大地の牙 満州国演義 六
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第3巻・4巻・5巻と資料を上手く駆使して単なる説明にならず、登場人物が描写されており、時々同じ様な場面の繰り返しにはなりますが、物語の展開が上手く流れていました。満州侵略という戦争状態が舞台ですから、遠慮なく人が殺されますし、主人公である兄弟達の周囲も時には残酷な状態になり、人が死にます。当然のことでしょう。資料をよく読み込み、なんとか物語の中に組み込もうとしている執筆姿勢は理解出来ます。おかげで、満州事変から満州国成立の謀略の過程が、下手な歴史書以上によくわかりました。実在した様々な人物を登場させているのも新しい発見で参考になります。 ところが、第2巻は資料を基に物語が展開されておらず、説明臭くなってしまっていました。それと同様にこの第6巻も資料の説明が主体となり、その間に登場人物と事件が、しかも、今までと同じ様な事件が繰り返されて取って付けた様に描かれています。言い換えれば資料を説明するため、資料をなぞったぬり絵の様な作品展開となっていると感じるのは自分だけでしょうか?大河小説として五味川純平氏の「戦争と人間」以来の大作と期待していますが、五味川氏の作品が陥ったのと同じ傾向が伺えます。そうなると誠につまらない。この巻はノモンハン事件を取り上げていますが、そこで三男の三郎を中心にもう少し登場人物を動かすことは出来なかったのか?長男太郎の情事にしても、もっと相手の中国女性を描写出来ぬのか?次郎が間垣氏に逆襲するシーンの様な場面を、もっと作れぬものか?四郎も、うろちょろを繰り返させるだけで、なんだかこの人物を描く必要あるの?としか感じられません。 加えて男は誰もが、やたらと煙草を取り出し燐寸で火をつけ灰皿でもみ消すシーンと、酒を「舐める」シーンは相変わらずで、加えてやたらと会食し飯を注文するシーンが目立ちます。週刊誌連載ですから、場をつなぐためでしょうか?ちょっと芸がないのではと感じてしまいます。 「~ではない・~ではなかった」と書く代わりに「~じゃない・じゃなかった」というくだけた口調の文章は、ここまで続くと、どうもこの作者の性格からくるものらしい様で、依然としてそれだけが違和感を感じます。加えて登場人物が最初はフルネームで紹介されるのですが、主人公の太郎・二郎・三郎・四郎は兎も角、他の人物もすぐに下の名前だけで描かれるのは、誰だったっけ?と前の見返すことがしばしばなのは、自分だけでしょうか?どうしてそういう風に描くのかもはっきりとわかりません。どうもこれらの文体は作者独特のものらしく、それが個性ある文体なのか、ある種の悪文なのか、最終巻を読むまでは判断が出来ませんが、兎も角、ある意味で歴史書として、最近には珍しい大河小説として、最後まで付きあうつもりです。次巻以後は、もっと面白くなりますように! | ||||
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南京陥落(1937・12)の直後から米内光政内閣の成立(1940・1)までをカバーしている。この凡そ2年の間に、内閣は近衛(第一次)から、平沼、阿部、米内と目まぐるしく変わっている。大陸の日本軍は南京に次いで武漢、広東を占領し、蒋介石と対立する汪兆銘の新政府樹立を画策する。しかし、1939年5月に満蒙国境のノモンハーンで、ソ連・蒙古の連合軍と衝突し手痛い敗北を被る。しかも、その渦中に独・ソ不可侵条約の成立が伝えられ、中国大陸の戦線は膠着し始める。 こうした時代背景の中を、満州と中国に根を下ろした敷島家の四兄弟はどう生きていたのだろう。満州国自体が傀儡国家なのだから、太郎は外交部のトップだと言っても何も出来ることは無い。国内外の激動に対し、自身の見解を持っている様には見えない。新設の満州建国大学の友人を訪ねたり、青少年義勇軍の訓練所を訪れたり、ハルビン郊外の豊満ダムの建設現場に動員されている苦力を見たりしているが、彼が何らかの意図をもって行動している様には見えない。恐らく、後に問題となる石井部隊、ソ連参戦で悲劇的な運命を辿る青少年達のストーリーの布石を打っておこうとする著者に「操られて」動いている様にしか見えない。なお悪いことに太郎は、中国人の住み込みの女中の一人のために家を建ててやり妾として囲う。馬賊を止め軍の特務機関の仕事を請け負って来た次郎は、祖国の独立を目指すインド人やナチスの迫害を受けているユダヤ人の満州への受け入れを画策するユダヤ系の記者と交流し、彼らの為に「よごれ役」を引き受ける。ただ、これまで四郎と会ったことのなかった彼が、特務の間垣の言いなりになって記者を止め、慰安婦の検黴(けんばい)に従事させられている四郎を苦境から救う場面は感動的だった。 この巻での三郎の活動は、満州と朝鮮の国境に近い通化から入った山岳地帯に展開する共産ゲリラ抗日連軍によって誘拐された日本人技師の救出と掃討を中心とする。その戦闘で部下を失い本人も捕虜となるが、日本軍を脱走し共産軍に加わった昔の部下に救けられる。この掃討作戦中にノモンハンでの衝突を聞かされ現場に向かう。日本軍5万9、000が出兵しながら近代化されたソ連軍の能力を見誤ったために、7、300の戦死、8、000の負傷、1、100の行方不明という大損害を蒙る。この無謀な戦が関東軍の一参謀辻政信少佐が計画し、陸軍の中央にこれを止めるものが居なかったという著者の批判は、戦後、常識となった解釈に従っている。しかし、著者は、これを三郎ではなく、一緒に現場を目撃した特務中尉床波の口を通じて言わせている。三郎の見解は、太郎の場合と同じように隠されている。四郎は兄次郎の尽力で、新京にあって甘粕正彦を理事長に迎えたばかりの満映に入社する。若い頃、無政府主義に傾倒していた彼が、満州まで来て、主義者の大杉栄一家を殺した甘粕の下で働くというのは皮肉な運命だ。しかし、彼だけではない。同じ劇団に所属した昔の友人達も満映に転がり込んでいて、11年ぶりに出会った松平映子と同棲する。 この巻の冒頭で、著者が同盟通信の記者香月の口を藉りて、世論や新聞が軍部をも押し切る怖さを強調するところ(p.13)、従軍文士の作品に、火野葦平以外は「軍部へのおもねり」があると感ずる太郎(pp.262-3){太郎としては珍しい}を描いたところ、慰安所を開こうと乗り込んできた業者の鯨岡の言い分等が面白かった。 | ||||
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周りがどう喚こうが最終巻まで突き進むはず。峠は越えた、奮闘を祈る。 | ||||
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「ファシズムとは普通選挙から生まれ、選挙民の感情を満足させるために他国との戦争を必要とする」石原莞爾の帰国で五族協和の夢潰える。現場の独走でノモンハン事件。内地では国家総動員態勢進行。ドイツへの傾斜強まる。 | ||||
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「ファシズムは普通選挙によって計らずも産み落とされた魔性のシステム」であり「政治の実施は国民の意思および利害の調和平均点を求める」ことにであるが「強引に創りあげた満州という国家ではその気になりゃ何でもできる。内地じゃ考えられないことがね」という特殊な環境の中で、外務官僚、暗殺者、憲兵隊員、満映社員となった四兄弟が、自覚のあるなしにかかわらず、それぞれの立場で壮絶な運命に飲み込まれる本作もついに3分の2読了。 もちろん四兄弟だけでなく、後世に名を残した政治家、軍人、文豪、芸人はもちろんのこと、世界中すべての国民がこの渦から逃れることは不可能な状況下でこの先どんな結末を迎えてしまうのか?船戸文学最高峰の煌きを味わえるのもあとたったの3冊となってしまった。 | ||||
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