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夏物語
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夏物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全82件 1~20 1/5ページ
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ふだん見ないように目を塞いでいるものをちゃんと見ろ!と胸ぐらをつかまれたような気がしたり、 ふだん安穏と座しているおまえの立場は根本的に間違っているのだぞ!と後頭部をビール瓶で殴られて、ガラスがバラバラに飛び散ったような感覚を覚えさせられるのと同時に、 著者の、弱くて抑えつけられた立場にいる者に対するあたたかい、ゆるしのまなざしを感じて、 何度も涙させられる小説でした。 そんなにたくさんの本を読む人間ではないのですが、これまで生きてきた50年間で一番心を揺さぶられた本になりました。 すばらしい物語を書いてくださって、どうもありがとうございます! そしてこの本が世界で広く読まれているということに、希望を感じます。 | ||||
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反出生の語りを, 凄惨な虐待の過去を持ち, 儚げで, 明日にでも死ぬかも知れないと思わせる人物に託す安直さに作家の出生主義的態度が見え, 相容れない. | ||||
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これほど、うんざりしながら読んだ小説も珍しい。どうして、うんざりしながら読むんだと言われれば、それまでだけど、図書室で感じの良い装丁だなと思って、手にとったせいと、初めて読む作家だったので、どんな小説を書くのか興味あった。それと、誰かが登校するかもしれない教室で待機しないといけない状況だったので、時間潰しには良いかと読んでしまったのだ。とは言え、とてもじっくり読む気にはならず、1ページを5秒くらいで読み飛ばした。それでも、全容が理解できるくらいに内容は薄かった。 内容と言えば、自分の身の周りの起こったことを適当に脚色して小説仕立てにしたに過ぎない。その中身も露悪的変態趣味で、生理時の様子を克明に描写するとか、一体誰がこんなの読みたいの? また、男性に対する憎しみと怨恨がこれでもか、と言うくらいに綴られて、その被害妄想ぶりには付いていけない。 都合の悪いことは、すべて周りにせいにして、自分を向上させようとか、より良く生きようとかの前向きな姿勢は一切感じられない。 こういった作品に共感し、感動する人間には決して近づいては、ならない。人生を棒に振ることは火を見るより明らかだ。 芥川賞作家というのが不思議でならない。日本文壇には私小説を何故か尊ぶ、意味不明なところがある。その悪しき見本だろう。 星ゼロにしたいが、それでは投稿出来ないので、やむなく星一個にした。 | ||||
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読んだことがある人に出会いたいと思う。それぐらい生きていく上での根幹を揺るがされました。 | ||||
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昭和末期から平成初期にかけてあたりの、おばちゃんパーマをかけた中年女性がまだスタンダードだった頃の大阪のコテコテな雰囲気を根底に漂わせる物語で、 貧乏生活をひたすら描いてくる序盤でややしんどくなり、 さらに子供を産むのが女の幸せだとでも言うような遊佐の存在に辟易しながらも読み進めたが、 最後まで読んでも結局はそうなのかと… ただ、結婚して子供を産めば幸せ、みたいなお花畑思考ではなかった点だけは良かったかもしれない。 主人公の決断よりも善百合子の弁舌こそ共感できる人が今は少なくないのではなかろうか。 途中で出てきた提供者の男性の気持ち悪さが妙にリアルで印象的だった。 本編とは関係はないが、帯で世界が絶賛するとか言って名前を出してるのがアメリカのメディアしかないのは誇大広告ではないかとげんなりした。 | ||||
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主人公が結局、色んな人との出会いや葛藤の末「やっぱり私の人生には子供欲しいし私が欲しいと思うなら人を誕生させる」と決めた事がすごく残念というか、突き落とされたような気持ちになった。 善百合子の言っていた通り、なんだかんだ理屈つけながらも結局自分の欲求に従うんだなぁというか。「忘れるより間違う事を選ぶ」とはそういう事なのだと感じた。 仙川さんや善百合子の気持ちや考え方にすごく共感しながら読んで、初めて自分以外にもこういう思いの人がいるんだと思えたからこそ余計に残念。反出生の立場ではないけど、なんというか、30代後半になってやばいそろそろ産めなくなるかもと色々焦り出すっていうのも安直だけどたぶんこの年齢でこういう葛藤に直面する女性が多いのも現実なんだろうと思う。 でも、結局この決断をするんだなぁと。 もちろん夏子の人生だし、川上さんが描きたいものを描いたということだしそれは自由なのは大前提なんだけど。 私にとっては仙川さんと善百合子の語りのシーンがこの本で1番輝いていて、胸にストレートに届いた。 だからこそ、仙川さんや善百合子の生き様や考え方が、生命の誕生や生まれる事、生まれない事、そうしたテーマを巡る物語の思考実験の当て馬にされているような構成の感じを受けてとても残念だった。 結局こういう物語の締め方をするんだ、、と。 このお話をどんどん好きになっていってたから余計に。 結局人生なんやかんや色々あるけど生命の誕生はやっぱ素晴らしいし子供生まれたらそれまでの子供いない人生がどれだけちっぽけなものだったか気づくくらい感動するよと暗に示すような文章もあるし、明るい未来への希望みたいな終わりも、結局こういうラストかと個人的には感じた。 子供を持つことや生命の誕生は当然素晴らしい事という立場だったり、「そりゃ人生色々あるけどやっぱ自分の子供欲しいじゃん」って考えをもし自分が持ってたら、最後は気持ちよくスッキリして読み終えられたんだろうなという気がする。 川上さんの物語も文章も、登場人物達の細やかな心理描写もテーマも好きだしこれはすごい本に出会ってしまったと興奮しながら途中まで読んでたけど、とにかく終盤が結局それか、、、という気持ちになった。 物語自体も文章の表現も傑作だと思う。 ただ、結局自分の感じ方考え方は世の中の「圧倒的多数派・大正義スタンダード」に対して少数派であり後ろ向きであり何も生み出さないものと突きつけられ再認識させられ、疎外されているような気持ちに読後なったので、上記のように思うのかもしれない。 | ||||
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一人の女性とそれを取り巻く人たちの物語です。 子どもを作りたい気持ちと、子どもを作る技術が錯綜し、家族とは何かを問いかけます。 悩みながらも、明るく生きる道を選択をしたことに意味があると思いました。 | ||||
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僕は五十代のおっさんで、おそらく想定される読者層ではないと思うけど、とてもよかった。もちろん全部が理解できたわけでも共感できたわけでもないけど。少なくとも僕とは全く違う世界を生きている人たちのリアリティーの一部を垣間見ることはできたと思う。 | ||||
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個人的に読了したばかりのオルナ・ドーナト『母親になって後悔してる』と親和性が高く、興味深く読み終えた。 現代女性の、時に壮絶ですらある生きづらさがあの手この手で描かれているこの作品の帯に「チャーミングな小説」とコメントを寄せた村上春樹を、私は許さない。 | ||||
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フェミニズムとか何とか色々と言われているが、作品に登場する人物たちの価値観が見えない。リアリティがないように感じた。 あるいは、豊胸手術をしようとする女性や他の登場人物の気持ちが私には理解できないだけなのかもしれないが、それを延々と読み続けるのは苦痛であった。 棘々しい言い回しが、現代社会の男性的部分への過剰反応のように感じて何だか痛々しかった。読んでいて楽しい小説ではない。 | ||||
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こてこての大阪弁で書かれていて関西人以外の人は読みづらいかもなのですが、是非皆さんに読んでもらいたい一冊です。何が悲しいと一言では言えないのですが読み始めてからわーわー声を出して泣いてしまいました。自分にも子宮があるのにこどもがないからかもしれません。川上未映子さんの本は情景描写も細かく川上さんの世界に否が応でも誘われてしまいます。 | ||||
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別にありません。 | ||||
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川上未映子さんの小説はこちらで2作目です。 『すべて真夜中の恋人たち』を読んでもう少し読みたくなりすぐに入手しました。 すべて真夜中の恋人たちは、集中しての2日で読み終えましたが こちらはいったん挫折したのも含め3週間かかりました。 どうして挫折したのかというと間に挟まれる姪っ子の緑子ちゃんの日記とか とにかく読みづらかったし、感情移入できないし、文章力、表現力には惹かれましたが 多分読み終えることはないかなと。 でもやはりまた気になって読み始めそこからは一気読みです。 世界に入ることができました。 読んでよかった本です。 『すべて真夜中の恋人たち』でも思いましたが回収しない部分が多い作品ですね。 伏線回収が身についてるので違和感があります。 一部と二部の極端な差にも置いていかれそうになりました。 思っている感情を、リアルなら絶対人には語らない ネガティブで身勝手な感情や意見をいう登場人物が多いのも特徴ですね。 慣れるまで辛いです。 でもそれが醍醐味なのかもしれないと後半は感じました。 そんな剥き出しの感情が飛び交うのはまさに小説(創作)ならではのことだとも。 今回のことさら重いテーマに対して様々な立場の、境遇の、 様々な視点での意見を聞くことが出来ました。 綿密な取材によるリアルが詰まった力作だと思います。 『夏物語』は『乳と卵』の続編であるということで 先ずはそこからずれていたんですね。 『乳と卵』を読めばこの違和感はなかったのか…。 あとは今更ですが…これは純文学作品なんですね。 知らないで読んでいました(汗) 純文学に多い、救われないラストが苦手ですが 今作のラストも良かったです。 | ||||
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フェミニズムの文脈で、10年間は話題になりつづける作品。 日本ローカルな描写も多いが、主題はグローバルなもので、多くの人が心を揺さぶられるだろう。 サブスク系で実写化されそう。 | ||||
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物語の中で、観覧車が2回、出てくる。物語の昔と今とを象徴として夕暮れを繋いでゆっくりと回わる描写。 乗り物であるゴンドラ、それは器としての女性を表す舞台装置暗喩なのかもしれない、は毎月の女性の周期を表すように一周回わり同じ場所に戻ってくるのだけれど、乗り込むときと、降りるとき、人を同じ気持ちにはさせてくれない。 観覧車は、「わたしのしらんところでどんどんどんどん変わってゆく。」というノートへの自分の身体に対しての吐露のように、同じではいられない心象風景を現して、風景を回ってゆく、変わってゆく。 川上未映子の『夏物語』は、何処かへいってしまいそうな、でもたしかにいる、女性と女性たちとの静かに賑やかしい、銭湯の湯気と夏の陽炎に包まれ消えてゆくような、それぞれに何かを喪失する物語。同時に、立ち上がり、回転させ(観覧車のように)、一人ひとりがそれぞれの何かを生み出してゆく物語。 それは、「女にとって大事なことを、男とわかりあうことはぜったいにできない。」、物語でもある。 | ||||
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正直な感想をいうならば、とってもしんどかった。 私自身、妊娠や出産に関して、色々と考えるところがあるからなのかもしれない。 それを抜きにしても胸に、いや胃の辺りにずっしりと、あるいはじわじわとやりきれなさ、寂しさやノスタルジーがないまぜになった気持ちが残る。 それでも読み続けてしまったのは、作中でも触れられた「リズム」なのかもしれない。 関西弁というだけでなく、地の文、心情や情景が淡々としたリズムで描かれる。 ともすれば重くなりすぎる題材であるのに、それをそう感じさせない。 言葉の端々に言葉にならない思いを散りばめたかのよう。 最後のシーン、港町の回想や逢沢さんの思い出は本当に温かくて、悲しくて、懐かしい。 救われなさもやりきれなさもあるけれど、そんな中でも間違えることを決める強さを眩しく思う。 それでも、救われなかったものに目がいってしまうのは自分がその立場にないからなのか。 せめて...という祈りを込めずにはいられない。 余談だけど、2部構成ということをレビューを読んで初めて知った。 そういえば1部はひたすら豊胸の話だったもんな... これがまたしんどくて、少し読むのが億劫だった... 2部でこの親子が明るくやってるのは作中の癒し。 | ||||
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2008年の川上未映子の『乳と卵』は衝撃でした。 それから10数年たった今、『乳と卵』をまるまる作品の中に取り込み、更にそこから新しい物語を生み出した本作は、読み応えのある傑作です。 自身の短編をもとに長編を生み出すという手法は、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』から『ねじまき鳥クロニクル』を生み出した村上春樹を思い出しますが、川上未映子が村上春樹作品をリスペクトしていることは村上春樹へのインタビュー集『みみずくは黄昏に飛びたつ』から伺えますので、本作執筆にあたっては村上春樹作品も確かに意識したのでなないか、と想像します。 『乳と卵』が衝撃的だったのは、大阪弁による語りのリズムそのものを自身の文体とすることに成功している点ではないかと思うのですが、それを裏付けるように、本書の中において、夏子の作家友達である遊佐リカが、大阪弁と文体の関係について考えを述べる場面があります。 「がちの大阪弁の応酬ってのは、もうコミュニケーションとかそんなんが目的じゃなくなってて、あれはもう競技だよ。(中略)でもさ、わたしがすっげえな、と思ったその応酬みたいなものがさ、たとえば小説とかさ、書き言葉にしたときに再現できるかっていったらまたそれは別なわけだよ(中略)文体ってのは作るもんなんだよ、んでその時に大事になってくるの、耳の良さなんだわ。必要なのは、あの応酬を支えているリズムっていうかバイオリズムっていうか、かたまりが鳴らしているそのものを聴き取って、それをまったく別のものに置き換える技術なわけだよ」 本作において、大阪弁のリズムが心地よいと感じるのは、川上未映子の耳の良さと技術力の高さによるものなんですね。 また、本書を読んでいて改めて思ったのは、日々我々が生活していく中で感じる自分の感覚を、うまく言語化している点にも感心します。 たとえば、初めて東京駅に行ったときの感じを 「どこから来るのかどこへ行くのか、信じられないくらいの人混みに思わず足が止まってしまう。それはただの人混みというよりは、まるで奇妙な競技を見るよう。ルールを知らないのはおまえだけだと言われているような気がして、心細くなってくる」 と、どこと儚く感じる疎外感を的確に表現していますが「うん、そうだよそうだよ」と私自身が、まったく同様に感じたことを見事に言語化してくれた、と嬉しくなります。 「葡萄の房ってさ、ちょっと手のひらにのせて持ったらさ、なんかちょっとだけ特別な感じせえへん?粒がみんなきゅっと集まっててさ、みんな落ちんようにくっついてんねんけど、でもぽろっと落ちていってさ、なんか特別な感じ。はは、せえへんか」 とか。 世界40か国以上で翻訳され、米ニューヨークタイムズ必読100冊、米TIME誌ベスト10にも選ばれたというのも納得の力作です。 | ||||
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恐らくは自伝的要素を濃厚に含んだフイクションなのだろうが、読者を一気に川上ワールドへ引きずって最後まで放さない非常な力作である。 特に精子提供による受精を望む主人方が、提供者の異様な男、そしてその直後に遭遇した「生を望まなかった子供」である先輩女性と駒沢公園で対話する15章は、川上選手がこれまでに書いたいかなる文章よりも真正にして激烈な描写が息も出来ないような迫力で連続する。 すべての作家が書きたいと望みながら稀にしか叶えられない奇跡的な10数頁として後世まで語り伝えられるだろう。 この大阪生まれの愛すべきねえちゃんが、これほどの辣腕作家だとは、浅はかにも予想していなかったずら。 | ||||
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第一部のラストの鮮烈なイメージは終生焼き付いてしまうんだろうと思う。そんなイメージを与えられる小説というのはそれほど読んだことはない。女性であるからという理由で意識されないままでもうすでに差別されているというような部分は日本はいっぱい抱えている。なんやねんなあいつは!なんやねんなあいつは!そういうものに対して、そして矛盾だらけの生そのものに対して激しい悲憤が向けられる。それでもそれは絶望の歌だけでは終わらない。読んだら、夏子と巻子と緑子、この3人を愛さずにはおれなくなるよ。 | ||||
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久々の小説でしたが、刺激的に思いました | ||||
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