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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全262件 101~120 6/14ページ
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1963年にノーベル生理学・医学賞をもらったエックルスは、1982年の論文で、現実の物理的世界(脳:膨大な神経細胞の精緻な装置)と心(意識)が、別々に存在すると言わざるを得ない、という実験事実に直面してしまい、「脳の二元論」仮説を、最晩年になって提唱しました(現在でも、すべての脳研究者が直面する問題です)。 「脳の二元論」仮説では、頭骨の中にあるのが、コンピュターをはるかに凌ぐ “超複雑な装置:システム” であり、頭骨の周りに、物理的実態のない靄(もや)のような “心(意識)” が漂っている、というイメージです。 私は、エックルスが提唱した「脳の二元論」仮説には与しませんが、村上春樹は、生理学者エックルスやシェリントンの唱える「脳の二元論」を文学的手法で表現しております。 「世界の終わり」が、実体を持つ、我々の物理世界、すなわち、脳のシステムとしての概要・全体機能を表現しているのに対して、「ハードボイルド・ワンダーランド」は、脳システムに対する、心(自我、意識)のポジションを文学的に表現しております。ふたつの並列する物語の中で、「世界の終わり」では<影>が、「ハードボイルド・ワンダーランド」では<私>という表現が “心の実体(核)” である、即ち、<影=私>、というようなフレームワークで物語が構成されております。 村上春樹の作品は、総じて、いわゆる小説というより、小説の名を借りた哲学書、あるいは、心理学書と言えるのかもしれません。確かに、読むと癖になる、麻薬のような性質があると思います。 | ||||
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世界の終り、そしてハードボイルドワンダーランド。2つの世界は、最終的には隔てていた壁をすり抜けて繋がるというか、共存するというか、僕にはそのように感じた。 なんとなく「主人公が作り出した虚像の世界」のような意味深な文章が世界の終りには読み取れた。ハードボイルドワンダーランドは、太った娘の存在がキーである。彼女と主人公のやりとりは、村上春樹らしい独特な言い回しの会話といった感じで、春樹氏のファンはそれだけで楽しめる。 それにしてもテーマがよく分からないのだ。春樹氏の長編小説は読後にどこか青春を思い出させる、美しい哀しみや切なさを思わせるのだが、今回僕の読後の感想は、あまりにも難解だ。と頭がどこか混乱したのだ。 きっとこの物語の本質を知るには、行間や意図から、想像し、さらに創造し、読み取らなければ、本当の答えは見つからないのだろう。 やれやれ。 | ||||
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村上春樹歴的には、1Q84を4年前に読んだだけで、そのときは、なん だかよくわからないけどもぐいぐい引き込まれる!と思いました。 面白いっちゃ面白いなーと思いました。 そして、時を経て、評価の高そうなこの世界の終わりと~を読んで みました。 なんだか、斬新な小説だなー、、という感想。 面白いような気はするんだけど、いまいち素直に入り込めないこの感じ。 まー面白かったような気がするけど、読まなくてもよかったかなー、という なんとも言えない読後感。 村上春樹のこの独特な雰囲気が好きな人には面白いんだと思いますが、 個人的には、池井戸潤のわかりやすくてスカッとする作品を読んだ方が 面白いし、元気が出ると思います。 (余談かもしれませんが、普通にそう思いました。) | ||||
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村上さんお得意のルートが二つある物語です。 暴力的な世界と童話のような世界が同時進行していくお話です。 世界が交差するかしないかで話がうやむやになったのが心残りです。 村上作品は毎回この続きはどうなったのだろうと気になってしまいます。 自分はカフカとこの本をお勧めします。 ノルウェイの森はちょっと肌にあいませんでした。 | ||||
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村上春樹は現実的な世界を舞台にした小説といわゆる奇妙な人物が絡み現実がどこかでねじれたような 奇妙なファンタジーの作品の2つの流れがある 本作は2つの物語を平行に進めているということもあってか、この2つのイメージがほどほどのところで バランスがとれていて、しかも長くない(長編連作のようなクドさがない)ということで村上春樹を一冊読んでみよう 村上春樹はどれから読めばいいか、と悩んでいる人に自信をもってお薦めできる一作 どこか達観した主人公、洒落た(スカした)会話、癖のあるヒロイン 抽象的な世界観、奇妙な登場人物、日常が非日常へと緩やかに変化するミステリー的エギミック 前半の要素がアンチを生む要因にもなっていると言われますが、それでも支持が厚いのはそれらの要素がスパイスになって より後者の要素が際立って魅力的に描写されているからでしょう。 平坦な文章ゆえ読み手を選ばないというのも大きいのかも。 個人的にはデヴィット・リンチと近い要素があるんですよね。特徴が被るというか。 主人公像だけはけっこうかけ離れてる気もするけど・・・。なんにせよ入門編としてお薦めです | ||||
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しかしもう一度、私が私の人生をやり直せるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが――その失いつづける人生が――私自身だからだ。 「世界の終り」で人々は、自分の「影」を死なせることにより、感情を消滅させ、喜びもないかわりに苦しみもない、穏やかな世界に暮らしている。そこには義務も寿命も時間もなく、存在することはとても楽だ。しかし、心はどこへ行くのだろう。心を失って生きることが、果たして生きることになるのだろうか。 村上春樹はあまり好きでないのですが、この作品だけは宝石箱のようにすばらしいと思います。どのページを開いても、その言葉や文章のひとつひとつに、啓示のようなものを感じます。主人公の男性はある理由から、自分の意識の中に閉じ込められることになりました。そこは「世界の終り」であり、心を捨てた人々が、苦しみも悲しみも争いもなく、穏やかに暮らしています。しかし彼は気付きます。人々が捨てた自我は、「獣(一角獣)」が引き受けていることを、そして彼らが人々の代わりに苦しみ、やがて自我の重みで死んでゆくということを。 生きることは心を持つこと。苦しみ、悲しみ、あるいは喜ぶこと。ユートピアなんてない、幸せにはなれないかもしれない、それでも心をもつことだけが、ただ唯一生きている証である。大学生のときにこの本に出会い、私は自分の心が救われるような気がしました。 一番好きな一節を冒頭に引用しました。確かに人生とは失うことのような気がします。それでも自分は自分にしかなれないと、村上春樹は言いますが、それは決して絶望するようなことではなく、逆に希望や安心なのだと思います。自分が自分であることが生きる価値であり、自分は自分以外にならなくて良いからです。 すべての感情は心の作用(あるいは脳の電気信号)なので、あまりに大きな苦しみ・悲しみに直面した際、いっそ心を捨ててしまえたらと思うかもしれません。しかし、心を捨ててしまえば、生きることも死ぬこともできなくなってしまいます。不条理な世の中で、辛いことのほうが多いくらいですが、それでも、心をもって生きて行かねばなりません。それが生きることの価値だから。人間にとって最も大切な真実が、この作品の中にあります。 | ||||
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正直言って私は村上春樹の作品は好きではない。ナルシスト気味な主人公に、やけに鼻につく比喩表現。抽象的でとらえどころがなく、現実離れした村上ワールドはどうしても好きになれない。 しかし、本作に限っては別である。前述の村上春樹らしさがありながらも、この小説は現代人に充てた力強いメッセージがちりばめられている。詩的な芸術と恋愛、ミステリー、そして反抗というあらゆる要素を併せ持つ小説を村上春樹は創りあげている。 私はこの小説のテーマは、大量消費社会に疑問と不満を持った文明社会への反抗ではないかと思う。その理由として、まず「世界の終り」が反物質主義的な理想郷で、その反対に「ハードボイルド・ワンダーランド」は物に囲まれた〈私〉の物語になっている。 物や情報が飽和しているかのように見えるこの世界で、同時に人の心も満たされているとはいえない。それは「ハードボイルド〜」の世界から読みとることができる。逆に「世界の終り」には豊かさを求める心がない。どっちが幸せなのだろうか。「世界の終り」の〈僕〉は影の誘いを断って街にとどまることを決断する。この選択こそ人間がどうあるべきかを示しているのではないか。物に支配されていた〈私〉は解放されて、自分が創りあげた世界にいる〈僕〉へと変わっていくのだ。消費社会を批判することをテーマに、自然への回帰、より物に支配されない生き方をするべきだと言っているのではないだろうか。 独特の世界観に合う、合わないはあるだろうし、ご都合主義な点も多々あるが、真剣に本書の痛烈なメッセージと向き合ってみる価値はある。 | ||||
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心のない世界である「世界の終わり」は、 対照的に心を持つ我々の住む「現実」世界の尊さを教えてくれる。 勝つ歓び、負ける悔しさ、至福、そして絶望といった心の変化はまさに世界をバラエティに富ます。 心がなければ機械のように単調な作業が毎日同じように繰り返されるばかりだ。 「世界の終わり」にはこのような欠陥があるのだが、 本作品はそのことを問題点として提起しつつも、 全面的にそれを否定することはなく、 むしろ心のある現実世界との共通点が導き出される。 そこに本作品の意義深さの一つがある。 | ||||
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「世界の終わり」の住人たちのほとんどは、自分自身の影を持っておらず、また心も持たない。 一方、「世界の終わり」に住みだした「僕」は、そこに住む代償として自身の影を切り離されたものの、完全に影も心も失ったわけではない。 このことは、「影」が心そのものではなく、心の投影であることを示唆している。 実際、図書館で「僕」の夢読みを手伝う女の子は、自身の影を失っているにもかかわらず、心を取り戻す可能性を感じさせる。 それは心そのものを失っていないからにほかならない。 | ||||
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世間で評判の村上作品。 気にはなっていたので読んでみました。 どの作品にするか迷いましたが、ピースの又吉さんがオ ススメの一つにあげていたので本作品にしました。 感想。 自分には人気の理由がいまひとつ分かりませんでした。 10代の頃によく読んだ眉村卓や星新一のSF小説を思 い出しました。 あのころであれば、自分もハマった気がします。 藤沢周平作品などの簡潔明瞭な文章になじんでいるため か、文章がスーっとはいってきませんでした。 しばらくしてまた読み直したら、かわってくるかもしれ ません。 | ||||
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今まで村上春樹作品を食わず嫌いをしておりましたが これ程話題になっているのに読まないのは勿体無いと思い 代表作とも呼ばれている本作を手にとりました。 やはり評判になるだけはあり、読みやすい文章、引き込まれる展開、 巧みな描写表現はさすがとしか言えませんでした。 ただ結局主人公は何のために動いていたのでしょう。 ところどころに書き込まれる主人公の主観的風景。そして有名なSEX描写。 ストーリーと関係が無い無駄な動きをする中で、彼の世界が終ってしまうと言われても 主人公は指示されたことをするだけ、受け身的に流されるだけでした。 周囲に何が起きても彼自身は頑なに日常を送り続け、 何かが解決されたり改善されることも無く話は終わってしまいます。 そしてラストは「世界の終り」と「ハードボイルドワンダーランド」という二つの平行するが 漸近し、交わるかと思った瞬間に話が終ってしまいました。 お互い主人公達は何のために、何を行って、どうなったのかも分からないままにです。 また何度も引用される難しい言葉や知らない音楽は読んでいて辛かったです。 これは発売された世代が違うのが問題だと思いますし、私自身の知識不足もあるかと思います。 ただ大半が知らないものなので全く共感できませんでした。 この本を楽しめる人は、そういう難しい言葉を最初から知っている人であり 後から難しい言葉の意味を調べて知ったところで多分楽しめないのだろうと思います。 それは格好良い人の服装だけを真似して、中身が伴わないようなものなのでしょう。 そういった意味では私にはこの本の面白みを感じることはまだ難しかったようです。 | ||||
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完全な世界は存在するはずがない、だがその完全な世界であっても影をとどめておくことはできず逃がしてしまう。それはさながら世界のほうから影を逃がしてやるかのようだ。この小説が素晴らしいのは、二つの物語が展開すると同時に、その二つをつなぐもう一つの物語、影の物語をも浮かび上がらせているということ。伏線が展開されずに残っているように見えるのはそのためか。様々な主題を詰め込んでごちゃ混ぜにした、コラージュとして読むこともできるだろう、だがごちゃ混ぜにしてはずいぶん整理が行き届いている。この小説が書かれたことをぼくたちがどう受け止めるべきか、そうしたことを本気で考えてしまう……そんな渋みのある作品かもしれない。それは通常の意味での渋みとは違っていて、それまで読み手の中でぶれてしまった世界に揺さぶりをかけ、読み手にとっての「完全な世界」に留まることを要求するものなのだ。こんなにハードボイルドな本はそれまであり得なかったろう。 | ||||
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小説として面白いとは思えなかったが、本作が1990年代の旧エヴァを経てセカイ系に繋がる問題構制を1980年代に先取りし、アニメやゲームなどのポップカルチャーに影響を与えた点は注目に値する。 安倍吉俊監督のアニメ『灰羽連盟』は本作の「世界の終り」を範としている。またゲーム『AIR』『CLANNAD』の脚本を担当した麻枝准は、本作から強い影響を受けたと語っている。 日本文学の中で、必ずしも高い評価を受けてこなかった村上春樹が、なぜ世界中で読まれるのか。それは現象としては、日本製のアニメやゲームなどがオリエンタリズムとは無縁なポップカルチャーとして海外に輸出されている状況と連動していると見るべきだろう。翻訳上の問題が殆どない透明で平易な文体(これは吉本ばななも同様である)で書かれているということも大きい。 村上春樹は英語圏ではスリップストリーム(主流文学とSF・ファンタジー等の通俗文学との境界解体)やアヴァン・ポップ(前衛文学とポップカルチャーの融合)の枠組で捉えられているが、そういう観点から見た無国籍的で匿名的な日本文学としては、安部公房の系譜に連なるものともいえるかもしれない。 村上春樹の場合は、1960年代の学生運動の挫折という社会的背景もあったのだろうが、社会関係への参与を拒絶し内面性に引きこもること(村上春樹がいう「デタッチメント」)、現実を見ないことで傷付くことを避け、自己を防衛するという傾向があり、本作で描かれる「世界の終り」はその産物である。 それは主人公が潜在意識内で作り出した一種の仮想世界であり、外界から壁で隔てられたその街は、快楽も苦痛もない、アパシー(無感動)の、不死の安らぎの世界である。しかしそこでは主人公は心を、つまり自分自身を喪失せざるを得ない。本作はそのようなジレンマを幻想的な物語として表現しているが、総じて自閉的な独白に終始しており、そこには旧エヴァのような内在的な批評性も希薄である。結局、資本制のグローバル化による生活環境の均質化を背景に、孤独な個人が抱える喪失感を自己愛的な物語に解消しようとする癒しと慰めの装置でしかないのではないか。 東浩紀(『クォンタム・ファミリーズ』)や宇野常寛(『リトル・ピープルの時代』)は、かつての蓮實重彦や柄谷行人等による村上春樹批判に抗い、特に本作に着目して村上春樹をポップカルチャーの文脈で再評価し、かつ批判的に乗り越えようとしている訳だが、彼等の春樹評価は、柄谷・蓮實以降の批評が春樹を文学的にdisってきたことの反動で過大になっており、かなり無理があるように感じられる。 | ||||
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なかなか読むのが難しい。 ファンタジーなのかもとおもいました。 | ||||
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二つの世界がを表現しながら、主人公は誠実に課題に挑戦していく。村上春樹の作品の登場人物は誠実なのがいい。 | ||||
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二つの世界を見事にひとつに重ねた結末には唸りました。安部公房の「壁」を思い出しました。 | ||||
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書き出しから結末まで、すべての筋書を頭に描いてから文字にしたんだろうと感じさせる一本通った内容が気持ちよく面白い。 へそ曲がりで、流行の作家を読まない私だが(この本は人の推薦)、成る程これなら・・・と思わせられる一冊(上下だから2冊か)だった。 | ||||
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二つの交錯するストーリー、そして最後にそれらが結合していくエンディング。圧巻でした。とても印象深い。世の中には、余命が分かってしまった人が気を取り直した後に「どうやって残りの日々を楽しく過ごそう?」と知恵を絞ったり、視力が尽きてしまう人が「何を見ておくべきだろう?」と熟慮する映画があって、そんな作品を見た後には「もし俺(私)だったら何を?」としみじみと考え込むことってありますよね。何が大切なのかを考えたり、そういう状況に自分は立ち向かえるか勇気を問い直したり。そんな重厚感のある読後感です。作りはSFチックですが、文学だから構いません。村上氏の才能に酔いしれてください。 | ||||
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村上春樹の小説は「ノルウェイの森」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」などを読んだが、その中ではダントツに好きな作品。 村上春樹小説の特徴である「ニヒリズム、オシャレ感、性的描写」がこれほど上手くはまり込んだ作品を、僕は他に知らない。 他作品では、普通の学生が主人公なのに、嫌にニヒルで偏屈なため、感情移入しにくかったりするが、本作の主人公は特殊な職業に就く特殊な人物なので、そこに嫌らしさがなく、音楽、料理のオシャレ感や、性的な描写も、非日常に翻弄される主人公(及び読者)に、ホッとする日常を感じさせる、箸休めのような存在となっている。 村上春樹の「ニヒリズム、オシャレ感、性的描写が苦手」と毛嫌いしている人でも、この小説は好きになってもらえるのではないかと思う。 SFとファンタジーが織り成す、独特の世界観。 設定の面白さと、それを肉付けするディテールの作り込み。 アクの強い登場人物たちの魅力と役割設定。 物語が収束していくカタルシス。 適度に謎と余韻を残す、もう一度読みたくなる読後感。 全てが素晴らしく、非常に考え込まれた完成度の高い作品。 とにかくオススメ。ノルウェイの森などの上記3作にハマれなかった人にもオススメしたい。 | ||||
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圧倒的な質量を感じる小説です。 実は、この作品は何度か読み始めて途中で挫けてしまったことがあります。 村上氏の長編小説はこの作品から二つの物語が交錯するスタイルが出てきたんですね。 村上氏の小説を読むのが今では何よりの楽しみなのですが、まだ十分に慣れていない頃、受け入れづらかったんだろうなと思っています。 『海辺のカフカ』『1Q84』を先に読んでから再びここに戻ってくると今度はもうどうしようもないほど興奮させられました。 こういう場合もあるかもしれません。 ビートルズの曲に『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』というのがありますが、ポール・マッカートニーとジョン・レノンが作った別々の曲をつなぎ合せています。 同じく『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』はジョンの曲ですが、別々のレコーディング・テイクをつないでいます。 この小説を読みながら、こういった2つをつなぎ合せた曲を連想しました。 村上春樹さんの小説はいろんなことを想像させられます。 | ||||
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