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天狗の面
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【この小説が収録されている参考書籍】
天狗の面の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全11件 1~11 1/1ページ
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夜中だったか明け方だったか、二つの村をつなぐ道の土手でばあさんが ぴょんぴょん跳んでいる。月の光を浴びながら跳びまわってる。 いったい何してるんだ? このばあさん、いったい何してごじゃる? 「きちがいじゃが仕方がない」もしこのひと言が、この発言場面が 『獄門島』の代表場面、『獄門島』というクレイジーな探偵小説の 核心であるとするなら、この「ばあさんピョンピョン」こそは、この 『天狗の面』の核心であるに違いない。ばあさんはいったい何をしてたのか? もちろん読めば分かる。分かれば普通の読者は「うえっ!」と思うに違いない。 特に男性読者は「まじかよ」と思うだろう。女性読者だって「ひー」だろう。 私も「おげげげ」とのけぞった。間違いなくこの小説のもっともクレイジーな部分だ。 いまも生々しくこの作品を思い出すことができるのは、この「ばあさんぴょんぴょん」が あったればこそだ。それ以外は、むしろ、あまり感心できない部分の方が多かった。 すでに五十年前の探偵小説だから、というわけでもない。横溝正史の長大な田舎怨念 連続殺人を浴びるほど読んだあとで、それで、それらの半分ほどの厚さしかない本で、 やっぱり閉ざされた田舎の、一種の特異な怨念ミステリで、これじゃあ(好き嫌いは 別にしても)まったく喰い足りない。おまけに、作者自身が初刊本のあとがきで 「そういう風にはしたくなかった」と言いながら、神津恭介みたいな爽やかな青年名探偵が 出てきたり、ちょっとちぐはぐなんじゃないかな、などと不遜な読中感想をいだきながら 読んでいて、それで、結末の手前で出くわした「ばあさんぴょんぴょん」。思わずのけぞり ながらも、これだ、これがこの作者のクレイジーだ、そう感じて妙な安堵感を得たのも事実です。 この「クレイジーさ」というのは「うへっ、そこまでやるかよ」という、読者の、いささか マゾヒスティックな「うれしい悲鳴」のことです。乱歩にも横正にも、その他、本格だろうが 変格だろうが、語り継がれている作品には、みんなそれがあります。この『天狗の面』にも ありました。少なくとも「ばあさんぴょんぴょん」の部分に、私はそれを感じました。 皆さんはどうだったでしょうか。カーばりの作風とか、本格ミステリとか(自分にはこれが 本格とは思えませんでした)そういう点での感想はよく聞きますが、あの「ばあさん ぴょんぴょん」について書いている人には遭遇したことがありません。なぜでしょうか。 最近では、単純に自分が勘違いしているだけなのではないか、そんな恐怖にすら襲われます。 本当のところは、どうなのでしょうか。 | ||||
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「天狗の面」:ある村で新興宗教に端を発した奇怪な連続殺人事件が起こり・・・というお話。日本の地方特有のどろどろとした土俗性に本格推理小説の合理性を持ち込んだ作品。この小説は私の勝手な憶測ですが、横溝正史の影響の元に書かれた物ではないかと思いました。横溝の日本の土俗性に合理的精神を持ち込んだ傑作の影響下にある様に思えました。単なるマネといったら著者もファンも怒りそうですが、まだ土屋氏の独自性が発現していない憾みが感じざるを得ませんでした。☆3つ。 「天国は遠すぎる」:若い女性の自殺が多発する中、ある自殺だけが他殺の疑いが持たれ・・・というお話。疑獄事件にアリバイ崩しと言えば、松本清張の名作「点と線」がどうしても頭を過りますが、こちらもその影響下にあるか多大な影響を受けたと思わざるを得ない作品の思えました。悪くはないし、実際完成度は高いですが、やはりまだこの著者の個性が発揮されているとは言いがたいと感じました。☆3つ。 という訳で些か厳しい評価になってしまいましたが、この二作以降はこの人にしか書けない独自の推理小説を発表して、日本の推理小説界に特異な位置を占める存在になる、言わば過渡期作だと思いました。ですのでこの著者のファンで初期はどういう物を書いていたかが気になる人向きかも。 なので読んで面白いですが、この人の実力はまだまだこんなもんじゃないと思いました。 それと飛鳥部氏の解説がこの著者の秘められたエロティシズムに言及した画期的な評論に思い、必読だと思います。 この著者のまだ習作を二冊合わせた合本。この人のファンとお暇な方はどうぞ。 | ||||
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土屋隆夫の文庫は殆ど所蔵しているが、最初の長編である本書だけは早くから絶版で再版もなく、漸く入手できて喜んでいる。期待通り、著者らしい時代背景や信州の小村の土地の雰囲気が出ていて、その後の作風の原点を探った気がする。ただ肝心のトリックは、いくら当時の法医学でも、他所で殺害して運ばれた死体は検屍で判別できる筈なので、やや無理があるといわざるを得ない。内容よりも歴史的意義のある書というべきであろう。 | ||||
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江戸川乱歩賞・コレクションの一冊「候補作品」 ようやく手にして大切にしたいと思っています。 「ありがとう。」 | ||||
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第3回乱歩賞最終候補(受賞作は仁木悦子『猫は知っていた』)となった第一長編『天狗の面』(1958年)は土俗的風俗描写の中に濃厚な不可能犯罪の興味を盛り込み、緻密な謎解きの面白さを堪能させる傑作。トリックメイカーとしての才能が既に全面発揮されている。 1959年発表の『天国は遠すぎる』は秀逸なアリバイトリックの名作。著者の美点である叙情性がプロットと有機的に結び付いている。 昭和三十年代という時代背景に馴染みが無い読者はやや読みづらいかもしれないが、両作品とも乱歩の評論「一人の芭蕉の問題」に刺激され、本格探偵小説の興趣と小説としての完成度の両立を目指した若き日の巨匠の情熱がほとばしるようで胸に迫るものがある。 | ||||
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中々、これだけ地に足の着いた作品には、めったにお眼にかかれません。少しだけ、時代性を感じますが、読み継がれるべき作品であることにはちがいありません。独自の世界がここにはあります。 | ||||
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作者がところどころ登場して、謎解きのガイドというか注意を与えたりと、本格本格した推理小説。 そもそも50年も前の作品であり、しかも当時にあって山深い村が舞台となっており、かなりの違和感を感じる。 が、そこが逆にこの物語の異常性を高める役も果たしており、古いものだからと、敬遠するようなものでは決してない。 高度な推理ゲームを堪能することが出来る。 ただ、このカバーの、天狗の面の絵は中身とマッチしていないこと甚だしいと思う。 天狗だってもう少し違う描き方もあるはず。何とかして欲しいところだ。 | ||||
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著者の長編ミステリは、妙な所に妙な遊びのあるものが多い。例えば「ミレイの囚人」や「物狂い」など、特に晩年の作品に多いが、初期〜中期でも名作といわれている「危険な童話」や「針の誘い」など、読んだ人には分かると思うが、著者のミステリに対する拘りが、妙な形で作品中に表れている。 本作は著者のデビュー作であり、乱歩賞応募作でもあるためか、そういった妙なこだわりを極力おさえた、しごくまっとうなミステリである。クラシックミステリと言って良いほど、旧態然とした設定、ストーリー、トリック、そして趣向である。ただ、今読むと、それがとても新鮮に感じるほど、おそらく現在のミステリはすれてしまったのだろう。紛れもなく本格ミステリであり、明らかに横溝作品を意識していることが、みえみえである。それも横溝なき今、何だか微笑ましい。 田舎における新興宗教という、ミステリではおなじみの設定である。もう、安心して著者の筆の進むままに読み進めれば良い。やがて見えてくる仕掛けも、アッと驚くほどのものではないが、きれいにまとまっている。かつては、こういうミステリが主流だったんだと、改めて気づかされるとともに、ストーリーテラーとしての著者の才能を再認識した。 読後に何も残らない、スッキリ爽やかなミステリとして、気軽に読める作品であり、私は評価したい。 | ||||
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土屋隆夫、最後の長編(おそらく)と最初の長編をカップリングした限定版。現在の最新長編『人形が死んだ夜』は氏の住む長野県を舞台に展開するひき逃げ事件に端を発し、続いて起こる殺人事件の謎がメインとなる作品である。 本格推理としてみると、それほど強烈な謎も不可能興味もなく、新しいトリックがあるわけでもないのであるが、さすがベテラン、いつもの土屋流推理小説で、そこかしこに市井の人々の生活や風光明媚な描写が文学的ロマンを感じさせる。さらに作者はある人物を登場させ、古くからのファンも楽しめる。 限定版でナンバリングもしてあるコレクター向きであるが、それだけに貴重でもある。本の装丁もきれい。土屋隆夫ファン、推理小説ファンは必携であることは言うまでもない。 | ||||
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作者は寡作ながら良質の本格ミステリを発表している良心的作家。本作は処女長編作である。私の印象では、地域、人間性に根ざした土着性の強い作品が多いが、本作は特に土着性が高い。処女作にその作家の本質が現われると言う事か。 本作のメインのアイデアは「見えない犯人」であり、カーの「緑のカプセル」ばりである。また、同じくカーの「読者よ欺かるるなかれ」ばりに、作者が作中に顔を出して読者に注意を与える等、カーを意識した稚気が感じられる。それを日本の民俗信仰の中で実現した所に本作の意義があると思う。表紙の天狗の面と共に独特の読後感が味わえる佳作。 | ||||
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旧『宝石』出身の作家も次第に少なくなってきたが、作者はそのうちの数少ない一人である。すでに戦時中に脚本を発表していたとはいえ、事実上の処女長編は本作ということになる。本書で注目すべきは、作者が随所に介入し、読者に様々な注意を与えることだろう。カーター・ディクスンが似たような試みを行っているが、作者の遊び心と探偵小説への意気込みが感じられて興味深い。土屋作品の妙味とは、抒情云々というよりも、このような探偵小説への執拗なこだわりとブラックな感性にある。本書のように犯人やトリックがすぐわかるにしても、これがあるからこそ、彼の作品は最後まで読ませるのだ。なお、かの有名な「割り算の文学」という定式は本書に登場する。 | ||||
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