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ジャンプの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.56pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 1~20 1/3ページ
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『ジャンプ』というタイトルの意味が何であるか、これが個人的にはこの作品を評価する上でものすごく大切な気がする。 本文のなかでジャンプという言葉が出てきたのは、横浜スタジアムで主人公が、南雲みはるの姉の夫、天笠郁夫とその息子とアメフトを観戦している時。子供がジャンプして父親とハイタッチする場面。p.262 ここのアメフトのゲーム進行、そして観客の反応と、天笠郁夫対主人公の会話がたぶん重なり合っているんだと思う。息子の反応や会話の流れ全てが。 ちょっと再読して分析する体力がないけれど、タイトルと重なる部分がここしか自分は見つけられなかった。 自分は小説を再読することがあまりないので、あるかないかで言えばかなり怪しいけれど、もし再読することがある時のためにメモを以下に。 ・「ジャンプ」の意味について考えること。 ・子供がジャンプする意味は? →子供がジャンプしたのは、味方チームのタッチダウンが成立した時。 ・彼ら親子が一緒に横浜スタジアムまで出向いて、アメフトの試合を観たのはなぜ? →息子はパソコンのゲームしか興味がなかったのに、「一度ここへ連れてきたことがきっかけになって。中学になったらアメフトをやりたいと言ってる。」 ・「一ヶ月の間に彼女に何かが起こったんだ」という主人公のセリフに対する郁夫の回答 → ・「つまり、私の言いたかったのは、その程度のことです。みはるちゃんの男関係とか、そんな大それたことじゃなくて」 何かに対する認識の差。 主人公は一カ月の間に「起こった」ことは「何か」重大なことだと考えているが、郁夫はその一カ月に起こった出来事は「たかが知れ」たことかもしれないが、その「たかが知れ」た出来事が重なり合って人生の分岐点で「何か」を選択するのに十分な時間だと捉えている。 ここは自分で書いていて面白いなと思った。 参考までにその前にあったセリフは以下 「しかし人の人生で、一カ月の間に起こる出来事なんてたかが知れてるでしょう」 「いや、そうじゃないかもしれないな。一カ月もあれば、人生には思わぬ変化が起こりうるかもしれない。ちょっとした出会いや出来事が重なって新しい展望が開ける、一カ月というのはそのくらいの時間かもしれない」 ここまで書いてわかったことだけど、自分は実はこの小説を読んでて、主人公の人格が軽くて造形がやや浅いなと思っていた。しかし、改めて考えると、周りの言動と主人公の考えのズレが絶妙に描写されている。 冒頭にも書かれている通り、主人公は「強烈なカクテルを飲んだことを『いまだに』後悔している」。 この物語を過去のものとして思い出として語りたいと言っておきながら、いまだに後悔しており、しかもそれは「強烈なカクテルを飲んだこと」。 山本文緒の解説にも書いてある通り、主人公の「鈍感さ」を非常に適切に表している一文。 もしかしたらストーリーを語るなかで、その行動自体の無神経さ(ガールフレンドは主人公にある程度心を開いて、彼女の中で大切だと思われるバーに誘った。なのに、彼氏の主人公は後先考えずに度数の強い酒を頼んでしまったこと)を後悔しているのかもしれないけれど、実際その行動ひとつではなくて、二股をしていたり、彼女のことを何にも知らない(親友のことや大学を辞めたことなど)ことなど、たくさん後悔すべき事はあると思う。もう少し彼女と二人で語り合う事もできたし、半年間という期間はそれを語り合うに十分な時間だと思われる。 その点、彼女は最初に主人公が毎朝規則的にリンゴを食べることを知っており、それを用意しようとしてくれた。人が人のことを知っている度合いで言えば、間違いなく彼女の方に旗が上がる。 運命的なストーリー展開には、作者の大風呂敷というか、大いなる意図が感じられるけど、それを上回る人物造形ができている小説だった。 サスペンスの形をとったエンタメのように見せながら、そういったことが後からじわじわと感想を書きながら理解できた作品。 話の拡げ方的にエンタメを無茶苦茶期待して読んでいたので、ラストシーンが結構あっけなく終わった印象あったんだけど、全然そんなことはなかった。良い小説だ。 あと巻末の編集者のエッセイがめちゃくちゃ面白い。文才の塊。オチは盛大に笑った。 | ||||
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佐藤正午氏の小説はどれを読んでもハズレということがない。「永遠の1/2」から始まって、立て続けに佐藤氏の本を読んで、この「ジャンプ」で6冊目(「鳩の撃退法」は上下2巻なので7冊目というべきか・・・)。 「ジャンプ」は佐藤氏の小説にしては時間の流れが一本道なので、わかりやすく、かつ登場人物も比較的少ないので、読みやすい。しかしこの小説は複数の物語が重層的に絡み合っている。具体的には その1は、失踪した「南雲みはる」はどこにいるんだという探索物語。 その2は、別れと再会の物語。 その3は、もしあのとき、という「Y」の別バーション物語。 その4は、ふとで出会い付き合った女性の身の上話的物語。 その5は、2人の女性と1人の男の三角関係物語。 その他に、様々な視点で読むことができる。 自分としては、1回目は別れと再会の物語として読んで、再会の場面で読書のクライマックスを迎えたが、「ジャンプ」とついたタイトルから考えて作者は、ジャンプしたヒロインとジャンプしなかった主人公の2人の差を描こうとしたと、読み取った。 この本も、再読が楽しみだ。 | ||||
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<ネタバレ注意> この物語には致命的な欠点があると思います。 それは、失踪した恋人(=南雲みはるさん)が携帯電話を持っており、しかも主人公の男性(三谷氏)はその携帯電話番号を知っているということです。 著者は「彼女(=南雲みはるさん)の携帯電話の充電器は自宅にあり、彼女の携帯電話の電池は切れているので、絶対に充電できない」と記述していますが、今もそうですが、当時も携帯の全機種充電器は共通でF社、SO社、SH社、P社、N社、等など全部共通で充電できたということです。 つまり、例えば南雲みはるさんは途中で立ち寄ったことがわかっている女性友人宅等で充電器を借りて充電できるということです。(当時というのはこの物語が書き始められたであろう1998年か1999年ごろのことです。) (そもそも、1年も5年も携帯を充電しないので)連絡が取れないという展開に無理があります。 また、最後に主人公の三谷氏と南雲みはるさんがばったり駅であったとき、彼女(南雲みはるさん)は決して、主人公の三谷氏を避けるなどの行動をとることはありせんでした。むしろ、何があったか、詳しく親しげに話しています。 つまり、もし、主人公の男性が南雲みはるさんの携帯電話に電話しても、南雲みはるさんは電話に出ないということはなかったでしょう。 もちろん電話に出てくれないなら、南雲みはるさんの行きつけのバーである「あさひ」の電話からかけるという選択肢もありました。 それなのに著者は、携帯電話は電池が切れた設定をまったく改善せず、なんと1年後には、主人公が南雲みはるさんと話したいから東京から沖縄まで行って、しかもすれ違いで会えないという設定までしています。 こんなの、南雲みはるさんに携帯に電話をかければ一発です。東京から携帯に電話してもいいし、沖縄のホテルから彼女の携帯に電話してもいい話です。 私は、こういう、さすがに無理がある物語は「軽蔑」します。 「競輪が当たりまくる物語」等はSF的でまだ受け入れられますが、 南雲さんの携帯にまったく電話しないような無理がある物語は「軽蔑」するということです。 (最後まで読んだ理由は、最後は、携帯電話が解決のKeyになるんだろうな。さすがに、著者も携帯電話の存在は無視しないだろうなと期待していたからです。しかし最後まで携帯電話のことは触れずに物語はおわってしまいました。) | ||||
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佐藤正午さんがゲイナーという男性誌で連載してた頃から好きな小説。 次はどうなるんだろう?と毎月楽しみにしていた。 ちょっとあり得ないけどどこかリアルな佐藤正午マジックの逸品作。 人と人、人と時間の流れ、男女の移ろいなど「良くできてるなー」という作品。 低評価で「なぜジャンプという題名?」との意見が散見されるけどこれは物理的なジャンプでなく心理的なジャンプを表してるのに何できづかないかな。 清水の舞台からの心境で疾走した南雲。 それができなかった潤之輔。 非常によくできた表題だと思うけど心理描写を追えない読者は何を考えて本を読むのか。そっちの方が理解できません。 今でも読み返す素晴らしい作品だと思う。 | ||||
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なんじゃ、こりゃ。これがどうしてミステリーの年間ベストテン入りするのよ! 敢えてジャンルに分ければ、青春小説ってなことになりそうな、やわやわなお話なのに。 主人公の彼女の失踪が唯一の謎なのだけれど、そんなのどうでもいいわい、ってな感じ。ダレます、かなり。 最初に出てくる彼女の姉ってのが不愉快極まりないのだけれど、どうして出てきたり引っ込んだりするの? 何の意味があるの? 「自分で道を切り開いたと思っても、実はそうじゃなかった」と気づくこと、なんてのが言いたいのなら、何もこんな回りくどい話にしなくても・・。時間の無駄。 | ||||
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200ページくらいにまとめて貰いたかったかな。お話の構造は好きなんだけど作者がテーマである「偶然(にみえて必然)のすれ違い」を拡大しすぎているように感じた。それ自体はそこまで面白いものではないというのが私の意見。同じような理由でウディ・アレンの映画嫌いなんだよなと思い出した。リンゴという小道具にしても、あんな後半まで引っ張る必要があったのかなと。 あと主人公三谷が失踪後のみはるにこだわり続けている理由が弱い。結局一回寝ただけの彼女、なのに彼の中では「芯を失った林檎のように」自信を喪失した。にも関わらず失踪1週間後に早苗と新宿で会ってる。そんなこともあるんだろうけど、なんか三谷が好きになれないんだよな。早苗と会うにしてもいつもの会い方という設定で良かったのか? それだけ傷つく相手と一回しか寝てないってあたりのトロくささとか。男関係疑ってるんならもっとはっきりそう書いて欲しい気もするし。 ここまで書いてみて自分の好みはやはり劇的なもの、日常から逸脱していく主人公が見たいっていうことなんだろうなと感じた。 気になりつつも探せなくて中途半端になっていくっていうのはリアルなんだろうけどドラマに乏しい。 ところでみはるの失踪の理由について、半分くらいまで自分は「三谷という優柔不断な男に物足りなさを感じていて偶然再会した未亡人に自分と三谷の将来を重ねて(夫の死に傷つききれないような中途半端な関係)、敢えてヒントを残して失踪することで三谷が探しに来るのか確かめたい、もしくは自分と三谷の関係を運命づけようとしたのでは?」とミスリードしてしまっていた。ミスリードしといてだが、こっちのラインのプロットの方が好みである。 | ||||
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すぐれた恋愛小説はすぐれた推理小説ではなかろうか。 殺人の謎よりも秋空の方がよっぽど謎めいている。 個人的な過去や現在とも重なるところがあり面白く、一気に読んだ。 本筋とは関係ないのかもしれないが個人的に引っかかった謎の一つが、 ヒロインではない女性がいつも最初の十分間だけよそよそしいってところ。 面白くってどんどん読み進められるのだが、終わりが近づくにつれ、ぼんやりした不安が…。 謎解きや数々の伏線らしきものが未回収のままになるのでは…?と。 だが、それは杞憂だった。ホッ。 この物語にはベクトルが対象的な二人の女性の強い意志が描かれる。 対して「僕」はどうだろう? 僕には三人ともデンマークの芥川がいう「自由のめまい」を味わっているように思えた。 東洋のキルケゴールが「人生は一箱のマッチにクリソツ」といっていたが、 生も性もバカバカしくて危ういものなのかもしれない。。 | ||||
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突然失踪した恋人を探しつづけ、でも見つからず、あのときああしていれば…と過去に思いを巡らせるお話。 最後にその真相がわかりますが、ずっと知りたかった真実なのに、今が幸せならなお、過去に拘らず知らない方が幸せだったのでは? という少し後味の悪い物語だったように思いました。 そういう意味では「Y」に似ています。 | ||||
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初めて佐藤正午さんの作品を読みました。すごい作家さんを見つけてしまったと思いました。 震えるほど感動しました。 20代の恋人どうしの二人。ある夜、彼女がコンビニに行ってくると出て行ったきり、戻らなかった。何日も、何週間も。 主人公の男は、いなくなった恋人を足取りを追うが、彼女の居所がつかめないまま時がたっていく・・・。 「失踪者を探す」という展開を見てみれば、本書のジャンルはミステリーです。もちろん最後までミステリーだと言えるでしょう。 しかし、読み進めていくうちに、さらに最後まで読んだときに、この作品が純文学性を持った恋愛小説であったことに気付きます。 ストーリーは淡々としていて、あまり派手さはありませんが、確実に読者を引き込む力があります。 この作品に対して、徹底したミステリーを求める読者は、落胆するかもしれません。その謎のなかにある、作者が伝えたかったことに共感できる人は、この作品の真価が分かるでしょう。 あとがきでは、主人公の男に共感するか、もしくは怒りを感じるか、または失踪した彼女に共感するか。これが読む人によって分かれ、感想も変わるようなことが書かれていますが、私は、この物語のすべてに共感しました。 「あのとき、ああしていれば」 「あのとき、あんなことをしなければ」 「今の現実は違うものだっただろう」 若いときの自分を思い返せば、そんなことがたくさんあったように思います。忘れられない人がいたり、後悔したり、それでも前を向いて別の選択をして今がある。でも、ふと懐かしい、過去に愛した人を思いだす。恋をして、選びとり、ときには選びきれずに、人生を生きる人には最高の小説だと思います。 | ||||
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二人の関係がまだそれほど深くは進展していないとはいえ、深夜一人でコンビニに向かった女性がいくら待っても戻らないという状況下において、いくら酔っていたとはいえ朝になったら酔いは覚めており、冷静な頭で異常事態だと分かるようなものですが、自分の仕事を優先して1週間の出張に出てしまうという神経からして違和感を感じてしまい、もうひとつ主人公に感情移入できません。 もちろんその点が攻められるべきであることは主人公も自覚しており、さまざまな形でそのことを非難されるのですが。 そのような主人公の性格からして、主人公がおちいった状況は自業自得な印象を持ちます。 文章は読みやすく、それほど悪くはないのですが、この著者ならでは、という個性を文体に感じず、どこかこなれていないような、あと一歩が足らない、そんな印象を持ちます。 それでも著者の「Y」同様、何か人を惹きつけるものは感じます。 | ||||
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要するに、非現実的な展開の「失踪劇」のストーリー。 何故、表題が「ジャンプ」なのか理解に苦しむ。 現実から、非現実世界へのジャンプの意味だろうか?。 普通、女性が姿を消すのに、近所のコンビニへ「リンゴを買いに行って」失踪なんて有り得ない。 これが、旅行先での出来事とかならば、合点がいくのだけれども。 リンゴを買いに行ったコンビニで、ある出来事が起こり・・それが次の展開を呼び・・。 財布一つ持っただけの女性が、この様な非現実的な出来事の連続に巻き込まれるだろうか・・。 30ページ程度で終わる物語を、ひたすら長引かせていく感じかも。 主人公である一方の「僕」が、読み進む内にストーカーに想えてきて重苦しい。 最後に、「半年後の再会」があるけれどもとても違和感を覚える。 「半年後の再会」があるくらいなら、手紙での告白の方がまだ許せる感じ。 わざわざ、お金を支払ってまで手に入れる事はないかも。 図書館で、借りて読んだ方が良いかも。 | ||||
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とにかく面白かった。 佐藤正午さんの最高傑作だと思う。 緻密に編集されたフランス映画を見ているような感じ。 一気に読めました。お勧めの一冊です。 | ||||
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多少のしわや折れや汚れはあるものの十分きれいだったと思っています。 ありがとうございました。 | ||||
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例えるなら2,3分で済む話を2時間、だらだらだらだら聞かされて、しょうもない結末にぐったり… って感じです。 何のひねりもトリックもどんでん返しも無い話です。 身の上話が面白かったので、この本も読んでみたのですが、がっかり。 | ||||
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ミステリー作品としてとても面白いし、偶然性を多用しながら、最後には一つ必然的なオチがあって、これにはゾッとされされた。 そして、物語の一つのテーマでもある、人生の分岐点となる選択や偶然というのは考えれば考えるほど、とことん哲学的考察をなす事がのきるテーマである。 ハードボイルドな雰囲気もとても冷めていて好き。 小説の一番最後に物語の別の意味で真の主人公が出てくるこの構造はとてもすばらしいと思う。ずっと男主人公の目線で読んでいてが、最後に出てくる女主人公にまた共感し、女心っていうものに少し納得させられたところがあった。 | ||||
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男と女は半年前に知り合った。ガールフレンドから恋人へ移行する時期だった。 その夜、男は独り住まいの女のマンションに泊まるつもりで、女も了承した。食事をしたのは良かったのだが、その後、飲めない酒を呑んでしまい、女に介抱され、マンションに着いた。 男は林檎が好きで、途中コンビニで買うのを忘れた。女が買いに行くといってコンビニへ走った。そして女は帰ってこなかった――。 導入部が良いと、えてしてラストはがっかりさせられるのが多いが、本作品は文章も巧みで、ラストも決まっていた。殺人はないが、まさしくミステリーである。 | ||||
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ここまで「追う」にはもっと強い理由が裏付けされていなければならないような気がする。 「いなくなる」のにさしたる理由がないからかもしれないが、 もっとプロセスでの刺激がほしくなる。 「追う側」までもが逃避という観念に苛まれ、 ひっそりと厭世の路の端を彷徨う様子が、悲しい物語だと もっと「追わないといけない」という気にさせられる。 ちょっと残念かな。 | ||||
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その夜、主人公は奇妙名前の強烈なカクテルを飲んだ。ガールフレンドは、酩酊した主人公を自分のアパートに残したまま、「五分で戻ってくるわ」と笑顔を見せてそのまま姿を消してしまう…。人生を選択したと思い込んでしまうのは、自己の存在を正当化しようとしてしまう人間の性かもしれません。 「自分が芯のないリンゴみたいに頼りなく思えるんだ。なぜ彼女は消えたのか?肝心かなめの疑問がいつまでも頭の隅に居すわって、その答が埋まらないからだ。なぜ?という疑問には普通は考えれば答が出るんだ。だから人は考えて、一つ一つ疑問を解決することで自信を回復して生きてゆけるんだ。わかるだろ?」 | ||||
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はじめてレビューを書きます。 読み終えた感想。題名の『ジャンプ』の意味が いまいちはっきりしません。いい本というのは題名にも明確な 意味が潜んでいると思っています。 ただし、みはるの失踪の謎は途中までわからなく、わくわくさせられ ました。しかし最後の失踪の理由を明かすところは、それなりのミステリー ファンの方であれば想定できたように思えました。 おもしろいと思ったのは、解説の「彼はなぜアブジンスキー飲んでしまったのか?」 ですがミステリーファン、恋愛小説ファン、佐藤正午ファン、によってで解釈が違うのかな・・・ とも思います。 最後に登場人物すべてが似たような語り口調なのは閉口しました。 | ||||
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男目線の小説、とても面白く読みました。 この手のテーマを女の視点から描くと、 どうも重かったりドロドロしているものですが、 この、一歩離れた感じが心地よかったです。 最初はミステリーのつもりで読み始めたのですが、 途中から恋愛小説と思って読みました。 登場人物の描き分けが素晴らしく、 この主人公・三谷が実在していているかのようで、 もしかすると実際にあった話なのかも、と思ったりしました。 人生というのは、全て二つの分かれ道でできていると、 何かの本で読んだことがありますが、 まさにそれを地でいった小説でした。 切なさが残りました。 評価は様々のようですが、わたしはとても好きな一冊です。 | ||||
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