7月のダークライド
- 虐待 (178)
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ピュアで愉快な主人公ハーディ、愛おしいエレノアとサルヴァドール、お願いだからハーディを死なせないで! | ||||
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スーパーヒーローじゃないダメ人間が意地を見せる話は面白い。クセの強い登場人物が自分に出来る範囲で頑張る所にリアリティというかセット苦慮機を感じた。 | ||||
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久々のルー・バーニーという作家の名前だけで、冒険小説好きの好奇心が全面反応してしまう。ちなみに若かりし頃、冒険小説のフォーラムを主宰していたとは言え、ぼくは軍事オタクでもスパイオタクでもない。冒険小説とは日常生活の中から逸脱してあるアクションをやむを得ず選択してゆく勇気や意志を描くもの。ぼくはそう理解している。題材ではない。あくまでそこに介在する人間とその魂を描くフィクションのことを冒険小説と呼ぶのだ。 さてルー・バーニーだ。何年ぶり? 何と5年ぶり。しかも第三長編。何とも寡作である。でも書けばただじゃおかないとばかりに骨のある作品を提供し、ミステリー界をどよめかせる作家である。その理由は何だろう? 騒がれたのは『11月に去りし者』だけだから、データは少なすぎる。しかし『ガット・ショット・ストレート』と併せて過去二作品を見る限り、何と言っても登場人物の人間の魅力、そしてその心の魅力であり、それらを束ねたクライム小説としての語り口だろう。 出版社も自信があるのだろう、昨年のベストをかっさらったS・A・コスビー「ルー・バー二ーの最高傑作」、巨匠ドン・ウィンズロウ「心を摑んで離さない」と、わくわくするような言葉が並ぶ。これではずるいではないか、と思いながら期待感たっぷりで読み始めた本書。それは危険な導火線に火をつけたようなものだった。 何と本書の主人公は、ルー・バーニーとしては珍しいくらい若年、一人前にさえなっていないと言える平凡な23歳の青年である。働く場所がなんと<呪われた西部開拓地>と奇抜である。西部開拓時代を背景とした体験型スリラー施設なのだ。ゾンビのならず者、食屍鬼の住民、ブート昼墓場の幽霊たち。そこを巡る恐怖の時間と、主人公がこの作品で図らずも出会ってしまう現実世界の幼児虐待犯罪が、どちらもタイトルの<ダークライド>にかかってくるという構図なのだ。 主人公ハーディは、幼い姉弟と運命的に出会ってしまう。それは、両親に連れられた小さな姉弟だったが、彼らの胸に刻まれていたのは、煙草と見られる複数の火傷痕だった。彼らは親たちから虐待を受けているに違いないとハーディは確信する。以来、ハーディは幼い姉弟を放っておくことができず、思い悩むと同時に、あらゆる解決策を模索する。本書の真のスリルがスタートし、そして徐々に闇は色濃く彼を脅かすようになる。それは、両親に連れられた小さな二人の男女の幼児の胸に刻まれた煙草と見られる複数の火傷痕だった。ハーディはその子供たちが親たちから虐待を受けているのではないかと想像する。 彼らを救い出す手はないだろうか? また子供たちを虐待する見も知らぬ親たちの罪を何とかして暴くことはできないのだろうか? 子どもたちを救い出すとしても、少年以外の誰一人としてそれを知らないし、救い出そうとも思っていない。では自分がそれをやらねばならないのだ。ハーディはそのように心の絶対絶命状況を自覚してゆく。 相談相手の伝手を辿りつつ、専門家などにも意見を聴くものの、証拠も正体もわからない子供たちを救う手立てがなく、ハーディは悶々とする。闇を行く日々。ダークライドがスタートしたのだ。手を貸してくれる者もいれば、相談を聴いてくれる専門家も何とか接触するが、具体的な解決策には至らない。ハーディの冒険はこうしてスタートする。探り、対策を練り、実行する。そう、これぞ冒険小説の基本構造。久々に血が沸き立つような興奮を覚えた。 結末は書けない。ハーディは仲間を得て救出作戦を実行する。結末は書けない。それはあなた自身がこの本を通じてダークライドを体験すべきだから。この春、ぼくが最も興奮した作品なんだ。結末を書けるわけなんてないじゃないか。 | ||||
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気ままに生きてきた青年ハードーリー。 車に関する違反金の支払うを延期してもらうため役所に来たが、そこで児童虐待の可能性がある2人の子供を発見する。 なぜか分からないがスイッチの入ったハードーリーは、2人とその母親を救出しようと画策するが・・・ 仲間と共に、親子を救うことはできるのか、というストーリー。 前作「11月に去り者」はサスペンスフルで面白かったので、本作も楽しみだったが、展開がスロー過ぎてガッカリした。 更に、展開自体も大きなうねりもないし、登場人物もゴスキャラの1人以外は、キャラ立ちが悪くあまり没入できなかった。 ハーパーコリンズ・ジャパンは最近アクション小説も翻訳してくれているので、S.A.コスビーの新作も翻訳して欲しいです。 | ||||
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虐待されているらしい子供たちを目撃するが、行政の対応はままならない。そのため「自分が」立ち向かう決意をする23歳の青年ハ―ドリー。 このような青年がいるか?と疑問をもってしまうが、背景は、亡くなった彼の母親が正義感の塊であったこと、彼が実は現在の自分の生き方に満足しておらず自己実現を果たそうとしたのだろう、と推測する。 ハ―ドリーをとり囲む女性たちは現実的だ。 物語はハ―ドリーの一人称で展開していく。彼の身のまわりのどうでもいい描写が多く、私自身が主人公の考えや行動に共感できず(私も現実的な人間)、さらにはこの訳者の翻訳文が何度も気に障り(主人公の考えのなかの疑問符のつく文章の語尾)、ちょっと冷めた気分で読んでいた。 しかし終盤の怒涛の展開には惹きつけられ、何とも言えない感慨深いものが読了後に残る。好みかどうかは別として印象的な作品だ。 やや物足りなく感じたのは、虐待する人間がなぜそのようなことをするのか?その心理的背景がもう少し詳しく描かれていればよかったのに、と思う。 わが国でもここ最近、またもや子供が虐待死した事件が複数報じられている。そして今回も児童相談所等は呆れるほど機能不全だ(青森県の事件)。何年も同様の事件が繰り返し起こっているのに行政はほとんど進歩していない。差し迫った現実問題として警察や児童相談所等は真に本腰を入れて対応の変革に取り組むべきだ。 | ||||
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