■スポンサードリンク
オメガ城の惨劇 SAIKAWA Sohei's Last Case
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
オメガ城の惨劇 SAIKAWA Sohei's Last Caseの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全44件 41~44 3/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
記念碑的に単行本、文庫本を両方とも買いました。(まあ間違えてカートに入れて注文したんですけどね。) なんか変よねー、なんか、みたいなのをずっとそのまま維持して読み終えると、ああそれが変なのか、と思うように終わりました。 「二度読みが必要?」と思いました。 でもところどころは見直す必要が多かった。 特に四色定理の話は最近のネットワーク化に伴い数理論理学をやる機会が増えたため、疑問に思うものが増えました。 また僕もハンダごてと呼ばれる謎のツールを使う側ですが回路図通りに実配線が行くかどうか、ということをいろんなメディアから幾何的に考えることが増えた。その疑問に直結していることが、ああ数学的に証明できるの?と思ったことが、一番の糧です。優先順位は低いけどいずれやりたいことかなと思いました。 ちなみに「論理的」ってワードが飛び交うせいで論理的でないものってなんだよ、って思いながら知人に大学の資料を見せてもらいながら説いてみたところ、これがない物体を見つけるのって難しくないか?例えば小説はその行を真と捉えて次の行を読み進めないと、確定させていくことができないから、その一行の真偽値こそが命題で最終的に本一冊分全部命題で構成されてる。と言語から見つけ出しました。もちろん命題は複数あるレイヤもある本もあるだろうけど技術書や専門書はそうなってないもののほうが多いです。 そのように捉えると滋味が深い一冊になると思います。 日本語で表現すると「まるで味の素のようだ」になります。 表紙の装丁がなにに似ているか、えらい気にしましたが、帯がねー。 あれ誰が書いてるんでしょうね。 最近それが大げさすぎるな、と思う小説ばかりに出会うため、本文とは無関係と考えてます。 でも、確定してないことは、取り扱わない方がいい、みたいに考えながらなにもかもを考えていくと、物事のうち説明以外は悩むことは減ります。 ちなみに僕は宗教家ですが、仏教学を仮想的に捉えない限りは現実との齟齬に悩むだけだと思うから、「ヴァーチャル阿弥陀仏」とか言って回りたいんですけど、そういうこと自体が嫌われるから、なにを信仰してるのかわかんないな、みなさん、と思います。 特にコロナ禍のあいだ。なんで疑問によくわからん持論をくっつけて目の前で語り始めるの?って思ったり。ネットワークになに期待してんだよ、とか思ったり。コンピュータは計算機ですぞ、といいたくて仕方ないけど、まずそのネットワークも計算機も仕組みもわかってなさそうな方にスイッチの構造はおろか演算器の仕組みを説明する方が骨なので、胃は痛くならないけど(仕事じゃないし)お脳のほうが痛くなりながら話を聞く機会が増えました。 数年後に「あなたはネットワーク化になにを期待したのか?」って聞いて回りたい時代に書かれた森博嗣の本はアイロニーなんかね、これ、と読んでて、嫌悪感で吐き気が出そうでしたが、これはそうでもなかった。 現代っぽいし、科学的である言動、論理的である言動が多々あるからです。 このくらいの速度でちょっと前まで皆さん会話してたんじゃないの?と思いたくなる。 (全部説明しなくていいからな。なにが一般でなにが専門的か、相手が何を専門にしていそうな語彙を使ってるか少しは聞き取り判断しろ。) 装丁が美麗だし初めてハードカバーのヤツを買いました。 そこが僕にとっては良い部分かなと思ってます。 科学的な時代であるからこそ科学的なことについて精確に扱わないと大きなことを間違えるよ、といいかねない本でした。それを楽しむ趣旨の本だと言うことはさすがにわかってます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
僕はと言えば,G, Xを凡てとS&Mの前半五冊を読んだ位の半端な森博嗣フリークですが,半日を費やす価値はある,と思います。で,懸命な方なら,ネタバレを警戒して,読む前にレビュー(これ)を読んだりしないとは思いますけど念の為,そこの未読の方,以下を読んではいけません。 ψの悲劇から待つこと四年,分からんのは,ψ(ノベルス版)のカバー裏表紙見返しで,次巻以降の予定 ωの悲劇とあったにも拘らず,本作がシリーズ外作品扱い,オメガなのに。 p.349で感じた違和感を,大事にすれば良かったと後悔,他にも,ヒントは幾つもあったのに,もったいないことをした。そもそも最初から,なんで犀川先生がカタカナ表記なのかが引っかかってたし,犀川先生って,こんな突っ慳貪な人だったけ?と最後に,あぁそういうこと,と納得した。でも結局本質は不明だし,細かい謎はまだ残ってて,e.g.「w」(p.139)は,wifeなの?考える価値はないらしいけど(p.294)。 ひとつ,pp.376-7は不明瞭:0/0なら不定だけど,1/0は不能でしょ。まぁ計算機では,どちらも0 dividedエラーなんでしょうけど。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
帯の惹句には “「F」の衝撃、再び。孤島、城、密室、博士、天才、殺人。” とある。確かに嘘はないが、本書の編集者はどんな思いでこのコピーを選んだのだろう。“笑劇” の間違いではないか? 『すべてが「F」になる』とは比べるべくもない「バカミス」としか言いようがない。 …と書いたら、どんな凡作を読まされても感激に震える熱烈な森博嗣信者の逆鱗に触れそうだが、つまらないものはつまらない。よく「マニアがジャンルを殺す」と言われるが、森博嗣と信者の関係も似たようなものに思える。きっと「星5つ」の高評価をあふれさせるのだろう。最早、森博嗣は信者に崇められて悦に入ってるカルトの教祖か? さて。“「F」の衝撃、再び。” と謳っているのだから「S&Mシリーズ」なのかと早合点していたところ、巻末の森博嗣著作一覧では「シリーズ外作品」となっている。まあ、西之園萌絵は不在だし、「エピローグ」で “サイカワ・ソウヘイは×××だった” というオチまで付いているから、そうなるか。…で、事件の発端は、またまた出てきた謎めく天才科学者・真賀田四季名義の招待状。この真賀田四季、森博嗣作品には複数のシリーズを跨いで出没するのだが、どこがどう天才で、何を以て人々から神の如き存在と崇め奉られているのか、さっぱり分からない。著者も下手に書くと底が割れるので、書きようがないのだろう。だから “コンピュータのシステムも能力も、それに情報工学の全般にわたって、マガタ・シキが君臨している” (単行本66頁) とだけ書いて誤魔化そうとする。自縄自縛だな。また、作中で招待客の前に突然姿を見せた真賀田四季は「これから起こることに、ご注意される方がよろしいと思います。でも、私にはどうすることもできません。人間というものは、そういうものなのです。ほとんど無力、ただ呼吸をし、老化し、死んでいくのですから、一時の迷いも、トリヴィアルな揺らぎ…。では…」(単行本91頁) という具合に迫りくる危機をほのめかす。分かってるんなら、もっとはっきり警告するか、さっさと避難するよう忠告するか、したらどうだ! (人の死に無関心な) こういう人物造形を納得できなければ、本作も納得できないだろう。そもそも殺人の動機も、犯行計画もまるで陳腐だし、サイカワ・ソウヘイによる謎解きのプロセスもいい加減。雑誌のバックナンバーに載った重要関係者の写真にどうやって辿り着いたのか。物語終盤、電話でサイカワに危機が迫っているのを知らせたのは誰で、何故それが分かったのか。何の説明もないよな? そして唐突な大団円。犯人としても渡航記録を調べられたら一発で疑われそうだ。偽造パスポートを用意していたとでも? 殺人現場もまるで密室になってないし…。ついでに、本作の語り部である雑誌記者は、招待者のなかにいなくてよくない? 森博嗣の名前がなければ、出版されたかどうかさえ頗る疑問な突っ込みどころ満載の作品。 なお、過去の森博嗣作品の愛読者以外、「エピローグ」の内容はほとんど意味不明だろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
例によって、事件そのものよりシリーズを通した人間模様が興味深い。レビューを見ずに読むのがベスト。 以下、本編の内容に関わる 気になる方がいますが、誰だったかな…露骨に書く場合とそうで無い場合があり、後者を考えるのが楽しい。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!