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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全262件 161~180 9/14ページ
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1985年(昭和60年)にオリジナルが出た本書は、平成20年を過ぎた今も面白く読むことがきる。 パラレル・ワールドを描く本書は、「カフカ」の先駆けのようなものだけに興味深いが、それにしても、当時は"Positive Fourth Street" "Watching the River Flow" "Menphis Blues Again" そして「激しい雨」が一本に収まったテープがあったんだなあ。 | ||||
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一回見ただけでは何がなんだか・・・しょうじき筋がつかめません はっきりって構成はでたらめな感じがします。ハルキムラカミの仕事はだいたいにおいてそうですが、一部例外を除けば、最初に大きなだいたいの地図を描くのでなく、地図の細部から描きだして、木の枝、植物の根のようにそれらを広げていきます。この手法では物語に落としどころをつけるのが非常に困難でしょう。しかしハルキムラカミはそれができる人です。だから物語として成立します。凡人はまねしないほうがいいです。痛い目にあいます。 この話ははっきりいいましてカオスです。そうです、ちょうど、私たちが夜に見る夢のようです。めちゃくちゃです。 まだ一回しか読んでないのでこんな感想ですみません。 次読むのは5年後ぐらいになりそうです。 | ||||
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暗闇は空間を均一化する 明るいところでは自分を中心とした距離もありあそことこことに差があるが、暗闇はそれをすべて奪い去る、つまり、あそこもここも区別が無くなるということだ。 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という作品は2つの世界が交互に現れる。ハードボイルド・ワンダーランドでは時間が加速したり減速したりひっきりなしに事件が起きて「私」はひと息つくこともできない。それに対し世界の終わりではゆったりとした時間が流れる、そして「僕」は光を失い「影」と別れる。生命の繰り返しがつづき人は記憶を失う。つまり、世界が「終わる」とは時間・空間の均質化なのである。世界自体は続くのではあるがそれは、「終わる」ということに等しいのだろう。 ところで、私たちは今科学が発達したいわゆる文明社会というものに生きているが、このような均質化が身近なところに潜んではいないだろうか?タレントがはしゃぐだけのテレビ番組、いつ動作しても同じ結果しか出ないコンピューター。ハードボイルド・ワンダーランドで技術の発達が世界の終わりの危機をもたらしたように現代の科学技術も世界を終わらせうるものではないのだろうか? | ||||
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約20年前桃色の布表紙の「豪華」箱本を購入したが ほぼ未読のまま捨て本となる。 さらに文庫本を再度購入してみたが、未だ読むに至らず。 著者の名前だけが一人歩きしているとしか思えない。 | ||||
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村上春樹初期4部作、他4冊ほど読んでそれなりに面白かったので今回この世界の終わりとハードボイルドワンダーランド を読んで見たのだが、 食べ物、音楽の曲名がこまごまと書かれていてうざったく感じた。 食べ物、音楽に関しては村上氏の小説の手法ではあるが他の作品では、 あまり感じなかったが今回は特にうざったく感じた。食べ物、音楽でなければその時の感覚を表現できないのだろうか? その食べ物、曲を知らない人には何も意味をなさないのではないか? 村上氏は読者が皆自分と同じように食べ物、曲を知っていると思って いるのだろうか? この小説を読んでいて村上氏にちょっと失望した。 | ||||
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反論もいくらでもあろうが 僕は本作が 現時点での村上の長編小説での最高傑作だと思う。その意味では本書を書きあげてから20年以上 村上は本書を超える作品を出せていないということだ。 まず第一に圧倒的な物語がある。近未来的な「現在」を舞台とした筋と、「世界の終り」の国で語られる物語を同時並行して進めていく腕力が素晴らしい。その二つの世界を巧みに文体を変えながら リアリティーを持たせて書いていくことは紛れもなく今までの日本にもなかったような「豪腕」である。 そうして その二つの物語が 最後に交差する瞬間は 一種の謎解き以上の美しさがあり それまで 手探りで読まされてきた読者に 「大きな閉塞感を伴った解放感」を与える。 「大きな閉塞感を伴った開放感」とは 幾分トリッキーな表現かもしれない。但し この作品の底に流れる「閉塞感」が 本作の第二の持ち味だ。 村上は その早い段階から「閉塞感」をテーマにした作品を書いてきたと思う。初めは 洒落た都会小説の底に「閉塞感」を忍び込ませて隠し味とする向きが強かったが 本作に来て 村上は 正面から「閉塞感」を書いたと僕は思う。「世界の終り」はまさしく「閉塞された」世界であり そこで どう僕は生きるのか というテーマを正面から掲げたのが本作であるからだ。 本作の最後は 明るさを持っている。それが本作の読後感のすがすがしさにもなっている。但し 時代は そうはならなかったのかもしれない。 この12年後 村上は「アンダーグラウンド」を書かなくてはならなくなった。 | ||||
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灰羽連盟のグリの国のモデルといわれる「世界の終わり」に興味を持ち、読みました。回りくどい比喩や、妙にさめたキザな主人公、ジャズやロック、映画、小説の固有名詞を多用し、知識をひけらかすよう言い回しは鼻につくとはいえ、日本が舞台とは思えないような妄想力にとんだ物語に、知らず知らずのうちに引き込まれました。もし自分の死があと24時間しかないとしたら、この主人公のようにきざに死んでいけたらと思います。 | ||||
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前々からこの作品の続編が噂されている。著者のファンである私もにわかに期待している。にわかに期待し続けてもう10年になるだろうか。後の長編ダンス・ダンス・ダンスで主人公である僕が、ある朝目覚めた首都高沿いの住居の一室で僕の居る場所の確認を再認識する場面があるが、その後に続く村上春樹作品に伏線として登場する〈私〉或いは〈僕〉の影のような存続性を垣間見せるところがあるように感じられる。 作品としてはふたつのパラレルワールドが同時進行する現実とも異世界ともどこかで繋がっていても決して不思議でないふたつの異なる世界で展開される。〔世界の終わり〕では、受動的な世界に居る〈僕〉は、分身である〈影〉を他界に送り出した後で〈彼女〉と共に新たな生活を選択する。〔ハードボイルドワンダーランド〕の世界では能動的な現世の中で半永久的な眠りに付く〈私〉は、目覚めることがあるとすれば果して本当は何時誰にどのように目覚められるのだろうか。ストーリーテリング溢れる、いろいろと想像力を掻き立てられる作品だと思う。 ふたつの世界の主人公である〈僕〉と〈私〉は巡り会うこと或いはひとつになることが出来るのか。果たしてそうなることが本当によいことなのか。 世界はもう終わっているのに。 | ||||
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村上春樹氏の小説、巧みに計算されていて、実に奥の深いメッセージが隠されている。いや、というよりも読み手側に、そういった段階ごとに読めるメッセージを重層化して、フレキシブルな読み方を許容しているのか。 個人の意識にフォーカスがあるのかと思いきや、戦後日本そのものを何かに体現させているかのようにも読める、技巧的な設計。 間違いなく現在の日本で代表的作家といってまったく過言でない。 本作品は、村上氏が相当時間をかけて臨んだ意欲作で、流れとしては、ねじまき鳥、カフカ、に連なる一連の作品になると思う。ねじまき鳥、は村上氏の技巧、設計、表現、などすべての点で、最高の次元にあるものだと思うが、この本作品は、そこにいたる流れを理解するうえで、大事なヒントをいくつも与えてくれる。 逆にねじまき鳥、ができすぎて、これからは、自分との競争に打ち勝って、よりすぐれた作品を書かないといけないのかと思うと、大きく書く内容自体を切り替えていくのだろうか、どうするのか、と心配すらしてしまう。村上さんー本当にいったいどこまで考えて、小説的仕組みを作っているんですか? | ||||
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私が考えていることの一つに人間の意識と無意識の関係がある。私たちは無意識の存在に普段そう気付くことはない。たまに夢を見るときにわかるくらいだ。しかし明らかに無意識が「在る」としたらそれは意識と共に動いているのではないか。この作品を読んだとき、私は二つの物語は主人公の意識と無意識を表わしていると感じた。だからこの本は独立した二つの作品として平行に進行しながら、と同時にひとりの人間の心の動きを示した構成でもあると私には思えた。イメージでいうと前者が左右に、後者は上下に進行している。そして合わせて一つ。まるでマトリョーシカのような物語だ!そんな風に思わせてくれるこの本がとても気に入っている。 | ||||
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村上さんの小説を読んでいつも思うのが、酒を飲んでるシーンと、女と抱き合ってるシーンがとても素敵に書かれていると思います。 このハードボイルドでも破壊されつくされた自分の部屋で、台所の流しの中に残ったウイスキーを飲みながら小説(ツルゲーネフのルージン)を読んでいるシーンがなんとも味わい深くて好きです。図書館の女の人も何とも魅力的な女性でそんな女性とベッドインしている主人公がうらやましく思ってしまいます。 激しい「ハードボイルドワンダーランド」と、静かな「世界の終り」の関係がだんだんと交わってきて、いいテンポで読むことができました。最初読んだ時はハードボイルドの方が面白かったですが、再読している今回は世界の終りのタンタンとした雰囲気がとても面白く感じられます。 | ||||
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「自分の中の世界」と「世界の中の自分」の対立を具現化した、極めて斬新かつ完成度の高い作品と思います。賛否あるでしょうが、「上手なレビューを書いた」程度で満足している僕たちには到底及ばない位置に作者も作品も存在していることを、もっと切実に痛感すべきではないでしょうか。こんな事を言うと気を悪くする方もいらっしゃるかも知れませんが、少なくとも僕(あるいは皆さん)はこの作品にあれこれ言及する資格すら持ち合わせていないと、考えています。批評が通用するのはそれ自体が創造の域にまで達した時だけです、多分。作者=小説の書き手という幻想を取り払わなければ、この小説の真価は見えてこない。村上作品はどれも読み手としての能力を存分に問うものばかりですから、信者もアンチも今一度読み直す機会を自分に与えるべきと思います。生意気言って申し訳ないです。いい小説ですよ、これ。 | ||||
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『壁』に囲まれた、『街』で『夢読み』の仕事をすることになった『僕』の『世界の終り』という小説と、『組織(システム)』で『計算士』として『暗号』を作るスペシャリストの仕事をしている『私』の『ハードボイルド・ワンダーランド』という小説が平行して語られる。 正直、これだけではなんのことかわからない。まったくの絵空事といえばそんな気もするし、現実にありえることだと言い切ってしまえばそんな気もする。どちらかというと『世界の終り』が空想で、『ハードボイルド・ワンダーランド』が現実、という印象を最初は与えてくれる。まったく交わりのわからない、平行した二つの物語。それは話がすすまないとわからないものだし、また話がすすんでもわからないものでもある。作中で明かされる秘密は、納得のいくリアルなものであると同時に理解不能なファンタジーですらある。つまりジャンル分けが非常に困難なのだ。ムラカミハルキという作家は常に東京を舞台にしていても全然東京でないような世界に変えてしまうのが得意だ。そんな、現実の舞台すらも架空に置き換えてしまえるような作家が架空の舞台について描く。秀逸である。 | ||||
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これまでの読書人生の中で上位5位に入る小説です。 すでに数年おきに3回読んでいます。 個人的には村上作品の中でも一番の秀作だと考えています。 ハードボイルド・ワンダーランドと世界の終わりのそれぞれの章が交互に書かれています。 ハードボイルド・ワンダーランドは、主人公が活躍?する現代日本を舞台としたハードボイルド・ワンダーランドなのですが、では世界の終わりとは? なかなか真相は明らかになりません。しかしだんだん明らかになります。小説を読むときによくありがちですが、読む速度はだんだん加速します。 でもその展開だけではありません。本当にこの作品は深いのです。だからこそ、繰り返し読んでしまうのです。 ちなみに、ボブ・ディランの曲がよく登場するので、彼の音楽を聴く方は、一層楽しめます。 前に夜中に読むのが好きと書かれていた方もいましたが、私はこの小説は秋の終わり〜冬に読みたくなります。「世界の終わり」の秋から冬が印象的だったからだと思います。 それで、秋が来たのでレビューを書いてみました。 | ||||
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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは何やら意味深なタイトルですが、何のことはありません。「世界の終り」という小説と「ハードボイルド・ワンダーランド」という小説が章ごとに交互に登場するわけです。というわけで、タイトルを深読みしようとすると肩すかしを喰うのですが、内容の方はいくら深読みし過ぎてもし過ぎることはないような、深い小説です。「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」は全く別の物語のように見えて、実はつながりがあることが最後にわかるのですが、それがどんなつながりなのかを言葉できちんと説明するのは難しいです。 とは言え、決して小難しくて娯楽性のない小説ではありません。まるでハリウッド映画のようなエンターテイメント性に溢れているところが本作の魅力です。また、村上春樹の他の作品と通底するテーマを扱っているにもかかわらず、本作には自己憐憫的な色彩が少なく、落ち込まずに読めるのも良いですね。私が読んだ中では村上春樹のベストだと思います。 | ||||
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世界的にも高い評価を受けている村上春樹の傑作の一つです。 リアルな世界(ハードボイルド・ワンダーランド)と主人公の意識の中の世界(世界の終り)がパラレルに展開していく。 前半ではそれぞれの世界が別々に進行しているようである。しかし読み進めていくと、実はつながって、それぞれの物語がもう一つの物語に大きく影響を及ぼしているということが分かってくる。世界のつながりを理解するとともにどんどんと小説に引き込まれていく。 実に巧妙に描かれた作品だと思います。一つ一つのの形容表現も、もっとも適切で無駄がありません。 | ||||
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世界的にも高い評価を受けている村上春樹の傑作の一つです。 リアルな世界(ハードボイルド・ワンダーランド)と主人公の意識の中の世界(世界の終り)がパラレルに展開していく。 前半ではそれぞれの世界が別々に進行しているようである。しかし読み進めていくと、実はつながって、それぞれの物語がもう一つの物語に大きく影響を及ぼしているということが分かってくる。世界のつながりを理解するとともにどんどんと小説に引き込まれていく。 実に巧妙に描かれた作品だと思います。一つ一つのの形容表現も、もっとも適切で無駄がありません。 | ||||
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正直言うと、大好きな小説にコメントは難しいものですね。この作品は村上春樹の小説の中で、特にその形式・構成の中のバランス計量感覚が十二分に発揮されている作品ではないでしょうか。もちろんいつもの表現描写も素晴らしいです。平易な読みやすさと複雑なプロット、静と動・カタカナと漢字ひらがなの二つの物語、など「一見相反するもの」を描いていきつつ、その構成とバランスが最後まで大きな破綻なく進行していく様子に驚きを禁じ得ません。こういう作品を長編として書くことは、著者自身にどれほどの緊張の維持を要求するものなのでしょう?そしてラストだけはいずれも「希望ある死(あるいは生まれ変わり)」という点で二つのストーリーが類似・対峙する、絶妙という他ない気がします。自分でもうまく説明できませんが、何故か夜中に読むのが好きな作品で、かつラストは明け方に読み終わりたいと思っています。夜明けに希望を託したい、本能がそうさせるのでしょうか。 | ||||
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『世界の終わり』と『ハードボイルド・ワンダーランド』二つのストーリーがだんだんと交錯していきます。 死について、そして、生について、考えさせられました。 | ||||
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1.「世界の終わり」の方の世界にリアリティが感じられなかった。 意味も感じられなかった。「ハードボイルド・ワンダーランド」 の方と同程度の分量が、果たして必要だっただろうか? 2.主人公に魅力が感じられなかった。すべての実験をくぐり抜けて 生き残った唯一の計算士にしては、内面が凡庸で、目的意識も希 薄で、読者に力を与えるようなパーソナリティーを備えていると は感じられなかった。 以上の二点の理由により、残念ながらそれほど楽しめませんでした。 | ||||
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