テロリストとは呼ばせない
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| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点8.00pt | ||||||||
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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イギリスに暮らすムスリムの生きづらさをエンターテイメントにした「ジェイ・カシーム」シリーズの第2作。前作「ロスト・アイデンティティ」でショッキングな最後を迎えていたジェイが、再び絶望的な戦いを繰り広げるアクション・サスペンスである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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| 「ロストアイデンティティ」と本書を同時に購入しましたが、勘違いしてしまい「テロリストとは呼ばせない」を先に読んでしまいました。イギリスでの多様化する社会のなかで、白人側も移民系の側も閉塞感からなんともやりきれない思いを相手側に暴力的にぶつけることで憂さ晴らしと暇つぶしを繰り返すことで大きな衝突を生んでしまう過程が丁寧に描かれています。多少、饒舌すぎるかもしれませんが。 もちろんすべての人には親、子などの愛する家族がいますのでその矛先が自分の方に向けたれた際には「復讐」という明確な行動に出ざるを得ませんが、その無限のループはどうしたら止められるのか?それは正義なのか?という現代社会が抱える問題を読者に突きつけます。深刻ではあるのですが英国に住む人ならではの「皮肉」「やせ我慢」「毒舌」「(くだらない)ギャグ」も満載です。 (ちょっとした疑問) P.351「便器の蓋をおろしてそこにすわった。」蓋のうえにはふつう座れないので『便座』ではないか、と思います。海外のトイレはむしろ『蓋』がないほうが多いのですが・・・。 | ||||
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| この作品は改めて私の根源にさざなみを立てました・・国によって問題も違えば人の根本的な思想も異なるようです。では何故に人は環境によって考えや思想までも違ってしまうのか?何故に途上国は貧しく争いが絶えないのか? そして、いつも女子供が最も被害を受ける・・しかし男たちは夢追う少年のように幾つになっても追い続ける・・私もそうですが男は破壊と破滅の象徴であり、男は愚かな生き物だと今一度、痛感した作品でした・・日本国と東南アジアやヨーロッパ諸国の歴史には大きな違いがあり、大国(陸続き)と島国とでは、他民族との関係性に関しても違いを感じます・・しかし、人は根本的に平和を愛し家族や友人知人を思いやる心がありますが、負の連鎖は愛を妨害し世代を超えて蓄積して行きます。ここに人類の愚かさを感じる訳です。・・神や宗教の存在意義・・人の思想とは・・人は考える生き物であり(快不快)の感情が良し悪しの判断に変わり、善悪の根源に変わって行きました。作品からもこれらの感情が目まぐるしく変わる様を捉えていて、哺乳類動物的感情と人間(知的生命)としての違いを表現していたと思います。・・個人的には、平和と破滅はワンセットとして考えています。私たち人間は対象物がないと、今自分が幸せなのか?不幸なのか判断できない人種のようです・・・ | ||||
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| 「ロスト・アイデンティティ」の続編になりますので、先に同書を読んだ後に読むのをお勧めします。 前作でも読み終わった後に思ったのですが、多国籍化する英国でマイノリティの方がどのように生きてきているかという視点も分かりとても興味深いです。(今回はソマリア系の登場人物もあり) 今回の作品は前作の主人公だけでなく、もう一人の視点からも話が一人称で出てくるのですが、この話も非常に興味深く最後まであっという間に読了しました。 前3部作とのことで、最終作が今から楽しみです。 | ||||
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| 重いだけなら疲れる悪意や闇も、主人公が善良でユーモアたっぷりなので救われる。 | ||||
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| ジェイ・カシーム三部作の二作目ということである。前作のラストは異様であった。本作はそれを継いで始まる。ぼくは前作で、町の移民である若者ジェイが悪を倒すために国家的組織に利用される構図を、『傷だらけの天使』のヒーロー修とアキラの兄弟に例えてしまったのだが、それは本作でもあまり変わぬ印象のまま。 『傷だらけの天使』という稀代のTVドラマをかつて青春真っただ中で体感したぼくには、木暮修たちは純情なコアの部分を持ちながら青春を精いっぱい生きる若者たちであるにも関わらず、東京という大都市に蠢く大人たちの欲望や駆け引きに否応なく利用されてしまう悲しき天使たちとして描かれていた。等身大のヒーローならまだしも、社会の底辺で、教育もなければ立派な家庭もなく、到底平均生活レベルに達していない純情な青年たちであるように見えた。 さて本作だが、イギリスに移民として暮らすイスラム社会の若者たちと対照的に、イスラム移民たちを極度に差別してテロに走る歪んだ白人青年たちの世界をも同時並行的に描くことで、より二極化した対立構造が浮き彫りになっているところが特徴である。しかも若い世代間でのストレスの捌け口としての人種差別が、誤ったヒーローイメージを作り出し、人種が異なるということだけで嘲りや暴力の対象としてしまう。この辺りから物語は、平和な国ニッポンの『傷だらけの天使』の世界をぐっと離れて、よりきな臭く、根深く見えてきた国際問題・人種問題を孕む現代的対立構造へと傾斜してゆく危険な風景として見えてくる。 乾いた暴力の残酷さを露にする子供たち。彼らを操る冷血な大人たち。彼らのふるう暴力によって犠牲となる無垢な異人種の子供たちの運命をも過酷なまでに描いら印象的な悲劇として本書の前段の中心に持って行く。平均的日本人が知るイギリスとは全く異なる闇の部分をぼくらは読まされることになる。ずんと来る衝撃のような感覚。 本書では、二つの一人称が並行する。「おれ」で描かれるジェイに加え、「わたし」で描かれる複雑な二重生活の青年イムラン。さらに白人のテロ組織に勧誘されかかっている少年ダニエルが三人称で登場。それぞれの章は、最初は独立して描かれてゆくのだが、彼ら三人の運命は、血と憎悪とヘイトと暴力によって徐々に物語の核となる場所へと手繰り寄せられてゆく。 トライアングル構造のこの三人主人公で物語を進めることにより、本書は前作よりもさらに奥行きのある立体構造を持つ。イギリスという国における宗教や人種の問題の複雑さ、またそこに住む者たちの分断や苦しみを日常レベルで表現しているように思う。一方の側からだけではない三つの視点を経験しつつ、またもクライマックスの新たな大規模テロ事件へと本書は疾走し続ける。 前回とは異なるスリルと厚みを持った二作目の本書。暴力の風が吹き荒れる国で懊悩する青春群像と、そこに蠢く魑魅魍魎のような仕掛け人たちの冷たい暴力装置に目を向けつつ、自分が自分であることに拘る主人公・ジェイたちの、独自としか言えない青春冒険小説が再び発火する。緊迫感が増し増しの第二作となった本作。注目あれ! | ||||
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