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コカイン・ナイト
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コカイン・ナイトの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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物語の語り手は、ジブラルタルのリゾート地で起きたある犯罪の真相を明かすべく、その地に乗り込む。しかし、真相にはなかなかたどり着けず、替わりにこんな着想を得る。 <彼は[容疑者のこと]、余暇社会−ということはたぶんすべての社会ということになろうが、そんな社会に関する最初にして最後の真理を発見した。犯罪と想像力は不可分の存在なんだ。過去の歴史を見ても、この両者は常に相伴って機能してきた。犯罪意識が強くなればなるほど、市民の意識も鋭利になり、文化はより豊かなものになる。> 舞台は、ジブラルタルの風光明媚な新しいリゾート地で、そこでは、その成立上当然のことだが、普通の地域で機能しているような、経済的関係・血縁関係・地縁関係とかが機能しておらず、全く別の仕組みで社会が動いている。理想のリゾート地を動かす原動力は犯罪であり、犯罪を介して生起される「市民文化」が社会をつなぎとめる。 著名なトラベルライターで、世界中の土地を巡ってきた語り手はこの社会の仕組みに気づき、そしてそれを受け入れ、住むことにする。世界中の素敵な土地を見てきたであろう語り手が最後に受け入れるのがこの、コカインと犯罪に満ちた、それでなおかつ人を魅了してやまない土地であるということが示唆的なのではなかろうか。 | ||||
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物語の語り手は、ジブラルタルのリゾート地で起きたある犯罪の真相を明かすべく、その地に乗り込む。しかし、真相にはなかなかたどり着けず、替わりにこんな着想を得る。 <彼は[容疑者のこと]、余暇社会−ということはたぶんすべての社会ということになろうが、そんな社会に関する最初にして最後の真理を発見した。犯罪と想像力は不可分の存在なんだ。過去の歴史を見ても、この両者は常に相伴って機能してきた。犯罪意識が強くなればなるほど、市民の意識も鋭利になり、文化はより豊かなものになる。> 舞台は、ジブラルタルの風光明媚な新しいリゾート地で、そこでは、その成立上当然のことだが、普通の地域で機能しているような、経済的関係・血縁関係・地縁関係とかが機能しておらず、全く別の仕組みで社会が動いている。理想のリゾート地を動かす原動力は犯罪であり、犯罪を介して生起される「市民文化」が社会をつなぎとめる。 著名なトラベルライターで、世界中の土地を巡ってきた語り手はこの社会の仕組みに気づき、そしてそれを受け入れ、住むことにする。世界中の素敵な土地を見てきたであろう語り手が最後に受け入れるのがこの、コカインと犯罪に満ちた、それでなおかつ人を魅了してやまない土地であるということが示唆的なのではなかろうか。 | ||||
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一気に読んでしまった。何はともあれ、面白いことは間違いない。 弟の無実を確かめるため、スペインの高級リゾート地エストラージャ・デ・マルに潜入した主人公が、何時の間にか「ミイラ取りがミイラになる」描写も巧い。少しも不自然さを感じさせない。根拠はないけど、これを原作に誰かが映画を撮りそうな気がする。おそらくヒットするだろう。 でも、私からするとどうも諸手を挙げて絶賛、とは言いがたい。 登場人物たちの行動の背後にはある種の「思想」(そしてそれは作者バラードが提示した仮説が基盤になっている)があるのだが、その思想自体に説得力が欠けるような気がするからだ。 詳しくはネタバレになってしまうから書けないが、「そんなことを言うなら、世界各国のスラム街から現代のルネッサンスが起こってもおかしくないんじゃないのか」とか読んでいる途中で思えて仕方がなかった。 最後のほうで、小説の発端になった放火事件の顛末が明かされるが、これにしても「えー、そんなもんかあ?」と思ってしまった。 なんかけなすようなことばかり書いてしまったが、それでも一気に読んでしまったのはバラードの(そして訳者の)筆力のおかげだと思う。腐っても鯛、爺になってもバラード、ではある。 | ||||
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一気に読んでしまった。何はともあれ、面白いことは間違いない。 弟の無実を確かめるため、スペインの高級リゾート地エストラージャ・デ・マルに潜入した主人公が、何時の間にか「ミイラ取りがミイラになる」描写も巧い。少しも不自然さを感じさせない。根拠はないけど、これを原作に誰かが映画を撮りそうな気がする。おそらくヒットするだろう。 でも、私からするとどうも諸手を挙げて絶賛、とは言いがたい。 登場人物たちの行動の背後にはある種の「思想」(そしてそれは作者バラードが提示した仮説が基盤になっている)があるのだが、その思想自体に説得力が欠けるような気がするからだ。 詳しくはネタバレになってしまうから書けないが、「そんなことを言うなら、世界各国のスラム街から現代のルネッサンスが起こってもおかしくないんじゃないのか」とか読んでいる途中で思えて仕方がなかった。 最後のほうで、小説の発端になった放火事件の顛末が明かされるが、これにしても「えー、そんなもんかあ?」と思ってしまった。 なんかけなすようなことばかり書いてしまったが、それでも一気に読んでしまったのはバラードの(そして訳者の)筆力のおかげだと思う。腐っても鯛、爺になってもバラード、ではある。 | ||||
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