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愚者のエンドロール
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愚者のエンドロールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全75件 21~40 2/4ページ
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青春の日常をミステリの枠組みで描く「古典部シリーズ」第四作である本作の主要モチーフは “映画”。古典部に “女帝” の異名を持つ二年生、入須冬実から依頼が舞い込みます。それは、脚本家が倒れたことで撮影が中断してしまった映画の結末を推理してほしい、というもので…。 本作では、オープニングとエンディングがメタ的な視点で語られているのですが、そのための手法が優れていました。 ちょうど映画のオープニングでキャストやスタッフの名前が出るように、本作の導入では物語を裏で “製作” し “キャスティング ”し “監督” する “プロデューサー” や “ディレクター” たちの存在が示唆されています。また、物語を総括するエンディングも映画のエンドロールのようにも演出されています。 本シリーズでは、そのつど新しい手法が試されていますが、毎作その使い方が物語内容と合っているのがすばらしいですね。 奉太郎の信条である “省エネ” が揺れ動く場面もあり、それによって、自己認識がまだ定まっていない青春時代に特有のアイデンティティの揺らぎを描いてもいます。大人になってから振り返ってみれば些細なことでも、十代のころはなによりも切実に思えたもの。そんな誰しもが有する経験をミステリの枠組みを借りて描写する、というのが本作の一番の魅力であるように思います。 | ||||
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(ネタバレしてます!) 氷菓を読んで、この高校生たちの魅力にかなりはまったので、第2作を。 このシリーズの私にとっての魅力の一つは、出てくる人物たちのキャラクターと、相互の距離感と それを表す会話やなにかの、妙です。特に主要4人の人物はそれぞれに魅力的で、楽しいです。 で、今回はミステリーにまつわる、ミステリーということなのですが、 私はミステリーを普段ほとんど読んでいないので、そちらの作品としての仕掛け、とかは、 いいとか、悪いとか、全く判断できません。 私の感想は、女帝と呼ばれる、人を駒のように動かす女、について、です。 この物語は、その女帝に結局自分も利用された、と気づいた主人公が 女帝、と対決っぽく、話すラストが、クライマックスっぽくなっていると思います。 つまり、こんな、人を利用する人がいた、自分は利用されちゃった!というヤラレチャッタ感が、 描きたいことのひとつになっているように、思うんですが、 ほんと、こういう人はいる。 私も、テイよく利用されちゃったことがあるのですが、 社会人になった場合は、人に何か、善意を求める感じで頼んでくる、お金を払わないで 頼んでくる場合は、そういう下心がある場合があります。 この物語の奉太郎たちの場合は、高校生同士のやり取りで、お金が発生する余地もないでしょうが、 唯一の救いは、優しい千反田が、脚本家本郷を心配して・・・この件に引きずり込まれていく、というところのように、 一瞬思えるのですが、最後のチャットで、脚本家が奉太郎たちを利用した女帝に、お礼を言ったり 謝ったりしている・・・結局その程度の人間だった、という。 本当に、一見優しそうで、ちゃんとしてそう・・・と装っている人たちでも、 実は、優しそうな人を自分の都合で、口車で動かそうとする人もいる。 そういうのも、見抜けるようになるのが、ある種人生修行だと思います。 みんなにとって結果が良ければ、過程で利用やだましがあってもいいだろう、という考えの人がいると思いますが、 今回の場合、目標は自分たちの用意不足・準備不備からもたらされた高校文化祭でのビデオ映画の出来の悪さを 何とかメンツを保てるものにしたい、という、メンツです。誰かの命を救うとか、折れてしまった心を救うというのでもない。 そういうことに、うまく口車に乗せられて、動員される、人々。 フリーメーソンの、知識階級と、無知なる民、みたいな二重構造ですね。 私は、最初から汚れた考えの人は、そういう人生を歩むことになっちゃうんだと思う。 教えてもらって気づいたのですが、なんと、女帝にアドバイスしたのは、奉太郎の姉? 地球の向こう側から?まあ、姉弟関係なら、そんなめちゃくちゃもあるのかな。 この作家は、いつも、知らない熟語とか出てきて、勉強になります・・・ | ||||
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シリーズが好きな人は。知らない方は今一つ。ミステリというよりは学園もの。 | ||||
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この本を読む人は2パターンあると思う。 1.アニメやラノベが好きで古典部シリーズの第2巻を読んでみた。 2.ミステリが好きで近年評価の高まっている米澤穂信の過去のラノベよりの作品にも手を出してみた。 私は後者だが、もしこの作品の構成やトリックをすごいと思った人がいたらはっきり言っておきたい。 完全に先行作品のパクリですと。 (以下の文章には本書及び我孫子武丸著「探偵映画」のネタバレを含みます。) 「毒入りチョコレート事件」へのオマージュなんていうのは誤魔化しに過ぎない。 作者は我孫子武丸の「探偵映画」についてはどう考えているのだろうか? ミステリにおいて先行作品のトリックと被ることはどうしてもやむを得ない側面はある。 確かに、推理小説というジャンルが発生してから100年も経てば逆に、完璧に新しいアイデアを作り出すことは至難の業だ。 しかしながら、綾辻行人さんは「ミステリーの書き方」(日本推理作家協会編著)の中で以下のように仰っている。 『すでに知っていた前例の流用については、基本的には反対の立場です。ただし、そこに何か独自の演出やひねりを加えたりして 今までにない効果が生まれるはずだという確信が持てるのなら、それもOKだろうと。そうなると「流用」とはいいませんね。 バリエーションの案出。どこまでが流用でどこからがバリエーションの案出なのか、その判断もむずかしいところですけれど まずは本人が「これは安易な流用ではない」と自信を持てるかどうかでしょう。』 もし作者がここまで考えた上でこんな作品を発表しているのであれば、流用の基準モラルが極めて低いと言わざるを得ない。 「原作者がいなくなって映画が未完になった。残されたスタッフはどうしても完成させたい。 しかし、未完部分を撮影する時間的余裕は殆どない。そこで、完成部分から結末を推理して撮影することになった。 何人かのスタッフからシナリオ案が提出されたが主人公が探偵役となって、論理的な矛盾を見つけ出し没になる。 最終的には主人公が提案した案が採用され撮影が行われ作品が完成するがその後で、黒幕人物が出現し、 主人公が考えた結末は本来の結末とは違うことを告げる」 以上は本作のあらすじではありません、「探偵映画」のあらすじです。 さらに言えば本作はこれだけでほぼ終わりですが「探偵映画」にはさらにひとひねりが加えられています。 私は「折れた竜骨」を読み作者のファンになりました。端正な文章と作りこまれた世界観には驚かされました。 ただ、一点引っかかったのはメイントリックを倉知淳さんの「星降り山荘の殺人」からほぼ完全にコピーしていた点です。 それでも作品の完成度が極めて高かったのでこの程度は許容範囲だと思っていました。 「インシテミル」も「そして誰もいなくなった」を起点とする作品群の中に似たような話はありましたが、相対的に面白いので、 この作者は古典アレンジが好きなのかなと納得していました。 しかし本作を読んで代表作品がここまで流用のオンパレードだと作者の評価は変わりました。 この作者は世界設定、キャラの作り方、文章技法に優れているが推理小説家が本来一番大切にしなければならない、 ”トリック”については自分で考える力がないと。 残念ですが、作中で奉太郎の導いた答えも綾辻行人さんの「どんどん橋落ちた」の「意外な犯人」からの完全なパクリです。 この作者には二度とトリックを必要とする推理小説を書いて欲しくない、ラノベだけ書いていてください。 おそらくアニメから入った方、単純にえるたそ〜と萌えれればいいという方からこのレビューには「参考にならない」が押されるでしょう。 しかしこれだけは申し上げたい、最終的に参考にならないを押すのは仕方ないが、せめてその前に「探偵映画」を読んで、 推理作家のモラルとは何かを自分の頭で考えてほしいと。 | ||||
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古典部の二巻目です。 前回が結構面白かったで買ってみました。 今回も展開が二重になっていて面白く、最後の終わり方も良かったです。 | ||||
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奉太郎の持つ探偵としての才能に焦点が当たった古典部シリーズ第二巻。 えるの誘いで文化祭のクラス制作映画を見に行くことになった古典部の面々。試写後、映画製作を取り仕切っていた『女帝』入須 冬実からの頼み事は、未完成映画の結末を推理することであった。 今回は言うなれば架空の密室推理モノである。映画製作の各部門の代表と話しながら密室トリックを推理していくという前巻と似たような形式で物語は進行する。主人公達が事件の当事者になっておらず、時間・空間的にも別の場所で展開したものを推理していくという構造は相変わらず面白い。 本巻では才能を持つ者・持たざる者の苦悩が一つのテーマとしてあるだろう。女帝の助言により、奉太郎が自身の探偵としての才を信じて最適解を導き出した時、その崩壊はゆるやかに始まる。古典部の各メンバーそれぞれと話すシーンは奉太郎と同様に全てが足元から崩れていくような絶望感を我々に感じさせてくれるだろう。 最終的に奉太郎の出す完全解と「愚者のエンドロール」という本サブタイトルの意味を完成した映画のエンドロールとともに知ることになる。 | ||||
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前作が楽しかったので、購入も、いまいち ただ、作品的には今後を期待させます。 | ||||
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前作に続き、今回も扱っているのは日常の謎、というか小さい謎を扱っている。そのためか、インパクトとしては小さいが、やっていることは確かにミステリのそれなので、その点、安心して読める。また、どうもこのシリーズはキャラクターの柔らかさに隠れて、以外と優しくないというか、結構残酷な面も持っている。個人的にはもう少しハッピーエンドデモいいのでは、と思う。 | ||||
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テレビアニメ「氷菓」の8~11話を見て、その原作本を読み、さらにkindle本が出たので購入しました。 この話は、一言でいえば、「入須先輩に乗せられて自尊心を膨らませたあげく利用されたことに気付いた折木がじたんだ」という内容です。わりとしょうもない話です。正直、カタルシスを得ることはできませんでした。実はアニメ作品のなかでも、8~11話は、ほとんど見返すことはありません。 かといって「気に入らない」かと言われれば、そんなことはありません。入須先輩初登場もので、しかも、アニメはゆかな声で可愛かったのですから、これはアリでしょう。「愚者」という言葉に何重もの意味を与える作者の意図も、さすがだと思います。また、この作品単体ではなく、その後の、折木と入須の関係性を決定づけるものとして(たとえば「遠まわりする雛」や、「クドリャフカの順番」での描写)、十分に意味はあると思います。 そんなわけで、私には、京アニのアニメ込みで、「普通」の作品でした。アニメ抜きなら、星2.5でしょう。 | ||||
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近くの書店ではなかなかみかけなかったので、 美品でよかったです。 | ||||
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高校の文化祭用の未完のミステリ・ビデオを巡る推理合戦(もどき)を描いた作品。"あとがき"に「毒入りチョコレート事件」へのオマージュとあるが、おこがましいにも程がある。それ程、お粗末な出来。 一応、推理合戦が繰り広げられるのだが、どれも稚拙過ぎるものか前例のあるものばかり。全体の趣向に工夫を凝らしたつもりかも知れないが、これも取り立ててどうこう言うレベルではない。高校を舞台にすればミステリ的趣向が軽くても構わないと言った風が感じられ、まるで読み応えのない作品だった。 | ||||
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アニメ化で評判になっていたのと電子書籍というものに興味があったので スマホにKindleアプリを入れて1巻の『氷菓』とともにKindle版を購入しました。 結論から言いますと、建物の見取り図を見ながら展開するような密室ミステリは 電子書籍ではかなりムリ!ということです。 紙の本では気軽にできる、前のページにある図面や登場人物が動く事件部分を こまめにチェックしながら本編を読み進める、という方法が電子書籍では難しいのです 不可能ではありませんがかなり手間がかかり、実際ムリでした。 じゃあどうしたのかというと、所有していたAndroidのタブレットPCにもKindleアプリを インストールし、こちらの端末で図面や前のページを確認しながらスマホで読み進めました、 すごい無駄。 電子書籍で密室ミステリはハードルが高いと思いました。 あ、謎解き部分を自力で解くことに興味がなく、青春群像劇として読みたいという方には まったく問題無いと思います、いい作品ですよね。 前作『氷菓』も面白かったのでアニメ版も見てみたいですね。 内容は良かったですが読みづらかったので☆4つです(Kindle版の評価です) | ||||
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前作と比べ、ミステリの要素が強くなってます。 未完となった映画の犯人は誰か。それを推理することになるのですが、なにもそれだけでなく主人公の自惚れや自己嫌悪といった、若い頃に味わうであろう思春期のほろ苦さも描かれています。 どちらかといえば、ライトノベルに近い小説なので粗があるのは仕方ないのでしょうが(ラストはツールで締めたりとか)、気軽に読めるのが良いです。ただし、題材が題材だけに事件と呼べるほどではなく、それがつまらないという人もいるかもしれません。 しかし、巻頭に見取り図を用意してくれたりと、ミステリらしく読者にもしっかりと情報提供してくれてるのは良いですね。前作よりミステリを強くしているところは、作品として私は好感を持てました。 このシリーズは物語の起伏が小さいので盛り上がりに欠けるかもしれませんが、キャラは千反田の気になります以外は媚びるところも少なく、文章も近頃のライトノベルに増加傾向のある稚拙なものでもないので、安定した読み物ではあると思います。 | ||||
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大沢在昌氏の近著によると、ミステリーは小説の中でも最も書くのが難しいらしい上に、 ミステリーを書くには、古典や現代のもの問わず、かなりの数の著作 (本格推理小説やハードボイルド、スパイもの、法廷もの、警察ものと多岐にわたる)を 読み込み、基本的な知識を身につける必要があるとのことだが、 本作はまさにそれを地で行くおはなし。 二年F組有志が、後のことを考えずにシャーロック・ホームズだけを参考に、 脚本の本郷以外が軽い気持ちでビデオ映画の作成に取り掛かってしまったために 内容がグダグダかつ未完成の作品となってしまい、 それを如何にして古典部(特に奉太郎)が『尻拭い』していくかが本作の簡単なあらすじ。 読了後の感想を一言で言うならば、矛盾した言い方ですが、 "Better is better than the best."かと。 最後の最後で、TVアニメーション版を一回観ただけでは分からなかったあることが 暗喩されています。ああ、なるほどね。とんだ食わせ者だ。 | ||||
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氷菓があまりにもひどかったので、なんで?と続きも買ってしまいました。 内容はミステリ色もあり、割と面白くできてましたが、 愚者のエンドロールというタイトルがいまいちしっくりこない。 タイトルとして語呂はいいけど、 物語の中で愚者が誰を指してたか明言してるのを考えると微妙に違和感があった。 氷菓で米澤さんはラノベとしてわざと質を落として書いてるのかな?と思ったけど、これならあまり本が読めない中高生受けも良さそうですね | ||||
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氷菓シリーズ第二弾。電車の中で読む本がなかったので購入しました。 外部から依頼がきて、古典部が謎の解明にとりくむ、という根幹は変わっていない。古典部面々の役割分担も変わらず。推理ものとしての出来は前作の方がよかったかも。今回はまず、「脚本の結末が知りたいのだが、脚本を書いた生徒が精神的に弱っているので直接聞けない。だから古典部に依頼する」という起承転結の起の部分に無理がある。そんなの電話一本で済んでしまう。そこが引っかかって感情移入ができない読者もいると思う。でも結の部分はとてもまとまっていてよかった。 | ||||
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本書は、未完成のミステリー映画の結末を推理するという話である。 詳細はネタバレになるので記載しないが、本書のテーマを一言で言えば「ミステリーを客観化して見るとどうなるか?」という点であろう。 結末の無いミステリー映画の結末を推理するという主題が、そもそもミステリーを客観化して見るということなのだが、その結果何が起こったかを知りたければ、実際に読んでみることをお勧めする。 しかし、本書に出てくる入須先輩、高校2年でここまで人を使うことになれた人間は普通いないだろうという才媛ぶりだ。もはや老獪の域である。 ちょっと、高校生の周りで起きる出来事としては人が暗躍しすぎであるが、まあ、あまり普通に書くと本当にただの高校生の日常生活になってしまうので、落としどころとしては悪くない。 この辺、好みが分かれると思うので、一巻目『氷菓』で違和感の無かった人にはお勧めできる。 | ||||
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ミステリーをほとんど読むことがないので、そちらの側面でのディティールなどが入っていて興味深いというのには、そういうものなのか、といった程度になっちゃいました。でも、それがあるからきちんと当初の映像化で尻切れトンボになった話のオチが、結果として古典部の1年生たちによって見つけ出すというのが、無理なく小説として表現されているんだなぁ…と思いました。 学年の違いによる台詞のある種のぎくしゃくしたさまは、実際の学園生活でもありそうな感じがするし、そういった部分がうまく表現されているのは、個人的には興味深かったです。 あと、女帝と呼ばれているらしい入須冬実と古典部の折木奉太郎とのピンと張り詰めた会話が面白く読ませていただいたという感じでしょうか。 | ||||
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これは良い。 私的に思った前作『氷菓』の欠点が殆ど解消されている上、バークリーの名作『毒入りチョコレート事件』へのオマージュもバッチリ決まっている。 たとえば前作欠点と思われた謎と謎解き部分。 前作は散発的にいくつか謎と謎解きがあり、どれも物足りないものだったが、今回はメタ的な入れ子構造で「殺人事件」を扱い、さらにその一つをじっくり一冊を使って解いて行くので読み応えがある。 キャラクターに関しても、主人公の行動が変化する過程を、事件や友人間、内面描写をしっかり使い、書き込まれているので面白かった。千反田のミステリー嫌いの伏線が解消されるラストも、キャラ理解を深めると同時に読後感も爽やかだ。 本作は、「伊原」のようなうるさ型の読者も満足出来るものになっているのではないだろうか。 ただ、あえて苦言を呈するなら、核心部の謎解きで、主人公の奉太郎が映画を改めて見た後、この「謎を解くのは容易ではない」と内省させたにもかかわらず、数ページ後に何のきっかけもドラマも無くあっさりと「解答」を見出すのはいかがなものだろうか。その「解答」は確かに映画の脚本を書いた本郷の「解答」ではないが、もう少し「解答」を導き出す過程で読者を楽しませてくれても良いのではなかろうか。 映像を思いだしながら考える独白を書いてから一行開けて、「……そして俺は、自分が結論に辿り着いたことに気がついた」(P198角川文庫)ではあっさりしているどころか、殆ど手抜きだ。 もしかしたら、この著者は『名探偵コナン』などで頻繁に見られる、ひょんなきっかけで謎が解ける、というような定型的なご都合ドラマに対する嫌悪感があるのかもしれないが、もう少しがんばってもらいたいものだ。 加えて、おざなりだと思ったのは、三人目の推理者沢木口の「ミステリー」=「推理もの」ではない、という解釈だが、明らかにこれはヘン。 どこがヘンなのかと言えば、その前の推理者中城の話の際、脚本担当の本郷がミステリーを書くためにシャーロックホームズを読んでいたというエピソードが書かれているからだ。 つまり、「血糊」云々の前に、中城はミステリーをシャーロックホームズと結びつけている。しかも、このホームズ、ご丁寧に○×のついた表まで示し、伏線である事が強調されている。 よって本郷が『十三日の金曜日』等のホラーと解釈したはずはないとたいていの読者は即座に思うし、そうハッキリと思わなくてもかなり違和感があるだろう。さらにこの事に対して作中での言及は無い。だから端的に見落としていたとしか思えない。 この問題を解消するため、推理者の二番目と三番目は逆にすべきだろう。 その際には、「血糊」は一番の人に託す。 と、まあ不満点もあるが、楽しめた事は間違いない。 よって、オススメです。 「味でしょう」の意味を気にかけつつ、自作は期待して読みます。 | ||||
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この小説に出版社は「なぜ江波に訊かなかったのか?」という副題を付けていますが、読者としては「なぜ本郷(台本作者)に訊かなかったのか?」と問い返したい気分です。 日常ミステリだから登場人物がほいほい死んでしまってはまずいのは明らかですが、だからといって死ななければなんでもOKというものではありません。文化祭の自主映画程度のことで台本作者がしゃべれないほど衰弱などというのは例えば作者が都合よく交通事故で死ぬというのと50歩100歩の非現実的な話です。核心部分の設定があまりに強引にすぎて興醒めです。 この作者であればもっと事件をうまく展開させる筋書きを考え出すことは可能だったはずです。なのに核心部分は安易なままで、そのフォローにエキセントリックな人物を登場させて小手先で誤魔化すような手法は用いてもらいたくなかったです。シリーズ物なので次に期待します。 | ||||
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