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匣の中の失楽
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匣の中の失楽の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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冒頭、賭け碁のくだりで読む気が失せました。 よりによって碁とは…渋すぎませんか。 | ||||
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難解だけど、3大奇書と言う割にはドグラマグラのような怪奇趣味につうづる面白さはない。 学生向けの推理小説を、難解にしただけの感じ、再読する気にはなれない。 | ||||
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ノベル版が1200円で販売してるのに、本来安価で提供すべき文庫本がそれより高いって、どういうこと? | ||||
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竹本氏の70年代後半に発表された日本ミステリー史上に残る奇書とされるアンチミステリー大作。 綾辻氏が裏表紙で新本格の原点で傑作と推薦しているが、確かにこの時期にここまで人物描写と物語を記号化して、推理合戦のみで構成された作品は革新的だと言えるが、竹本氏の作品は他にもいくつか読んでいるが、蘊蓄は凄いが、ミステリー的なトリックはあまり大したことないし、最後は虚構と現実の境界をはぐらかしてお茶を濁す感じだが、本作もそんな感じ。 密室連続殺人のトリックは特に大したこともないし、圧倒的な蘊蓄に圧倒されるがストーリーとしてはあまり面白くない。 結果、まあ意欲作ではあるが、あまり小説としては面白くないというどうにも反応に困ってしまう作品だ。 正直、そんな大した作品でもないだろうと言うのが感想だ。 | ||||
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かなりの時間をかけて読了。面白くてハマると一気に読んでしまうタイプなのですが……。凄い作品だとは思います。現実と作中作品である小説との境界線が分からなくなって翻弄されるカンジは段々心地よくなってすら来ました。これにイライラしてしまう方は楽しめないと思います。 ただ、殺人の動機や殺人が起きた際の登場人物の言動に違和感が拭えず(友人の死に対してゲーム感覚過ぎだろっ!)結果雰囲気で読み通したカンジです。一回読んで辻褄合わせて理解しようなんて事は、まあ無理でしょう。 | ||||
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小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、中井英夫の『虚無への供物』に連なる国産本格ミステリーの問題作ということで、かなり前から本棚に置き、いつかはと思いつつ、年明けにようやく手に取り、つっかえながらやっと通読できた。本編だけで文庫646頁。複雑な構成をもった不思議な風味の長編小説といったところか。 登場するのは、ミステリー好きの若者12人。物語は序章と終章を除けば、全部で5章あり、それぞれが一種の入れ子構造になっていて、ミステリーの中に作中ミステリーが入り込み、合わせ鏡のような向こう側に別の作中ミステリーが侵入してくる、といった仕掛け。12人のうち4人が死んだ、という展開のようだったが、死んだはずの人物が次の章では死んでおらずに仲間たちと推理の知恵比べをしたりしていて、話の流れを追うのも大変だった。 もっとも、密室、アリバイ、暗号、犯罪動機の解明など、推理小説の大抵の要素が混在しており、部分々々は面白く読めはした。しかし、むかし赤鉛筆で線を引きながら推理小説を読み進み、エラリー・クイーン等の諸作のおしまい近くによく出てくる「読者への挑戦」に応戦して探偵役のなぞ解きの前に犯人などを割り出す(まれに当たった)という楽しみ方はできないまま。『黒死館』も『ドグラ・マグラ』もむかし読み始めて中途でギブアップした覚えがあり(『供物』は面白く読んだ)、今回も通読はできたものの、何やかやで☆は三つどまり。 | ||||
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ミステリー仲間が失踪・殺人と1人1人欠けていく. 残ったメンバーは推理合戦を繰り広げるが・・・. 失踪事件と密室殺人. 動機や密室トリック,入れ替わりや心理トリック,果てには五行や分子まで さまざまな形での推理が繰り広げられる. これをリアリティの欠如ととるか,古今東西の多様なミステリー作品からのサンプリングととるかで この作品の評価は変わるのだろうが,いずれにしても少々退屈な小説である. その一番の理由は他のレビューワーも書いている通り, 本の残りの分量から言って真相ではないとわかりきった推理を延々と読まされるのが苦痛だということに尽きる. 長々と語ってはすぐに否定される,というパターンの繰り返しなのもよくない. いくつの推理が残って最後に真相が明かされる,とか緊張感を保てる構成になっていればもっと楽しめたと思うのだが. それでも,この種の作品としては,それほど冗長さを感じない程度には雰囲気があるし, きちんと真相も明かされている. 奇をてらいすぎて放り出してしまったような後追い作品よりはよい. | ||||
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ストーリーは単純。動きも少ない小説だと思う。 事件が起きる→ 皆で推理する→ 未解決→ 実は今までの出来事は全部登場人物が書いた小説でした→ 現実世界で本当に事件が起きる→ 皆で推理→ 未解決→ 実は今までの出来事こそが全部小説で最初の事件が現実なのでした→ また事件が→ ………… これがこの物語の全てです。 読んでいてどちらが現実かどうかわからなくなるとか思うけれども、どちらにしても読者側からは所詮どちらも小説でしかなく、 どちらが現実か架空なのかという問題はさほど気にならない。 もっとも、あの事件が架空なのか現実なのか、どっちだったか少々混乱させられるけれども。 しかし読んでいて混乱するのはそのくらいのことでした。 物語自体が繰り返しの連続なので、正直退屈な場面が多く、 だれが犯人なのかとワクワクドキドキしてページをめくるというよりも さっさとこの退屈な繰り返しの連続から抜け出したいがためにページをめくるという感じでした。 そうして読み終わったときには、どっと疲れが、達成感よりも、やっと解放されたというような重たい疲労感だけが残る小説だった。 | ||||
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竹本健治(1954-)処女長編ミステリ、1978年作。 現実内虚構たる本小説の中では、虚構内現実(小説内現実)と虚構内虚構(小説内小説)とが合せ鏡の相互干渉でその区分・階層構造が攪乱される。その機制自体が本書の最大の特徴と云えるだろう。 "「ハハン、しかし、実際には何も知らない読者としてこの小説を読むなら、それこそこの小説に描かれたふたつのストーリーのどちらが現実か、という点から考えねばならんことになるぜ」" ここで云う小説とは、小説内小説のことか、現実内小説のことか。読者とは、小説内読者たる登場人物たちのことか、現実の読者たる我々のことか。虚構の中の現実にとっての虚構か、現実の中の虚構にとっての現実か。meta-level/object-level の攪乱が読む者を眩惑させる。 然し、それだけと云ってしまえば、それだけなのだ。本作で当該機制は、物語の仕掛け以上にはみ出たものとはなっていないと云っていいのではないか。 現実/虚構の区分けの最たるものは、読者/小説のそれではないか。ところで、現実内現実(読者)/現実内虚構(小説)という、謂わば超越論的とも呼ぶべき隔絶そのものが、この作品の中に呑み込まれ無効化されてしまっているなどということは、全くない。虚構は現実の中で実に大人しく、遊戯的装置以上のものではない。そうであるならば、メタ・フィクションなど無意味ではないか。読者/小説の間に在る自己関係的機制を現出させることこそ、メタ・フィクションの意義であり存在理由であると私は思っている。『虚無への供物』という小説=現実内虚構は、確実に現実の読者の側に迫り出してきていたと云っていい。超越論が内在を食い破って我々に訴え出てきた。そして実はこのこと自体が、まさに、超越論の内在化なのであり、自己関係的機制というものなのだ。その創出に、本作は完璧に失敗している、或いは初めから企図されていない。この点こそが、本作がそのオマージュとされている中井英夫の傑作との決定的な差異だ。 そしてそれ故にこそ、本作には『虚無への供物』がもつ時代精神への批評性も一切無い。 本作が『虚無への供物』と並び称されるほどの作品であるとは決して思えない。三大奇書に続く第四の奇書と称されることもあるようだが、そもそも奇書の名に値するほどの代物とも思えない。小説としても際立って面白いわけではない。 | ||||
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「虚無」ほど登場人物は軽薄ではありません。小説としては一気読み系の面白さはあると思いますが、やっぱりこれを「黒い水脈」とは思えないなあ。 事件が起きた場面は、世間と隔絶された場所ぢゃああるまいし、ウラもとらずに推理に酔うことを主目的とした登場人物どもには辟易します。まあこれも「虚無」ほどの辟易さはありませんが。「虚無」の登場人物どもはホントにサイテー。 もし、こういう系統が現在の"本格推理小説"なんだとしたら、そんなもんさっさと滅びてほしいです。たわ言並べてまくって最後に出てきた推理がファイナルアンサーしかも証拠無しって。そんなんでokなんだったら何でもアリじゃん。こーゆー荒唐無稽さを吹っ飛ばすパワーは、この小説には残念ながら無いですね。同じことやってて読後に眩暈を誘う「黒死館」が凄い理由が分かってんのかな、作者は。 まあ、読むんだったらこっちです。「虚無」は読む必要なし。存在意義すら無し。あれは駄作。「ドグラ」と「黒死館」は当然必読。凄まじさで云えば「殺戮に至る病」の方が遥かに上だ。 | ||||
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