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1Q84



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【この小説が収録されている参考書籍】
1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 2
1Q84 BOOK 3

1Q84の評価: 3.66/5点 レビュー 986件。 Dランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.66pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全986件 101~120 6/50ページ
No.886:
(3pt)

純文学かと思ったら

純文学はむつかしそう。そうおもって敬遠してたけど、手にとってみたらSFで以外でした!!
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.885:
(5pt)

救われた

村上春樹さんの本は、ほとんど読んでいますが、このような本を書くこと、このような生き方をすることは、本当に人を救うことができるんだと思います。
1Q84 BOOK 2Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.884:
(1pt)

数ページ読んだ時点で嫌な予感がしていたが、あまり読まずにして批判するのもどうかと思い、1巻全て読んだ。
しかし、半分読んでもつまらない。最後まで読んでもつまらない。人物も描写も言葉も流れも本気で何一つ面白くなかった。
性描写も読んでて不快になる。読んでいると、作者の趣味や性癖を見せ付けられているような、そんな気持ちになる。小説とは作者の思いや趣味などが絶対的に現れるものなので、性描写に関してはただたんにわたしと作者が合わないだけの問題だとは思うが、それにしても読んでいて不快でたまらなかった。言葉選びもわざとっぽい。
全巻読んでから批判しろと思われるかもしれないが、わたしは1巻で降参です。まいった。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.883:
(5pt)

春樹入門にオススメ

春樹作品といえばどうもとっつき辛いイメージで食わず嫌いならず読まず嫌いしている人が
多くいらっしゃると思うのですが。
この本は春樹デビューにオススメの一冊といえるでしょう。
まず、小難しい表現や気取った修飾が使われていないので。
スラスラと春樹の世界に入っていけるでしょう。
中旬のモノローグとトートローグが交錯するあたりで春樹初心者はいつの間にか
物語・そして春樹の世界観にに引き込まれていくこと間違いなしです。
これ以上書いてしまうとネタバレになってしまうのですが、この後怒涛の展開が読者を待ち受けています。
春樹の本を全く読んだことがない人は是非この本から入門して
私たちハルキストの仲間になりましょう。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.882:
(2pt)

ノルウェーの森と比較して

村上春樹の作品を読むのは、ノルウェーの森に続き2作目。
ノルウェーの森と同様、この作品も一度読み出したら中毒のように止まらなかった。ストーリーがこの先どう進んでいくのかが気になって仕方がなくて。
ただ今回は、ノルウェーの森とは違って、余韻や感慨深さなど後に残るものが特になかった。
もし先を急ぎすぎず、この本の非常に多くを占める情景描写を1つ1つ味わってゆっくり読んだら、なんらかの余韻や感慨深さが残り、私の洞察ももっと深いものになったのかもしれない。
村上春樹の描く不思議な世界は、ノルウェーの森では魅惑的に感じた一方、1Q84では気味悪く恐怖感すら感じた。私も月を2つ見てしまったらどうしよう、みたいな。
あと性描写がやたら多いのも気持ち悪かった。
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.881:
(2pt)

狂気の黙示文学

上にある様にとんでもなく異常で黙示的な小説です。

究極の個人主義の代表とも言うべき登場人物が一同に介してサリンジャー以上のドタバタ似非宗教劇を繰り広げる物語です。

主要の登場人物たちはみんな過去に虐待を受けた経験があって、それがまあ気の毒には思うもののあまり同情のできるものではなくて(多分、著者はそう書いてる)そういう人たちがいろいろな力に導かれながら失われた愛を取り戻そうとするんです。

なんと言うか民主主義の最悪なところをみたような気がします。これに感動してる人は同じ人間とは思えません。というぐらいとにかく最悪な物語です。

著者は小説を書くときは、一種のシャーマンになった状態だそうですが、だとしたら本当にどうかしてると思います。
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.880:
(5pt)

「今がちょうどその時期だった」のかな?

本を読む楽しみの一つは、知らなかったことを知ることだが、
自分で体験したことが多く含まれていると、興味がさらに増す。
本書とは個人的に時空のマッチングがいいようで、とても楽しく読めた。

本書の時空:1Q84年
青豆、女30歳、スポーツクラブのインストラクター。
(実は……、セクトから狙われ、高円寺に隠れる)
天吾、男30歳、予備校の数学講師で小説家志望。高円寺に長く住む。
二人は小学校の同級生。そのころ毎週末に、青豆は「証人会」で母親と、天吾はNHK集金で父親と街を回る。
ふかえり、女17歳、新人賞の記者会見で『平家物語』を暗唱する。

評者の体験の時空:
スポーツクラブ:2010年10月から。
オウム:ごく最近、著者の『アンダーグラウンド』(書評済)他を読む。
高円寺:区立図書館、阿波踊りなどで、一時期頻繁に訪れたので土地勘あり。
小説家志望が主人公の小説:年末・年始にIan McEwan著Sweet Tooth(書評済)を読む。『1984』、あやしい資金援助、最後のどんでん返しなど共通性あり。
「証人会」:今も毎月パンフレットを持ってくる、2011年からあり。
NHK集金:遭遇して、話をしたことあり。
『平家物語』:ここ数年、毎月例会を開いて、全巻読破を目指して読んでいる。

こんな感じなので、本書を出版の年、2009年に読んでもピンとこなかっただろう。
刺激的な本なので、今後も読み続けたいと思う。
未経験の『シンフォニエッタ』やバッハ『マタイ受難曲』なども体験しておこうかな。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.879:
(5pt)

「ふかえり語」を新たに創ってみたい

本書でもっとも特異な登場人物は、セクト・リーダの娘「ふかえり(17歳)」だろう。

セクトの秘密を暴く『空気さなぎ』を書き、一種の予知能力とも呼べる特別な感覚を持つ。

著者は書く、「彼女の話し方にはいくつかの特徴があった。修飾をそぎ落としたセンテンス、アクセントの慢性的な不足、限定された(少なくとも限定されているような印象を相手に与える)ボキャブラリー。」
例えば、「センセイでショウセツを書いている」「あなたはネコのまちにいった」「そのオハライはした」などと。

これらを読んで、評者はガーンと妄想状態に入った。
1現代日本語では、カタカナは主に外来語の表記に使う
2漢字も元々は外来語だ(かなり強引だが)
3ゆえに、漢字を全てカタカナ書きにしたらどうか?

そうすれば、日本語の文章を「漢字なし」で記述できる!

例えばこんな感じだ。
1ゲンダイニホンゴでは、カタカナはオモにガイライゴのヒョウキにツカう
2カンジもモトモトはガイライゴだ(かなりゴウインだが)
3ゆえに、カンジをスベてカタカナガきにしたらどうか?

この新たな表記法を「ふかえり語」と呼びたい。
この「ふかえり語」を新たに創ってみたい。

本書はなんと刺激的なんだ。評者はふかえりが好きだ。
1Q84 BOOK 2Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.878:
(5pt)

すばらしいトリプル・ナレーター・ノベル

著者は2つのストリーを撚り合わせて、長編小説を構成することが得意なようだ。
例えば『海辺のカフカ』(書評済)。そこでは、2つのストーリーは最後まで交わらない。

本書シリーズのBOOK1でも青豆・天吾の2つのストーリーは交わらず、BOOK2は最後のほうでニアミスする。

本書BOOK3ではナレーターがもう一人加わり、次のようにストーリーが始まる。
1青豆:セクトから逃れるため、高円寺のマンションに隠れる。9月に、目の前の公園の滑り台の上で天吾を発見したが、出会えなかった。天吾に出会うため、毎日夜間監視を続ける。
2天吾:高円寺のアパートに住み、青豆を探している。
3牛河:セクトのために青豆を追う。天吾のアパートに隠しカメラを備え、青豆が来るのを待っている。

さて、12月のある土曜日、天吾は再び公園へ行く。これを牛河が尾行する。青豆は電話があり、監視できず会えない。翌日の日曜日、牛河が公園に現れる。これを発見した青豆は牛河を逆に尾行し、天吾のアパート(?)を知る。青豆は牛河に写真を取られる。

同時空(滑り台など)での、各人の異なった視点での行動・考えがたっぷり読めて面白い。
将来にkindle本が出れば、同時空を扱う別々のページを複数のKindleで同時に読める。
これも楽しみだ。(英語版は今でも可能)
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.877:
(5pt)

感想

値段が安くて期待していなかったが、とても良かった。汚れもわからず気持ちよく読むことができました。
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.876:
(2pt)

長すぎ

主人公2人に魅力がない。とにかく長くて苦痛。魅力が感じられたのは、ふかえり親子くらいでした。
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.875:
(5pt)

おもろかった

いやはや、よかった
あれ、これで終わっちゃった??っていう感じもしなくもないけれど。それは内容がそうさせるのか、達成感からくるものなのか
とりあえず、青豆と天吾がようやっと再会したあたりからにやにやがとまらんわな
……ていうか続きないの??続こうよー((^^;)
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.874:
(1pt)

1Q84に見る村上春樹のニセモノ性

大騒ぎの出版からもう何年も経つが、今頃になって「1Q84」を読んでみた。

村上春樹は随分前に、今ではどれだか忘れてしまった一冊を、息子から借りて読もうとしたことがあったが、数ページでやめた。

その後、村上が文壇の主流から高い評価を得られないことを知った。当然だと思った。

近年、ノーベル賞の時期になると、必ず巷で村上が候補予想に挙げられるのをいぶかしく思う反面、それほどの才能をあるいは見逃していたのかも知れないという軽い悔恨を感じていた。

丁度そこに、最近相次いで複数の友人から熱心な勧めがあったので、あの長い小説全巻を中古で買い求めた。

数ページ読んでの感想は、以前のものと基本的に変わらなかった。大した文学賞に値するような小説では全然ない。

しかし、しばらく読み進むうちに、作家のある突出した技量に気付かされた。

今回ばかりは友人の忠告に従って最後まで読み切ろうと決めたこともあったが、それよりも作家のその手練に乗せられて、つい時間を忘れて読み続け、あの長編を短期間で読了した。

思わせぶりな筋立てと展開で読者の好奇心を激しく駆り立てるという点において、作家は名人、達人の域にあると言える。

しかし、それは、優れたテレビ作家の条件として決定的だとしても、優れた文学者であるための十分条件とはなり得ない。

もし十分条件であったなら、村上の前に、例えば英米作家のハードボイルド、サスペンス、ミステリー、SFなどの多くがノーベル文学賞の受賞候補、または受賞作となっていたはずだ。

一方、この小説には、いくつかの重大な瑕疵がある。

まず、第一に、全体のかなりの部分について文体が明らかに翻訳調である。

次に、無駄で奇をてらった比喩の多用がうるさい。

第三に、主要登場人物の全員に、作家固有の趣味があまりにあからさまに反映されている。

第四に、無駄な細部説明が多い。

そして最後に、主題、何を訴えたいのかが甚だ不明だ。いや、おそらく不在なのだ。

まず第一の点、文体の問題。

日本人が普段ほとんど使わない表現が頻出する。

それが作家の独創的な文体であるのなら、通常の日本語表現との相違がむしろ作品の芸術性を高める要素になる場合も有り得ようが、村上の場合、欧米の特に現代小説の邦訳によく見られる文体であって、彼の独創などではない。

しかし、日本文学の伝統に従わず、欧米文学の表現に擦り寄ることこそが、「村上文学」の「世界文学」たる証拠だ、との弁護も聞こえそうだ。

私は、「世界文学」の存在もその定義も知らないので、勿論その主張に与することは出来ないが、議論をすすめるためここは百歩譲って、仮にそのような弁護を認めたとしても、なお決定的な欠陥が弁明され得ずに残る。

それは、登場人物たちの発言の中に紛れ込む翻訳調文体だ。「紛れ込む」という表現がそぐわないほど頻繁に現れる。そしてこのことは、第二および第三の問題点とも重なる。

これは、人物描写の失敗という小説としては致命的な欠陥を意味する。

作家は、登場人物の現実的存在感とそれぞれの個性の構築とを犠牲にしてまで、自身の好む一つの語調を、彼らの口に語らせてしまっているのである。

もし、私たちが日常生活の中で、あのような翻訳調の言葉を話す日本人に出くわせば、何と気障で奇をてらったヤツだと思うに違いない。(「あいつは村上春樹の読みすぎだ。」)そんな人が、何人も自分の周りに現れれば、現実離れした、異様な空気を感じずにいられまい。

そして、登場人物の奇妙な言語は、多くの場合、さも得意げな比喩表現に現れる。

こんなにたくさんの比喩を日常会話の中で話す人が、実際の日本社会に存在しないことも不自然の一つだが、さらに、それら比喩表現の形態が、日本語の伝統によらず、英米娯楽小説に一般的な形態を採っていることも甚だ不自然だ。

凝った比喩表現が作家の作風だとしても、多くの異なる登場人物に、同じ特異な比喩趣味が共有されていることの醜さは、いくら譲っても看過し得ない。

しかも、その数の多さを見れば、それが決して「図らずも馬脚を現した」という体のものでないことが分かる。意識的に、あるいは開き直って、自分の趣味を登場人物たちに投影しているとしか考えられない。

そして、その比喩表現の多くが、物語の進行に、あるいは意味の正確な伝達にどうしても必要なものとは思われない。この作家は、ただ、変わった比喩表現の思い付きを一つ残らず見せびらかさずにいられないだけなのだろう。

しかし、主要人物全員への執拗な作家自身の趣味の流し込みは、比喩表現や翻訳口調に終わらない。

音楽や文学や料理や服飾などにも及ぶ。その具体的なブランド名の特定。

そしてこれもまた、欧米現代娯楽小説の陳腐な作法である。

その作法へのご執心が昂じて、第四の問題、即ち、行動や状況についての網羅的で細密な描写の連続にもつながると考えられる。

必要な細密描写は当然あっていい。不要なものが多すぎる。

その理由は明白である。不自然で非現実的な人物たちの現実感をどうにか補うための、そのためだけの対策なのだ。しかし、その努力は成功していない。

不自然で非現実的なのは、人物たちだけではない。物語全体を構成する主たる要素がことごとく不自然で非現実的だ。

その故に、読者は、その不自然さの謎解きを期待して、先へ先へと読み進ませられてしまうのだ。その謎たちが、そしてその解明が、きっと小説全体の主題に向かって収斂していくのだろうという当然の期待にワクワクしながら。

しかし、呆れたことに、結局、謎解きは一切無いままに終わる。リトルピープルの実体も、二つの月の意味も、愛人失踪の理由も、教祖の思想も、その娘の実体も。何もかも、ただ曖昧にはぐらかされて終わる。

これは、一種の詐欺と言ってもいい。

これらの奇妙な要素を散りばめて読者の好奇心を煽るだけ煽っておいて、そのからくりを一切提示、いや暗示すらすることなく、ただそれらはそのまんまあったこととして終わる。

読後の読者は、なんであんな詐欺に引っ掛かったのだろうと、自分の不明を恥じる被害者として取り残される。

あんなにも字数を費やして人物達の生い立ちを克明に綴っていながら、振り返ってみれば、なお誰一人として切れば血の出る生身の人間としての実感がない。

それは、その克明詳細な説明が、ただ、この小説が本当の世界と何のつながりも無いことを糊塗するためのアリバイ作りだからだ。詐欺師の巧妙な口車に過ぎないからだ。

小説の人物たちの人生と現実世界との間には、何の有機的な関連も存在しない。

私は、たまたま主人公天吾と一つ違いで、1984年の日本を彼と共に生きたはずだが、この小説ででっち上げられた世界に何の共感も、いや、何の実感すら感じることが出来なかった。

きっと、村上春樹という人物は、実際の世界を生きて来なかったのだろうと思う。彼の頭の中に無理やり作った彼の世界に生きていたし、今もそこに住んでいるのだろう。彼の大好きな、ジャズや、クラッシックや、料理や、アメリカの小説や、さまざまな道具たちだけで出来上がったバーチャルな世界に。

そういう意味で彼こそ現代的な作家であるとの主張が成り立ちそうだが、果たしてそうだろうか。

彼という存在、彼の書いた小説が、現代社会のある性格を象徴する題材、即ち客体として存在している、ということは言えるかもしれない。しかしそれは、彼の作家としての功績ではない。

例えば、スマートフォンを現代社会のある側面を象徴する題材として、優れた小説が書かれることは有り得るが、スマートフォン自体がそれを書くわけではない。

さて最後に、あの奇妙な謎たちに、1500ページ以上に渡って付き合わされた挙句、私たちが得たメッセージは何だったのか。

新興宗教の本質?いや、そんな厄介な分析は見当たらない。

現代人の孤独? 現代社会の非日常性? 生活感の希薄さ?家族の崩壊? はたまた、現代社会の不可解性? 

だとしたら、実際の日本社会を描写するか、せめてその実相を連想させてくれなければ、意味を成さないだろう。

有り得ない世界を作り上げておいて、その不可解を見せられたところで、それは作ったお前のせいだろうと答えるしかない。実際の世界と何のかかわりもない。

結局残るのは、二人の男女の恋愛の持つ強さとその成就の美しさということらしい。確かにそれなら酷く解り易く表現されている。あまりに解り易く。

こんな平凡なメッセージのために、あんなにも長々と、意味もない奇形のエピソードと人物達をでっち上げたのか。

いや、実は、この小説の仕組みは、村上が小説の中で、ごく直截的に白状してしまっている。

面白い小説であればそれは良い小説だ、ほかに何も必要ない、面白いことが良い小説の十分条件である、という趣旨のことを主人公に語らせている。

これこそが村上の本音であり、文壇主流派への挑戦のつもりなのだろう。

しかし、面白いにもいろいろある。

思わせぶりを巧みに仕組んで、ただ読者の好奇心を引っ張り回すことが出来れば、それだけで面白い小説だと言えるのか。面白いとしても実に軽薄な面白さだ。

何と浅はかで幼稚な文学観だろう。

文学が、現実世界の人やモノゴトを生々しく描写しながら、その本質のある一面を感動的に表現しなおすものだとの定義に従うとすれば、「1Q84」は、本物の文学ではない。

どんなに非現実的なエピソードを編んだとしても、登場する人や人の集まりである社会の本質的な性格は、現実世界のそれらを反映していなければならない。さもなければ、単なる絵空事となるばかりだ。

「1Q84」で村上が紡いだ物語の材料となったのは、現実に生きている本物の日本人ではない。アメリカ現代娯楽小説の中に作り出された架空の人物達である。だからしばしば登場人物は、彼らのような話し方をしたり、彼らのように拳銃を扱ったりする。

自然でも人間でも本物を写し取って、その本質を抉り出すのが本物の文学である。たとえ、物語が非現実的なものである場合でも。

既に他人の手で写し取られた影たちを、さらに写し取って作り上げた物語は、ニセモノと呼ぶほかない。

ディズニーランドに似ている。ディズニーランドは、現実社会を再表現したものではない。それは、ディズニーの描いた漫画の世界を再表現した構築物である。

それがどんなに楽しい経験を提供してくれても、それは芸術ではない。娯楽施設だ。そのことは、ディズニーの漫画、ないし動画作品が、一種の芸術作品たり得るいうことと両立する。ディズニーの描いたネズミの主人公は、ディズニーが現実のアメリカ人をモデルに再表現したものである。

「1Q84」は、村上春樹の個人的な趣味と奇妙な妄想の塊である。ただそれを物語らしく仕立てるために、詳細な描写が塗り重ねられているだけの作品だ。

何よりも、「1Q84」は読者の世界観に何らかの変化を残しただろうか。影響を及ぼしただろうか。変化を起こさないまでも、気付きを与えただろうか。あるいは、深い感動や強い共感を呼び起こしただろうか。心に残る喜びや、悲しみや、怒りを与えてくれただろうか。

では、人生の深遠なる神秘を見せてくれたか。

私の答えは、ことごとく「否」である。

冒頭から始まる思わせぶりは、その後どんどん水かさを増して、やがて奔流となって読者を押し流していくものの、どこまでも思わせぶりのままで、最後には水が引くように消えてなくなる。

こんな安易な小説が在っていいものか。

娯楽小説としてもひど過ぎやしないか。推理小説やサスペンスだったら、ただでは済まされない。まず出版の可能性がない。

村上が自身の嗜好で調合した、化学調味料だけで出来上がった加工食品をまんまとたらふく食わされた。ほら世界ってこんなに甘いもんだろとか、人生ってこんなに苦いものだろなどと言われたって、それはただ村上がそう味付けしたからで、本物の世界、私の世界観に何のかかわりも持たない。

つまり、読者の人生にとって毒にも薬にもならない。

こんな小説を、数年間の準備を経て、満を持して発表したのだと言うなら、他の作品を吟味するまでもない。推して知るべしである。

もし万一、村上春樹がノーベル文学賞を取るようなことがあったら、私は選考委員の不明を嘲笑するだけだ。

村上食品製造の合成食品を今後二度と口にすることは無いだろう。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.873:
(5pt)

流行に乗ってみました。

買ってよかったです。
面白い本で、あっという間に読みきってしまいました。
ハードカバーで読むと、読んだ感がとってもあります。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.872:
(5pt)

流行に乗ってみました。

どんどん読み進められます。
終わるのが惜しいです。
いつまでも続いて欲しいと思わせます。
さすがです。
1Q84 BOOK 2Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 2より
4103534230
No.871:
(3pt)

ノーベル文学賞?

以下は全編を通じての感想です。
これだけ長い小説を一気に読ませる「技術」はさすがだと思いましたが、そのような技術や村上春樹という偉大な名前を取り去ってしまったら、はたして何が残るか…。
もともと幻想的な作品ですから不条理は承知の上ですが、ストーリー的にもどうでしょうかねぇ。やたら伏線が多い割りにはうまく回収されていないみたいだし、主要登場人物でも最後どうなったのか分からない人もいて、いまいち消化不良。主役の男女二人の結びつきも薄っぺらだし、二人そろって元の世界に戻ってハッピーエンドというのもいかがなものでしょうか。あと、牛河さんって、いったい…。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.870:
(4pt)

中古本にしては、傷などもなく、きれいだった。

村上春樹の作品は、あまり読んでいないが、図書館で借りて読んでいた。IQ84の1,2は図書館で借りて読み、2年弱前当時は
3がなかったため、読みたくなり、購入し一気に読んだ。中古本にしては、傷などもなく、きれいだった。
1Q84 BOOK 3Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 3より
4103534257
No.869:
(4pt)

答えの出ない物語

深いところで男女の2人が繋がっている。交錯する、2つの世界はお決まりのパターンだがやはり春樹ワールド炸裂でした!
答えの出ない物語、とても面白かったです。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.868:
(2pt)

だんだん文章が傲慢になってきた・・・

「風の歌を聴け」の頃の村上春樹が懐かしい。
あの頃のさわやかな読後感は、残念ながらもうない。

「あらゆるものは通り過ぎる。
だれもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。」

「ビーチボーイズは久しぶりに新しいLPを出した。
…素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね…」

あの頃が懐かしい。
ノーベル文学賞なんてとらなくていいから、
デビュー後のような素敵な作品を、また書いて欲しい。
1Q84 BOOK 1Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 1より
4103534222
No.867:
(2pt)

文章がだんだん傲慢になってきた

「風の歌を聴け」の頃の村上春樹が懐かしい。
あの頃のさわやかな読後感は、残念ながらもうない。

「あらゆるものは通り過ぎる。
だれもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。」

「ビーチボーイズは久しぶりに新しいLPを出した。
…素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね…」

あのころが懐かしい。
ノーベル文学賞なんてとらなくていいから、
あの頃のような素敵な作品を、また書いて欲しい。
1Q84 BOOK 2Amazon書評・レビュー:1Q84 BOOK 2より
4103534230

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