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頰に哀しみを刻め
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頰に哀しみを刻めの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 21~28 2/2ページ
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ストーリーは大変面白いと思う ただ翻訳でクソの言葉が多すぎて 辟易した また外国人作家の特徴でしょうが 回りくどい表現が個人の好みに合わなかった | ||||
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自分はどういう人間なのか。 世界をきちんと見ようと努力してきたのか。 目を塞ぎ、見えないふりをし続けてきたのではないか。 息子を亡くした二人の父親は復讐の最中、こうした問いと向き合うことで過去の自分たちとの決別を試みる。 つまり本作で描かれる復讐とは怒りにのみ依拠するのではなく、懺悔・後悔・贖罪・失望感といったものが混在しているのだ。 だからこそ我々読者は知らず知らずのうちに彼らの悲哀や、やるせなさに共感、自己投影をしてしまう。 今更何をどう足掻いたって取り戻せないと分かっていても尚、そうしなければならないという使命感に胸を打たれるのだ。 そして本作のもう一つの魅力は、前作「黒き荒野の果て」同様、徹底した暴力の描写である。 内に巣食う暴力の衝動に葛藤する主人公の内面の機微、それが解き放たれた時に引き起こされる凄惨なシーン、そして何より暴力を描くことでしか表現できない一種のカタルシス。 それらが完璧な比率で調合されているため、暴力を描いているにもかかわらず不快感は一切なく、むしろクライムサスペンスに求めているのはこれだと強く思わされてしまうはず。 息子を殺害した相手に対する怒り、息子を愛してやれなかった自身に対する怒りと嫌悪感。 互いにそれらを抱いた二人の父親は、対話を通じて、息子たちに想いを馳せることを通じて、無知からの脱却を図ろうとする。 そう、彼らは復讐することを選択したように、学ぶことを選択したのだ。 この世の無慈悲さ、渇き切った諦観、燻ぶる暴力の衝動のみならず人種やジェンダーに関する差別を真正面から描いた本作は、現時点でのS・A・コスビーの最高傑作と言っても過言ではない。 クライムサスペンス史に名を刻むであろう一作。 | ||||
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一言でいうなら、黒人と白人のおじいちゃんがいろんな偏見をのりこえ、互いの可愛い孫娘のために悪党と戦い真人間になった。本書の前情報がなく、いきなり読むと???となるかもしれません。 | ||||
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血と暴力満載のサザンノワールの新旗手で男臭い筆致が格好いい。葬儀屋や清掃員・作業員を経験し小説家に転身したという経歴が興味深く、見た目も迫力の著者。おすすめです。 | ||||
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展開は最初はゆっくりだが、徐々に早くなり、スマホをいじっていられなくなる。久しぶりにスッキリした。構成もうまい | ||||
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昨年『黒き荒野の果て』で国内外の賞を総嘗めにした作家が、二年連続のキングをほぼ射止めたであろう、そう確信させる作品が早々に登場した。ぼくは前作にも際立つものを感じたのだが、新作では、そのスケールアップぶりに震えた。まさに現代のキングと呼ぶに相応しい非凡の才が、世界の影の部分に鉈を振るう。 人種間分断や同性愛差別と言えば、最初に頭に浮かぶのがアメリカ南部。作家コスビーは、まさにその南部ヴァージニア州居住。ヴァージニア州と言えば、パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズが州都リッチモンドを中心に展開するシリーズだし、南部を舞台としたリーガル・スリラーの第一人者ジョン・グリシャムは、この州を舞台にしたいくつかの傑作で記憶に残る。 さて、昨年来、翻訳ミステリー界に一石を投じた感じのあるS・A・コスビー。写真ではタフな面構えをした黒人である。まさに本書の主人公の一人を思わせる味のある風貌なので、興味のある方はネットで検索してみて頂きたい。 無残な死を遂げた二人の青年を見下ろすそれぞれの父親の姿で、本書は幕を開ける。あまりにショッキングな、あまりに強烈過ぎるスターティング・シーンである。無残に横たわる二人は、黒人と白人の男性同士の夫婦で、代理母を使って一人娘をもうけていたと言う。日本ではなかなか想像できないことだが、アメリカ南部でこんなにも勇気のあるケースがあるというだけで眼が覚める想いである。 異人種間ヘイト。同性婚ヘイト。別にアメリカ南部に始まったことではない。日本人の我々ならば、この国が同性婚はまだまだ手をつけられていないヘイトの温床であることはつい昨日今日の首相秘書官の更迭問題のニュースでもお馴染みかと思う。G7議長国でありながらG7中唯一同性婚の認められていない国であることも。邦訳されたこの作品が、日本に読書文化という側面からショック療法を与えてくれれば良いと深刻に思う。 さて、作中では二人の父親は息子たちのしてきた決意や行動を理解してやれないでいたようである。二人の無残な死は凄まじいショック療法として息子たちへの理解を推進するエネルギーとなる一方、これまでの親としての責務のあり方についてはどちらもそれぞれのやり方で激しく後悔する。息子たちの生前は互いに距離を取ってきた二人でありながら、この事件を機に徐々に行動を共にし始める。父親としての哀しみの上に、積み重なるのは、息子への理解を示せなかったことへの悔恨の雨。二人は、境遇や人種の違いを互いに理解しながらも、徐々に心を一つにして息子たちの復讐を誓い、事件のディープな真相を探り始める。 秀逸なのは二人の言葉少なだが心をずんと突いてくる会話だ。辛さを隠し、人種間の壁を貫き、ためらいながら、互いに徐々に起動させてゆくのは、確固たる復讐心である。 本書はダブル主人公の傑作である。現代の『手錠のままの脱獄』である。私的制裁を目的とするバイオレンスな主人公たちは、二人ともまっとうな生き方をしてこなかったか、改心してはいても十分ではなかったとの不安定な心境下での日常に、元々置かれてきた男たちだった。自分の面倒もろくすっぽ見られずに生きて来た男たちが、歳を取ってそろそろまともになろうかと見える世代。二人を取り巻く家族、隣人、などとの関係も丁寧に描かれているのは前作同様である。この作家の深みはどこから来るのか? 不思議になるくらい洞察力に満ちた物語。触れれば折れそうなくらい、デリケートな作品なのである。 野太く暴力的な男たちの荒っぽいやりとり。容疑者と思われる組織の思わぬ巨大さ。そのバックにいる者の意外な正体と、やはり意外過ぎる殺人の動機。驚くべき真相。アクションと疾走感。ミステリーとしての仕掛けも、文句なし。心の熱さも。哀しみの深さも。 是非ともコスビーという作家の熱波のような作品ワールドを体感して頂きたい。ちなみにぼくの今年の一押しはこの作品に決定しました。早すぎ、ではないと思う。 | ||||
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典型的なアメリカン・クライム・ノヴェルでありながら、新しかった「黒き荒野の果て」(2022/2月)以来になります。S.A. コスビーの新しい翻訳「頰に哀しみを刻め "Razorblade Tears"」(ハーパーBOOKS)を読み終えました。 ヴァージニア州、リッチモンドで起きた銃撃事件によって黒人のアイザイアと白人のデレクの同性婚夫婦が無惨に殺害されます。誰の犯行なのか?ジャーナリストのアイザイアには以前から脅迫状が届いていたらしい。 主人公たちは、殺害された二人の父親、庭園管理会社を経営するアイクと無職のバディ・リー。彼らにはそれぞれ埋めることのできない過去が横たわっていますが、またそれぞれが息子が同性愛者であることを受け入れられないまま時が過ぎていました。激しい憤りと後悔と共に。 しかしながら子供たちを失うことによって、アイクとバディ・リーはその悲劇に連なる心の軌跡を辿りながらも停滞する心から飛び出すことができません。何故なら、息子たちの幼い娘のアリアンナが残されていたことにも起因しているかもしれません。進展しない警察捜査。犯人は誰なのか?刑務所を出て15年。正しく生きようと志し地道な努力を積み重ねてきたアイクは或る事件をきっかけに葬儀から二カ月後バディ・リーと共闘することを決意します。 とてもシンプルなストーリー展開ですから物語が何処に向かうかはおそらく想像の範囲内(サム・ペキンパー映画?)でしょう。相変わらずのテーマでもあるレイシズムと格差。同じような差別に晒されているLGBTQ問題。世界が、社会が変わろうとする中、いつまでたっても変わろうとしない男たち。親父たち。じじいたち。既得権益者たち。そこへの突破口として、それらを受け入れられない構造としての米国「国家」に対して徒手空拳の戦いを挑む二人の「暴力装置」の在り様を私が受け入れられるのかどうか? スリラーとしては、2点の仕掛けがありましたが、まあアベレージでしょう。 私は学ぼうとしながらも空転する主人公たちの苦悩を受け入れつつ、二人の会話の中で繰り返し語られる言い訳ともつかない「嘆き」にはいささか辟易としました。それは頬を流れる「剃刀の刃」のような涙よりも戦いの雨の中で静かに流れる涙のほうがより強いと意識しているからに他なりません。 約30年前、米国の大西洋岸沿いのハイウェイをドライブしながら、道を逸れてローカルなレストランで食事をしようとしてすごすごと引き返したことを思い出しました。レストランのドアを開けた瞬間、それまで和気あいあいと談笑していたように思えた店内の客たちから向けられた厳しい視線に耐えられなかった。気のせいかもしれませんが「ふつう」ではない<東洋人>二人に向けられた排他的な視線の中には「憎悪」のようなものが隠れていたように感じられました。現在の米国ローカルはどうなのでしょうか?もう一度その同じ場所を訪問すればわかるのかもしれませんね。期待に応えられるよう精進したいと思います(笑)。 | ||||
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『黒き荒野の果て』を描いた著者による次の力作。 前科のある黒人男性が出所後堅気になって生活していたところに、事件が起こる。最初は引き込まれまいと抗ったが、次第に眠っていた荒くれ者の血が覚醒する―――というところは前作と共通するが、それ以外の内容は全然異なる。 今回の主人公は中高年であり、LGBTQ+を絡めており、同年代の貧乏白人のパートナーが存在する。 アメリカ南部が舞台なのでなおさら黒人差別が強いこと、さらにアメリカといえどLGBTに対していまだに偏見が残っていることがわかる(日本がG7の中でもたいそう社会的受容が遅れているのは、先日の首相秘書官の発言でわかる。私はこれは表向き対処で、根はもっと深いと思っているが) 息子たちの生前、彼らを理解せず受け入れなかった父親たちの、強い悔恨がひしひしと伝わってくる。 極道バイカー連中を相手に死闘が繰り広げられるが、主人公たちが中高年のオヤジというところから、応援する気持ちがなおさら高まった。 「できるものなら取り下げたい馬鹿なことを言ったりやったりした。人生のどこかの時点で、自分はひどい人間だったってことがわかれば、そこからはいい方向に進める(P260)」 「遅すぎたが、(人生は)まだおわってない(P261)」 個人的なことだが、自分が後悔することがいくつもあるため、この文章を読んで共感するとともに気持ちを新たにする機会となった。 退屈しないスリリングな展開で、情緒にも溢れたいい内容だった。 この作者の著作は二作ともとても優れていると思ったし、好きだ。すっかりファンになってしまった。 次作を楽しみにしている。デビュー作が邦訳出版されていないようだが、こちらもぜひ読みたい。 | ||||
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