■スポンサードリンク
弁護側の証人
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
弁護側の証人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.26pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 41~60 3/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ヌードダンサーの女が玉の輿に成功するも、夫の一族の者からは煙たがられ、ある日起きた殺人事件の容疑者として逮捕されてしまうという物語。 一貫して無罪を訴える女、では真犯人は誰なのか、クライマックスの法廷シーンですべてが明らかになります。 が、正直面白くなかった。 古い作品なので仕方ないが、セリフや文章が海外古典の翻訳本のように古臭く、事件の真相もイマイチで、物語にまったく引き込まれない。 読み返してみて「上手いな」と思う仕掛けもあることにはあるが……。 ページ数が少なかったのが救い。分厚くてこれだったら怒りも収まらなかった。 「○○サスペンス」みたいな二時間ドラマの脚本のように感じた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なぜか、このミステリーのメイントリックに全く気付かず読み終えてしまう方が多いようですが、その方たちは、アガサ・クリスティーの「検察側の証人」の内容を知らずに、いきなりこちらを読み始めてしまった方が多いのではないでしょうか。そうすると、「え、このミステリーどこが面白いの?」ということになってしまいます。この「弁護側の証人」という題名が示すとおり、このミステリーはあえて「検察側の証人」を意識して題名を付けています。と言うより「検察側の証人」を知っている人を対象に書かれたミステリーなのです。少し推理小説をかじった方や、ミステリー映画の好きな方はこの題名で「おっ、こんどは 弁護側の証人 ときたか。」ということになります。(マレーネ・ディートリッヒ主演、映画「情婦」の原作です)つまり「検察側の証人」こそがこの「弁護側の証人」の最大のミスディレクションになっているのです。この両方を知ると、この2つの作品が表裏一体、になっていることがよくわかります。(クリスティーはちょっと?という方は、映画「情婦」をお勧めします) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1963年に発表された作品であれば、トリックは評価に値するレベルだが、 文章が壊滅的に下手すぎ、ページを捲る度に苦痛を伴い、最終的にトリックなど どうでもよい状態でラストを迎えることになるのが残念 もっと作者が文章を書き慣れた状態で発表されていれば、現代でも通用していただろう作品 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いうまでもなく、クリスティーの『検察側の証人』の向こうを張った意欲作。それだけでも、何か仕掛けがあるぞ…と期待を抱かずにはいられないが、今回の文庫化では帯と解説で「どんでん返し」を煽り過ぎだろう。あまりにそのことを意識しながら読み始めた僕には、最初から作者の仕掛けた企みが見えてしまった。あーあ、もっとニュートラルな状態で読みたかったなあ…。 しかし、それを差し引いても、そこまでの作品だろうか。騙し絵的な構図は確かによく考えられているけれど、果たしてこれだけの間尺が必要だったのかな、と思わないでもない。 「騙し絵」を描くことが作品の第一義である以上、キャラクターたちがそれを成立させるための駒になってしまうのは仕方のないことだが、随所に散見される人物描写などで艶っぽさを補おうとした努力にもかかわらず、心理的切れ味が薄い印象が残る。余分な水増しは、むしろ作品を冗長にもしているようだ。こんなことならトリックに照準を絞ってもっと紙数を削り、タイトな短篇に仕立てたほうがよかったかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
誰かに絶対ダマされるからと言われたはずなんだが、勘違いだったかもしれない。 第11章も素直に読んでしまって、最終章にどんでん返しがあるのかと思った。 終わってしまってアレ?ってかんじだった。 物語自体はけっこう面白く読めるが、 綾辻、折原、我孫子、森あたりの熱心な読者ならまずダマされないと思う。 昭和38年の作品ということで、歴史的な価値はあるのかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分が読み巧者だというつもりはありませんが、わたしのようにある程度ミステリを読んできて、 (あえて伏せますが)◯◯トリックが何かということをわかっている人には薦められません。 最近ミステリに興味をもったけど古い時代の作品を読みたいと思う若い人には良いかも知れません。 前述の〇〇トリックについてはかなり早い段階でわかってしまう確率が高いので、 あとは結末の転がりかたにしか興味がなくなると思われます。 犯人が誰であろうと結末は作者次第でいかようにも変わりますから。 なので結末には触れませんが、それも☆の数で察せられてしまうでしょうか。。 作品自体は読みやすく、時代背景を考えてもわかりにくい文章はあまりありません。 わたしが生まれる20年近く前の書かれた当時に読んでれば感銘を受けたと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
文庫の帯にかいてある、道尾秀介さん大絶賛を見て 読んでみようと思いました。 クリスティの「検察側の証人」を思い出し、読み進むと 全体が見え、筆者の騙しのテクニックも容易に思いつかれ ました。 きっと犯人は・・・・やっぱりでした。 期待していただけにちょっとがっかりです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大変高く評価されている方も おられるようですが 読み始めてすぐに トリックには気がついてしまい レトロな 表現を楽しんで読もうとは思ったのですが それほどに 文章そのものを楽しんで読むこともできず とうとう 途中から読むのを諦め 最後の謎解きを読んでしまいました。 しかし それとても 私の想像を超えることは何もなく 登場人物も あまりに俗物的な 深みのない造形のため 共感も 感情移入することもできずに ああ つまらなかった というだけの本でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書の面白さは、どれだけ作中人物に感情移入できるかで違ってくる。そして、あのどちらに感情移入しても、サプライズ・エンディングのカタルシスは訪れる。だから、感情移入できなかった人には残念だが、余り面白いとは感じないかもしれないし、サプライズも何ということなく過ぎてしまうだろう。 そう、本作は間違いなく読者を選ぶ作品であり、誰もが手放しで傑作と称賛するようなものではないのだ。ストーリーにある‘しかけ’は大したことはない。ただ、それをどちら側と判断するかでもまた、評価は変わってくる。しかし、本当に評価すべきなのは、その‘しかけ’の仕掛け方であろう。 いかにも都筑道夫好みの作品であり、たしか本作に対する都筑の評価はかなり高かったと思う。同様の設定の作品は、現在ではその出来不出来にかかわらず多数存在する。だから、今の読者にはそう珍しい‘しかけ’ではないだろう。だが、作品としての完成度とその歴史的なものを考慮すると、本作の価値は分かると思う。 まぎれもなく傑作、それも‘しかけ’という著者の遊び心あふれる名作である。これが復刊された意義は大きい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もう50年近い前の作品だからか、そうとう古さを感じさせる。ヌードダンサーの「ミミー・ローイ」(いまじゃありえない名前)が、財閥のオーナ息子に見初められ結婚するが、家庭にはいるやいなや周りの人間(女中までも)から蔑まされ、だけれども夫への愛を頼りにけなげに耐えていく志を持ち続けようとしていたところ、とんでもない事件に巻き込まれるという話。 筆の運びは自分にはちょっと技巧的すぎてちょっと少女マンガみたいな印象がある。財閥を牛耳る老人がリウマチ病みだということだが豪邸の離れの鍵のかかる座敷の真ん中でくらしているという設定もかなりわざとらしい(謎解きパズルへの伏線ミエミエ)。だから、最後の章がくるまで正直言って、まぁ昔のパズル系エラリー・クイーン調の話かと思って読んでいた。 で、びっくりします。え?と思う。どんな読みかたしてたんだ!って自分の読書能力を疑ってしまった。 ちょっとないですこんな話。50年前の本がいま復刻される理由がわかります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
うまく騙されれば楽しめる作品なのかもしれないが、騙され損なうと結論が最初から見えてしまうという残念な結果になってしまう。また、法廷でのシーンなどで法律用語が多用されている割に使われ方が不正確なせいで、トリック以前の問題としていろいろひっかかってしまう点も残念だ・・・・。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本屋に平積みされていたので気付いた。「弁護側の証人」か、懐かしいなぁ。解説をみると、単行本での発売は昭和30年代なので随分古い本だ。それが文庫で復刊されている。値段が600円でお釣りがくるし、250頁の厚さは手頃だし、読んだとはいっても、梗概を読んでも完全に忘れていたので買う事にした。 ふーむ、これは、まいった。終盤辺りを読んで、「ちょっと、どういうこと?」と意想外の展開となるのだ。 手品のミスリードだ。右手のほうが怪しいと、ずっと見てきたが、本当は左手だった。騙された。 もういっぺん、最初から、怪しいと思われるところを読むと、周到な伏線が張られているのに気付く。なるほど、作家になるのは難しいけれど、しかし又、何と楽しい作業かなと、羨ましくも思った。 完敗(乾杯)である。ヒント:映画化は絶対無理だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白いというより上手いと思った 初めて読み直してこの小説のすごさがわかる | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ヌードダンサーだった漣子は八島産業の御曹司杉彦に見初められ、彼と結婚した。 だが、幸せな日は長く続かなかった。杉彦の父龍之助が何者かに殺害された。 いったい誰が龍之助を殺したのか?そして「弁護側の証人」とはいったい誰なのか? 1963年発行の作品。 今でこそこういうトリックの手法はあるが、40年以上前なら斬新だったのでは ないだろうか。「読み進める中ではたして作者の仕掛けたトリックに気づくか否か?」 ただこのことだけが、この作品の評価を左右するといっても過言ではないと思う。 描写がていねいで構成も緻密に計算されているが、個人的にはこういうふうに読み手を だますやり方は、ミステリー本来の面白さではない感じがしてあまり好きではない。 「だまされれば面白い。だまされなければつまらない。」さて、あなたはどちらですか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
P・D・ジェイムズの『女には向かない職業』やジョセフィン・テイの『時の娘』などの翻訳でも知られる小泉喜美子の小説デビュー作。 ’63年発表の伝説の名作が46年を経て復刊された。 ヌードダンサーのミミイ・ローイは財閥の御曹司に見初められてスピード結婚。だが玉の輿となるべき幸せな結婚生活はわずか2ヶ月で夫の父親の殺害によって打ち砕かれた。真犯人は一体誰? 一審の死刑判決をくつがえすべく、元同僚のダンサー・エダの紹介による新しい一見風采の上がらない弁護士とともに警察に働きかけ、ミミイは闘う。ストーリーは、ミミイの一人称の「現在」の章と三人称の「過去」の章が交錯して、‘わたし’ことミミイの心情や、富豪一家とそれを取り巻く人々、そして事件のあらましが語られる。大富豪のもとに嫁いだ分不相応な女性の苦労話のように、なんのわだかまりもなくスラスラ読み進んで、第十一章で、天地がひっくり返る。なるほど改めて序章から一人称の章を読み返してみても、真相に何の破綻もない。巧緻に張られた伏線の妙にただ恐れ入るばかりである。さらに、第十一章はそれだけでも異例な、現職の警部補が弁護側の証人に立つという迫真の法廷ミステリーの要素も併せ持っており、読み応え充分である。 それにしても“叙述ミステリー”は折原一のファンである私には慣れているはずだったが、これは正直言ってヤラれてしまった。 本書は、序章から第十章までがすべてトリックであり、衝撃の“どんでん返し”が待ち受ける、誰もが騙される“叙述ミステリー”の白眉である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
P・D・ジェイムズの『女には向かない職業』やジョセフィン・テイの『時の娘』などの翻訳でも知られる小泉喜美子の小説デビュー作。 ヌードダンサーのミミイ・ローイは財閥の御曹司に見初められてスピード結婚。だが玉の輿となるべき幸せな結婚生活はわずか2ヶ月で夫の父親の殺害によって打ち砕かれた。真犯人は一体誰? 一審の死刑判決をくつがえすべく、元同僚のダンサー・エダの紹介による新しい一見風采の上がらない弁護士とともに警察に働きかけ、ミミイは闘う。ストーリーは、ミミイの一人称の「現在」の章と三人称の「過去」の章が交錯して、‘わたし’ことミミイの心情や、富豪一家とそれを取り巻く人々、そして事件のあらましが語られる。大富豪のもとに嫁いだ分不相応な女性の苦労話のように、なんのわだかまりもなくスラスラ読み進んで、第十一章で、天地がひっくり返る。なるほど改めて序章から一人称の章を読み返してみても、真相に何の破綻もない。巧緻に張られた伏線の妙にただ恐れ入るばかりである。さらに、第十一章はそれだけでも異例な、現職の警部補が弁護側の証人に立つという迫真の法廷ミステリーの要素も併せ持っており、読み応え充分である。 それにしても“叙述ミステリー”は折原一のファンである私には慣れているはずだったが、これは正直言ってヤラれてしまった。 本書は、序章から第十章までがすべてトリックであり、衝撃の“どんでん返し”が待ち受ける、誰もが騙される“叙述ミステリー”の白眉である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読者をペテンにかける書き方は巧みかもしれないが、フェアではない。 書き方のトリックであり、ミステリーとは言えない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説の関心の対象はタイトルにある弁護側の証人の正体と, その証人がどんな証言で被告を無罪に導くかである,はずなのだが, 実はもう一つの仕掛けがある. 正攻法的な謎で引っ張っておいてラストにこんな真相を用意しておくとは! この手の仕掛けに慣れた読者なら,序盤のある文章で気づいてしまうかもしれないが, 昭和30年代にこんなミステリーが登場していたことにびっくりしてしまう. 読み終わってから序章と終章を読み比べるとさらに味わい深い. 描写がわかりにくい部分や,冗長なセリフも目立つが,現在でも十分楽しめる作品. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
某掲示板で見かけてさほど期待せずに読んだ一冊ですが、・・・、やられました! だまし屋、道夫秀介氏が解説で「大好きな一冊」と書いているくらいなので、それはもう、やっぱりそれ相応の作品でした。 実は相当に古い作品で、昭和30年代の著書です。著者は、翻訳等の仕事もしていたらしく、言葉遣いや表現に古い外国作品風の色合いが強く残る点が嫌みで気になりますが、それを補って余りあるリーダビリティと秀逸なプロットに負けました。既に亡くなられている著者は、プライベートでは色々と波瀾万丈の人生を歩まれたらしいですが、もっと作品を残しておいてほしかったと残念でなりません。 薄くて、文字が大きくて、正直大作ではありませんが、ゆっくりと堪能してほしい一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
叙述ミステリの古典的名作ということで、読む前の期待値は、いやが上にも高まる わけですが、今回読んでみて、その期待を裏切らない、傑作であると感じました。 とはいえ、とりたてて意外性満点の真相というわけでもありません。むしろ、 その真相が開示されるまでの過程で、作者が魅せる、さまざまなテクニック ――読者を誤導する構成、巧緻な伏線、騙りの技巧が施された会話――こそ が読みどころであるといえます(さすがに、1963年に発表された作品なので、 風俗や会話などは古めかしいですが、それはそれで味わい深いですし、そも そも、本作は、プロットを読ませることを主眼にしているので、経年劣化の弊害 とは無縁、ともいえるでしょう)。 なので、本作を読了されたら「序章」だけでいいので、ぜひ再読してみて ください。初読の時には見えなかった光景が、眼前に広がると思います。 また、本作は、そうした叙述トリックばかりが取りざたされがちですが、 タイトルとなっている「弁護側の証人」に込められた意図も見逃せません。 普通なら、絶対に「弁護側の証人」になることはないある人物が、無実の 被告を救うために証人台に立つという趣向は、社会派的なテーマとして 普遍性があるだけでなく、法廷における起死回生の逆転を劇的に演出 することに成功しています。 大富豪の放蕩息子に見初められたヌードダンサー――という現代のおとぎ話の フィナーレは、ビターではあるものの、決して読後感は悪くなく、清々しい余韻を 残します。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!