかりとして、その持ち主を町中で探し回るという名探偵を揶揄した作品。
真相はただの作品におけるギャグ、もしくはウィットのネタの1つではないか。
このネタで作品を書くとは、いやはや。作中でははっきりとシャーロック・ホームズと書かれていないがこれもパロディなのだろう。

次の「パラドール・チェンバーの怪事件」は実にジョン・ディクスン・カーらしいファルスの効いた戯曲(?)だ。
暑い日に冬の装いをしていたがために熱射病になって倒れた外務大臣はなぜかズボンを履いていなかった。そんな中、当人の娘が大臣のズボンを持参してホームズの事務所を訪れるが、さらにフランス大使が現れ、盗まれたズボンを返してほしいとのたまうという『盲目の理髪師』を想起させるようなドタバタ劇とズボンを盗んだ動機は『帽子収集狂事件』を想起させる。
しかし本編はカーの一連の短編集、ラジオドラマ集にも収録されていない実に貴重な作品。恐らく東京創元社のことだから、他の文庫で収録済みの作品は独自で編んだ特定作家の短編集には反映しないという社のルールに則ったことなのだろう。もう少し柔軟性が欲しい物だ。

医学博士のローガン・クレンデニングによる「アダムとイヴ失踪事件」はこれまた見開き2ページの作品だ。
実に医学博士らしいウィットの効いた1編。短いのに最後の一行が非常に効果的なまさにショートショートのお手本のような作品だ。

ミニ・ホームズ・パスティーシュ最後の1編はマーガレット・ノリスの「探偵の正体」。久々に再会するホームズに胸躍らせていたワトスン。しかし現れた彼の姿は似つかわしい者だった。しかし彼らにはある秘密があった。
前世がホームズ、ワトスン、モリアーティ教授の3人(?)が一堂に会する。しかしホームズは女性に、ワトスンは犬に、そしてモリアーティはずんぐりむっくりのリンゴほっぺの青年となっている。ホームズ物も本当いろんなものがあるものだ。

さて続いては「ミニ探偵」のカテゴリー。その名の通り、有名作家のシリーズ探偵が登場するミニ・ミステリだ。
その皮切りとなるのがマージェリー・アリンガムのシリーズ探偵アルバート・キャンピオンが登場する「見えないドア」。
これは実に上手い。流石というべき切れ味の作品。これは初めから期待できる。

スパイ小説の重鎮エリック・アンブラーからも1編選出されている。彼の短編集でシリーズ探偵を務めるヤン・チサール博士物の「消えた暖房炉」はスコットランド・ヤードを訪れた博士が事故死として処理された資産家の未亡人の死について他殺説を唱えるという物。
正味9ページのショートミステリながら、実はもっと長めの短編が書ける内容であり、本作はその最後の推理の部分を切り取った物でしか過ぎない。こんなネタを惜しげもなく修飾部分を削ぎ落としてショートミステリとして提供するアンブラーの気風の良さには畏れ入る。

ローレンス・G・ブロックマンの「イニシャル入り殺人」は夜中の電話で起こされ、現場についてすぐに真相判明と云うわずか数分での解決の作品だ。
雨が降った時刻が真相解明の鍵となっているのだが、これはある意味非常に荒い作品だとも云える。数ページ埋めるための小説を頼まれて急きょ拵えたような印象だ。やっつけ仕事のように思えるが逆に云えば本書に収められなければ埋もれていた作品になっていたかもしれない。

SF小説の巨匠アーサー・C・クラークもミニ・ミステリを書いている。SF作家らしく舞台は火星。その名も「火星の犯罪」だ。火星で起きた美術品盗難事件。完璧を期した犯罪だったがそれはあることで呆気なく判明してしまう。

ジョージ・ハーモン・コックスの「ペントハウスの殺人」は共作者の仲違いで起きた殺人事件。一人の女性を巡るさもしい犯罪だ。

エドマンド・クリスピンと云えばフェン教授がシリーズ探偵として有名だが、ノンシリーズの「川べりの犯罪」が収録された。
たった6ページの中に“読者への挑戦”を思わせる幕間を挟んだ作品。幕間で云われているように注意して読めば犯人が解る作品になっている。こういうのは大好きだ。

実にフランスらしい作品なのがC・P・ドンネルJr.の「殺人のメニュー」。
なんと恋の逃避行とは。実にフランス人らしい結末だ。

アンドルー・ガーヴの「ダウンシャーの恐怖」は≪ダウンシャーの恐怖≫の異名で界隈を恐怖に陥れた連続殺人鬼の話。ただその殺人鬼の毒牙はダウンシャーを走る違反車の運転手に限られていた。
果たして殺人鬼の行為は罪だったのか正義だったのか、考えさせられるオチだ。

昨今未訳作品の訳出が進んでいるマイケル・ギルバート。その作品は評価が高く年末のランキングにも選出されているが、その彼の作品が「ティーショップの暗殺者」。
本格ミステリとしてはアンフェア。これはショートミステリとしての意外な真相を愉しむべきだろう。

本書の中で最も密度が濃いのがベン・ヘクトの「シカゴの夜」。
実に贅沢な一編。たった5ページの内容にミニ・ミステリ5編分のネタが盛り込まれている。
刑事がこんな話でいいのかなぁと語る事件が全て奇妙で十分ネタとして通用するし、しかも他の作家の作品と一つも似通った話ではないところがすごい。ベン・ヘクトはアメリカを代表する脚本家なのだが、本作だけでアイデアの宝庫のような作家だったことが十二分に解る。

アメリカの短編の名手O・ヘンリーからも1編選出されている。「二十年後」は20年後に同じ時刻同じ場所で出逢うと誓った2人の男の物語。
正直結末は読めたが、さすがはO・ヘンリー。結末には何ともほろ苦い味わいがある。

ここ数年定期的に著作が刊行されているマイケル・イネスのアプルビイ警部物にもミニ・ミステリはあった。それも「アプルビイ警部最初の事件」だ。
付け髭の男と本物の髭の男の共犯による盗難事件というアイデアは小粒ながらも面白い。ただアプルビイシリーズは未読なのでシリーズならではの妙味が解らなかったかな。

ロックリッジ夫妻の「殺人のにおい」は連続殺人鬼物。
TV番組『奇跡体験!アンビリバボー』で紹介されるエピソードのような話だ。スピーディな展開と簡潔な文章はドキュメンタリーを思わせてネタ以上に読ませる作品だ。

アーサー・ポージスの「ビーグルの鼻」はまだDNA鑑定のない時代において血痕から殺人の証拠を探る物語だが、これはその方法よりも警官がナイフに付いた血から容疑者の絞り込みを依頼する人物の正体がサプライズだ。つまりこれはカーの「パリから来た紳士」と同じ趣向なのだが、判明する人物について詳細を知らないことがこの作品のサプライズを存分に愉しめない要因か。

編者エラリイ・クイーン自身も参加。「角砂糖」はしかし『クイーン検察局』に収録され既読なのでここでは感想は割愛しよう。

昨今旧作の新訳、改訳出版が盛んになされ、再評価がされているパトリック・クェンティンは「土曜の夜の殺人」が採られている。パズルシリーズが昨年の本格ミステリ・ベスト10で3作も選出されたクェンティンだが、これは解りやすかった。ミステリの基本と云うべき作品。

巨匠の作品が続く。クレイグ・ライスはマローン物の「馬をのみこんだ男」が収録された。
これは人の妄想を利用した殺人方法かと、いわゆる人の思い込みで殺す、心を利用して殺す心理的殺人かと思ったが、最後のオチでそんな期待感が一気にひっくりかえってしまう。
確かに心で殺す方法だったが、なんとも結末がしょうもない。

マージェリー・シャープの「ロンドン夜話」はたまたま深夜のコーヒーショップに居合わせた人々が近所で起きた菓子屋の老女殺害事件について話しているうちに犯人が判明するという物語。夜に集う人種も職業も違う面々がコーヒーを傍らに事件について語り合う雰囲気が良い。
真犯人は実に唐突に判明する。単なる客同士の会話を繋ぎあわせて犯行当時アリバイのなかった者が犯人と名指しされるだけで実に根拠薄弱なミステリなのだが、ミニ・ミステリならではサプライズを重視したと肝要に捉えればそれも許せるか。作品の雰囲気のほだされ、ちょっと評価が甘くなったかな。

レックス・スタウトの「サンタのパトロール」はネロ・ウルフ物ではなく、ノンシリーズ物。
物語に唐突感があり、構成がぎくしゃくしていて物語の流れが悪く感じた。警察官のアート・ヒップルこそサンタクロースだというオチを付けたかったのだろうが今いちな出来栄えだ。

ジュリアン・シモンズの「神隠し」は衆人環視の中での殺人事件を扱っている。
匿名の犯人と匿名の被害者。衆人環視の中で消え失せた犯人の正体は意外だがこれも推理するには材料が足らないか。とはいえ実に映像的で推理漫画になっていそうな話だ。

そして最後のカテゴリーはその名も「最後のミニ・ミステリ」と冠してたった1本が収録されている。それはアントニー・バウチャーによる「決め手」だ。

東野圭吾ばりの最後に犯人が明らかにされないミステリだが、これは読者には推理できないだろう。クイーンの唱える「最後のミステリ」とは犯人が判明しないミステリと云うことだろうか?


全67編。
1日1編という縛りでじっくり読むことにした本書だが、流石にこれだけ集まれば玉石混交な印象はぬぐえない。しかしその中にも光る物はあり、個人的にはスティーヴ・アレンの「ハリウッド式殺人法」、ロバート・ブロックの「生きている腕輪」、ロード・ダンセイニの「演説」、フィリップ・マクドナルドの「信用第一」、アレグザンダー・ウールコットの「Rien Ne Va Plus」、ヴィクター・カニングの「壁の中へ」、クリストファー・モーリイの「ダヴ・ダルセットの明察」、作者不詳の「絶妙な弁護」、ギイ・ド・モーパッサンの「正義の費用」、ローガン・クレンデニングの「アダムとイヴ失踪事件」、マージェリー・アリンガムの「見えないドア」、エドマンド・クリスピンの「川べりの犯罪」、ベン・ヘクトの「シカゴの夜」、O・ヘンリーの「二十年後」が良作と感じた。

またミステリプロパーの作家たちのみならず、マーク・トウェインやモーパッサンなど純文学作家、大衆作家からの作品も網羅している。さらには医学博士の手による作品すらもある。まさにクイーンの収集範囲の広範さを思い知らされるアンソロジー。

恐らくは前者の属する作家たちは長編にするには作品を持たせるにならないちょっとしたトリックやアイデアをショートショートという形式で著したのだろう。現代のミステリ作家、特に日本の本格ミステリ作家ならばこれらは恐らく長編でもサブの謎のネタとして用いることだろう。かつては未開の謎やトリックは潤沢にあっただろうが、昨今ではまだ見ぬ斬新なトリックなどはもはや皆無に等しいからだ。だから過去の作品のトリックやロジックを手法や見せ方を変えてアレンジを加えて謎解きとして活用している。
しかしそんな小ネタを用いてきちんと物語として成立させているところに妙味がある。例えばフィリップ・マクドナルドの「信用第一」は後で送った手紙をいかに前の日の消印を得るかというあるトリックが用いられている(大きな封筒の切手を貼る部分を切り取り、その中に自分の住所を書いた小さな封筒を入れてそこに切手を貼って消印を得る)が、これをある青年の身分違いの恋の成立の物語に絡めたという妙味がある。
さらにはようやく現代で一般に知られるようになった事象や知識が60年代以前の作品で既にトリックとして用いられている斬新な作品もある。例えばサブリミナル効果がこの時代に早くも認識されていた現象とは思わなかった。

編者クイーンのまえがきにあるように本書はいつでもどこでも気軽に楽しめるミステリ集である。
しかし私はその読みやすさゆえに一気に読んで内容を忘れるよりも前に書いたように1日1編読むことで記憶に遺そうとした。さすがに全編は覚えていないが、それなりに印象に残る作品があった。
たった10ページ前後でミステリが成立するかと半信半疑だったが、なかなかどうして。立派にミステリしていた。
叙述トリック物から謎を複数も盛り込んだものまで多種多彩。ショートショートを最近読んでなかったのでまた機会があればミニ・ミステリを読みたいものだ。


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