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残夢の骸 満州国演義 九



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【この小説が収録されている参考書籍】
残夢の骸 満州国演義九 (新潮文庫)

残夢の骸 満州国演義 九の評価: 4.31/5点 レビュー 26件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.31pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全26件 1~20 1/2ページ
12>>
No.26:
(2pt)

なんともあっけない終わり方で、もう少し小説的な感動が欲しかった感。

結局は膨大な資料の前に、それを消化して物語にすることなく、ただなぞるだけの作品に終わってしまった感です。残念ながら小説にはなっていません。沖縄戦から原爆投下、ソ連参戦、ボッダム宣言受け入れから、満州での混乱と悲劇、シベリア抑留までを描いていますが、著者の筆が追い付いていません。この頃著者が健康を害していたらしいことは差し引いても、厳しい様ですが、小説としてはただ書き綴っているだけの印象です。例によって会話の度に煙草を燐寸でつける、会う度に何か食いながら話す。その登場人物の会話で歴史の推移を語らせる。安易な説明という技法しか使っていません。
 ですから第1巻の冒頭で提出された会津戦争での謎のシーンも、P171で当事者間垣から、誠にあっさりと説明されます。なんじゃそんなもんかいな、の感想です。加えて各登場人物の死に方もあっさりとし過ぎです。これは前8巻での次郎の死なせ方もそうでしたが、最も思慮深いと思われた三郎は、何故か無謀な突撃で。長男太郎はシベリアの収容所で首を吊って、そして複雑な怪物ともいえた間垣も、なぜか同じ収容所に入れられ、あっさりと鉄条網に身体をあずけて射殺される。えい、メンドクサイ、大日本帝国の崩壊に合わせて、3人とも片付ければ理由が付くだろうという発想なのでしょうか?実に味気ない。結局、この3人は資料を説明するための登場人物だったのでしょうか?それでは人間描写ではなく、資料の塗り絵です。この3人を生かしておき、戦後苦悩させてこそ物語になると思うのですが・・・。
 そして生きるため自分の母と妹を銃で殺害した少年を広島の祖父の所へ、兄弟で唯一人生き残った四郎が連れて行く場面で物語は終わります。これも月並みで、この少年の残酷な行為をしなければならなかった後の心理と、その後を描くことが小説になるはずです。しかし、今は亡き著者にはその気力が残っていなかったのかもしれません。厳しい様ですが、亡き著者の力量が及ばなかったテーマと題材であったのかもしれません。五味川純平氏の「戦争と人間」と同様、歴史資料の力に負けた作品になってしまいました。
残夢の骸 満州国演義九 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:残夢の骸 満州国演義九 (新潮文庫)より
4101343284
No.25:
(3pt)

特に問題ありません
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No.24:
(5pt)

良好

良好でした
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No.23:
(3pt)

読書感

読みづらい文書だったが、最後まで読み通したので、結局は面白かったと思う。
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No.22:
(5pt)

読書は拡がっていく。

途中、紆余曲折を経て漸く読み終えました。
近代史に興味を持ち、様々な本に出会う内に当作品に出会いました。
しかしながら読み進めて行くうちに、何か重苦しい雰囲気が漂いはじめ、他の娯楽小説と平行しながら読んだり、また作中の他の事件に興味をもったりして、脱線したりしてるうちに10年近く月日がかかりました。

四兄弟初登場の前半はミステリアスな作風ではありましたが、段々と伝言風の歴史話になってしまった感は否めませんでした。
しかしそれでも膨大な量の資料からこの作品の様に満州を纏めた作品は他には無いと思います。主人公達の活躍がなくても、この時代の出来事がいかに密集していたかと驚嘆します。
惜しむらくは、この時代の一つ一つの出来事がどれくらいの人々に伝わっているのかを考えると嘆かわしいです。一人でも多くがこの時代の本書に限らず、様々な本を手にとって欲しいと思った次第です。
作者の御冥福をお祈りします。
*個人的には敷島次郎さんが愉しく読めました。
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No.21:
(5pt)

5月上旬から11日間の入院生活を挟んで6月下旬に読み終えた…。

およそ、ひと月半に及ぶ一大物語体験。満州国を中心に据え、第二次世界大戦の概観を圧倒的な筆力で描き切った昭和期前史。片田舎の老人が感想など言い出す幕は無い。4兄弟と諜報機関に身を置く本作の狂言回したる人物、その5人の主要人物の視点で、事象の周辺を稠密極まる重層性を投影して、読者に執拗に刻み付ける恐ろしいまでの執念には、終始身が引き締まる思いに囚われた。物語の終盤に及んでは、矢張り「船戸与一」なのだ、架空の視座を持つ証人が朝露の如く霧消して果てる、それぞれの生き様を逃れようのない過酷な道筋で…。唯一、ひとりの少年を道連れにした生き残りの兄弟が本土の土を踏むが、平成の現在からの眼差しにあっても、希望の片鱗すら窺わせずに物語は幕を閉じる。一作家が命を擲つように万感を披歴した記念碑的遺作。合掌。
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No.20:
(3pt)

歴史の奴隷になった小説

ようやく全巻読み終わったところである。

まず物語は満州とは全く脈絡のない時間・空間・状況から始まる。今後の展開に期待を持たせる上々の導入部である。が、第三巻あたりから、急に詰まらなくなり、最終巻まで到達するのに苦労した。

その理由は最終巻のあとがきで著者がいみじくも書いていることに他ならない。

第二巻における著者の後書の「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史も小説の玩具ではない」という一節を説明して曰く、「歴史は客観的と認定された事実のつながりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリイのために事実関係を強引にねじ曲げるような真似はすべきでない。認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつは互いに補足しあいながら緊張感をもって対峙すべきである。」

事実関係については、「この作品を仕上げるには膨大な量の文献との格闘が不可欠だった」と著者が述べており、「資料渉猟はわたしのもっとも苦手とするところ」にも関わらず、晩年は病をおして、満州国をめぐる歴史を書き出した労作と言えよう。

しかし、「小説家の想像力」の方はどうだろう、四人の兄弟は次郎を除いて(それも馬賊をやめるまで)、まったくキャラが立っていない。著者によれば、歴史の枠を超えることはできないので、その枠内でということになるのだろうが、それにしても小説の部分が面白くない。ネタバレになるので、くわしく書かないが、第一巻のミステリアスな導入部と敷島四兄弟そして“間垣”という怪しげな人物などが絡まって物語が展開し、あっと驚く種明かしがあるのではないかと期待して後半まで読み進めても、結局“えっ、それだけ?!”というあっけない落ちしかない。あっと驚く結末を思いつく前に、病が進行して、力尽きてしまったのかもしれないが、こうなるとやはり、船戸与一はあまり事実関係に制約されない「山猫の夏」の様な冒険小説を得意とする作家であったと言わざるを得ない。

小説としてのテクニカルな問題もある。
主人公(例えば、太郎)のところに、外部の者(例えば、間垣)が来て、“こういうことを知っているか”と問いかける、それに対して主人公は“知らない”と言うと、当該外部の者は“それはこういうことだ”解説する、それに対して主人公は“で?”と応じて、外部の者が話を続けるというパターンが、ほぼ全巻を通じて何度も繰り返される。それは四兄弟のだれについてもそうだし、間垣以外の外部者との組合せでも同じである。歴史と小説の接点の様な部分において、外部者に歴史を語らせているのだろうが、それに対して兄弟は全く受動的で、歴史の枠を超えようともしないので、著者が避けたかった“小説家の想像力が封殺され”ている状態。

歴史的事実の桎梏から逃れるには満州国は新しすぎて、小説家としての想像力を発揮できる余地が少なかったのかもしれない。とすれば、作家の無謀な試みということになるので、残念ながら、小説としては★一つ。ただし、歴史書としては★四つ、十年がかりの労作に敬意を表して、おまけで★三つ。

最後に船戸は「客観的に認定された事実にも疑義を挟まざるをえないものがあちこち出て来るようになった」と述べている。望むらくは、歴史に疑義を挟んで、それを小説に膨らませて欲しかったが、泉下の人には届かぬ願いである。合掌。
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No.19:
(5pt)

ついに終わった!

この最終巻を読むと20世紀初頭からの日本国が関わってきた戦争が誰のため、なんのためだったかを解明してくれた近代日本の歴史の要約ですね。
職業軍人のトップたちは国家の防衛のために存在したのか、立身出世のためにだけに生きてきたのか根源的な問いに答えを示してくれている。
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4101343284
No.18:
(5pt)

何も言うまい

これが遺作。
憧れの大陸、夢の満州国の終焉とともに俺たちの船戸与一が消えた。
日の出の赤光に消えるルセロのごとく、俺たちの船戸与一は夢のように消えた。
俺はこの先、なにを支えに生きていこうか。
俺たちの船戸与一は、いまの危うき将来を見越してこの物語を書き上げたのではないだろうか。
何も言うまい。
めんどくせえ評論は、めんどくせぇのが好きな評論家に任せて、
我々は純粋に満州国の興亡の世界の住人になり、行く末を見守ろうではないか。
もう一度言う。何も言うまい。
まさに一気読みの名作なり。
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No.17:
(5pt)

日本の民族主義の興隆と破摧。たった90年の間にそれは起こった

「明治政府は黒船来航前は暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇を日本の全てを統べる中心に据え付け、欧米列強による植民地化を回避するために躍起となった。アジアを植民地化するという吉田松陰の提示した手段によって」。「朝鮮を併合し満州領有に向かうようになった。民族主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾みが付くと急速に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。ペリー来航によって完全に覚醒した日本の民族主義はアメリカの投下した二発の原子爆弾で木っ端みじんにされた」。「日本の民族主義の興隆と破摧。たった90年の間にそれは起こった。この濁流のあとかたづけに日本は相当の歳月を要することになるだろう」。
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No.16:
(5pt)

血縁、怨嗟、破滅、そしてわずかな希望

四兄弟につきまとう特務機関員はついに戊辰戦争まで遡る血の繋がりを告白。そして彼は、長男と同じシベリアの収容所で自らの矜持をかけて壮絶な死にいたる。さらに、長男も満州国高級官僚としての自らの生き方が大きな矛盾となり無念の死を選択してしまう。

死に場所を探すがごとき正義感と責任感に溢れた軍人の三男も家族を日本に残したまま、終戦後の蜂起というまさに無駄死。いちばんひ弱に見えた四男が一番逞しく生き抜き、ある使命から焦土とかした広島へ向かい、明日につながるわずかな希望に火を灯した。

ほんとうに不思議な小説だった。四兄弟が一同に会する事はただの1度もなく、亡くなった次男の納髪式に三兄弟が集合するのみだし、歴史の部分はすべて第三者である新聞記者、軍人、満鉄・満映関係者、軍属などが「語り部」として話すだけで、主人公たちの心情が大きくクローズ・アップされることもない。

でもほんとうに本作はもちろんのことたくさんの作品を楽しませていただきました。「冒険小説」などというありふれた括りをはるかに超えた「文学作品」であり、「小説」どころではなく「大説」でした。ほんとうにありがとうございます。もう読めないんですね。
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No.15:
(5pt)

凄い作品、ただただ感嘆あるのみ

作者渾身の全九巻を読了。素晴らしい読書体験でした(充足感プラス脱力感)。無数の大事実、中事実そして小事実が織りなす(というか綾なす)歴史絵巻(?)に酔いました。この余韻と感慨は長く(おそらく一生)尾を引くものと思います。生意気を云えば、歴史を記述(叙述)するとはどういうことか、をも学んだ作品でした。明治維新以後の日本の国家戦略が吉田松陰の『幽囚録』に既に予言されていたとの指摘(383頁以下)も目ウロでしたね。

「栗田中将ってのは嶋田繁太郎元海相のお気に入りというだけで、その無能さはだれもが知ってたらしい。海軍は何だってそんなやつに第二艦隊の指揮を執らせたんだ?」(138頁)
(辻政信について)「あの参謀は炭焼きのことして極貧のなかで育った。・・・ そういう経歴のなかでも変わらなかったことがある ・・・ 貧困にたいする軽蔑だよ。極貧の育ちが逆にそんな感情を抱くようになったのかも知れない。それに異常なほどの潔癖さ。宴会で酌婦や芸妓がいると、面と向かって醜業婦と罵倒し寄せつけないらしいんだよ。女たちがなぜそういう仕事をしているのか想像すらしようとしないんだと思う。これは明らかに人格的欠陥としか言えん。それが多数の兵員を死に追いやっても次から次へと新たな作戦計画を立案できる理由だろうよ」(179~80頁)
「情報は他の情報と組み合わせることによってはじめて意味を持つ。それには全体を俯瞰できる知識がないと無理だ」(239頁)。
「大川周明 ・・・ これには陸士二十期代が集まった。・・・ 北一輝 ・・・ これには陸士三十期代が馳せ参じてる。そして、陸士四十期代のこころを捉えてるのが平泉学派創りあげた平泉澄だ。この学派が説くのは諫の思想で、国体護持のためには腹を切ってでも天皇を諌めることを最高の美学としてる」(314~5頁)
「「ちょっと待って、兄ちゃん」「ど、どうした?」「水、飲みたい」・・・「おいしいよ、兄ちゃん、おいしい!」照夫は顔をくしゃくしゃにして涙を流している。夏子が水筒の栓を閉めて傍らに置き、大地に跪いた。瞼を伏せて両手を合わせ、弾んだ声で言った。「もういいよ、兄ちゃん、母ちゃんのところに行くけえ!」照夫が歩兵銃のところに戻り、それを拾いあげてかまえた。炸裂音とともに夏子の小さなからだが二米近くふっ飛んだ」(479~81頁)。
(敗戦の)「詔書渙発以後、敵軍の勢力下にはいりたる帝国軍人軍属を俘虜と認めず」(546頁、「戦陣訓」の否定だが、これが大量のシベリア抑留者の悲劇を生んだ)。
「血を分けていても、結局はこころの底なんて覗けてはいないのだ」(630頁)。
「文献を読むかぎり、昭和前期の時代の濃さは後期とは比較にもならない。・・・ あらゆるものがぎっしり詰まっている。そして、この濃密な歴史は満州を巡る諸問題を軸に展開していく」(649頁、作者あとがき)。
「書きながら痛感させられたのは小説の進行とともに諸資料のなかから牧歌性が次々と消滅していくことだった。理由ははっきりしている。戦争の形態が変わっていったのだ。まず、兵器がちがう。次に交通手段がちがって来る。それは戦術そのものを変化させた。点対点は線対線に、線対線は面対面に。最後は空間対空間が戦況を決定するのだ。航空機による無差別爆撃が常態となったとき、牧歌性が存する余地はもはやどこにもない。それは近代戦の宿命であり、浪漫主義のつけ入る隙のないものだった」(650頁、同)。
「小説は歴史の奴隷ではないが、歴史もまた小説の玩具ではない。・・・ 歴史は客観的と認定された事実の繋がりによって構成されているが、その事実関係の連鎖によって小説家の想像力が封殺され、単に事実関係をなぞるだけになってはならない。かと言って、小説家が脳裏に浮かんだみずからのストーリィのために事実関係を強引に拗じ曲げるような真似はすべきではない。認定された客観的事実と小説家の想像力。このふたつはたがいに補足しあいながら緊張感を持って対峙すべきである」(650~1頁、同)。
「歴史とは暗黙の諒解のうえにできあがった嘘の集積である」(651頁、ナポレオンの箴言、同)。

最後に、全くの無い物ねだりで忌憚なく贅言すれば、評者個人としては間垣徳蔵の最期には若干違和感を覚えたことを告白しておく。あと、作者に残された時間の短さの故であることは勿論だが、本作品の登場した数多の登場人物の行方についてもっと描き込んでほしかったなぁ、と思ったことも。了
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No.14:
(5pt)

「夢破れて、山河あり」や?死の寸前まで書き続けた大河歴史小説、ここに完結。大日本帝国が創作した満州帝国はわずか13年で幕を閉じる。敷島四兄弟のうち生き残るのは?

昭和19年6月から21年5月まで。マリアナ沖海戦での連合艦隊敗退と東条英機暗殺計画で始まる。インパールで死した次郎の遺髪が太郎のもとに届けられ、満州東部の朝鮮国境近くの都邑・通化で残された三兄弟が集まり次郎の墓を建てる。

繰り返しになるが小説は歴史に凌駕される。特務中佐間垣徳蔵の口からは「日本人が夢見た満州は理想の国家の欠片さえ失って重い重い鉄鎖でしかなくなった」と言わせる(p238)。同時に間垣は「わたしと敷島四兄弟とは血が繋がっている」と祖父が同じの従弟同士であるとの秘密を暴露(p242)。第一巻の冒頭の一節が甦る。

8月15日敗戦、その後太郎は資本主義幇助の罪によりシベリアで強制労働に。その収容所で奇しくも間垣と再会するものの「生きる屍として一生苦渋の海を泳ぎつづけること」(p567)から逃れて間垣とともに自死。三郎は関東軍将校の矜持を持ったまま「いったん濁流のなかに身を投じた以上だれもが流されていくしかない」(p596)と反八路軍武装蜂起に起ち軽機関銃の掃射の前に死亡。四郎は生きながらえて三郎が助けた少年を故郷の広島へ連れていくが「その風は五月にしては爽やかさを感じさせない」(p648)。「山河」さえも残されていなかったのはないか。

この巻でも辻政信大佐は「帝国陸軍の厄病神」(p178)として断罪されるが、繰り返し登場するのが後に政財界で活躍した瀬島龍三中佐。台湾沖航空戦大勝が誤報であることを明らかにした大本営参謀堀栄三少佐の緊急電を握りつぶし、二か月の病気休暇中に外交伝書使としてモスクワへ向かったという噂、ストックホルムから小野寺信少将が送ったソ連の対日参戦情報の暗号電報のもみ消し、対ソ停戦・休戦交渉に関東軍総参謀長秦彦三郎とともに加わり「戦闘を中止すれば60万の関東軍をシベリア開発の労働力として提供すると申し出た」という噂、シベリアでも辻の腹心朝枝繁春大本営参謀と(のちにソ連スパイであることを自供した)志位正二関東軍情報参謀と一緒に思想改造施設である第7006俘虜収容所に入れられていた事実もまた明らかにされている。(p113、 150、 230、 302、 406、 514、 515、 530、 563)

巻末の23ページ400件以上の参考文献のリストと著者のあとがきが見事でありかつ壮絶である。小説の重さに簡単には書評を書けなかったことを告白しておく。
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No.13:
(5pt)

満州国一大叙事詩ここに完結

ついに、9冊感電読破、」敷島4兄弟のそれぞれのドラマの終幕はスさましい。
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No.12:
(5pt)

終の矜持

ついに最終巻。
終焉と灰燼。そして男たちが死んでいく。
屑としか形容できない高級軍人たちが無様に延命を図る中、物語の主人公たちはみじめに、しかし最後の誇りを示して死んでいく。

単行本未収録の作品集は刊行を期待したいが、船戸ハードボイルドを長編で堪能できるのは本作が最後だ。寂しい。

しかし、船戸作品に出合えて、良かった。
船戸先生、長期の執筆、お疲れ様でした。
新刊は後日、そちらで。書き溜めておいてください。
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No.11:
(4pt)

面白かった

歴史の見方として船戸さんの見方が言いたかった本なのだと思う。因果関係がはっきり。台湾の霧社事件があって、石原莞爾は満洲領有論から満州国設立に舵を切ったというのは新鮮。満洲では東三省官銀行券は避けられ、正金銀行券、朝鮮銀行券が好まれた。銀行券が数ありすぎて現金で持っているから土匪が増えたというのも視点が明確。蒋介石が長征の共産党を壊滅させなかったのは蒋経国がモスクワ留学中でStalinに殺されるリスクあったから。これもなるほど。ゾルゲの諜報活動のおかげで極東ソ連軍はドイツに攻められても動かず、結果として帝国陸軍の南進論に味方したというのは多少疑問を持つけれど。ゾルゲが関東軍は北進しないと教えたので、ソ連軍はモスクワ前面に一部極東軍を転進させて持ちこたえたのではないか?辛亥革命以来の日本留学によって日支の人物交流が濃密であったという点に触れていないのは残念だけど。人物の評価も船戸与一の個人的意見がはっきり。石原莞爾、影佐禎明、山下奉文は高く、瀬島隆三、富永恭二は徹底的に低い。さて、小説としてはどうか?敷島四兄弟の中では馬賊の頭目上がりの次郎が活動写真的に魅力的だが、彼らと黒子役に歴史を語らせる方式にしたため、やたらとメシを食べるシーンが多くて、何回、ヤマトホテルのビーフシチュウと太郎家の鋤焼が出てくるんだろう。小説としては満点と言うわけにいかないなあ。
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No.10:
(3pt)

歴史書としての意義有

第9巻まで読了。船戸氏の著作は新雨月以外はすべて読んで大ファンです。 これは遺作でもあり大変に期待したのだが、
いままでの船戸節は影を潜め 主人公4兄弟の動きもいつになく重苦しく 船戸小説がこんなはずはないと思い続けた。 
シリーズ中頃からはこれは兄弟の物語として考えずに 日本が絡んだ歴史を知る読み物だと思うようになった。 
そして最終巻P421でいみじくも 三男の言葉「いったん濁流の流れに身を投じた以上、だれもが流されていくしかない。」が 
この大作のテーマであると深く感じた。 本作の主人公は4兄弟ではなく 濁流に身を投じた過去の日本なのだと。 主役4兄弟
および それを取り巻く脇役の人々はそのステージで踊った狂言回しである。 小説としては評価が低いが、
歴史に踏み込むという部分では大変に役に立った。
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No.9:
(5pt)

日本人必見の小説である。

満州国からインパール作戦までを、4人の日本人兄弟を狂言回しにしながら描いた、大河小説の最終巻。
小説と言いながら、主要な事件はすべて史実に則っているので、歴史の教科書とも言える。
全巻、日本人必見の小説である。
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No.8:
(5pt)

むなしく呆然とする

今日読み終えた。何とも言えない息苦しい読了感 作者はいったい何が言いたかったのだろうと悩みながらこの文を書く。
四朗は明日を生きることができるのだろうか?私の心にも何とも言えないむなしさだけが残る。
満州引揚者の気持ちの一端に触れることができたのかもしれない。
岸も瀬島も児島も笹川も戦後をふてぶてしく生きた。東条英機も自殺はしていない(失敗??なのか)。わが子を失い妻を強姦されシベリアに抑留されて辛酸をなめた人がどういう気持ちになったか察するにあまりある。怒りと憎しみとあまりの不条理に狂いそうになる。
でもあれからこの夏で70年たった。作者が冷静に満州から南方そして満州に戻ってきつつ語ったたように世界は権謀に満ちている。不条理を泣き叫んでも何も解決しない目を背けても何にもならない。私たちはこの猛獣の檻のなかで食われないように平和な日本を守るしかない。
感情や思い込み独善の末路はこの本を読めばすぐに理解できるだろう。
救いのない展開に本当に疲れた。独善と虚栄と謀略に満ちた話で最後に救いがほしかった。だって戦後日本を作ったのはなんだかんだ言ってとんでもない失敗をした彼らンんだから。作者はいまの日本も失敗だと思っているのかな?
私は間垣が好きだ
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No.7:
(3pt)

旅の同伴者として

中身をどれだけ理解したか不明ではあるが、とりあえず満州国演義を通して読んだ。とにかく長い旅であった。満州事変から終戦までの日本史を全て網羅した力作であることは事実であろう。そして最終巻が出版された直後にこの世をさったことからも、本書が船戸作品の集大成という意味合いがある。しかし、何故船戸はこのような正史を書き続けたのであろうか?
船戸の魅力は、正史とは違う世界で無名のまま死んでゆく人間の魅力を描くというものである。この作品でも敷島4兄弟、間垣徳蔵という架空の人間が生き、死んでゆく(一人は生き残るが)。しかし彼らの話す言葉、行動の殆どは正史を語るものである。特に太郎、および彼の記述は殆どが正史をそのまま書いている。妻圭子との問題も突っ込みが足りない。彼の言動は、外務省がなにも出来ずにいたと言う事だけであり、これも正史で言われる事である。三郎は憲兵の目から見た世界だが、これも所謂歴史の教科書的な事項をなぞっているに過ぎない。
その点、次郎と四郎は通常知らない世界を描いている。馬賊、緑林の世界なぞ、殆ど知られていない。四郎がさまよう世界は殆どが裏社会だ。例えば開拓民の世界を扱い、そこに知られざる物語を描けば、それだけで面白い話しになったように思う。知られている満影でも良かったと思う。満影での生活を掘り下げる事はいくらでも出来るように思う。いや、この作品に出てくる全ての事象を掘下げ、船戸得意の世界を展開できたはずである。そしてそれは決して「歴史が小説の玩具」にはならなかったはずである。
またこの作品の後味が悪いのは、負のカタルシスを感じ得ない事にある。船戸作品の登場人物は殆どが凄絶な死を迎える、もしくは絶望にかられる。そしてそこに不必要な希望は書かれていない。そこにこそ人間の生に対する諦念と、逆説的な希望がある。本作において船戸的「死」は間垣徳蔵にのみ見られるが、それとて特別なものではない。次郎にしても三郎にしても戦闘の中で死んでいったとは言え従来の作品に見られるような死の美学はない。まして太郎となると美学どころの話しではない。葛西政信が川に沈む時、群家徳雄の死体が燃える時、マルチネスが車輛にひかれる時、野呂影夫の首がかっ切られる時感じた衝撃、さらには粛清をされる蒋国妹が砂漠にたたずむ時、イラワジ川のほとりで那智信之がたたずむ時、藤堂早苗を看取った伊勢明美が花吹雪にあおられる時感じた喪失感を、残念ながら殆どこの作品に見る事は出来なかった。
船戸与一は本書、さらには「新雨月」において真摯な歴史小説家になろうとしたのだろうか?真摯な歴史小説家とは、史実を丁寧に調べていく。となると、いい加減なフィクションが書けなくなるのであろうか?その意味で会津若松の謎も、捻る事が出来なかったのかもしれない?この謎は途中でネタが見えてきたように思うし、奥山貞夫が「会津若松で」と死に際に唸る時の期待感は、間垣徳蔵のあっさりとした告白で裏切られてしまう。
しかし船戸作品と数十年の付き合いをしてきて、様々な旅をし様々な人間と会ってきた。ベネズエラ、ブラジル辺境、西サハラ、スレイマン山脈、小ネヴァ河畔、イーニン、金門島、赤猿温泉、龍神町。アンディショウ、バラバ、群家徳雄、シャリフ、間垣浩介、ハッサン・バブーフ、ティモシー・ヤン、葛西政信。その旅の同伴者として、今は亡き船戸与一と「満州国演義」は再び訪れるべき場所なのかも知れない。
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