■スポンサードリンク
やっと訪れた春に
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
やっと訪れた春にの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全12件 1~12 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
きちんと梱包されていました。さすがです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容は良かったけど、何ページかごとに出て来るページ角の折り目。そのたびイライラ。今までも多分新品ではないな、と思うような汚れはあったけど、中身には関係ないと目をつぶってきたけど、これはひどい。低評価をつけられる、文平様に、あやまれ! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
題名とは裏腹の重い内容だ。 板倉藩4代藩主重明に率いられ鉢花で剣をふるった十数名の鉢花衆。その生き残りの武門の2家と、間者の1家。前者は鉢底で門閥を切り、子孫は近習目付として表舞台に、後者は鉢縁で逃げてきた者を切り、裏で生きた。 どちらも、斬気を養うため、人を切る鍛錬を重ねてきた。切られた死体を縫い付け修復し再使用するという過酷な作業課せられつつ。。 間者でうどん屋嘉助とその長男の悲惨な物語が終着点。 しかし、嘉助やその長男たちと、修復され切られ続ける遺体との関係は、延命治療で介護し続ける家族と被介護者にも思え悲しかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
好きな作家の本ですので楽しく読めることがうれしい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
多分青山文平氏の著作は「白樫の樹の下で」から大方読んでいると思います。派手な展開はしないがグイグイ引き込まれるスト-リ-。本作も同様です。普通の藩士でない特殊な宿命を負わされた家系の主人公。父親から壮絶な剣術指導を施された描写には震えます。とは言っても剣術小説で無く、「宿命」が展開に関わってきます。読み進むうちにこれはサスペンスなんだと思うようになり、そういう視点で読み続けました。面白かったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
青山文平氏の作品を読むのは初めて。 物語が始まると人物紹介、背景の説明があって、序盤が進んだところで、ある人物が殺され、その犯人捜しを軸に話は展開する。 引退した近習目付の長沢圭史が探偵役で、彼の思いをたどるうちに読者は謎の核心に向かって少しづつ接近する。このあたりの推理というか思考の展開は非常に丁寧に描かれているが、少し分かりにくい部分もあった。 犯人は全く意外な人物。私は予想できなかった。 武士道というか、武士らしい身の処し方、考え方、行動もうかがえて、時代小説の醍醐味もある。 静と動(活劇という意味ではない。緊張と弛緩と言った方が良いかもしれない)の場面をじっくりと味わい楽しめる作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
青山文平の本は、白樫の樹の下で、かけおちる、つまをめとらば に続いて4作目でした。 今回のものは特に硬派だった気がします。 そこまで追い詰めたのは父の教え、だったのでしょうか。 「絶家」しか、方法はなかったのかもしれません。 三者三様の「絶命」なのでしょうか。 最後の数ページ、最後の数行に凝縮される物語があります。 それまでの長い道程の最後に、ああこれが待っていたのか、と思う瞬間ですね。 深い余韻を残す作品であったと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
筋書きには少々無理があるかもしれない。その筋書きの無理さを、作者独特の資料による裏付けと筆力で読者を惹きつけたことは見事と言うしかない。筋書きの無理さ、とは意表を突く話、ということでもある。 私には、この作品の主人公、近習目付・長沢圭史の視点と「泳ぐ者」に登場した若き徒士目付け、片岡直人のそれが似たように感じられた(特に、あの作品の前半の話に作者の視点が似ている)。 橋倉藩の藩主に仕える長沢桂史には、分家の当主に近習目付として仕える団藤匠という心を許した友があった。橋倉藩本家とその分家は、代わる代わる藩主を輩出することで平衡を保っていた、という書き出しで始まるこの物語は、分家の当主が今後は分家からは藩主を出さない、という決定をすることが話の入り口となるのだった。代わる代りの藩主の選出、という橋倉藩の緊張が解けて、「やっと訪れた春」ではあったが、「に」がつくことによって読者は一波乱があるのだろうと予感する。 話は次々と読者の予期せぬ方向に進んでいき、息を呑むような展開が続くが、私が青山文平さんの小説を読むときに感じるのは、その筋書きの面白さだけにではない。時代背景が常に正確で、更に新味があるからである。今回は、梅干しの作り方の話も興味深かったが、それは知っている人も多くいるだろう。しかし、侍が着用する袴がいかに小用(当然ながら大の方も)をするに不便なものかについては、これまでに小説で記述した人がいなかっただけに、虚を突かれたような思いと共に新鮮な感じもした。江戸城で長袴を着用する際には、藩主は前夜から水を飲まないのだそうだ。そんな話とは別に、屋敷に奉公する女性の描き方にも、身分差別のあった頃の厳しさやそれに反するような暖かさがある。筋書きとは関係ないが、その情景の表し方が、当時の武家の暮らしを彷彿とさせてくれる。 しかし、私が今回特に感じ入ったのは、次のようなせりふを長沢圭史に述べさせている件である「世の中には、おかしいけれど、ずっと続いている仕組みがごまんとある。そういう世の中にあって、せいぜい己らしく生き抜こうとすれば、おかしいことをおかしいと感じ続けるしかない。動かずともよい。ただ感じつづければよい。感じつづけていれば、それは、最後の最後になって出る。」私は齢七十六になる。この科白はこれからの人生に対する指針のように感じた。「六十にして耳順う、七十にして心のままに欲すれど矩をこえず」に近い言葉だろうか。 一生懸命に読んだので、快い疲れを覚えた。寡作作家ではあるが、また、作者の登場人物の心のうちまで抉り出すような表現を冗長だと思う読者もいるようだが(私は、それこそが肝だと思うのだが、)ますますの発展を望みたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストイックすぎて残念乍らついて行きにくかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「嫌なやつ」が誰も出てこない。冗長な登場人物、小道具、風景が出てこない。一分の隙もない展開で幕藩体制・身分性と一個人の情念との矛盾・葛藤を現代の良識に背馳せずに描出。その上で謎解きの面白さとその爽やかさ。謎解きの過程で主題は人間存在そのものの切なさに至る。逆に隙のなさが綺麗すぎて残念なほど。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
青山文平の著書はほとんど読んだ。常に読後は幸福感に満たされた。なんとも言えない満足感。いい時間を過ごさせてもらった、といつも著者に感謝した。 このレビューでもほとんど4を付けてきた。 しかし、これは5だ! 傑作だ! 青山お得意の時代劇ミステリー、謎解きがしっかりと軸になっている。そして、そこに登場する男たちが、ほとんど誰もが、見事な男たちである。男惚れする男たちである。男として、みんな真っ直ぐに生きている。読んでいて、清々しい。 そして、哀しい。この時代を生き抜いてきた男たちの人生が、あまりにも哀しすぎる。胸を打つ。 自分もこの主人公たちと同じ年齢になってきた。老いを感じ、寂しくもある。 だが、俺には青山文平がいる。彼の本がある。 これからも、真っ直ぐに生きていきたいと、そう願わせてくれる一冊が加わった。宝が増えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
青山文平を読むのは、「泳ぐ者」(2021/3月)以来になります。「やっと訪れた春に」(青山文平 祥伝社)を読み終えました。 橋倉藩。二人の近習目付、長沢圭史と団藤匠。主にその一方の近習目付、長沢圭史の側から物語が語られていきます。橋倉藩は大名家である岩杉本家の他に、初代の弟の系譜を引く田島岩杉家がありますが、代々その二つの家から藩主を送り出していたことから二人の近習目付がいるという背景が語られます。その長沢圭史と団藤匠による「近習目付」の二人だけが知り得るお役目に対する厳しさと惻隠の情の如き思いが、美しき螺旋の軋みとなって耳に届きます。 『御師』と呼ばれる梅の木の存在、『鉢花』と言う大きな鉢のごとき窪地の斜面、『鉢花衆』と呼ばれるようになった血筋をその背景として、藩主、岩杉能登守重明の義挙による『御成敗』の伝承が積み重ねられていきます。そして、圭史が隠居の身となり、匠が<致仕願い>を出し、匠に「やっと訪れた春」が到来しようかというその時、仕舞われていたはずの過去が亡霊のように姿を現します。残念ながら、ここで大きな謎が構築されている物語の詳細を語ることはできません。男たちの壮絶な「気働き」に少なくとも私は涙することになりました。 このような、緊張感に満ちた男の生き様を語れる作家は、現時点、<青山文平>以外に見つけることができないとすら思えます。 この物語に関連がないことを前提に、戦国時代、会津の或る武将の家来だった私の祖先は、密命を帯びて或る場所で「スパイ」としての生を全うしたと言い伝えられています(嘘かもしれません(笑))。ただの伝承に過ぎませんが、そのことは私自身に常に大きな意味を投げかけているような気がします。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!