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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全262件 201~220 11/14ページ
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「あたたかく親密に自足していながら、 何かが途方もなく狂っていて不吉な、負の桃源郷的小世界」 村上春樹の文学世界の核心にあるイメージを、 そんなふうに言い表すことができると思う。 『羊』の北海道の農場や、『ノルウェイ』の「阿美寮」、 『カフカ』の四国山中の村などは、その好例だろう。 この作品に限って言えば、 隔章形式で繰り返される「世界の終り」と 「ハードボイルド・ワンダーランド」のうち、 前者が丸々この根源的なイメージの絵解きに充てられている。 となれば、多くの読者によって最高傑作と見做されていることも、 ある意味当然と言えるかもしれない。 作者自身、「その時点での自分の力よりも、 二、三段高いところにハードルを設定して書いた」 という意味のことを、どこかで書いていたはずだ。 あえて言うなら、「世界の終り」のパートの結末近く、 図書館の女の子の「心」を見つけるために 手風琴を弾く場面の描写は、やや甘過ぎるように思う。 「ダニー・ボーイ」という曲に特別な思い入れでもない限り、 いささか白けた気分になってしまうのは、仕方のないところだろう。 最後に一つだけ。 最近気付いたのだが、この作品の着想の少なくとも一部分が、 手塚治虫の『ばるぼら』にインスパイアされていることは、 ほぼ確実だと思う。 文庫版なら下巻の後半あたりで、主人公の作家が、 「ばるぼら」という名の女と一緒に、 東京の地下をさまよい歩く羽目になり、 ようやく地上に脱出したかと思うと、 「センセ、あと○時間だね……」 と言われる場面があるのだが、 こう書いただけでも状況が酷似していることは、 すでに読まれた方はお分かりだろう。 興味を持たれた方は、チェックしてみることをお勧めする。 | ||||
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村上さんの本のなかで一番気に入っていて、何回読んでいるか分からないくらいだ。何回も読んでいるのにたまにふっと読んでしまうそんな魅力のある本だと思う。「ハードボイルド」編では計算士である「私」が架空の生物、やみくろがいる地下へ自分の秘密を知りに冒険する。真っ暗でやみくろが支配する地下での冒険はシリアスでとてもおもしろい。そして、壁に覆われて完璧な世界「世界の終わり」編に少しずつリンクし謎が明らかになっていき、最後に驚くべき結末が待っている。このラストシーン・・・大好きです。また、最後に残された時間が少ない中で図書館の胃拡張の女の子と食事をし、一緒に過ごすシーンも好きだ。あと、やはり主人公がかっこいいんだよね・・・しゃべり方とか、考え方とか女の子への接し方とか。ぜひ、もっとたくさんの人に読んで欲しい!! | ||||
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エレベータの中で左右のポケットの小銭を数える私。 うーん、冒頭から引き込まれる。 美しい情景の中で、引き剥がされた影を思い、図書館の女の子に恋をする。 この話は初期の三部作と繋がっている。影はすなわち鼠であって、その影に対しての僕の選択は極めて重要な意味と真実を持つ。 さて、その世界の中で僕は何を選択をするのか。歴史に残すべき傑作。 | ||||
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他の人はどのように思っているか分からないですけど、僕自身は「私」という感覚に対してとても不確定性を感じています。おそらく、その感覚は身体の外にあるのではなく、しかし意識の中にあるのでもないと思います。「私」を「私」として実感させられる物事というのはそういったものではなく、人との関係であると思います。 美味しいコーヒーを飲んで、気に入った服を着たり、または優れた本とか音楽とか映画に自己を没入させても、そこには活動をする自分という与件しか感じることはできない。僕たちの存在を肯定してくれるものは、他人との交歓ではないでしょうか。それは数少ない「友人」とか好きな異性とか「小さき者」との語らいだと思います。 村上の作品を多くは読んでいないので確かなことは言えませんが、彼の作品の主人公は独りである場合が多いように見受けられます。周りの人間に馴染むことができないという状況で物語が始まり、何かの出会いがあって話が進む。その間、主人公は分析的な独白を続けます。主人公には好きな異性も出てくるがそこにも内省がある。他人との関係に酔えないような、自己を絶え間なく対象化する透き通った(?)感覚のようなものがある。 その一方で、個人を道具として見なす管理社会化が進み、僕たちの意識はますます希薄になる。社会が人間を使役させるのは当然のことだとしても、その結果が希薄な現実感覚であるというのはあまりにも哀しいことだと思います。村上さんは現実態としての自分を受け入れろと言っているんじゃないでしょうか。 この作品は読むのが疲れますね。マンガの『MONSTER』にしてもそうですけど、途中で中だるみしている感が否めない。特に物語の中盤とか。そこにも何らかの意味があると思うし、そもそも文学というのは中だるみとかそういうものではないと思いますが、僕には退屈に感じられました。それ以外の部分は読ませる内容です。 | ||||
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著者の最高傑作だと思います。 稀有の物語る人、村上春樹。 小銭稼ぎのような本も何冊か出ていますが、彼をサポートしていると思うと分かっていて買ってしまいます。それもこれも、本書や初期三部作、短編の数々の素晴らしさのなせる業です。 2重構造の鮮やかさ。ハードボイルドワンダーランドと世界の終わりを別に読んでも楽しめます。 我々誰もが持っているであろう、現実と非現実、意識と無意識。こうした、人間の多重構造をも示唆しています。 そしてなにより、次はどうなるんだろうとわくわく楽しみながら読めます。 この作品でというのではないですが、ノーベル賞を取るかもしれませんね。 | ||||
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出だしから全く別の2つの物語が交互に進められていくのに多少違和感を感じて読み始めました。それでも、下巻に入るとその二つの物語の係わりが分かるようになり、段々と話に吸い込まれるようになり、最後の「世界の終わり」まであっと言う間に読み終えました。 「死」は誰にでも訪れることなのに、誰も「死」ということがどういうことなのか認識できていないでしょう。身体は消滅しても、心はどうなるのと言う疑問を多くの人が持ったことがあると思います。そんな疑問に対する確かでない答えの一つをここに見たように思います。意識の上で人間が死ぬということが、どのように訪れるのか。認識によって捉えられる世界の姿とは。永遠の生を受け、自分自身になれる不死の世界とは・・・。 一人の人間の今現に生きている世界と、その世界が終わってからの永遠の生の世界の認識の仕方がおもしろいです。 | ||||
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村上春樹の作品はこれが初めてです。 これはファンタジーなのか否か?という何とも形容しがたい雰囲気の中で、独特の二つの世界が同時進行してゆきます。それと共に感じるのはこの物語全体を包み込む、清々しいような孤独感。 二つの物語がラストに折り重なる様は何とも言えない気持ちになりました。もの凄いメッセージが秘められているようにも思われ、ただ、一人の人間の中で世界が終わっただけのようにも思われる。読む人によって様々な思いを起こさせる。まるで詩のようです。 カラン、と音がするような乾いた孤独な世界の中には、想像力の源が詰まっています。 | ||||
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この本を読んだのはこれで3度目です。機会があってまた手に取ってみました。丹念に読んでいるつもりでも、読み始めるとスピードがついてしまう不思議な物語ですね。「本が好き」という方でも、『同じ本を2度手に取る』という機会は少ないのではないでしょうか?(実は私がそうなのですが・・・)確かこの本を初めて手に取ったのは学生の頃だったので足掛け10年になると思いますが、その間になぜかこの本は複数回「ああ、あれが読みたいな」と思わせられることがありました。とても不思議な感覚です。そんな気持ちになる本は私はあと2つしかありません。内容は「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」の重層構成になっていて、それぞれの物語が短編形式で“繰り返し登場”します。そこにリンクを読み取るも、2つの物語として読むも、それは読者の自由。好きに読んでいいのではないかと思います。とっても想像力をかきたてる物語(その割には淡々とした描きぶりで読者に押し付けるようなところがないのが好きです)で、私の中のイチオシです。 | ||||
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上巻を読み終えた時点で、下巻でこれほどすべてがクリアにされるとは想像つかなかった。「ハードボイルド・ワンダーランド」も「世界の終り」もどちらもとても暗い世界の中でストーリーは進むが、上巻と比べてとても視界がいい。そこまで作者が意図したかどうかはわからないが、その変化が心地よく感じた。クライマックスに向けてどんどん希望が見えてくる。やはりどんな暗い現実でも、人は希望を求めてしまうということだろうか。「ノルウェイの森」よりも「ねじまき鳥」よりもこの作品が好きだ。 | ||||
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面白くて、しかも深い文学。その意味で、村上春樹の最高傑作と言われる小説です。奇数章と偶数章で別個の物語が交互に描かれます。ひとつは、ハリウッド映画を思わせるハードな展開、近未来的舞台装置、小憎らしいユーモアに満ちた「ハードボイルド・ワンダーランド」での物語。もうひとつは、宮崎アニメを思わせるファンタジー世界での内省的で静かな生活、草原と古い建造物に囲まれた「世界の終わり」での物語。「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公は暗号の解読を依頼されます。次から次へとハードなアクションや冒険が巻き起こる。ダイハードか007か、と。「世界の終わり」の主人公は影を失い、光を失い、壁に囲まれた幻想的な世界での生活を始めます。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーみたいに町の中を冒険する。どちらの物語も謎で引っ張ってくれるので、夜更かししてでも先を読みたくなります。独立した作品なので、村上春樹作品を読んだことのない人でもすぐに理解できる、読みやすい小説です。その上、文学的には「ノルウェイの森」と「海辺のカフカ」を含み込み、「ねじまき鳥クロニクル」と肩を並べる小説と言えるでしょう。村上春樹ってどんなもんかな?という人はこの作品から読んで間違いはありません。大長編ですが、あっという間に、楽に、読み終わってしまいます。しかも、村上春樹にとって、最も重要なテーマが表現してあります。社会に対する不満を強く感じている人には、治療薬ともいえる小説ですね。 | ||||
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氏の作品はこの長編で初めて出逢った。友人から(それまで小難しい哲学書ばかり読んでた小生に)「これ、漫画本みたいに読めちゃうけど読んでみてよ」と云われ、分厚い装丁のズシリ感(私は単行本で読んだ)に惑わされて手を出したのが、運のつき・・・見事にハマッた・・・とにかく面白い!!冒頭の“エレベーター”のシーンから「イッタイ ナニガ ハジマルンダ?!」異様な匂いに圧倒されながら物語りはどんどん進んでゆく。二重構造の 〔世界の終わり〕の方では “影”の存在、“図書館”の色調・・・〔ハードボイルド〕側の色彩とは全く違う世界を確立。「迷路のような感覚」に恍惚する。“ポジ・ネガ”を想わせるような構成。「死(消滅)とはなんぞや?」というテーマを(氏がよく扱うテーマだが)“色”と“匂い”で著した作品。このアイデアは氏にしか描けない世界観だと想う。「羊を・・・」や「ダンスx3」のようなダイレクトな“哀しみ”の表現の仕方はしていないが、クールな内に秘めた “悲痛さ”が伝わってくる。単行本の ピンクの装丁が作品とある意味 ミスマッチしていて内包された世界を表していて素敵だ。 | ||||
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計算士の≪組織システム)≫と記号士の≪工場ファクトリー≫が世の中の情報を独占し、二分化している世界で、「私」は計算士として特殊な思考回路を使い働いていた。ある時「私」は意識の核に何かをほどこした張本人の老科学者に依頼され知らないままに、情報の『洗いだし』と『シャフリング』を行う。その依頼を受けてから、「私」の意識の核が特別であることがわかり老科学者の孫と共にその秘密を探る。これが「ハードボイルド・ワンダーランド」。「僕」は気づくと門の中から壁の中の街に入っていた。そこは一度入ると出られないし入るときに影と別れなくてはいけない街だった。街には一角獣たちが暮らし冬になると死んでいく。そして「僕」はその一角獣の古い頭蓋骨から古い夢をみる『夢読み』になった。そこは≪世界の終わり≫だという。これが「世界の終わり」。(注:意味不明な言葉は作中でだいたい説明されています)この二つの話が交互に展開していくのが本書の一番の特徴である。いっけん何の関わりもなさそうな話が少しずつシンクロしていく。読み始めたら、すぐに引き込まれた。他の村上作品に比べて現実感という面ではいっそう薄いかもしれないが、一番好きな作品。主人公の運命は、はじめのちょっとしたトラブルから、世界を背負った逃れられないものに発展してしまう。読んでいると、そういうどうしようもないやるせないもどかしい気持ちを感じる。”「信じるのよ。さっきも言ったでしょ?信じていれば怖いことなんて何もないのよ。楽しい思い出や、人を愛したことや、泣いたことや、子供の頃のことや、将来の計画や、好きな音楽や、そんな何でもいいわ。そういうことを考え続けていれば、怖がることはないのよ。」”本当はそういう時のために、素敵な思い出って蓄えているのかもしれないと思った。 | ||||
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私は、村上春樹ファンだ。誰が何と言おうとファンである。この作品を読んで思ったこと。「つまらない」正直に言って悲しくなった。中途半端な哲学書・・・・・・それがこの作品のタイトルといって良いだろう。イメージとしては、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』という感じだろうか。「心」の持つ不完全性をテーマとして、様々な事象に疑問を投げかける。考えることに対する崇高さ、当たり前のことを当たり前としてとらえれば、そこに不条理さと新鮮さが生まれてくる・・・・・・そんなことを私は彼が言いたいこととして読み取った。しかし、「だからなんなのだ?」といいたい。小学生~高校生に対して書かれた、ただ漠然とした彼の哲学感を投げかけた小説なのだろうか。抽象的かつ印象深い比喩を多用した彼の文体は相変わらず読んでいて心躍らせてくれる。ただ、肝心のストーリーがはっきりいって「つまらない」。抽象的に哲学っぽいことを語れば純文学なのか?村上春樹はこの程度の作品をして、最高傑作と呼ばせていいのだろうか?正直言ってショックである。 | ||||
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自分が自分である所以とは何かを考えさせられる、非常に深い物語。「私」は心に他人には踏み込めない「壁」を抱えた人間。その「壁」の中には「街」がありもう一人の「私」はその街に暮らしている。つまり壁の中の街は主人公の自我を象徴している。人間は「心」があるから悩み、憎み、苦しむけれど、「心」があるからこそ幸せや喜びを感じることができる。でも一体「心」とはなんなのか?自分の「心」はどこにあるのか?そんな答えの出ない疑問を投げかけ続ける、哲学的な物語。村上作品の中でもっとも骨太な作品だと思う。 | ||||
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朝から鉛色のよどんだ空村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の中の「世界の終わり」塀に囲まれた場所から眺める空のようだ「ハードボイルドワンダーランド」ではシャッフリングするためのパスワードに使われる「世界の終わり」は何を意味するのだろうか | ||||
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面白いです。結局僕と私がなんだったのか最後のほうでわかります。「やみくろ」とか意外と楽しませてもらいましたね。でも、少しわからない専門用語があったような気がします。 | ||||
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「世界の終り」「ハードボイルドワンダーランド」といった二つの物語が描かれているこの本。読んでみる価値はある。 通常、自閉は悪いものだ、早く社会復帰せねばならない、とされているがどうだろうか?「社会が正しい」という証明は誰にもできないだろうし、したところでほとんど意味は無いようにおもう。かといって「自分が正しい」これを証明するのも不可能だろうし、現実問題として生きていくためには社会と共に無くてはならないケースが多い。結局、正しかろうと、そうでなかろうと人は社会に受け入れられなくてはならないのは確かだろう。如何に自分が社会に会わないと感じても、どんなに自分にとって社会が理不尽であると感じても... この物語で主人公の選ぶ選択は現実的ではないのかもしれない。だからこそ私はこの物語に憧憬の念を抱くのかもしれない。 | ||||
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「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」のまったく別々の地点から始まる2つの世界が交互に折り合いながら進んでいく、村上さんの作品のなかでとても評判のいい小説です。 このそれぞれの主人公が導く結末の捉え方が人によってまったく異なるという、読み終えたあとに腕を組んでうなってしまうタイプの小説であると思います。 読みやすい文章だけれど長いし象徴的な小道具が多用されているので、世界に浸りきれず頭のなかに「?」が出たまま終わってしまう人も多いかもしれません。 でもこの世界をそのまま受け入れることができたのなら、結末も含めこの世界を何度でも反芻してしまいたくなる不思議な力をこの小説は持っています。読み返さなくても思い返すだけでも。もちろん読み返したほうがいいのだとは思いますけれど。 もしかしたら村上さんは「シャッフリング」を行うことと小説を書くことは同じように捉えているのかもしれない。そしてぼくは「ピッチカート」という表記よりも「ピチカート」という表記のほうが好みです。まあどちらにしろ勝手な意見なのですけれど。でも「イワン」より「イヴァン」のほうが好きです。あ、これは下巻か。 | ||||
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数ある村上作品を読んできましたが、この作品が一番ファンタジーですね。現実離れしているというか、登場人物全員に名前が与えられてないことからもそれが分かります。この作品では、体と影(心)、表層意識と核、街と森という対立する事象を通して物事のニ重性を描いていると感じます。体と影を切り裂く。体の立場から見たことと影の立場から見たこと、それらをもう一度綴じ合わすことで本質が見える、みたいな。〈世界の終わり〉のほうのストーリーは映画『千と千尋の~』に似てる?と思いました。〈ハードボイルド~〉はすごいSFで映画のマトリックスを観ているようでした。この作家の想像力にはつくづく感服です。村上作品の多くは『アジール』について描いていると思います。自分にとってのアジールを作り、守ること。そしてそのアジールに引き込まれないこと。これがこの作家のメッセージだと思います。 | ||||
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上下巻で結構ボリューム(700~800ページ)ありましたが、以外とスイスイ読めます。但し下巻は、博士との意識についての話が少し難しくて、自分はその部分だけは2回位読んで、何とか理解したつもりです。壁に囲まれた街、夜の図書館、古い兵舎、森の中の発電所等の情景が半分懐かしくも、半分奇異な独特な雰囲気が漂う面白い設定でした。2つの物語が同時並行しますが、どちらか片方を読むならば、壁の街をお奨めします。(そんな人は滅多にいないでしょうが) | ||||
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