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ゴサインタン 神の座
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ゴサインタン 神の座の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 21~35 2/2ページ
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ゴサインタンとは、中国名で不毛の地の意味の、シシャパンマという、ネパールとの境にあるヒマラヤの8012m峰で、ネパール語で神の住む所の意だそうだ。蛇足だが日本にも山梨に神座山1641mがある。結木家という大名主に生まれた輝和は、農地解放の時次男だったが、家を継ぐこととなる。嫁の来手が無く、はるかネパールよりカルバナ・タミを迎えることに。しかし次々に異変が起こり、何時の間にかタミが生き神様として崇められ、気がつくと夫婦の立場は逆転状態となる。 そして天理教式に一切の物や金は捨てられたり与えられたりした挙句、結木家の広大な土地はもとより一切の財産は跡形も無くなってしまう。ただこの間輝和本人はそれほど物や金に拘っておらず、またタミの優しい性格が好きなので、アッという間にそこまで行ってしまうのだった。そして消えたタミを追って、不毛の地で神の座する山でもあるゴサインタンの麓にやってくる・・・。 物質的欲望を捨てることは、多くの宗教家の説くところだが、この作品の書かれた年は、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした年だ。インチキ教祖ではあったが、多くの真面目な若者を引き付けたのは事実であり、この作品にも影響していると思われる。私は弱いことは、強いことよりもいいのだというタミの言葉が一番心に残っている。 | ||||
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満足です。 主人公の輝和の最初の印象は、最低な男だな!でした。 結婚相手の国が何処にあるのかも分からない 自己満足のやさしさの押し付け・・等々・・ しかし、何もかも無くし始めてから変わり始めました。 輝和も私も。 やっぱりいいなあ。 篠田さん。 | ||||
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豪農の跡取り息子、さえない40代の男が、ネパール人の嫁を迎え入れたところから 物語は始まる。 要領のよい長男は、古くさい家も、農業も全て彼に押しつけて渡米。 彼だけが、生きた屍のような日常を送っていた。 初恋の人の名前をつけて、彼女を呼ぶ身勝手な男。しかし、彼女の不思議な力に より、全ての財産を失うはめに。 宗教の扱いに多少異論はあるが、俗物を失うことで得る物もある。 全てを剥ぎ取られた男は、神通力の失せた女を捜して、彼女の故郷に追いかけていく。 ただただ女の面影を追ってきた男は、日本での記憶をまるで封印した彼女に たどりつくが、自分を覚えていなくても、一緒にいたいと切に願うのだ。 ソレも、究極の求愛だと言える。純粋に相手を恋い慕う気持ちは尊い。 昨今の自分の売値も知らず、条件からはいる婚活がいかに愚かしいか、 圧倒的スケールで、考えさせられる作品。 | ||||
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こんだけの筆力持った作家なんだから、その時々の世相に合わせてテーマ選ぶなんて小賢しいことするなって。そんなの無視して、デンと構えて、自分の書きたいことだけトコトン書けば「大作家」になれるかも!惜しい・・・ナンチャッテ! | ||||
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直木賞の受賞作が「女たちのジハード」……そういうジャンルの小説(作家)には、いまいち食指が動かないなあと、食わず嫌いしてました。 でも、ある作家(たしか女流SF作家だったような気がするけど)が、すごく面白いとどこかで書いていて、それならと手にとりました。 そういうわけで、最初は及び腰。でもたちまち物語のおもしろさに引き込まれ、一気に読んでしまいました。 「私はこれを書きたいのです!」という作家の熱が伝わってきて、心を揺さぶられます。 おーい、直木賞ならこっちだろーっと叫びたくなりました。 | ||||
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この文庫版で648ページ(!)を読み終えたとき、軽く腑に落ちたという「ストン」じゃなくて、「ズシン」という読後感に襲われました。確かな筆力だけがもたらす圧倒的な超重量感のある長篇です。 東京郊外、神奈川県との県境に近い村に代々土地持ちの名家として栄えてきた「結木家」。跡取り息子の輝和は、40歳になって、まだ独身でした。40回以上見合いをしたが、どうしても結婚できません。病身の父、既に高齢の母のため、何より「家」の存続のために、380万円も支払って、ネパールから嫁カルバナを迎えます。その嫁が、実は「生き神」だったというストーリーです。 読みどころは、ダメ男の輝和の人生が地に堕ちていくプロセスです。輝和の視点に近い三人称で書かれていますが、作者の筆は容赦ありません。父、母が相次いで死にますが、カルバナは「すべてを捨てろ」と輝和に迫ります。古くから受け継いだ家宝はもちろん、不動産は村の人々に寄付させられ、貯金は信者にばらまかれ、とうとう家まで差し押さえの末、放棄させられます。文字通り無一文になって、二人は手洗いさえない山小屋に暮らしはじめます…… 篠田ファンタジーの特徴でもありますが、ディテイルの事実の積み重ねが怒涛の如くすばらしく、浮わついた感じはまったくしません。人生の豊かさとは何なのか、宗教の根源とは何なのか、大切なものに気づかせてくれる一冊です。 | ||||
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淑子ことカルパナの思いやりと優しさが、乾ききった心にしみこんでくるようです。一緒に逃げて、山中で暮らしたくなります。 どんな環境でどんな目にあわされても、人間らしさを忘れずに、自分らしく生きていく姿、本当に強く、美しいです。 この作家はありそうでないことを書くのでなく、いずれ必ずおきそうなこと、もしかするともう既に実際の事件として発生しそうなことを常に先取りしていますよね。そして少しの不自然さも違和感もなく、作中人物が本当にやむにやまれずに、自分の心の声に従って行動する姿を描写してくれます。 作者の心の熱さ、他者とコミットメントしていこうとするまっすぐな思いがストレートに伝わってきます。 ファイト! と応援したくなります。 素晴らしい作品、今日本語で読むことのできる最上級の名作です。 | ||||
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本書を読み進むにつれ、自分自身の俗物性が恥ずかしくなる。結木家は俗世の象徴の様な存在だった。歴史的にも大勢の社会的弱者の犠牲の上に成り立っている富と名声だ。ネパール人妻淑子の奇行により結木家のそれらが崩壊するのを輝和は止める事は出来たはずだ。しかしそれをしなかったのは、輝和自身も望んでいたからかも知れない。そして、本当に結木家が崩壊した後に輝和が得たものは絶望ではなく安堵だと思う。 しかしその後の展開は興味深い。無からの再出発だったが、淑子を中心に人の和が形成され、経済生活が自然に生まれた。しかも、そこそこの利益が出て潤うに至った。ここに人間の生の力強さと再生力を見る。それまでの淑子の神憑り的な奇行は崩壊と再生をもたらせた。この一連の淑子の行動の意味は釈然としないが、結果としてそういう事になる。そして淑子が失踪した事は彼女自身の役割を終えたという意味なのか? そして輝和が淑子を追いかけて訪れたネパールの表の顔と裏の顔の落差の大きさには驚く。しかしネパールの山岳地帯の人々の生命力は殊の外強い。著者は日本的な物質文明を物差しにしてはならないと釘を刺す。 「神の座」と呼ばれる山を仰ぐ地で生まれた淑子の一連の行動は、もしかすると定められた事だったのかも知れない。ただし聖地は存在しなかった。 | ||||
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結木が、愛するカルバナを探しに、進む、進む。どれだけ離れていようとも、会いたければ会いにいけばいいじゃないか、という声がこだまするような筆勢に、勇気づけられる、衝撃を受ける作品です。カルバナの行動が、違和感なく、まさに有り得るように感ずるのは、作者の強い思いに基づく筆力だと思うと、作者の魂の動きが伝わるようです。かの地を訪れてみたいと、思わせます。 | ||||
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両親と同居する農家の跡取り息子・結木輝和のもとに嫁いできた、ネパール人の花嫁・タミ。日本語を全く解さない彼女が、やがて神懸かり的な力を得ると、結木輝和の人生は転落の一途をたどる。そんなタミに彼が最後にしたことは…。清々しいラストシーン。これは大人のためのメルヘンである。 | ||||
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独身で農家を継ぐ40男が、ネパールから花嫁をもらうところから物語りは始まる。言葉も通じず、生活習慣も違うヨメを、男の母親が懸命に躾けるのだが、徐々に奇妙なことが起こり始め、男の両親は次々と亡くなり、営々と続いてきた家の歴史が暴かれ、財産を全て失っていく。というとミステリーっぽいのだが、自分の意志の及ばぬところへと翻弄される、ショボイ地味な男に同情と共感が沸く。流された結末は、思いもしない方向へ。人生ってやっぱり自分の意志で立つことだよな。ショボくて地味な男がなんと凛々しく力強く再生していくことか。すがすがしくて、読後感さわやか。ミントの香りがしばらく持続します。 | ||||
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人にとって、どのように生きるのが一番シアワセであり、何を大切にして生きなければいけないのか。そんな事をいっぱい考えさせられた話しでした。俗世間に生きる私にとって、捨てられないものはいっぱいあり、そんな私から見ると、彼にたいして、なぜそこまで?とイライラしてしまったりもしました。篠田氏らしい話といえば、そういう内容です。でも、なぜかしら、彼女の作品の中で一番好きな本です。これも読んだ後にはすっきりしたり、気持ち良くなったりするわけではなく、でも、もっと何か大切で重い事を気付かせてくれる、そんな1冊です。 | ||||
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人の幸福とはなんだろう。さえないが裕福な男の幸福への道は失うことから始まった。次に捨てつづける。捨てることは喜びとなる。全てを捨て、全てをなくし、一時は幸福を得たように思えた。しかし、そこからも、まだ失い、求め、与えなくてはならないのだった。多くの示唆にとんだ、よい話でした。多くの方にお勧めします。 | ||||
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一見、愚鈍に見える地元有力農家にやって来たネパール人妻に、時折神がかり的なものが降りてくる。そして新興宗教ができあがってゆくまでの過程、そしてそれとは対照的に地元有力農家が没落してゆく過程、土地も財産も父母もなくしても妻と離れられない主人公…、というのがとても悲惨で物語的にはいいね~。 | ||||
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さえない農家の跡取り息子の主人公は、自国で結婚相手を見付けられず、外国人の花嫁を斡旋して貰って花嫁を迎える。しかしその嫁は、神憑りとなって古くから続いたその家を没落させてしまう。主人公を通じて、男の身勝手さ、古い人間性を無視した風習、など様々な社会問題が浮かび上がってくる。 これでもかと次々に悲劇に見舞われた主人公は、しかし次第に人間性を回復していく。何もかも失った主人公が取った行動は感動的なまでに美しいと思う。 本を読む人は彼と一緒に「魂の再生」を経験できるかも知れない。 | ||||
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