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匣の中の失楽
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匣の中の失楽の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 21~40 2/3ページ
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ストーリーは単純。動きも少ない小説だと思う。 事件が起きる→ 皆で推理する→ 未解決→ 実は今までの出来事は全部登場人物が書いた小説でした→ 現実世界で本当に事件が起きる→ 皆で推理→ 未解決→ 実は今までの出来事こそが全部小説で最初の事件が現実なのでした→ また事件が→ ………… これがこの物語の全てです。 読んでいてどちらが現実かどうかわからなくなるとか思うけれども、どちらにしても読者側からは所詮どちらも小説でしかなく、 どちらが現実か架空なのかという問題はさほど気にならない。 もっとも、あの事件が架空なのか現実なのか、どっちだったか少々混乱させられるけれども。 しかし読んでいて混乱するのはそのくらいのことでした。 物語自体が繰り返しの連続なので、正直退屈な場面が多く、 だれが犯人なのかとワクワクドキドキしてページをめくるというよりも さっさとこの退屈な繰り返しの連続から抜け出したいがためにページをめくるという感じでした。 そうして読み終わったときには、どっと疲れが、達成感よりも、やっと解放されたというような重たい疲労感だけが残る小説だった。 | ||||
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正確には、”いなくなりかけた”。 『ウロボロスの偽証』でガッカリした経験を踏まえてなお、読んでおくべきっぽい?と感じて手にしました。 読み進めていく内に、他の方のレビューの内容を思い出し、さんざん理屈をこねくり回したあげく、 「実は何も起きてなかった」って話なのか?とか思ったり、 章が変わるごとに、”今までのが小説(作中作)の話で”と、次々煙に巻かれる中で、 結局ウロボロスと同じなのか?と心配したりしました。 中盤では、悉く外れる推理合戦にも、そろそろ飽きたなぁ~って風になっちゃったし。 それでも”過剰な苦痛”を覚えることなく読み進められたのは、 程良く切り替わる章立てが上手かったからでしょうか。 ”現実にはこんなのあり得ない!”って真相が語られますが、一応の決着はつけられますし、 (有耶無耶にされるんんじゃないかと気が気じゃなかった) こりゃ考えすぎと思う様な符合の数々にも、プロットの練り込みが感じられます。 この辺がウロボロスと一線を画す点。 一見”連続殺人”なんだけど、それぞれ犯人が違ってて、ドミノ倒しの様に起こった事件だった ・・・という小説って無いかな~と漠然と考えていたのですが、それがこれだった(この辺がばれ)。 | ||||
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面白くない、理解できない、理解する気も起きない、そんな作品でした。どうもこういうわかりにくく、わかりにくく書かれている作品は嫌いですね。読んでてしんどいし、退屈だし、センスは古いし、結局どういうことだったのか最後までわかりませんでしたが、つまらないので再度、熟読する気にもなりませんでした。 | ||||
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傑作ではあるが、小説の中の小説の解決がなく、なんかすっきりしないのです。 | ||||
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どちらが本筋かしばらくわからない作中作で、不連続線を表現しているのかと感じました…全体的な雰囲気として『虚無への供物』に対する意識はビンビン来ます…が、『虚無への供物』の方が混沌としているが、美しいと思います。 4大奇書と評される作品かは、人それぞれでしょうが、自分としては、『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』の3大奇書とは並べたくないと思います。 しかし、若干22歳で書き上げたと言われれば驚きしかありません。 作中で作中作を書いてる少年は15歳ですから、どんな頭の15歳やねんってのが一番の感想です。 若干22歳で書き上げた点、読書を惑わす作中作の点では、星5にしたいですが、『虚無への供物』へのオマージュと言われれば、『虚無への供物』の妖しい美しさを差し引いて、星3.5かな〜 | ||||
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なにが現実なのか、なにがフィクションなのかわからなくなる不思議な感覚。 読み終わってから(悪い意味ではなく)もやっとした気持ちがのこります。 | ||||
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難解だが読み切ったときの充実感は、何者にも代え難いものでした。迷宮に入った自分が自分でないようなそんな心にゆさぶりを書ける作品でした。長編なので読み耽る時間が欲しいとおもいました。 | ||||
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竹本健治(1954-)処女長編ミステリ、1978年作。 現実内虚構たる本小説の中では、虚構内現実(小説内現実)と虚構内虚構(小説内小説)とが合せ鏡の相互干渉でその区分・階層構造が攪乱される。その機制自体が本書の最大の特徴と云えるだろう。 "「ハハン、しかし、実際には何も知らない読者としてこの小説を読むなら、それこそこの小説に描かれたふたつのストーリーのどちらが現実か、という点から考えねばならんことになるぜ」" ここで云う小説とは、小説内小説のことか、現実内小説のことか。読者とは、小説内読者たる登場人物たちのことか、現実の読者たる我々のことか。虚構の中の現実にとっての虚構か、現実の中の虚構にとっての現実か。meta-level/object-level の攪乱が読む者を眩惑させる。 然し、それだけと云ってしまえば、それだけなのだ。本作で当該機制は、物語の仕掛け以上にはみ出たものとはなっていないと云っていいのではないか。 現実/虚構の区分けの最たるものは、読者/小説のそれではないか。ところで、現実内現実(読者)/現実内虚構(小説)という、謂わば超越論的とも呼ぶべき隔絶そのものが、この作品の中に呑み込まれ無効化されてしまっているなどということは、全くない。虚構は現実の中で実に大人しく、遊戯的装置以上のものではない。そうであるならば、メタ・フィクションなど無意味ではないか。読者/小説の間に在る自己関係的機制を現出させることこそ、メタ・フィクションの意義であり存在理由であると私は思っている。『虚無への供物』という小説=現実内虚構は、確実に現実の読者の側に迫り出してきていたと云っていい。超越論が内在を食い破って我々に訴え出てきた。そして実はこのこと自体が、まさに、超越論の内在化なのであり、自己関係的機制というものなのだ。その創出に、本作は完璧に失敗している、或いは初めから企図されていない。この点こそが、本作がそのオマージュとされている中井英夫の傑作との決定的な差異だ。 そしてそれ故にこそ、本作には『虚無への供物』がもつ時代精神への批評性も一切無い。 本作が『虚無への供物』と並び称されるほどの作品であるとは決して思えない。三大奇書に続く第四の奇書と称されることもあるようだが、そもそも奇書の名に値するほどの代物とも思えない。小説としても際立って面白いわけではない。 | ||||
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私はほとんどミステリーは読まないで生きてきた。故に他の作品とは比較出来ない。しかし、この作品はスゴイと思う。 何が現実で何が作中小説なのか?章が変わる度にヤラレた〜と思わされてしまった。作者はかなりの博学です。文章の格調も高い。 異次元世界のさらに異次元に連れて行かれました。 | ||||
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大雑把に内容を書くと ・事件が起きた ・登場人物たちが推理した ・誰が(犯人)、何で(動機)、どうやって(トリック)やったかが解る (大雑把過ぎですね) そして読んだあとにふと思う。「何が起きたんだ?」と。 ごく稀に犯人や動機、トリックを説明しないまま終わる作品はあるが、どんな事件が起きたかが解らない推理小説はないと思う。(「虚無への供物」でも少なくとも事件の内容はわかりました) 読み直すほど、どんな事件が起きたのか解らなくなる。 これは読まないと説明できない感覚。 | ||||
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海外でも評価されているという日本の推理小説と聞き、すぐに欲しくなり注文しました。迅速に届いて本も新品同様で満足! | ||||
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>出版社/著者からの内容紹介 >探偵小説狂の仲間うちで黒魔術師と綽名されていた曳間が殺害された。 >しかも友人のナイルズが現在進行形で書いている実名小説が予言した通りに……。 >弱冠22歳の青年が書いたこの処女作は伝説の名著となった。 >巻末には綾辻行人との対談、また秘蔵の創作ノートも同時収録。 >--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。 この紹介は双葉文庫版のものです 講談社文庫版のものではありませんので、うっかり注文なさいませんように 講談社文庫版の松山俊太郎氏の解説も「ものすごい」ので、テキスト的には貴重ですから、古書ででもぜひお手元に! 作品自体は5点満点です 初出の幻影城ハードカバー版が出てすぐに読んで、この講談社文庫版を2回読みました 次は双葉文庫版で読もうと思います 何度読んでも「くらくら」する傑作です | ||||
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本書は竹本健治の処女作であり、おそらく現在のところ最高傑作であろう。 本格ミステリにチャレンジして、一応ミステリとしての形をなしている。 ミステリ好きによるミステリ好きのための作品といえる。 もちろん「幻影城」連載作品だから、当然であろう。 「黒死館」や「虚無」を彷彿とさせるようなペダントリィが満載だが、それもけして難解なものばかりではない。 難解なのは本書の構成であり、どこに真実が有るのかに、読者はとまどうわけである。 著者の目的はこの読者を迷わせるところにあり、本来ならもっときれいに着地するはずだったのであろう。 それがこのような形になった背景はもちろんあるのだろうが、それも含めて著者の意図を読み解くことが、本書の最大の面白さであろう。 ストーリーの表面上の解決がつく分、ミステリとしてのストーリーの厚みはそれほどない。 しかし、それを補ってあまりある先達へのチャレンジ精神という、若さだけが持ち得る熱気が満ちあふれている。 私の初読は作中人物たちと同年配のときであり、連載をリアルタイムで読んだのち、幻影城刊行のハードカバーを熱病に罹ったような気分で読んだことを覚えている。 講談社文庫版は何度か読み直し、その年代ごとに感じるものがある。 特に現在は、登場する若者達すべてに対して、とても暖かい目で見ることができる分、各人の心理的な動きに対する著者の配慮を楽しむことができた。 さまざまな年代の人に読んでほしい作品であるが、特に作中人物たちと同年配の若者達には、ぜひ一度この迷宮に立ち入ってほしいと思う。 ただし、著者の意図した真実は、作中人物と同じように霧の中を彷徨っているのである。 | ||||
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竹本の最高傑作にして、三大奇書に匹敵する作品です。 | ||||
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たぶん、今読むと荒さが目に付くかもしれないけれど、非常に面白く読んだ本。 作中作か?と思いきや、章ごとに鏡合わせのように照り返しあう、二つの世界。しかし、小説中の誰もそれは認識しない。この状況下で冷酷に続く殺人事件。 人攫いの隠形鬼、西洋甲冑の間、量子論から導く推測、すべてを覘くラプラスの悪魔、笑う西洋人形、将棋。 楽しい玩具だらけの世界は、脈絡なく急にけたけたと笑い出しそうな危なげな世界。それは、無邪気に不気味に輝く、闇の中に見つけた子供の瞳を思わせる世界。 この話すべてが、不気味で滑稽な人形劇なのではないか?そんな不安を掻き立てられるが、そんな推論も、作中に登場し、次々とすべてが不安に包まれていく…。 そして読了後、逆様(さかしま)の月が、乳白(ミルク)色の霧が、変電所が、超えられた不連続線が、いったい何だったのか、さまざまなイメージの奔流に頭を悩ませることになるだろう。 | ||||
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推理小説としてはあまり面白いとは言えない。だが読み終えた後でストーリーすら忘れてしまう本が多々ある中で、これは読み終えた後も何故か心に残る作品だ。 作中作が交互に織り込まれもはや何が物語の本筋で何が作中作なのか分からず読者は迷宮に迷い込む。この構成を得ただけでも本書の価値は高い。 | ||||
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衒学的・・・・というより、教科書から抜き出したような知識のひけらかし、もとい転載が鼻についた。 京極などは衒学的といっても、知識のひけらかしに留まらず、オリジナルな自分の思索や考察を交えていたので興味深く読めたが、匣の中の場合、ググればわかるようなことが、転載されているだけで、ほんと単なる知識のひけらかしになっているのだ。いわば、知識と事件とが外的・偶然的に結びついているだけで、その必然性を感じないのだ。 しかも、蘊蓄の殆どは、事件の解決には実質的に結びつかないプロットになっている。あれじゃあ、単なるコピペで、大学一回生が書くレポートみたいじゃないか。 衒学的な蘊蓄は読み飛ばしても何の支障もない。 また、本作では、『虚無への供物』でのように、謎をめぐって推理合戦が展開されるわけだが、これが退屈きわまりない。 それら推理は所詮は、真相が披露される前の、余興でしかないからだ。 そこに真実は書かれていないのだ。 なら、それを読むことに、どういった意義を見出せばよいのか。 謎があって、それに対する間違った回答を、登場人物達に議論されても、それは読んでいる時点で間違った推理だとわかっているわけだから、それを読むのは退屈きわまりないのだ。ユニークかつ斬新な推理ならまだしも、後に間違っていると覆されるものは概して飛躍してたり、トンでも推理だったりして、読んでいてバカじゃないかと思ってしまう。そんな推理が、次から次へと展開されるわけだ。しかも、途中で謎の解決に結びつかない蘊蓄がひけらかされる。 まー、あるひとつの謎の対して、この回答でも駄目、この回答でさえ駄目・・・と謎の難しさを読者に提示するうえでの効果とか、読者も一緒になって考えるきっかけになるとかあるかもしれないが、どういった余興を楽しめない限りでは、推理合戦は回答が提示される前の前座にしか成らないような気がする。 また、場面展開は殆ど無く、終始登場人物達の会話(推理合戦)にページが費やされている。 ただ、メタメタ構造を取るアイデアは斬新。 | ||||
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本作品は、筆者の20台前半の作品。新書版では、表現の手直しがあるとはいえ、若いエネルギーが十二分に発揮されている。小説中小説の手法をとり、読み手の頭を十分に混乱させながらも、最後まで読ませるのは、そのエネルギーゆえか。良くも悪くも、奇書のもうひとつである虚無への供物を十分に継承している。最後のページにいたってもなお、新たな展開のありそうな流れは、「推理小説=読後すっきり」という私の考えの浅はかなのを指摘しているのか、それとも、だから奇書なのか、単に詰まらん本だったのか、・・・それすらわからなくなる。もうすでに私は、作者の「密室」にとらわれているのか。お気楽には読めませんでした。 | ||||
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作者のデビュー作にして、代表作。「虚無への供物」へのオマージュとして書かれたと言われる。 大学生を中心とした若者グループの中で起こる連続殺人がテーマ。1章から事件が起こり、早速推理合戦が行なわれ興味を引くが、真骨頂は2章からだ。2章から、登場人物の一人による作中作が始まり、以下、現実、作中作が繰り返される。読者は(作中における)現実と虚構との区別が曖昧になり、まるで濃霧の中を彷徨っている気分になる。作中作でも推理合戦が行なわれ、それが現実の世界での事件解決の伏線になっていたりするので、読者はもう頭をウニ状態にして作者が導くままについて行くしかない。 「虚無への供物」を意識してか、上記の推理合戦の他、密室殺人、方角、占い、囲碁の3コウなど、多くの事象を利用して作品の充実を図っている。作者の情熱と技巧が爆発した傑作。 | ||||
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読んでいて、眩暈が起こったり頭がクラクラした経験は初めてでした。 この本はそんな不思議な感覚に襲われる本です。 1章毎に小説内の現実と、小説内の架空の世界を行ったり来たりして、現在、自分が読んでいる世界は果たして『現実』なのか『架空』なのか、それさえもあやふやになってしまいます。 その面妖な描写。 その様々で怪しげな各種知識。 その狂気なまでの発生する事件。 その事件に心躍らされ動き回る登場人物たち。 パラレルワールドとは言いましたが、実際にはそんな生温くそんな優しいものではありません。 ちょっとでも気を抜くと、竹本建治さんの作り出した混沌の世界に引きずり込まれそうになります。 若干20歳代前半の年齢で書かれたと言う事も驚愕に事実ですね。 自分では(当然と言えば当然ですが)想像も真似も出来ない所業だと思いました。 ただ少々難を言わせてもらうと、登場人物が多すぎて誰が誰だか良く解らなくなってしまいます。 それでも日本の4大奇書に含まれる作品だなと思います。 商品の評価を星5つにしましたが、本当は星6つくらいにしたい気分です。 分量自体はかなり多いです。 読まれる方は、多少なりとも覚悟してお読み下さい。 読まれるあなたに、新しい世界が広がることを願います。 | ||||
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