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夏物語
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夏物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全82件 41~60 3/5ページ
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『乳と卵』をリメイクした前半から、AIDを材に取った後半まで、女性であることの痛み、苦しみが繰り返し描かれている。気になるのは全体のリズムやクオリティにばらつきがあることだ。この作家の場合、大阪弁全開のところはスピード感があって面白いのだが、標準語で村上春樹的な比喩を多用するところは退屈。所々、こんなに下手だったっけ、と感じる。人物造形も仙川涼子や善百合子が中途半端。何より帯や書店で「感動」を宣伝しすぎではないか。 | ||||
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予定より早く到着し、とても良い状態で届きました。 | ||||
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購入きっかけは連休に合わせて題名が良いな、と思ったからでしたが、読み始めたらあっという間に川上ワールドに引き込まれました。夏子とともに時間を送っている気になり、編集者や仕事仲間、少しずつ対人関係が広まり深まっていく姿も一つずつ、それってあり?夏子大丈夫?とツッコミを入れて読みました。逢沢くんはまず、逢沢という苗字からして、ナイーブだけど頭の良さそうな感じがして、父を探す呼びかけの文章は夏子同様に胸に迫る切なさがありました。 夏子が抱く感情や感じ方は私自身にも当て嵌まるものが多く、川上さんが表現してくれたことで読みながら自分自身を振り返れました。夏子、緑子、巻子、登場人物の全てが前向きでひたむきで誠実で、それぞれを思い遣る気持ちの深さがあるからこそ、誰もが正直に生きたいように生きられていて、そこも共感のポイントでした。死生観や産む産まないについては、個々に差異はあるけれど、後ろから数えた方が早くなる人生のこの時期に、 自分自身を振り返るいい機会になりました。 多くの方に読んでもらいたい一冊です。 | ||||
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出産と養育・教育という極めて実践的題材を三者の女性の視点から軽やかに描き出している。ウエルベックは悲観的に描くが、川上未映子は肯定的に描き出そうと務めているように思う。 近代文学は語り方の選択・開発と主題の選択という二面とその関連に芸術性が担われると思えるが、この作品ではその主題に関して現代日本にあって時代の・世界の先端を行く高齢化・少子化社会における出産と養育・教育は喫緊の問題であろうことは言を待たなく、それを正面から捉え、また「伝統的家族観」とは一線を画したオルタナティブや多様性を提示している点で社会的かつ政治的に意義深い作品だと思える。(逆に言えば、なんらかの恒常的な家族モデルを前提として民法体系が運営されているだろうが、それは近代以前の日本の家族モデルとは乖離していると思える。) この作品では第一部及び第二部においても(当然全てが叶えられる訳ではないが)何らかの解決といったものが妥当な範囲内で提示されており、いわゆる純文学作家あるいは芥川賞受賞作家の内でもそのような結末の提示は珍しいように思う。疑問や矛盾や違和感ややるせなさは人生の毒であるとともに薬であろうし、そのようなあわい・淡い・間に記号化を免れた現実の手触りが立ち現れるだろう。 この作品は2009年の『乳と卵』を発展させたもの。乳と卵という比喩的対比がより鮮明となっている。乳は養育・教育を象徴し卵は出産を象徴しており、前者は継続する通時的事柄であり後者は一回性の事柄に属する。また、機能と象徴の点では、乳の機能は授乳であり象徴としては性的成熟を、卵の機能は出産であり象徴としては社会的成熟を示す。この点で、『乳と卵』及び第一部では、緑子にまつわる卵は初潮を迎える身体的成熟とそれに伴うであろう社会的な女性像を暗示するが彼女はそれへの批判的視点・忌避を示す(「みどりこ」は嬰児も意味する)。一方、巻子は乳を担い異性への提示というよりも終始母性としての役割を示しており、授乳という機能からの象徴化としての乳を望んでいるように思える。 教育とは何だろうか。一つには、生の肯定があり、もう一方には、それを実践あるいは実感し続ける為の技術の獲得との二面があるだろう。子を産み育てるというのは、生の肯定を実践的に示すことになる。また、子を産み育てるということは、社会的には成人として認められることとして、個人的にはある種の現世的救いとして、為されるのではないだろうか。後者に関しては、現世での実利ではなく謂わば倫理的評価といったものはその個人ではなくその子への評価によって間接的に評価され、その間接性によって自己と社会とが相対化されるように感じられ、何らかの客観性といったものが備わるように思えることから、社会的及び倫理的観点からの評価を子の評価に結びつけ、それによって自己の社会的及び倫理的評価を類推しその存在意義といったものを是認あるいは否定するような傾向を持つ人々がそれなりの数いるように思える。 第一部では中立的な語り手として登場していた夏子が、第二部では主軸となる。このような対比や構成、女性登場人物の対比的配置も計算されているように思えるも、夏子の半ば突発的な行動が反動的なようにも思え稚拙な危うさを感じさせるが、しかし近代文学とは失敗を提示することが一つの眼目でもあろうことは、セルバンテス『ドン・キホーテ』や一葉『にごりえ』をみても窺われる。 グルーブとしての文学としてなら、谷崎『春琴抄』よりも一葉『にごりえ』だろうと思う。 | ||||
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母子家庭の貧困、性行為への嫌悪、性暴力、女性のキャリア、産む産まない、産む負担を背負わされた体への違和感…女性なら誰もが悩み苦しんでいるテーマが全て描かれていると言っても過言ではないでしょう。 母子家庭の貧困と、生活保護の拒絶。 産む性として勝手に変化していく体と、産む重荷を背負わさせることへの怒り。 家族のために人生の全てを犠牲にし、家から逃げ出すも、自ら姑の介護をしに戻る母親。 精子の個人提供者の精子への異様な自信とこだわり。 仕事に成功し、男を拒絶して生きるシングルマザー。 精子提供で生まれ、地の繋がらない父親に暴行され、生むことは暴力だ、賭けだ、と産むことを拒絶する女性。 独身女性が精子提供で子供を産む、というのがメインテーマだと思うのですが、結局主人公は恋人を作りその相手と籍は入れずに人工授精をして子供を産んでおり、正確には独身での精子提供とは違うのではないかと思います。 高身長高収入の医師、しかもAIDで生まれ、その事を受け入れ肯定し、理解もある。そんな都合の良い相手がアラフォーの売れない作家を好きになってくれ、精子提供までしてくれる、子供が望めばいつでも会ってくれる、というのはいささか都合が良すぎるような… 別居婚でセックスレスの夫婦が人工授精するのと何ら変わらないのでは? 仙川さんが死ななければならなかったのも謎です。あまりにもあっさり死にすぎでは?救いが無さすぎて胸が痛みました。主人公にとって、仕事の上でかなり重要な存在だったはずなのに。死んで退場となったのは、仕事できない独身アラフォーが精子提供で子供を産む、ということに猛反対したから?主人公の孤独感を強化して出産の後押しをするため?仕事だけ、子育てだけ、どっちかだけではダメだってこと…? それが人生だと言われればそれまでなのだけれど… 相反する、けれどどちらも理解も痛いほどできる主張が真っ正面からぶつかり合う小説です。 個人的には大阪弁の文章が非常に読みにくかったのです。関西方言を聞きなれている人にとっては、テンポ良く読みやすい本なのでしょう。 | ||||
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文學界掲載時に読み、単行本で買い直しました。 心の奥の奥までさらけ出したような心理描写がズッシリ重く響きます。 思春期の緑子の日記、主人公夏子の生きる事に対する独白は苦しいくらいに鮮烈で、川上さんの独特で繊細な表現力の凄さを存分に味わえます。(時々ひっかかるような文章、表現は批判的にみられる向きもあるようですが、これはむしろ意図的であって、整然たる文章にしてしまえない現実と感情があるのだと私は受け取りました。) 読者は内面を抉られるので、読むのにはそれなりの気力が必要かもしれません。 子どもを産む側、生まれる側、それぞれの視点から問題を投げかけられるので、この答えのない問いかけに対峙せざるを得ません。 いちいち嫌悪感が伴うのはそれほど生々しいからなんだとも感じます。 ラストへの展開は、わりと一般社会的で川上さんの作品としては意外ではありましたが、個人的にはこのラストで嬉しかったです。 暗い人物だったとしても明るい気持ちになる事とあるわけで、 夏子にはこれからも現実的に幸せに生きていってほしいなと思いました。 緑子がしっかりと成長していた姿も良かったです。 何かにつけてジェンダーレスと言われる時代ですが、この作品はやっぱり女性の真理をついているというか、秘密をばらされたような、知られたくなかったなぁという恥ずかしい気持ちにもなりました。 この作品を読み終えた男性の感想を是非聞いてみたいと思いました。 | ||||
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これは言葉で表現出来ないくらいよかった。 何故なんだろう? 言葉にして分析するのを拒む自分がいる。 それはとても長かったからというのもあるかもしれない。 内容もじゃんじゃん読み進められるというものではなかった。 でも読み出したら止まらなくて。 だから感想も纏めずらい。 確かに不妊のこととか人工授精のこととか、女として色々考えさせられるところが多かっった… でも、そういうことではなく… 夏子はいつも自問している。 でも他者を否定したり馬鹿にしたりしない。 相手が言葉という武器で切りつけてきても。 生きるってなんだろう? 生まれるってなんだろう? セックスってなんだろう? | ||||
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「夏物語」は主人公の夏目夏子の物語という意味なのだろう。夏の日の物語ではなかった。38歳独身の夏子はセックスができない心になっていた。でも子供に“会いたい”(産みたい)と思うようになり、第三者から精子の提供を受けて妊娠する道を模索する。その過程で出会う人々との生死に関わり、夏子の結論を出していく。倫理的な問題を含み、特に男性読者は感情移入できないかもしれない。個人的な問題として物語は進行するが、社会的な背景まで考えると、私はこの物語がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかさえ分からなかった。 | ||||
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最初は、女性たちの生い立ちが生々しくそれでも躍動的で市井を生き抜く下町の根源を垣間見る楽しさを感じた。 途中、子供が欲しいと言う下りからは何故か陳腐な恋愛小説と化したような、周りの人物のエピソードがなにも生きないような展開になって、過去に傷のある雰囲気のある青年に、それも背が高く多分端正な顔を持つであろう男に靡いていくさまは、滑稽ですらあった。 編集者のほうがよほど現代を写す人として何かを持って生きている感じがしたが その死もおざなりに扱われた。 結局嘘までついて普通の不妊治療に落ち着いたという茶番、なんだかなぁというラストまで、この作者はなにを映し出したかったのかよくわからない内容だった。 主人公にわずかにあった魅力がどんどん失われていく変わった展開。 もう一冊別の作品読めば違う景色が観れるのだろうか? | ||||
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川上未映子さんの大阪弁を交えた会話、長い文体に驚きながらなんとか読了しました。無類の本好き、活字好きですが、小説でこれほど時間のかかるものを読んだのは珍しい限りです。多分思考経路自体が作者とは根本的に違うのを認識させられたのかもしれません。好みが分かれます。 女性の性について、これでもかと見つめている主人公の自意識に触れ、到底分かりえない心情の吐露というものと遭遇した気分です。読書というのは意識的に作家を選ぶ過程が途中で入りますので、これまで避けていた作家ではありますが、評判の良さに乗じて読み進めていたところエアーポケットにはまった感がありました。 非配偶者間人工授精(AID)という精子提供を取り上げながら、女性の性の辛さや受容性を通奏低音のように絡めて進行していました。面々と続く独白が情緒的な主人公の人柄を浮き彫りにしており、とりとめのない会話自体が作者独特の文体を彩っているのに遭遇したという感じです。 海外でも評判のようですが、翻訳自体も大変でしょうね。この文体を多言語に置きかえる過程の難しさは想像できます。ました主語述語が明確で、主張そのものがくっきりと浮かび上がる文章とは対極的な内容ですし、婉曲的に書き、その意図を察しながら読者もストーリーの展開についていくわけですから。友人との会話の中での『〇〇こつき労働力』という表現にも出くわしました。好き嫌いが分かれるのも尤もです。 第1部の緑子が第2部で成長して登場することで読者は少し救われた気がしました。ラストはその方向に向かうのはある種の必然性なのかもしれません。 主人公の幼少期の大阪の街の描写も特有の詳しさで臨場感をもって読み進めました。このあたりの上手さが作家の芥川賞をはじめ、各文学賞を受賞している力量の片鱗なのだと妙に納得しました。 | ||||
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冒頭の貧乏自慢でまずうんざりしてしまいました。その後も感情移入する余地のないおしゃべりがだらだらと続き退屈でした。このような退屈な内容を退屈せずに書き連ねることができるのが、ある意味この作家の才能なのでしょうか。ところどころで村上春樹のような筆致になるのも気になりました。「乳と卵」を読んだときはそのように感じなかったのですが、この作品では、ところどころで「あれ、いまじぶんが読んでいるのは村上春樹?」と思うことがあったのはわたしの気のせいだったのでしょうか? | ||||
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独身女性の人工授精がテーマ。 全体の流れに波があるというか、前半は冗長でまぞここを乗り切らないといけない。 姉とその子供が中心で、その後の展開とのつながりにしっくりこない。 ただ中盤からは、一気に読ませる。 主人公が作家になり編集者との関係や、人工授精で生まれた人の葛藤などは惹きこまれていく筆力。 それだけにラストにまた平凡にもどってしまうのが、なんとももったいない。 長編でなくて、もっと思い切って内容を削ったほうが迫力あり読み応えあった感。 | ||||
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読んでいて退屈でした。また、関西弁での会話のニュアンスがよくわからず、また心地よく読めませんでした。 | ||||
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分厚い本だが、大阪弁がテンポよく地の文もリズムがあって読みやすい。 ただ内容はとても重い。 命を宿し産み育むという、女性にしかできないことをしないまま終わっていいのかという逡巡、焦り、負い目。 そこからAID(非配偶者間人工受精)による出産についても掘り下げていく。 川上さんの作ったラストを読んで、「手段は色々あれど基本は愛よね」なんてベタなことを感じた。生まれてくる子は心をもつ、親を乞う。 途中に出てくるボイジャーの話が良かった。 | ||||
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パートナーなしの妊娠、出産を目指す夏子のまえに現れた、精子提供で生まれ「父の顔」を知らない逢沢潤―― 生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いに満ちた極上の筆致で描く、21世紀の世界文学!世界十数ヵ国で翻訳決定! ってあったので読んでみた。 思ったのと違った。 だらだら長くて、ぐちゃぐちゃ頭の中でぼぉーっと考えてることを文字にして読まされて疲れた。 貧乏時代の説明もずーっとだしつまんない。 いつ精子提供がでてくるのかなと思ってたら第一部が終わった。え、、。 | ||||
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まず、小説云々を言う前にちょっと日本語がおかしいと思うのですが、編集者は直したりしないのでしょうか。 真剣にびっくりした とか 今夜最大にびくついた とか挙げていけばもうたくさん。 40歳にもなって高校生のような言葉を使わないで欲しい。プロの小説家ならば、美しい日本語で書きましょう? これは『文学作品』なんですよね?ケータイ小説じゃないんですよね? よくこれで翻訳とかできますね。外国人の翻訳者が、この意味不明な日本語を訳せるのか? いや、訳した方が逆に読みやすい文になるかも…。 でもまあ、後半は文章もうまくなっていたと思う。 ところで前半部分は必要だったのかな?お姉ちゃんの長話とか。銭湯行くとか、なんやらかんやら。緑子の日記も。 38歳、女、彼氏ナシ。だけどこのままでいいの…?みたいなとこから始めた方が良くなかった? 生殖倫理を問うとか人工受精だなんとかっていうテーマで売り出すのならね。 まあ普通、そこから 婚活!ってなるけど。主人公の頭ぶっ飛び過ぎだよね。 そして後半。人工受精で産まれた人のエピソードが続いてなんだか疲れてくる。あれ、私、わりとこのテーマどうでもいいわ…と思いながら頑張って読み進める。 そして作者が言及というか批判したいのは実は日本の家長制度とか、男尊女卑文化なんじゃないのかなー、てか最近の過激派フェミニストってなんか恐いよね、と思いながら進む。 そして主人公は時に人に励まされ、時に勢いで進み、精子提供を受けてめでたく妊娠&出産。精子を提供してくれたのはまさかの逢沢さん。 あれ?これってなんの話だったんだっけ 普通に好きな人の精子をクリニックで人工受精しただけやん。ただの不妊治療…。 そして素朴な疑問なんですが、そうまでして女も子供、欲しいかな? ひとりで生きていくのも大変なこの時代に? というか主人公、これから産後の身体抱えて、ひとりで乳幼児世話して、仕事すんの?詰むやん。 作者もそれが分かっているから、産まれたところで話を終わらせたんだろうねー。 はい、感想以上です。 悪かった点としてはやはり無駄に長いということ。 もう少し、主人公のどうでもいい思考とかは省いても良かったんじゃないかなと思う。特に前半が辛かった。 後半に入ってももっともっと駄文は削るべき。なんでもかんでも足してきゃいい、書けばいいってもんじゃないでしょうよ。 文章の幼稚さと無駄な長さが読者に負担をかけた作品のような気がします。 これを500ページ読みきった自分にお疲れさま。 あと20回くらい推敲できたら良かったんじゃないかなと思う。 あとやっぱり、村上春樹パクり過ぎじゃない? 結局この本から学んだこと : 文才のない奴が村上春樹のような個性的な文体をパクるとなんかイタイことになる。 | ||||
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女の繊細な心を真摯な言葉で伝えています。 | ||||
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前半を読んでいて途中で、あれ?これ乳と卵?と思いつつも新鮮な部分もあり読み進め後半、そちらは事前情報として反出生主義がテーマっぽかった(現代思想 反出生主義を考える に引用が出ていた)ので期待して楽しく読んだ。後半中盤で出てくる恩田のシーンが心底キモすぎてさすがだった。キモすぎて逆に笑った。この辺は夏子と友達の気分で、よく無事で帰ってきたね〜とわかち合い慰めたい気持ちになった。これをそこらの男性作家が書いていたら絶対このキモさをなんか美化か擁護かしちゃってここまで完全に有りそうなキモさを表現できなかったろうと思う。 その後も仙川さんとか善さんは良かったし夏子もそちらが正しいって思ったりするのに「最後へ向かうところ」はやっぱり明確な理由がなくても一般的な方に流れるんだなと残念だった。帯に村上春樹氏の推薦コメント載ってて「とくに最後に向かうところが僕はなにより好きだ」とのことですが。村上春樹苦手だし納得したけど。結局反出生主義は取り残されたかわいそうな人にしか見えず。というか最後に夏子が善さん呼び出してわざわざ話すのが残酷だなと思った。善さんにそんな宣言しなくてもいいのに…。「忘れることよりも、間違うことを選ぼうと思います。」って名言っぽく言ってるけどきついなこの人と思った。そんなこと言われて泣かれても、善さん災難過ぎる。 遊佐さんみたいな、男性のことはもう信用できなくてシングルマザーになったけど子どもは素晴らしいよ産むべきだよ人生変わるよ、というタイプの人にはとてもフィットしそうな話だと思った。遊佐さんも良い人で好きですが。反出生主義はメインではなかった。 | ||||
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「〜を眺めながら○○を見ていた」という謎の文章のほか、(正確には490ページ、「人々が行き来するのを眺めながら、私はじっと人々が歩くのを見つめていた」←なぜこれが校正はいらない?) 変な比喩や表現や悪文が散見。 文章に知性が感じられず、また主人公も作家でありながらなぜこんなになんか鈍そうで、パッとしない頭の持ち主なのか。自分の気持ちと性的な行為が連動していないというのなら、なぜ昔のボーイフレンドが他の女性と寝たときに悲しい気持ちになるのか。なぜ逢沢は「自分の子供を産んで欲しい」といったのか。腑に落ちない部分が多かったです。ただ前半の、貧困女性のエピソードやセリフはリアリティがあって面白かったです。 後半に行けば行くほど「なんとなく」な展開になったのが残念。それでもまあストーリーやセリフよりも、似たような表現がダラダラ続く描写がとても気になりました。 文章が悪いのでこれを翻訳する人気の毒だな^^; | ||||
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乳と卵が好きでした 今回の作品はやたら長い しかも安易なオチでした 精子バンクの話なら精子バンクで子どもを作る話にするべき 現実味がなく残念でした テクニックを見せつけるような文章の書き方が鼻につく もうこの著者の本は読まないと思います 真夜中の〜など、昔好きだっただけに本当に残念でした | ||||
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