トゥルー・クライム・ストーリー
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点8.00pt |
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「マンチェスター市警エイダン・ウェイツ」シリーズが好評な著者のシリーズ外長編。友人であるイヴリンの遺稿を基に、著者・ノックスがノンフィクション作品に仕上げたという体裁の物語だが、全体が大きな虚構であり、読者は迷宮に誘い込まれるという斬新過ぎるミステリーである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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登場人物からの聞き取りがほとんどなので取材した音声データをあたかも自分が書き起こしたかのような錯覚に陥ります。また、小説の中の作家と先輩とのやりとりはメールなのですが無視、険悪、ご機嫌取り、甘言がちりばめられているうえに黒塗りがあり気になってしかたがありません。 女子学生が突然失踪してしまうのですがどう考えても流しの犯行ではなく必ず登場人物のなかに犯人がいるはずです。トリックもかなりわかりやすく埋め込まれています。「双子」「学生寮の構造」(これは日本のお家芸「館」シリーズが連想されます)「蔓延するドラッグ」「人種差別」「ストーカー」「裏の顔をもつ大人たち」「マネーロンダリング」「写真や動画流失」「パソコンデータの書き換え」「再現ドラマ」「なりすまし」などなどもうテンコ盛り状態です。 これらの要素を最後にどうやって収束させるのか、がこの作者の腕の見せどころなのですが、あっと驚く方法で終了してしまいました。謎を解く鍵はまさに「全員悪人」です。そして失踪した女子学生は?ほんとうに革新的で独創的な作品でした。 | ||||
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. 2019年1月当時、作家のイヴリン・ミッチェルは、2011年12月にマンチェスターで発生した女子大生ゾーイ・ノーラン失踪事件の関係者を取材してノンフィクションを執筆していました。作家仲間のジョセフ・ノックスは執筆時からミッチェルの原稿を読む機会を与えられ、本人から助言を求められていました。 取材途上でミッチェルに不幸が訪れた後はノックスが原稿を引き継ぎ、その整理と追加取材を進め、仕上げたのがこのノンフィクション『トゥルー・クライム・ストーリー』の第2版――という体(てい)で書かれたミステリー小説です。 果たしてゾーイは今どこにいるのか、なぜ姿を消したのか。失踪から7年が経過し、ゾーイの友人や家族たちの記憶は当然のごとく――あるいは都合よく――曖昧になっています。それぞれの証言が微妙に齟齬をきたすのです。そしてミッチェルとノックスの取材によって最後に朧げながら見えてくる真相とは……それを知って読者は息を呑むことになります。 失踪事件の真相の気味悪さもさることながら、この小説の一番の面白さは、各証言者が、自分の正当性をあからさまに主張し、自分以外の他人を貶めることに躊躇がない点です。 そうした登場人物がひとりふたりではなく、ほぼすべての登場人物が大なり小なりそうした行為に走っている点が、人間の根源的な胡散臭さを感じさせます。彼らと同じように自らの欠点や失態を糊塗したくなる気質が、この自分にもあるのではないかという畏れを読者である私も思わず抱くほどです。決して感情移入できない登場人物たちなのですが、にもかかわらず自分自身が重なってしまう恐ろしさがありました。 さらに言うと、この書は証言集だけで執筆されており、いわゆる地の文というものがありません。海外のドキュメンタリーで頻繁に見かける、ナレーションのないサウンドバイト(インタビュー音声)だけで構成されたノンフィクション番組のようです。それだけに登場人物たちの薄気味悪さに真実味がいっそう増すというものです。 作者ノックスが登場人物として顔を出すメタフィクション形式も取っており、そのノックス自身がまた、聖人君主然としているわけではなく、登場人物との間で褒められない関係を持っていた過去が露呈する瞬間があり、大いに驚かされます。 文庫本で700頁に垂(なんなん)とする大長編小説ですが、わずか4日で読み終えました。物語の面白さもさることながら、訳者の池田真紀子氏の優れた訳業に負うところが大きいといえます。スティーヴン・キング『 トム・ゴードンに恋した少女』 』、ジェフリー・ディーヴァー『 クリスマス・プレゼント』 』、アーサー・C・クラーク『 幼年期の終わり』 』、アーネスト・クライン『 ゲームウォーズ』 』、ケイトリン・ドーティ『 煙が目にしみる : 火葬場が教えてくれたこと』 』、そしてなんといってもガブリエル・ゼヴィン『 トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』 』といった書の翻訳で、幾度も私を楽しませてくれた、信頼できる翻訳者です。 膨大な数の証言者の口調を巧みに訳し分け、人間の本性の妖しさと哀しみをリーダビリティの高い和文に置き換えてくれているのです。惚れ惚れします。 なかなかの佳作であり、『 このミステリーがすごい! 2024 』海外編の第5位に選出されているのも頷けます。私にはむしろ第1位『 頬に哀しみを刻め 』、第2位『 ナイフをひねれば 』、第3位『 処刑台広場の女 』、第4位『 愚者の街 』よりもこの『トゥルー・クライム・ストーリー』のほうが断然楽しめました。 . | ||||
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双子の妹失踪事件をルームメイトや両親の証言を繋いで読ませる手法です 確か海外翻訳の証言ものを別作家でも読みましたがあまり展開に感情輸入できませんでした | ||||
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驚愕の結末でシリーズ三部作を終えたJ・ノックスの次なる弾(たま)が楽しみだったが、その要求にしっかり応えてくれたようなノックスらしい一作。何と、驚愕の結末の次は、驚愕の構成と来たのである。何しろすべてがインタビューとメール往還のみで成り立ったアンチ小説とでも言いたくなるくらいの奇妙な体験を、読者は体感することになる。ノックス弾、またやってくれたな、という苦笑と共に、少し慣れない読書時間がのろのろと始まる。 最初に本書を手に取った読者はその分厚さに気圧されるかもしれないが、じつは口語体で多くの人物に事件の周辺を語らせることから始まるこの物語の読み解き方は前衛的でありながら、実は現代という複層したメディアに対し、開いてその活字を読む本という形でのある意味でのチャレンジであるようにも窺え、若い作者ならではの意欲を感じさせもして、どこか頼もしい気がする。 この形式であれ、多くの事件関係者のインタビューを読んでいる間に、何が起こっているのか、その虚実が読者には次第に判明してくる。登場する人物たちのキャラクターや事件の背景も徐々に浮き上がってくる。本当に徐々に。切れ切れのインタビューの合間には、取材者と本作の作家ジョセフ・ノックスその人との間に交換されるメールの文面も挟まれる。怪しげな黒塗りの削除はまるで読者を嘲笑うような、読者への挑戦のような。ノックス、また奇術的な作品を作ってくれたではないか。 次々と現れる女子学生失踪事件の関係者。女子学生の両親も凄く怪しいし、父親の異常性が、本作はサイコなのか? それともこれもまた作者の仕掛けたミスリードなのか? といった疑念を読者に生じさせながら、事件の裏に広がる闇へと向かう読者側の好奇心を嫌でも掻き立てる。口語体のインタビューの合間に新聞記事や、暴露写真などが挿入される。 ほぼ半分を読み進むと関係者たちの個性や、失踪事件の本人である女子学生ゾーイ、彼女がいた奇妙な学生寮という名の魔窟の存在が明確になってゆく。しかし行方不明の真相に辿り着くまでは二転三転がある。インタビューの間に多くの登場人物たちの人間関係図にも変化が起こり、より真実らしい証言が増えてくる後半部は、関係者系図をより拡大させたりと、ページを繰る手が止まらなくなる。ノックスは本書に登場し、事件に関わりながら、新たな殺人事件にも直接的に関係を始める。 どこまでが作品でどこまでが作者の真実なのか、そんな曖昧さでリアルとフィクションの境界線を曖昧にしながら、世界が膨らみと広がりを見せつつ、事件は終息へ。そして多くの人間関係図もやがては明確になってゆく。 本書で味わえるのは、まさに異次元の読書体験。リアルとフィクションの危うい境界線を綱渡り的に辿るなかなかに貴重な読書体験なのであった。最近は、ホリー・ジャクソンのピッパ三部作のようにメディアや現代テクニックを用いた捜査手段や表現種類が急激に広がりを見せている。そんな時代を早期に感じて作り上げられたその一つが本書なのかもしれない。新たな読書体験と楽しみ方を本作で是非ご体感頂きたく思う。 | ||||
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イギリスのマンチェスターの学校から女子大生が失踪し・・・というお話。 失踪したとされる女性の写真やら、語り手の作家の写真も登場し、新聞記事等も挿入されたり、登場人物は全て証言の形で現れるので、ノンフィクションっぽいですし、実際にイギリスに住んだ事がないのでこういう事件が実際にあったのかないのか寡聞にして知りませんが、全て著者のノックス氏による創作らしいです。 中途半端に著者が登場したりする所は某メタ・ミステリの傑作を彷彿とさせるし(因みに文庫の巻末の版元の他作品の紹介欄にひっそり名前が出てきます)、尤もらしい版元の断り書きが挿入される所はホームズ・パスティーシュっぽいし、全体が誰かの妄想らしいという感じはナボコフの問題作「青白い炎(淡い焔)」や、語り手を含めて互いの証言が錯綜したり反発する所はタハール・ベン・ジェルーン氏の「砂の子供」を思わせるしで、読者を煙に巻く作品でした。 という風に先行作品を列記してみると、結構こういうメタフィクションはフィクションの歴史の中では案外多かったりするので、この作品も実はフィクションの歴史に則った伝統的な作品ともいえるかもしれません。 と色々書き込んできてなんですが、実際にあった事件のノンフィクションの可能性も読み終わっても拭いきれないので、実際にあった事件とすれば、被害者や関係者への侮辱になりそうで、先に謝っておきます。すいません(という風に思わせるのも著者の策略かもという感も拭いきれませんが・・・)真相を知っている方がいたら教えて頂きたいです。 解説で千街さんが「本格ミステリをノンフィクションに偽装し、語り/騙りに技巧を凝らし、自分自身すらも作中世界に投影して虚実のあわいを曖昧化することで存分に読者を混乱させようという」とある通り、ノンフィクションの体裁ですが、実際はフィクションらしいです。よく判りませんが。 690ページを超える厚い作品ですが、あまり長さを感じさせず、一気に読めます。 著者のノックス氏がロックが好きだそうで、それに合わせて言えばワイパーズの傑作「イズ・ディス・リアル?」という作品でした。 メタフィクションや技巧的な推理小説が好きな人にはお勧め。是非ご一読を。 | ||||
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