天狗の面
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夜中だったか明け方だったか、二つの村をつなぐ道の土手でばあさんが ぴょんぴょん跳んでいる。月の光を浴びながら跳びまわってる。 いったい何してるんだ? このばあさん、いったい何してごじゃる? 「きちがいじゃが仕方がない」もしこのひと言が、この発言場面が 『獄門島』の代表場面、『獄門島』というクレイジーな探偵小説の 核心であるとするなら、この「ばあさんピョンピョン」こそは、この 『天狗の面』の核心であるに違いない。ばあさんはいったい何をしてたのか? もちろん読めば分かる。分かれば普通の読者は「うえっ!」と思うに違いない。 特に男性読者は「まじかよ」と思うだろう。女性読者だって「ひー」だろう。 私も「おげげげ」とのけぞった。間違いなくこの小説のもっともクレイジーな部分だ。 いまも生々しくこの作品を思い出すことができるのは、この「ばあさんぴょんぴょん」が あったればこそだ。それ以外は、むしろ、あまり感心できない部分の方が多かった。 すでに五十年前の探偵小説だから、というわけでもない。横溝正史の長大な田舎怨念 連続殺人を浴びるほど読んだあとで、それで、それらの半分ほどの厚さしかない本で、 やっぱり閉ざされた田舎の、一種の特異な怨念ミステリで、これじゃあ(好き嫌いは 別にしても)まったく喰い足りない。おまけに、作者自身が初刊本のあとがきで 「そういう風にはしたくなかった」と言いながら、神津恭介みたいな爽やかな青年名探偵が 出てきたり、ちょっとちぐはぐなんじゃないかな、などと不遜な読中感想をいだきながら 読んでいて、それで、結末の手前で出くわした「ばあさんぴょんぴょん」。思わずのけぞり ながらも、これだ、これがこの作者のクレイジーだ、そう感じて妙な安堵感を得たのも事実です。 この「クレイジーさ」というのは「うへっ、そこまでやるかよ」という、読者の、いささか マゾヒスティックな「うれしい悲鳴」のことです。乱歩にも横正にも、その他、本格だろうが 変格だろうが、語り継がれている作品には、みんなそれがあります。この『天狗の面』にも ありました。少なくとも「ばあさんぴょんぴょん」の部分に、私はそれを感じました。 皆さんはどうだったでしょうか。カーばりの作風とか、本格ミステリとか(自分にはこれが 本格とは思えませんでした)そういう点での感想はよく聞きますが、あの「ばあさん ぴょんぴょん」について書いている人には遭遇したことがありません。なぜでしょうか。 最近では、単純に自分が勘違いしているだけなのではないか、そんな恐怖にすら襲われます。 本当のところは、どうなのでしょうか。 | ||||
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「天狗の面」:ある村で新興宗教に端を発した奇怪な連続殺人事件が起こり・・・というお話。日本の地方特有のどろどろとした土俗性に本格推理小説の合理性を持ち込んだ作品。この小説は私の勝手な憶測ですが、横溝正史の影響の元に書かれた物ではないかと思いました。横溝の日本の土俗性に合理的精神を持ち込んだ傑作の影響下にある様に思えました。単なるマネといったら著者もファンも怒りそうですが、まだ土屋氏の独自性が発現していない憾みが感じざるを得ませんでした。☆3つ。 「天国は遠すぎる」:若い女性の自殺が多発する中、ある自殺だけが他殺の疑いが持たれ・・・というお話。疑獄事件にアリバイ崩しと言えば、松本清張の名作「点と線」がどうしても頭を過りますが、こちらもその影響下にあるか多大な影響を受けたと思わざるを得ない作品の思えました。悪くはないし、実際完成度は高いですが、やはりまだこの著者の個性が発揮されているとは言いがたいと感じました。☆3つ。 という訳で些か厳しい評価になってしまいましたが、この二作以降はこの人にしか書けない独自の推理小説を発表して、日本の推理小説界に特異な位置を占める存在になる、言わば過渡期作だと思いました。ですのでこの著者のファンで初期はどういう物を書いていたかが気になる人向きかも。 なので読んで面白いですが、この人の実力はまだまだこんなもんじゃないと思いました。 それと飛鳥部氏の解説がこの著者の秘められたエロティシズムに言及した画期的な評論に思い、必読だと思います。 この著者のまだ習作を二冊合わせた合本。この人のファンとお暇な方はどうぞ。 | ||||
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土屋隆夫の文庫は殆ど所蔵しているが、最初の長編である本書だけは早くから絶版で再版もなく、漸く入手できて喜んでいる。期待通り、著者らしい時代背景や信州の小村の土地の雰囲気が出ていて、その後の作風の原点を探った気がする。ただ肝心のトリックは、いくら当時の法医学でも、他所で殺害して運ばれた死体は検屍で判別できる筈なので、やや無理があるといわざるを得ない。内容よりも歴史的意義のある書というべきであろう。 | ||||
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江戸川乱歩賞・コレクションの一冊「候補作品」 ようやく手にして大切にしたいと思っています。 「ありがとう。」 | ||||
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第3回乱歩賞最終候補(受賞作は仁木悦子『猫は知っていた』)となった第一長編『天狗の面』(1958年)は土俗的風俗描写の中に濃厚な不可能犯罪の興味を盛り込み、緻密な謎解きの面白さを堪能させる傑作。トリックメイカーとしての才能が既に全面発揮されている。 1959年発表の『天国は遠すぎる』は秀逸なアリバイトリックの名作。著者の美点である叙情性がプロットと有機的に結び付いている。 昭和三十年代という時代背景に馴染みが無い読者はやや読みづらいかもしれないが、両作品とも乱歩の評論「一人の芭蕉の問題」に刺激され、本格探偵小説の興趣と小説としての完成度の両立を目指した若き日の巨匠の情熱がほとばしるようで胸に迫るものがある。 | ||||
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