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誰彼
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誰彼の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.74pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
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互いに良く似てる3兄弟が、犯人か被害者か、不明と言うストーリー。首無し死体と言う良くある設定を、最大限に利用したミステリーだった。 名探偵な筈の倫太郎が、迷推理を自信満々披露するも、ことごとく外れる多重推理と言う趣向。途中で口出しする、父親の推理の方が、むしろ正しい方向出あったと分かる事もあり、最後に真相を明かすまでは、名探偵とはとても思えないグダグダぶりは、かえって面白かった。 正直詰込み過ぎと思ったが、推理する材料が膨大で、過去のエピソードまで盛り込まれては、参った。だが、読んでいる最中は、作者の熱意にあおられ、めちゃくちゃに面白かった。 若書きだが、作者の熱量に圧倒される、多重推理の好作、と評しておく。 | ||||
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初法月綸太郎ものとなる。 著者はいわゆる「新本格」ブームをけん引する作家としてデビューした。 新本格ミステリーについてここで改めて書く愚は犯さないが、まずけん引役となったのは、綾辻行人。それを追うように我孫子武丸、そして著者の法月綸太郎の3名の、京都大学推理研究会のメンバーがデビューし、さらに拡大していったと認識している。 綾辻、我孫子は全てでは無いが読んだことがあり、今回の法月を読んでみた感想だが、3名の作風として、まず綾辻行人を中心に置くならば、シンプルな方向に我孫子武丸、複雑の方向に法月綸太郎を並べる。 この認識はどうだろうか。 そういう感想を持ったとおり、本作は我孫子や綾辻に比べて、かなり文章も硬く、ダークでハードボイルドな印象を受ける。もちろんハードボイルドそのものではなく、がっつり謎解き本格ミステリーだ。 さらに、作中の法月綸太郎と父親の法月警視も、親子というより、尊大な上司と生意気な部下みたいだ。 まあ、人間関係を読むのがミステリーではないのだが。 さて、私は読んでいる途中で犯人が解ってしまった。著者はフェアにやっているつもりなのだろうが、ちょっと読者に対してヒントを出しすぎだ。それはそれでミステリーの面白さなのだが。 簡単に犯人がわかってしまった、ということで★4つくらいかと思ったが、それでも引っ張られ感が強く、面白かったということで★5つとしようか。 | ||||
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最近、小説のたぐいを読まなくなってひさしい。 ただ、10年ぐらい前は、ミステリをよく読んでいた。 日本のミステリでは、古典ミステリに入る、横溝正史、鮎川哲也といった巨人達を別にするとその時に非常に感心したのは、 ・歌野昌午「世界の終わり、あるいは始まり」 ・法月倫太郎「誰彼」 ・倉知淳「壺中の天国」 個人的にはオールタイムベスト級の作品だと思うのだが、この3作品ネットなどのレビュー記事を読むと評価が総じて低い。 「誰彼」をのぞくと、ミステリでない評価する人も多い。 私が、変わり者というのは、簡単だけど、一部の識者は、これらの作品を高く評価されている。 「世界の終わり、あるいは始まり」→ 千街晶之「国内ミステリーマストリード100」 「誰彼」→ 有栖川有栖「有栖の乱読」 「壺中の天国」→ 第一回本格ミステリ大賞受賞 千街、有栖川の両氏が、すご腕の読み手であることを否定する人は、いないだろうし、本格ミステリ大賞は、ミステリの中でも謎解きものに注目して、ミステリの鬼とも云える会員達が選んでる。 しかしながら、それらの作品の一般的な評価が高いとはいえない。 なぜこうなるのか? つまるところ、多くのミステリファンは「意外な真相」に興味はあっても「論理の驚き」に興味がないからでは、ないだろうか? ミステリの父ポーの作品でも「モルグ街の殺人」の半分も「マリーロージュの秘密」は、話題にあがらない。 その「モルグ街の殺人」しても意外な真相は、それこそ3分間探偵ゲームのネタになるが、私にすると、「モルグ街の殺人」で一番膝をたたく部分は、ほとんど話題にならない。 どこかといえば、ドアに鍵が掛かっていたので、部屋には入れないかった人々が、部屋から聞こえてきた犯人らしき声に対して、「あれは、ドイツ語だった」「いや、イタリア語だ」と異なった証言をする謎が論理的に解決するところ。 しかし、まったくこれが話題にならない。 横溝正史にしても「八つ墓村」などテーマのひねり、張り巡らされた伏線、登場人物の配置、特に濃い茶の尼に使い方などさすが、横溝正史という作品。 特にこうした点に注意して再読した際は、本当にしびれてしまった。 このように私としては、八つ墓村は、本格もののお手本のような作品だと思うが、「これは、ミステリではない。」と評価が多い。 おそらく、こうした評価が多いのは、「八つ墓村」が、同作者の「本陣殺人事件」「獄門島」に比べて大トリックがないことと、あまりに鍾乳洞を巡る冒険に代表される伝奇小説要素の部分で横溝正史の筆がのっているからだろう。 とはいえ、これだけの作品が、ミステリでなく伝奇小説だといわれ、あまつさえ松竹で映画化された際は「オカルト映画」なってしまうしまつ。 松竹版の「八つ墓村」は、寅さんが金田一・・・と揶揄されるけど、明らかに演出・脚本がホラーに振っているためで、むしろ「渥美清」を非難するのは、筋違い・・・とはいえ、この映画のためますます「八つ墓村」は「ミステリ」じゃないといわれるようになってしまった。 つまるところ、多くのミステリファンは、「ショック」が欲しいだけで、うならせるようなことは望んでいないということかもしれない。 もちろん、そうしたことは、悪いことではない。 そもそも、多くのミステリファンは「意外な真相」に心打たれてミステリに読み始めるもの。 それを否定しても何にもならない。 ただ、論理の面白さや構成美をなによりも好物のする「変人」もいる。 その変人達にとって、なかなかご馳走にあえないもの。 話題になった作品でも「うーん、確かにすごい。ただ、これじゃないんだよね」となってしまう。 ある意味、こまったちゃんである。 しかし、ごくまれにそんな変人達へのご馳走が現れる。 上記の作品は、まさしく、そんな変人達のご馳走。 特に「誰彼」は、論理の面白さに特化した最高の料理である。 冒頭で提示される不可能犯罪。 難事件と思いきやその不可能状況は、あっと云う間に氷解。 ところが、事件は解明するどころが、迷宮じみてくる。 登場した、名探偵法月綸太郎により、いかにも「もっともらしい回答」が、出されるが簡単に覆ってしまうしまつ。 しかしながら、へこたれない綸太郎さらに論理を詰めていくことで真相に近づいていく。 最終的に綸太郎により美しささえ見える回答がだされる。 ・・・ここで、終わっても充分に面白いが、読者を驚かす展開をみせる。 正確にいうと、驚かすというより、脱力させるといったほうが、正解。 ある意味、普通の意味での「意外な真相」を作者が放棄しており、意外な真相」より「論理」という作者の態度が明確になってくる。 そもそも、冒頭の不可能犯罪が、あっという間にしかも脱力感に満ちた解決されるの象徴。 充分その謎で引っ張ってもよさそうだが、作者はそれをしないどころか、脱力系の回答を冒頭ですぐさま読者に明らかにしてしまう。 「トリックマニア」からしたら、「なんじゃそりゃ」という不可能犯罪の回答もその実わざとやっているとしか思えない。 連作短編集「法月綸太郎の冒険」に収められてる「緑の扉は危険」のようなバカミスを書ける作者だから、奇想じみたトリックを作者が考案できないわけではないだろうし、思いつかなかったにしてもこの小説の冒頭で不可能犯罪を演出する必要はない。 つまり、わざと、肩透かしをさせる不可能犯罪を冒頭に持ってきている・・・確信犯だ。 「奇想天外なトリックをご期待の読者様・・・申し訳ございません。そうした作品ではないです」という作者の宣言というべきか。 だから、この小説に「真相な真相」を求めていると肩透かしを会う。 もっとも、事件の真相自体は、ひねりが利いていて私などは、「やりやがったな」と拍手喝采なのだが、どうも一般受けしないらしい。 もっとも、この作品を絶賛している有栖川有栖氏は「クイーン傑作数冊分に匹敵するを凝縮度に脱帽」といっているし、私も同感。 これ、「オランダ靴」に匹敵とか、「Xの悲劇」に匹敵といっていることに注目したい。 「クイーン傑作数冊分に匹敵するを凝縮度」・・・これおおげさじゃない。 「国名シリーズ」を読み込んだ人なら、全肯定はしなくても、全否定はできないだろう。 とにかく、クイーン特に「国名シリーズ」をこよなく愛する人は、読むべし、読むべし。 | ||||
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1990年代半ばの新本格の輝き。 これをリアルタイムで経験しておきながら、ぼくが法月作品にほとんど手を付けなかったのは不明としか言いようがない。 そうそう!そうなんだよ!っていう、ど真ん中の新本格でした。 今読むと、あー、この後に続く京極夏彦や森博嗣、そして西尾維新の流れが良くわかる。 本格の後にくるのはこれだよね!っていうミステリでした。 このようにぼくは推理小説の歴史という文脈で読み、評価してしまうわけですが、全然わからないひとがどのように感じるかが気になるところ。 | ||||
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そもそもこの作品を読んで、コリン・デクスターを読み始めたが、あちらのモース警部が狂言回しに終始しているのに対し、法月綸太郎は典型的なヒーロー型の名探偵であるため、モース警部的役割を与えられた本作は、あとから読み返すと違和感がある。 私はこれが初めての法月作品であったため、違和感なく読めたけれども。 読み物としての面白さはデクスターの方が上だと思うので、興味があれば「ウッドストック行最終バス」や、「キドリントンから消えた娘」などを読んでみるべき。ただし、後期作品は作風が変わってしまうので、本作と近い作風なのはこの2作品位ですが。 | ||||
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思わせぶりな1作目の「密閉教室」、定型過ぎる「雪密室」と過去2作と比較すると3作目の本作にて法月氏のプロ推理作家としての実力が発揮されたと感じる。 変則3つ子もので、こうなると入れ替えトリックネタだなと読む前から予想が付くが、新興宗教ネタや70年代過激派ネタを織り交ぜたストーリーテリングでグイグイと読む者を引き付ける。前2作からすると格段の読み応えである。 次作の最高傑作と言われる「頼子のために」に繋がるステップ作として見逃せない一作と言える。 | ||||
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新興宗教《汎エーテル教団》の教祖・メンターこと甲斐辰郎のもとに、 「異来邪」と名乗る脅迫者から、奇妙なメッセージが送られてくる。 綸太郎は犯人探しをはじめるが、瞑想のため、地上八十メートルにある塔 最上部の密室状態の部屋に籠った甲斐が、脅迫状通りに姿を消してしまう。 まもなくして、西落合のマンションから、甲斐と思われる首無し死体が発見される。 捜査線上には、甲斐と生き別れた顔が瓜二つの双子の 弟、安倍誓生と安倍兼等が浮上してくるのだが……。 果たして、首無し死体は甲斐なのか? そして、犯人は何のために首を持ち去ったのか? 当初本作は、偏執的に推理の試行錯誤をするコリン・デクスターの手法を借用することで、 クイーンの《国名》シリーズの再活性を試みるという構想に基づいて書かれていましたが、 最終的には、誰もが臨めない、前人未踏の境地に到達したといえます。 三人の「同じ顔を持つ男」と、甲斐に施されていたという人工内耳の手術の跡。 繰り返される推理の過程で、容疑者たちは三兄弟を軸に「首無し 死体」、「犯人」といった役割を、目まぐるしく交換していきます。 膨張していく推理、酩酊感をもたらすどんでん返しのつるべ打ちに、 「誰が誰でもええわ」と思う人もいるかもしれませんが、本作における 複雑かつアクロバティックな論理展開は、パズラーとして奇跡的な達成 といえます。 著者と同じく、クイーンを信奉する作家・有栖川有栖氏をして、 「クイーンの傑作数本分に匹敵する凝集度」と言わしめたのは、 伊達ではありません。 | ||||
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新興宗教《汎エーテル教団》の教祖・メンターこと甲斐辰郎のもとに、 「異来邪」と名乗る脅迫者から、奇妙なメッセージが送られてくる。 綸太郎は犯人探しをはじめるが、瞑想のため、地上八十メートルにある塔 最上部の密室状態の部屋に籠った甲斐が、脅迫状通りに姿を消してしまう。 まもなくして、西落合のマンションから、甲斐と思われる首無し死体が発見される。 捜査線上には、甲斐と生き別れた顔が瓜二つの双子の 弟、安倍誓生と安倍兼等が浮上してくるのだが……。 果たして、首無し死体は甲斐なのか? そして、犯人は何のために首を持ち去ったのか? 当初本作は、偏執的に推理の試行錯誤をするコリン・デクスターの手法を借用することで、 クイーンの《国名》シリーズの再活性を試みるという構想に基づいて書かれていましたが、 最終的には、誰もが臨めない、前人未踏の境地に到達したといえます。 三人の「同じ顔を持つ男」と、甲斐に施されていたという人工内耳の手術の跡。 繰り返される推理の過程で、容疑者たちは三兄弟を軸に「首無し 死体」、「犯人」といった役割を、目まぐるしく交換していきます。 膨張していく推理、酩酊感をもたらすどんでん返しのつるべ打ちに、 「誰が誰でもええわ」と思う人もいるかもしれませんが、本作における 複雑かつアクロバティックな論理展開は、パズラーとして奇跡的な達成 といえます。 著者と同じく、クイーンを信奉する作家・有栖川有栖氏をして、 「クイーンの傑作数本分に匹敵する凝集度」と言わしめたのは、 伊達ではありません。 | ||||
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偏執的な執拗さがたまりません。 ただ、それが万人に受けら入れるかどうかは分かりません。 法月作品は新書、文庫で出ているものはほとんど読んでいますが、この「誰彼」が一番好きです。次点が「密閉教室」。 (つまりは初期のものか?、、、) 短編集、最新長編「生首に聞いてみろ」(2004)も読んでいますが、どれも佳作、というか決定的な面白さを感じず、「また法月綸太郎を読んでしまったか」、と感じています。 (氏独特の暗さ、閉塞的な雰囲気は嫌いではないのですが。) 何度もそう感じながらもなお新刊を待っているのは、この「誰彼」が忘れられないため、だと思います。 | ||||
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法月倫太郎の長編3作目。前作『雪密室』が割とまっとうな本格推理だったので、この人はそういう路線に転向したのかと思っていたのですが、今作ではデビュー『密閉教室』で見られた推理の迷宮とでも呼ぶべき、真相(と思われるもの)が次々と変わっていくという技が復活しています。推理小説では双子というモチーフはよく出て来ますが、今作では3人兄弟という設定にすることによって大いに幅を広げています。3人兄弟という設定でどんなネタがあり得るかを全部盛り込んでみたという感じがします。 もう一点面白いのが、新興宗教やジャパゆきさんといった時事ネタを盛り込んでいるところ。もちろん社会派に色目を使ったわけではなく、むしろやたらと人工的な作り物であることを隠していない種類の作品なのですが、それが現実の時事ネタと接点を持つことによって、日常のすぐ裏に非日常があるような、独特の雰囲気を醸し出すことに成功しています。 | ||||
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1989年に出た講談社ノベルスの文庫化。 著者のデビュー3作目にして、名探偵法月綸太郎が主役を張る最初の作品(登場は2作目)。 相変わらずキレのあるトリックを見せつけてくれる。後半はどんでん返しの連続で、良くこれだけ練り込んだものだと半ば呆れてしまうくらい。双子を使ったトリックは色々と知られているが、使いようによってはまだまだ新しいパターンが出てきそうだ。 トリックとは別に、結末のやるせなさ、納得のいかなさも嬉しい。法月の魅力はラストの虚しさにあると思う。 | ||||
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”名探偵”法月綸太郎第二作。「首なし死体・双子・密室」の三題噺のような作品。冒頭で示される、長兄と、その出産のために母の命を奪ったと父に忌み嫌われ養子に出される双子の兄弟・・・という設定は言うまでもなく後期クイーンのある作品を連想される。しかし、この『誰彼』の場合、双子が互いに同じ顔である上に長兄にも似ている、という設定が少し新しい。著者は、余程「謎は解けたと見せかけて最後の僅かな間にもう数回のどんでん返しを持ってくる」のが好きなようだ。大詰めでのどんでん返しの連続はいいが、ドラマとしては空虚な感じがする。探偵に感情移入しづらいのは読んでいて辛い。この次の作品『頼子のために』の解説で池上夏樹氏が述べているように、”名探偵”の存在ゆえに物語全体の小説としての面白さに欠ける面は否めない。推理小説に物語としての完璧さを求めはしないし、惑わされること自体はいいとしても、何か勿体無いという感じが残る。同様に、恋愛の要素を、淡くとはいえ持ち込み、この部分で綸太郎を道化にするのもとってつけたようだ。”名探偵”の暴走ともいうべき、鼻持ちならない綸太郎の行動に対して、あくまで裏づけを重視している父法月警視の予測が実はほとんどの場面で正鵠を得ている、というところで辛うじて推理のバランスがとれているが。もう一つの三題噺としては、「新興宗教・じゃぱゆきさん・過激派の悲劇」が含まれている。こちらは個性的なキャラクターの配置で、新鮮さを失っていない。なお、次作『頼子のために』は、打って変わって素晴らしい私立探偵小説になっている。 | ||||
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