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ブラフマンの埋葬
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ブラフマンの埋葬の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全76件 21~40 2/4ページ
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小川洋子さんの小説は情景描写がとても丁寧で的確です。文章にムダがなくピーンとした空気を感じます。本書は小川ファンタジーの一つです。 | ||||
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童話みたいで、カフカみたいで、暖かく、そして知的で隅々まで作者の気配りが届いているしっかりした文章のすばらしさ。本を読み楽しさを教えてくれる優しさに包まれた一冊です。チェコとか、中央ヨーロッパかな、と思わせる田園地帯の小さな街。太古に亡くなった人達が墓地に住んでいる雰囲気。でも、日本と違って湿気がないから、周りの死者たち(本には直接出てきませんが)の雰囲気も明るいですね。 ブラフマンって誰でしょう。私は、ハイドパークやセントラルパークにいる大きなリスたちと、カナダや北欧のビーバーを思い浮かべました。可愛いよね。ブラフマンの最後で示されるように、生と死って本当に隣り合わせ。何だか、絶対的な障壁があるのではなくて、ごく自然に行き来しているような。「僕」を見つめる写真の家族も、そんな感じですよね。8.の最初、「秋を運ぶ最初の季節風が吹いた。」からの季節の変化の描写は好きでした。「季節風が止んだあとに、素晴らしい朝が訪れるのもまた、毎年のことだった。」の後の季節描写も素晴らしいですね。この本を読む機会を得ることができて、とても幸せです。 | ||||
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この著者の作品は好きで、何作か読んでいる。 いつものことだが、タイトルに魅了される。「ブラフマン」という、なんとも壮大な名前と、「埋葬」という印象的な言葉。 小川洋子作品には、非常に綿密に人物や生物を創造され、感情移入したそのものと別れるという事が多く見られる。 この後に著作された「猫を抱いて~」も、同様、実際に生きているかの様に存在を確定されたものが、「死」を持って別れ、形の見えない心の象形として昇華し、記憶に刻みつけられる。 この「埋葬」をタイトルにあえて入れたのは、そういう事なのだろう。 物語的には、奇抜なものは一かけも存在しない。抽象的で分かりにい部分があるが、意味を持っている。その物語を、優しい、選び抜かれた言葉によって綴られている。 しかし、最後まで読んで、強烈に訴えてくる物がある。静かな激動がある。 非常に読みやすく、短い話なので気構えせずに読んで見てもどうだろう、著者の独特な世界観に少し触れられる。 | ||||
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期待したのですが途中で投げ出した。今では全然頭に残っていない。 | ||||
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カフカ「カフカ寓話集」中には"奇妙な動物"を扱った掌編が数多く収録されているが、本作はブラフマン(普通はインド密教における宇宙の根本原理の意だが、本作では単に"謎"の意)という名前の"奇妙な動物"をモチーフにして、<創作の自由>、はかなく残酷な恋物語と絡めて"生と死"の問題を追及した秀作。想像だが、上述した「カフカ寓話集」中の"奇妙な動物"を、正体不明のまま、より深く描画する事に主眼を置いているのではないか。不条理小説と静謐で美しい物語を組み合わせる作者の本領発揮の作品である。 物語の舞台の村には、古代墓地があり、その中の石棺で、ブラフマンを飼う主人公が恋する少女とその愛人が逢瀬を重ねている。この通り、実は生々しい"性"の物語でもあるのだが、読者は作者が描く泉や森林(ブラフマンがこよなく愛する対象)を初めとする村の長閑で美しい描写、石碑を彫る寡黙な彫刻師、レース編みの作家、ホルン奏者といった表象的事柄によって、"死"と密着した非常に静謐な物語を読んでいる印象を抱く事になる。作者の力量の証左であろう。 それでいて、作品全体のテーマはやはり良く分からないのである。私は作者の短編「巨人の接待」を読んで、その不条理性に瞠目したものだが、上述した通り、本作はその本領を十二分に発揮した秀作だと思う。 | ||||
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作家/小川 洋子 :: ネタバレ注意 :: 舞台は、つい五十年ほど前までは船で川を下ってくる以外に交通手段がなかったような、辺鄙な村。そこにひっそりと佇む施設〈創作者の家〉の管理人の「僕」と、「ブラフマン」という名前をつけられた不思議な生き物との一夏の物語。 この作品で登場する人物はみな固有名詞を持たない。「ブラフマン」に至っては姿形こそ作中で明かされるが、それが何の生き物かは謎である。 緑色の泉、オリーブ畑、スズカケの並木、季節風… 誰が何を言わなくても、淡く美しい情景を思い浮かべられる。 タイトルに「埋葬」とあるように、ブラフマンがそうなることは初めから予知出来る。そしてその時が来た時「僕」は悲しいという表現や涙を流す描写などないが、様々な場面でブラフマンへの愛情を確かめることが出来る。誰も悲しいとは言っていないのに、どうしてこんなに涙が流れ悲しく切ない気持ちにはるのだろう。それは「僕」が「ブラフマン」のことを本当に愛してることをはっきりと認識出来るからだと思う。「ブラフマン」がいたずらしても「僕」は一度も怒らない懐の大きな男。「ブラフマン」もきっと彼を愛していただろう。 ブラフマンはサンスクリット語で謎という意味。〈創作者の家〉は南仏のFuveauという小さな町がモデルになっている。小川洋子さんが旅行に訪れインスピレーションを受けたという。私もそこに訪れ美しい風景に囲まれながら「ブラフマンの埋葬」を読むのが夢だ。この本に出会えて本当に良かった。 | ||||
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読み終わった後、人としての切なさを感じた作品です。 飼い主の「僕…以下僕」は、一番愛するカワウソの『ブラフマン』と、いつも一緒にいる。 その日は、ブラフマンがいつも遊んでいる泉で、ブラフマンを初めて1匹にしてしまった。いつも遊んでいる泉だから大丈夫だろう。 「僕」はそう思い、「僕」が少し気になっている他人の恋人(若い健康的な女性)との束の間を過ごすための時間を選んでしまった。 人間の生活の中ではよくあることで、誰しもが同じ行動を起こすと思う。 但し、この度は『ブラフマン』を泉で一人り遊びさせることの状況が、下に示す様にいつもと違っていた。 ●台風の後で、枯葉が沢山浮いている。 ●危険なので泉に網を掛けた。 ●家の外では、一人遊びをさせたことがない。 ●「ブラフマン」は家の外では、いつも「僕」の居場所を確認しながら行動する。 人間はいやしいもので、自分のものにならないとわかっていても、欲望を満たすための行動を起こしてしまう危険性がある動物です。 その点、『ブラフマン』や飼われる側の動物は純粋に飼い主のことを思っています。 そんな身勝手な、人間の心の隙間をさらけ出した作品だと思います。 ペットの飼い方においてモラルなき飼い主が沢山いる日本人に向けたメッセージと受け取りました。 | ||||
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読み終わった後、人としての切なさを感じた作品です。 飼い主が一番愛する『ブラフマン』とはいつも一緒にいるので、泉で1匹で遊んでいても大丈夫だろう。 飼い主の「僕」はそう思い、飼い主が少し気になっている他人の恋人(若い健康的な女性)との束の間を過ごすための時間を選んでしまった。 人間の生活の中ではよくあることで、誰しもが同じ行動を起こすと思う。 但し、この度は『ブラフマン』を泉で一人り遊びさせることの状況が、下に示す様にいつもと違っていた。 ●台風の後で、枯葉が沢山浮いている。 ●危険なので泉に網を掛けた。 ●家の外では、一人遊びをさせたことがない。 ●「ブラフマン」は家の外では、いつも飼い主の居場所を確認しながら行動する。 人はいやしいモノで、自分のものにならないとわかっていても、欲望を満たすための行動を起こしてしまう危険性がある動物です。 その点、『ブラフマン』や飼われる側の動物は純粋に飼い主のことを思っています。 そんな身勝手な、人間の心の隙間をさらけ出した作品だと思います。 ペットの飼い方においてモラルなき飼い主が沢山いる日本人に向けたメッセージと受け取りました。 | ||||
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さまざまな創作の世界に携わる人々の為の保養所。 そこで住み込みの管理人として働く主人公の青年は、恐らく天涯孤独である。 天災か事故で大切な人・モノのいっさいを喪ったのか、家族のいない環境で最初から育ったのか、深い喪失感を抱えているだろう青年は、もしかしたら喪失の対象を具体的には記憶していないのかもしれない。 青年は骨董屋で見知らぬ家族の古い家族写真を買い求める。その写真に写る人々は、ひとりひとりこの世を去り、今はもういない。そんな無常観は、この青年には生きていく心の安らぎになっている。 主人公は、ある日傷を負った森の生き物(まだ子供)を偶然救い、ブラフマンと名づけ飼い始める。 (フェレット+プレーリードッグ+かわうそ)÷3×0.35 のようなこの動物に対する描写、主人公がこまめに世話をする様子、ふたり(ひとりと一匹)の日常の交流は、犬猫等を飼って家族同然に愛し育てた経験のある人なら、心を暖かくして読み進むことだろう。小さな動物の愛らしさを描いて余すところが無い。 小説のタイトルから想像がつくとおり、ブラフマンはひと夏を青年と過ごした後、事故であっけなく死んでしまう。 (美容院で読み終えて、パーマのカラーを髪に巻いたまま泣きました) 描写されていはいないが、青年は恐らく、死の直後はともかくとして激しく慟哭はしない。 家族同然、いや、それ以上だった小さな生き物を、心穏やかに見送るのだ。 喪の仕事(モーニングワーク)は、青年がもともと抱える無常観・喪失感に支えられ、しめやかに執り行われる。 小説の中で唯一、生な色彩を帯びているのは、青年の、恋人のいる雑貨屋の娘に対する横恋慕(欲望)である。その欲望が、小さな生き物を間接的に殺すことにもなるのだが。 小説に出てくるおびただしい石棺。主である死者は跡形もなく、みな小さな水溜りをのこすのみである。ブラフマンも最後は、小さな石棺に収められる。いつかその蓋はあき、中には小さな水溜りが残るのだろう。そのときはもう、青年もこの世にはいない。 本作はもしかしたら、傑作といっていいのではないか。 | ||||
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「博士の愛した数式」を読んで小川洋子さんが好きになりました。 2冊目としてこの本を読んで・・・ 全体に淡々とさわやかな感じではあるものの 期待したような感動はありませんでした。 | ||||
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ブラフマンは、ある日怪我を負って主人公のところにやってきた。 多分、助けを求めて。 長い尻尾を持って、4本足の肉球の間に水かきをもち、水が大好き。 おそらく、哺乳類。小さなブラフマンと、主人公の 暖かい暮らしが始まる。 どこまでも続くといいなと思う、二人(?)の暮らしが描かれるが、 儚い幸せがいつ壊れるのだろうと考えずにはいられない、 なぜなら「ブラフマンの埋葬」というタイトルだから。 期待を裏切らない、静かな、愛情のこもった、 美しい小川洋子の日本語の文章と、 いつまでも心にしまっておきたくなるような 暖かい小説。 | ||||
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坦々とした物語。 タイトルにもなっているブラフマンは生物なのですが、具体的になんの生物かは書かれていない。謎の生物。 そしてこの人の特徴なのかもしれないが、名前が出てこない。 主人公の目線で話は進むが、主人公は『僕』。『僕』は創作者の家という芸術家が滞在する施設の管理人。そしてそこに滞在する人々も『碑文彫刻師』や『レース編み作家』など名前がない。 そして、舞台が日本なのか、海外なのかもわからない。 登場人物達の人物背景もわからない。 謎の多い話。 顔が無いからこそ坦々さが際立つのかも。 埋葬ってタイトルがついてるのでブラフマンは最後死んでしまうが、生命の生と死って静かで坦々としてるものなのかなって思う。 最後に奥泉光さんていう方が解説書いてて凄くわかり易いです。 あと静かにエロティックですこの話。 | ||||
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小川さんの作品は大好きでたくさん読んでいますが、なぜかこれが一番泣けました。 ブラフマンが「僕」を無心に慕う描写の秀逸な美しさに感嘆しながらも、同時に彼がどのようにして、又誰によって命を落とすのかという複線も早くからしかれていて、ブラフマンへの愛情が増していくのと平行して、すぐに来る別れへの哀しみが抑えようもなく胸に迫りました。 「僕」が哀しいとかショックだとかいう言葉をまったく使わないことが、よけいににブラフマンの喪失を深く感じさせます。「僕」の部屋のあちこちに残ったブラフマンの歯や爪の後、毎晩一緒に眠った記憶などとともに、これから僕」がどうやって暮らしていくのかと思うと、涙が止まりませんでした。周囲の人物の余計な感情も省かれていて、彼らの行動から、その想いがときに残酷なまでに露呈しているだけ、そしてそれでちょうどいい分量なのです。 すぐに読み返す勇気はないですが、大事にしたい本です。ちなみに、ブラフマンがなんであるかは、私はまったく気になりませんでした。描写が増えるたび、水かきやひげをしぐさを勝手に想像して、きっと読者の数だけある、いとしい想像の産物になるのではないでしょうか? | ||||
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「みなまでいわない」 そんなタッチが想像力を書き立てる。 この後味の悪さはいったいなんなのか 読後すぐというよりも 読後数年たっても強く印象に残っている作品です。 極めて長く、味わえる究極の作品かもしれません。 読み終わった直後は★3つとしていましたが 2年半が経過した今、5つへと変更します。 | ||||
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本作で唯一の固有名詞「ブラフマン」を付された動物(犬とリスの中間のような動物だが、その種名は最後まで明らかにされず、その特徴が詳細に記述されるだけ)と「僕」との交流を縦糸に、「創作者の家」の管理人である「僕」と「創作者の家」滞在者や雑貨屋の「娘」等との一時的または長期的なつながりを横糸にして編み上げたタペストリーのような小説。 小川洋子の作品に頻出する死のイメージ、死者を記憶すること、そしてやがてその記憶もこの世からなくなるというテーマが背後に控えており、それは作品の途中でも、古代墓地、石棺、そして誰からもかえりみられなくなったある一家の古い家族写真に象徴される。 とはいえ、決して重い作品ではなく、「僕」とブラフマンを中心に、多少の秘め事を交えつつ、日常の淡々とした生活が描かれる。どこの国の話か、「僕」の来歴といったことは一切省かれており、作品の抽象性は極めて高い。 心の中を風が吹き抜け、自分の周りの世界が静けさに包まれる読後感は著者の小説ならではのもの。1日で読める本なので、読書の秋に小川ワールドを探訪してみてはいかがでしょうか。 | ||||
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プロの作家がこういう挑戦をしてくれる、ってのは素晴らしいことだな。 ものすごく特徴的な作品。 これはまさしく、「小説だけのもの」。 いくらなんでもこれを漫画化しようとか映画化しようとかいう人は居ないだろう。(おそらく) もしかすると、何でもかんでも映像化され、あらすじ化されてしまう今の風潮への、著者なりの抵抗なのかもしれない、などど感じてしまう。 僕が書きたいものにすごく近い作品。 もともと小川洋子さんは、あらすじよりも文章の美しさ、描写の繊細さを大切にする人だから、すごく僕の趣味に合うんだけど、この作品は大胆にもあらすじをばっさりと切り落としている。 ある日突然、僕のもとにブラフマンが現れ、日常をともに過ごし、ある日死んでしまう。 ただそれだけの物語。うっすらと起承転結のようなものはあるけれど、決して波乱に富んだものじゃない。 タイトルからして、「ブラフマンの埋葬」とあるとおり、はじめから最後まで、かすかな死を予感させる。 劇的な死ではなくて、穏やかな、緩やかな死の匂い。 幕切れは突然訪れるけれど、それでさえ予定調和。 号泣も狂乱もない、純粋なかなしみ。 ケータイ小説で号泣しました!という人にはおすすめできないかもしれない。 | ||||
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古い農家を改装して作られた「創作者の家」に集まる 芸術家たちと 彼らの世話をする管理人。 北を山に、南を海に、東を川に、西を沼に遮られた 時間が止まってしまったような場所で、 表情のない彼らは、まるで死人のようだ。 村の一番南側にある古代墓地で無造作に転がっている石棺。 埋葬人に引き上げてもらえず、海に流された人々の幽霊。 雑貨屋で買った見知らぬ家族が写っている変色した写真。 碑文彫刻。篠懸の枝に干してある染めたばかりの布。 暴走する車。 死で彩られた世界で、ブラフマン(謎)と名づけられた小動物だけが、 生き生きとして駆け回る。 感情を押し殺して、坦々として語る作者の生と死に対する 静かな思いが、読み終わった後にじわりじわりと押し寄せる。(70点) | ||||
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『博士の愛した数式』で、妙にメジャになった感のある著者だが、そもそもこのひとはもっとマイナな、冷ややかな語り口が特徴の書き手だったはず。そしてこの作品は、そんな私の期待を裏切らない。ブラフマンは確かに愛らしい動物かも知れない。ブラフマンに対する描写にしても、愛情に溢れているようにも思う。だけどやっぱり、このひとの語り口はどこまでも淡々としている。これを凡百の作家の手で描かせたらどうか? 意図的にせよ、意図せずにせよ、まず間違いなく甘さに流されるだろう。それを考えると、この作家の凄さが判るはずだ。自然体で冷淡になる事の出来る書き手だ。私にとって、この作品が著者のベストである。 | ||||
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小川さんをはじめて知ったのは、ベタに博士の愛した数式からです 笑。 私の大好きな数学の先生が紹介してくだすったんですけど、なんというか、独特ですよね、この人の描く世界は。 でも、それが作家に求められているものなのでは、と思います。 私はこの人の描く世界が好きです。 この物語は、芸術家が集う創造の家、で働く僕と、ブラフマンの出会いと別れです。 名前が出てくるのは本当にブラフマンだけで、僕も、娘も、他の芸術家、誰一人として名前が出てきません。 ブラフマンが何なのか、についても明言されず、それが少しもどかしかったけれど、作品の味かなとも思います。 物語自体は単調で、たんたんと全てのことが流れていきます。 疲れたときに読む一冊としておすすめです。 | ||||
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もちろん、退屈さを味わうタイプの小説はあると思う。ブローティガンとかはそういう面もあるし。 でも、この小説にはブローティガンほどの想像力がないと感じた。退屈の強度、というか。 残念でした。 | ||||
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