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天狗の面
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【この小説が収録されている参考書籍】
天狗の面の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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夜中だったか明け方だったか、二つの村をつなぐ道の土手でばあさんが ぴょんぴょん跳んでいる。月の光を浴びながら跳びまわってる。 いったい何してるんだ? このばあさん、いったい何してごじゃる? 「きちがいじゃが仕方がない」もしこのひと言が、この発言場面が 『獄門島』の代表場面、『獄門島』というクレイジーな探偵小説の 核心であるとするなら、この「ばあさんピョンピョン」こそは、この 『天狗の面』の核心であるに違いない。ばあさんはいったい何をしてたのか? もちろん読めば分かる。分かれば普通の読者は「うえっ!」と思うに違いない。 特に男性読者は「まじかよ」と思うだろう。女性読者だって「ひー」だろう。 私も「おげげげ」とのけぞった。間違いなくこの小説のもっともクレイジーな部分だ。 いまも生々しくこの作品を思い出すことができるのは、この「ばあさんぴょんぴょん」が あったればこそだ。それ以外は、むしろ、あまり感心できない部分の方が多かった。 すでに五十年前の探偵小説だから、というわけでもない。横溝正史の長大な田舎怨念 連続殺人を浴びるほど読んだあとで、それで、それらの半分ほどの厚さしかない本で、 やっぱり閉ざされた田舎の、一種の特異な怨念ミステリで、これじゃあ(好き嫌いは 別にしても)まったく喰い足りない。おまけに、作者自身が初刊本のあとがきで 「そういう風にはしたくなかった」と言いながら、神津恭介みたいな爽やかな青年名探偵が 出てきたり、ちょっとちぐはぐなんじゃないかな、などと不遜な読中感想をいだきながら 読んでいて、それで、結末の手前で出くわした「ばあさんぴょんぴょん」。思わずのけぞり ながらも、これだ、これがこの作者のクレイジーだ、そう感じて妙な安堵感を得たのも事実です。 この「クレイジーさ」というのは「うへっ、そこまでやるかよ」という、読者の、いささか マゾヒスティックな「うれしい悲鳴」のことです。乱歩にも横正にも、その他、本格だろうが 変格だろうが、語り継がれている作品には、みんなそれがあります。この『天狗の面』にも ありました。少なくとも「ばあさんぴょんぴょん」の部分に、私はそれを感じました。 皆さんはどうだったでしょうか。カーばりの作風とか、本格ミステリとか(自分にはこれが 本格とは思えませんでした)そういう点での感想はよく聞きますが、あの「ばあさん ぴょんぴょん」について書いている人には遭遇したことがありません。なぜでしょうか。 最近では、単純に自分が勘違いしているだけなのではないか、そんな恐怖にすら襲われます。 本当のところは、どうなのでしょうか。 | ||||
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江戸川乱歩賞・コレクションの一冊「候補作品」 ようやく手にして大切にしたいと思っています。 「ありがとう。」 | ||||
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第3回乱歩賞最終候補(受賞作は仁木悦子『猫は知っていた』)となった第一長編『天狗の面』(1958年)は土俗的風俗描写の中に濃厚な不可能犯罪の興味を盛り込み、緻密な謎解きの面白さを堪能させる傑作。トリックメイカーとしての才能が既に全面発揮されている。 1959年発表の『天国は遠すぎる』は秀逸なアリバイトリックの名作。著者の美点である叙情性がプロットと有機的に結び付いている。 昭和三十年代という時代背景に馴染みが無い読者はやや読みづらいかもしれないが、両作品とも乱歩の評論「一人の芭蕉の問題」に刺激され、本格探偵小説の興趣と小説としての完成度の両立を目指した若き日の巨匠の情熱がほとばしるようで胸に迫るものがある。 | ||||
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中々、これだけ地に足の着いた作品には、めったにお眼にかかれません。少しだけ、時代性を感じますが、読み継がれるべき作品であることにはちがいありません。独自の世界がここにはあります。 | ||||
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作者がところどころ登場して、謎解きのガイドというか注意を与えたりと、本格本格した推理小説。 そもそも50年も前の作品であり、しかも当時にあって山深い村が舞台となっており、かなりの違和感を感じる。 が、そこが逆にこの物語の異常性を高める役も果たしており、古いものだからと、敬遠するようなものでは決してない。 高度な推理ゲームを堪能することが出来る。 ただ、このカバーの、天狗の面の絵は中身とマッチしていないこと甚だしいと思う。 天狗だってもう少し違う描き方もあるはず。何とかして欲しいところだ。 | ||||
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著者の長編ミステリは、妙な所に妙な遊びのあるものが多い。例えば「ミレイの囚人」や「物狂い」など、特に晩年の作品に多いが、初期〜中期でも名作といわれている「危険な童話」や「針の誘い」など、読んだ人には分かると思うが、著者のミステリに対する拘りが、妙な形で作品中に表れている。 本作は著者のデビュー作であり、乱歩賞応募作でもあるためか、そういった妙なこだわりを極力おさえた、しごくまっとうなミステリである。クラシックミステリと言って良いほど、旧態然とした設定、ストーリー、トリック、そして趣向である。ただ、今読むと、それがとても新鮮に感じるほど、おそらく現在のミステリはすれてしまったのだろう。紛れもなく本格ミステリであり、明らかに横溝作品を意識していることが、みえみえである。それも横溝なき今、何だか微笑ましい。 田舎における新興宗教という、ミステリではおなじみの設定である。もう、安心して著者の筆の進むままに読み進めれば良い。やがて見えてくる仕掛けも、アッと驚くほどのものではないが、きれいにまとまっている。かつては、こういうミステリが主流だったんだと、改めて気づかされるとともに、ストーリーテラーとしての著者の才能を再認識した。 読後に何も残らない、スッキリ爽やかなミステリとして、気軽に読める作品であり、私は評価したい。 | ||||
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