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蠅の王



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蠅の王の評価: 4.16/5点 レビュー 103件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.16pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全103件 61~80 4/6ページ
No.43:
(5pt)

生は善も悪も許容する

南の無人島に不時着した少年たち。島での彼らの生活や出来事、
事件を描いた小説である。十五少年漂流記や珊瑚島の暗黒版の
ような紹介がしばしばされる作品である。

私はあえて斜に構えた感想を述べたい。なぜかというと、本書
の主題に理性対本能や文明対野蛮のように対立をおき、人間の
内面にある残酷さを示しているという見方に疑問を感じるから
である。本書を読むと、極限状況において人間がいかに生きよ
うとするか、生へ駆られる姿が悲哀に満ちた過程をもって述べ
られている。
少年たちは誰もが限られた資源のなかで心理的・集団的な秩序
を見出そうとする。ラーフやピギーは文明社会の模倣をもって
島での生活を安定させようとする。他方、ジャックやロジャー
は、軍隊を真似たような統率で新たな秩序を島に作ろうとした。
ともに極限状況にある人間が懸命にもがく姿であり、一方を責
める勇気が私にはない。人間の狂気や生来もつ残酷さをジャック
やロジャーに投影するという見方も確かにできるかもしれない。
よくよく考えてみると、彼らのどこが狂気じみていて残酷なの
だろうか。豚を殺したことなのだろうか、あるいは仲間の少年
を手にかけたことなのだろうか、はたまた顔に血や泥を塗りた
くって宗教じみた儀式を執り行なっていたことなのだろうか。
どれもまだ見ぬ獣や闇に対する恐怖を克服し、安定した集団生
活を志向する防衛的な反応であり、ラーフやピギーが集団をま
とめようとほら貝やのろしに執着したのと決定的な差はなく、
一概に残酷や悪といった言葉で片づけられない。食が尽きた戦
場や極寒の地で、人の肉を口にする行為を誰が責められようか。
善や悪といった論理ではこの島での出来事はまとめられないと
感じた。
そして、方法論は違えども、極限状況へ放り出された彼らが秩
序や安定を求めてもがく様子が普遍的な問題を読者に伝えてい
ると私は思う。善と悪や理性と本能のような概念上の対立では
なく、生きるということはそれらを超えた、表現をかえるとそ
の対立が意味をなさなくなるところに人を連れていく。そうし
た「生」が本来もっている根底的であるが同時に困難な問題を
私は投げかけられた思いがした。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.42:
(5pt)

原書と訳本の併読を勧めます。

近未来世界大戦勃発時、英国の少年らを乗せて疎開先へ向かう飛行機が南海の未知の孤島に不時着したところから物語は始まる。困難な状況に果敢に立向かう陽性な冒険小説であるかの趣は序章の終了とともに直ちに消失する。理性的秩序が内部的に急速に崩壊する過程で少年達の間に鋭い対立が生まれる。抗争は陰湿な形で激化し、ついには血なまぐさい事件へと展開する。筋を追うのは以上にとどめるが、作者(1983年にノーベル文学賞を受賞)は少年らを登場人物とする寓話を通じて人間に巣食う獣性、狂気を鋭く抉り出す。可能であれば原書との併読を勧める。

集英社文庫、新潮文庫ともに訳者は平井正穂。訳文は双方とも実質的に同じだが、前者にある「忿恚(ふんい)」、「空豁(くうかつ)な所」は、後者では「憤怒」、「ひらけた所」とそれぞれ平易な表現になっている。また「蹲り」、「躓いた」、「噤んだ」、「跪いた」、「凭れる」は、前者ではルビを振って漢字表記されているが、後者ではそれぞれ「うずくまり」、「つまずいた」、「つぐんだ」、「ひざまずいた」、「もたれる」のように平仮名表記のみとなっている。

訳者の平井正穂は終戦直後から助教授、教授として東大英文科を担い、丸谷才一、篠田一士、高橋康也などの俊秀を門下生とし、また『ユートピア』、『ロビンソン・クルーソー』、『ヘンリ・ライクロフトフの私記』、『ロミオとジューリエット』、『失楽園』、『ガリバー旅行記』などを翻訳した大英文学者として著名だ(2005年没)。

だが本書(新潮文庫も同じ)を読んで明晰さを欠くと思われる訳箇所がないわけではない。一例だが、12ページに「ラーフの左手に当たって、椰子と砂浜と海面の展望は、無限のかなたにおいて極微の一点において凝結していたからだ。」とあるが、原文を読めば「椰子と砂浜と海面はラーフの左側の遥か無限のかなたで遠近法の一点に収束していたからだ。」程度に訳すべきであろう。

また訳の文体に統一感がないのも目立つ。弓杖、極微、御業、茫漠、揺曳、酷熱、広闊、隘路、天蓋、稜堡、暢達、険岨、光輝、斜光、萼片、陰鬱、漠々、詠唱、澎湃、輾転反側、夢魔、罵言、そだの山など文語性の強い語彙を多用する一方で、同じ地の文中で擬声語・擬態語を連発する。統一感の欠如の主因はここにありそうだ。本文375ページの最初の10ページだけから拾ってみても、「とぼとぼ」、「ぴたりと」、「だらだら」、「ぽっちゃり」、「ずんぐり」、「びくっと」、「じっと」(2回)、「ふっと」、「にやっと」、「ぎざぎざ」、「どさっと」、「ぱちくり」、「ごしごし」、「でこぼこ」、「きらきらと」、「さっさと」、「そっと」、「どすんと」、「ちんまり」、「じろじろ」、「すっぽり」、「ちらっと」(2回)、「わあっと」、「ごろっと」、「にんまり」、「せかせかと」、「ごろごろ」、「こんもりと」、「のこのこ」と29語のオノマトペを31回も登場させる。オノマトペの過剰な使用は文体を幼稚化し、文語性の強い語彙と馴染みにくい面がある。

表記法で最初から最後まで気になる点だが、主人公Ralphのカタカナ表記を「ラーフ」としているが、halfにおけるエルとは異なりRalphにおけるエルは発音されるエルであるし、現にラルフ・ローレン、ラルフ・ネーダーなどの表記が確立していることに鑑みれば、「ラルフ」としてもらった方がピンとくる。

大英文学者必ずしも100発100中で翻訳に成功しているわけではない作品の一例とも言えそうだが、原作と訳本を併読することにより二重に楽しめた。ともあれ原作に惹きつけられて星5つ。

なお作者及び訳者ともに1911年生まれということで今年は生誕100年にあたる。
蠅の王 (集英社文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (集英社文庫)より
4087605787
No.41:
(3pt)

訳文が酷すぎる

以前から気になっていた作品なので購入したのですが、とにかく読むのが苦痛になるくらい訳文が酷すぎます。
物語としては非常に面白く、星5つでも納得です。
が、この本を1つのコンテンツとして観た場合、訳文がその良さを根こそぎ奪っています。
原文直訳なのかも知れませんが、それにしても単語や台詞の言い回しに統一感が無さ過ぎる。
少々幼稚とさえ言える文章の後に、突然難しい単語を使ってみたり、同じ人物でも非常に子供っぽい台詞の後に、やたらと難しい散文的な台詞が入ったり。
意訳をしろとは言いませんが、英文読解の前に先ず日本語をきちんと勉強しろ、と言いたくなって来る文章でした。
「翻訳された時代を考えると」と言う方もいらっしゃいましたが、それだけでは首肯しかねる酷さです。

結果、物語の展開は気になる、でも、読んでると嫌になってくる、と言う妙な状況に陥りました。
作品としてお勧めはしたいのですが、購入に際して、その辺りは了解の上で。
もしかしたら辞書を引きながらでも原書で読んだ方が、この作品の凄みがストレートに伝わって来るかも知れません。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.40:
(2pt)

難解

少年達の過ごす島の自然の描写が細かすぎるほど細かい。1文が長くて私の頭では何が何やら解らなくなる箇所多々。
結局何の事を言ってたのかわからない。
そうやって淡々と続いてくから
『読み始めたら止まらない!』感0でした。

私としてはもっと少年達の内面を細かく深く書いて欲しかった。読み終わっても主人公のラーフですらイマイチどんな子だったのかピーンと来ない。ボンヤリ…。ジャック、ロジャーが何であそこまでラーフを敵対視するに至ったのかも
私はあんまわかんない。
その部分が『蝿の王』なのかなぁ…とボンヤリ…1回読んだだけでは全て読みきれない話なのかな?と思いました。また読む気になるかなぁ…??

私には難しい本でした。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.39:
(1pt)

読み進めるのが苦痛な本でした

日本語訳が悪い。んでしょうか?
私にはそう思えませんでした。

論理性のない子供の心理・行動描写(それすらも不十分)のせいだと思いますが、私は感情移入ができませんでした。
「こういう設定や状況なら」という状況の理解でおしまいです。
まったく予備知識なしで、がんばって最後まで読み上げて、ラストにもかなり驚き、がっかりしてしまいました。

筆者がこれを書き上げた時代とそれ以後の文学にどんな影響を与えたか?
という壮大な話は知りませんし、ひとまず置いておくと、
1つの読み物としての完成度は低く、自分が引き込まれてるな〜と思えることもほぼありませんでした。

これを原作として、ボリュームを倍、もっと文章力のある人が書き直し、なんてことがあればいいのかな。とは感じました。

いい大人になって読んだ小説で、こんなに苦痛だったのは始めてかもしれません。

追記)
色々とネガティブなことを書いてしまいました。
この作品を評価している方など、このレビューを目にして
気分を害された方にはお詫びいたします。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.38:
(4pt)

居心地の悪い、浮遊感。

なんとなく15少年漂流記とかそういったイメージだけが先行して、
ちゃんと読む機会がなかった。好きなサイトで紹介されていたので
105円で購入できたのをキッカケに、目を通す。

翻訳が古くさい・・昭和50年発行じゃ、しかたないのかな? 隠忍自重とか揺曳するとか・・

でも、程なく慣れて、どんどん世界に引き込まれた。
島の様子が淡々と描かれるのだが、これがまず、美しい。
島に不時着した少年たちの個々の背景はあまり語られず、
内面も深くは描かれることはなく、団体として、あるいは
その行動として数名が描かれるだけなのになぜか、
際立った個性としてぐいぐいと迫ってくる。

ありえない状況ではなく、見えないなにかにおびえ、
大人だったらどうするんだろうと、そこにないなにか絶対的な指針を求めて
もがく少年たちの姿は、妙に正しく子供っぽくていじましく、残酷で胸に迫る。
大人であったらもっと毒々しいだろう集団心理。
ペインティングによってなにか自分ではない別のモノに変貌していく集団。
ほら貝というアイコンに化体される権威とその失墜。

興奮という熱がなく、また不思議なくらい子供を描くという気負いのない筆の運びが逆に、
凄味を感じさせる。

読み終わって、不思議な位の喪失感と、自分が大人であることをどう確認したらいいのか
わからない、変な居心地の悪さ。コドモだからどう、とか、オトナであればこう、とか、
その区分を見失った自分の気持ちの悪い浮遊感。
子供だったときにこの本を読んでいたら自分にどう影響していたんだろうと、少し思った。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.37:
(5pt)

人間の歴史の縮図

子供というのは昔から純粋さの象徴と見られることが多いですが、この小説では人間が今まで歴史の中で繰り返してきたことを純粋な形で表現していると思います。それはたとえば、原始的な共同体形成に通じるような大人数で協力して生存環境を形成していこうという動きや、民主主義思想に通じるような合議によって何かを決めようとする意志、宗教に通じるような未知のものに対する恐怖、そしてもっと本能的な権力欲や暴力志向、ナショナリズムにつながるような排他性など多くの事項が挙げられるとおもいます。
 はたして人類は未来永劫このパターンを踏襲してゆくのだろうか?そんなことを考えさせられる一冊でした。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.36:
(4pt)

人間の心性の闇を寓話的に描いた秀作

題名「蠅の王」は、悪魔"ベルゼブブ"の事で、闇と悪の象徴と言われる。作中では、殺した豚の頭に止まる蠅の意。少年達が無人島に漂着して共同生活を始める、と言う出だしは「十五少年漂流記」を想起させるが、題名が暗示するように、その後の展開は全く異なる。無垢な人間が閉ざされた空間内に押し込められた時に、何が起きるかを実験小説的に描いたものと言える。

舞台は近未来の戦時下。少年達の乗った飛行機が敵に撃墜されて、無人島に漂着するが、この状況下では救助隊が来る可能性はゼロである。狼煙を上げて、近くを通る船に発見されると言うのが唯一の希望だし、それを実行もするが、この意味を真に理解している少年は少ない。少年達は昔からの顔見知りとは設定されておらず、最初から主導権争い等の不穏な空気が漂う。それでも、最初はラーフと言う少年をリーダとして、上述の狼煙や小屋の設営など、ある程度の規律が守られる。しかし、時が経つに連れ、意見の食い違いや闇と獣への恐怖から、助け合いから対立へと、親しみから憎しみへと、理性から狂気へと、人間の持つ原初的な獣性が顕わになってくる。そして、メンバの中で哲学的思索を持つ少年サイモンに悲劇が訪れた時、狂気の渦はもはや止めようがない...。

楽園のような島(果物が豊富にある)と少年達の行動との対比で、作者が狙いとしている人間の心性の闇を寓話的に描くと言う意図は成功していると思う。年齢層をもっと上げても良かったのではとも思うが、それで結果が同一なら怖い。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.35:
(2pt)

う〜ん。

ちょっと話が飛躍しすぎでは・・・。
周りの自然の描写は細かいのですが、同様に子供たちの心の描写がもっと必要なのでは?
子供の(もしくは人間社会の)危うさを描きたかったのだと思いますが、描ききれていない印象が強い。
あと気になったのは、あまりに無説明な設定。
手っ取り早く『不自由無い自然豊かな無人島に、子供たちだけ』という状況を作りたかったのでしょうが・・・。

私は気になる点が多すぎて、ちょっとこの小説には入り込めませんでした。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.34:
(5pt)

「どっちがいい、法則を守って救助されるのと、狩りをしたり一切を破壊したりするのと」

子供たちの乗っていた飛行機が墜落し、孤島に放り出される。負傷者もいないが大人もいない。幸い果物が豊富で食べるものには不自由しない。ラーフは太っちょの眼鏡の少年・ピギーの手を借りながらリーダーとなり、救出を求めるために「のろし」を常にあげるよう指示する。しかし、子どもたちは悲壮感がなく、のろしの見張りすらできず自堕落にすごしている。ブタを狩ることを得意とするジャックはリーダーのラーフにライバル意識を持ち、反目する。ジャック側は顔に蛮族の化粧をほどこし、次第に獣性に目覚めて行き、ラーフに従う者を奪っていく。

「蠅の王」――悪魔ベゼルバブのことです。なにやら胡散臭そうな題目に惹かれて購入すると意外やノーベル文学賞受賞者でした。文学だよ?「ジャック」とありますが「LOST」のジャックではありません。しかし海外ドラマ「LOST」や漫画「ドラゴン・ヘッズ」が近いイメージではあります。

少年漂流記のイメージを持ちながらこの作品は健全さを一切持ち合わせていません。飛行機がなぜ墜落したのかも不明。本来ならカリスマを持つリーダ格のラーフが救助されるのを提案し、頭のよいピギーがその参謀役を務め、狩りに優れたジャックが食料を調達する――で、協力しあって過ごせたはず。しかし、そうはならなかった人間の邪悪な側面がこの作品のテーマだと思います。
島には食料が豊富にあり、温暖な島で苦労することなく生きていくことができたのが理性を失う一因だったのかもしれません。まっとうな提案をする、ただ一人物事を秩序だてて思考するピギー。彼はその容姿から嘲笑されていて、ひたすらラーフを頼りにします。ラーフはピギーの助言で「集会」を開くものの、今一つ皆の心を上手く捕えられず、いらいらしています。ジャックはリーダ役をラーフに奪われたことを妬み、豚肉で皆を魅了します。少年たちは「肉」に惹かれ、獣のように享楽的になり、ついには殺人まで起こります。

文学作品と称されますが、非常に読みやすい作品です。ただ後味のひたすら悪い作品でもあります。救出されたラーフの将来にも希望が見いだせません。ラーフはこれからも「理性的」に生きようとし、そうでない者に阻まれて苦悩しながら生きていくのです。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.33:
(5pt)

『十五少年漂流記』を反転させた陰画

未来の大戦中、疎開に向かう少年達を乗せた飛行機が墜落し、少年達は南太平洋の無人島に置き去りにされる。彼等は救援が来るまで自活することを決意し、共同生活を開始する・・・ここまでは19世紀の『十五少年漂流記』と一緒だが、2度の世界大戦を経て近代市民社会への幻想が打ち砕かれた20世紀においては、正反対の悲劇が展開される。

当初は法螺貝を使って秩序立った規則正しい生活を過ごしていた少年たちは、次第に堕落し、本能のままに享楽的・退廃的な毎日を送るようになる。悪魔に魅入られた者たちは蝿が群がる豚の生首を「蝿の王」(悪魔ベルセブブ)として崇め奉る。法螺貝=理性の重要性を説く少年ラーフは孤立していく(ジャックを中心とする狩猟隊が主導権を握りラーフが孤立する点は、大統領選でブリアンが射撃好きのドノファンに圧勝する『十五少年漂流記』を裏返しにしている)

少年たちは闇に潜む「獣」に脅えるが、言うまでもなく本当の「獣」は自らの内面に存在する。彼等の「内ゲバ」は凄惨の一語に尽き、人間の救い難い業を感じずにはいられない。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.32:
(2pt)

ドロドロを見たかったのだが…

本書は「無限のリヴァイアス」や「バトル・ロワイヤル」に影響を及ぼしたと言われており、鬼頭莫宏が好きな小説としてその名を挙げている。

リヴァイアスやバトル・ロワイヤル、鬼頭作品の印象が強かったため、閉鎖空間における生存のための駆け引きや、人間が狂気に駆られていく過程の描写に期待していたが、そういう点は意外とあっさり書かれていて肩透かしを食らった。孤島での生存競争における行動や心理状態の変化を描写した作品としては、ひと昔前にテレビでやっていた「(アメリカ版)サバイバー」の方が、「蝿の王」よりも後味が悪くて面白かったように思う。

…いや、そもそも本書はそんなドロドロしたものを示すことを目的としているのではなく、少年達による冒険小説のパロディーとして、健全そうな彼らに潜む狂気(と言うか、いじめっ子気質)をより自然な形で溢れさせることに重きを置いているようなので、肩透かしを食らって評価を下げるのは勝手なのだが。

なお、登場人物は全て少年。和訳にはやや難があるように思う。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.31:
(5pt)

ゴールディングは「ガイア」の命名者

時は、近未来。
世界では核戦争が起こり、イギリス全土は廃墟と化した。

そんな折、イギリスから疎開する少年たちを乗せた航空機が、
南太平洋の孤島に不時着した。

豊富な食糧に恵まれた無人島は大人のいない楽園にみえたのだが……。

無人島に置き去りにされるという設定は、ヴェルヌや、
バランタイン『珊瑚礁の島』、あるいはデフォー
などの漂流物語のフォーマットに則っています。

しかし、描かれるのは、心躍る冒険の物語ではなく、人間の内側にある
暗黒面や文明の空虚さ、そして絶望的なディスコミュニケーションです。

結末で、島での狂騒をなんとか生き延びた子ども達は、海軍士官に救助されます。
子ども達の状況を見て、イギリスの少年だったら、もっと立派にやれたはずだ、と非難する士官。

ここには、辛辣な皮肉があると思います。

なぜなら、子ども達が理性を失い、島の社会を崩壊させるずっと前から、
大人は核によって、世界全体の秩序を破壊してしまっているのですから。

子どもも大人も関係なく、内なる暗黒から目を背けてはならないのです。
蝿の王 (現代の世界文学)Amazon書評・レビュー:蝿の王 (現代の世界文学)より
408124037X
No.30:
(5pt)

サイモンは悪を相対化する

小島では規則を作り理性的でなければならなかった。その権威の象徴は「ほら貝」である。人間の奥に潜む、この場合は子供の無邪気・無垢(イノセント)に潜む悪なる部分は「蝿の王」である。「ほら貝」と「蝿の王」は対の関係にあると言えるのではないだろうか。
ほら貝の権威が守られている間、少年たちの関係はそこそこ平和的であった。しかし時が経ち、その権威は薄れていく。内なる悪である「蝿の王」が理性を蝕んでいるのだ。
サイモンは薄々獣とは何か理解している。
「ぼくには分からないよ」「ぼくがいおうとしたのは・・・・・たぶん、獣というのは、ぼくたちのことにすぎないかもしれないということだ」「世界で一番汚いものはなんだか知っているか?」これらの言葉は胸に刺さる。しかし彼らがサイモンに耳を傾けることはない。
蝿の王はサイモンに語りかける。ここが極めて重要な部分だと思う。
「お前はそのことは知ってたのじゃないのか? わたしはお前達の一部なんだよ。お前たちのずっと奥の方にいるんだよ? どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ」
サイモンは知的・理性的な感じでは描かれていない。彼は本当の意味で純粋なのだろう。純粋であることは内なる悪を抑えつけることではなく、悪をも相対化するのではないだろうか。だからサイモンは蝿の王と対話ができる。
ほとんどの人間は理性で内なる悪を抑えつけている。つまりそこには対話はなく、一方的な抑えつけであり、その内なる悪から目を背けているだけだ。その点においてラーフもジャックも同じのではないか。私には単にジャックが悪い人間だというのは軽率すぎると思う。真に著者が言いたいのは、みな内なる悪があることである。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.29:
(5pt)

無と闇の中に。

すごい小説です。
戦時中、疎開先へ向かう飛行機が突然墜落しました。
そして、法律もルールもない無人島に投げ出された子ども達が自らがルールとなり、サバイバルしてゆくという展開で進められてゆくストーリーです。
その中に人間の'闇の部分`や'無の部分`が描かれていてラストは息が詰まるぐらいのスリルが連続していて時が経つのを完全に忘れてしまう一冊でした。
僕たちが日常でもよく感じる、あの妙な孤独感や閉塞感、そして他人に対する畏敬の念。それらがうまく描かれたまさに人生のバイブルとも呼べる一冊でした。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.28:
(3pt)

素直に共感できない

正直他のレビューの高評価に期待して読んだのですが、自分はラストシーン以外は全く共感できませんでした。確かに野性生活の中で子供達の獣性が徐々に表れていくという筋はかなり魅力的で類を見ない物だとは思います。先述したラストシーンでの海軍の将校の台詞「イギリス人ならばもっとそれらしい生活ができたんじゃないのか」という部分にはハッとさせられました。終盤の追っかけ合いも読んでいて興奮させられるものでしたし。でもやっぱり、獣性の発露していく過程がものすごく唐突。豚を捕るか獲らないかでもめた末起こしてしまった殺人が引き金になってしまうというのですが、なんだか本当にその殺人がとってつけたみたいに入ってくるので面白くありません。妙に頑固だなという登場人物達の言動にもやや引っかかる部分があります。もともと『十五少年漂流記』などの冒険物が下敷きになっていることもあって都合のいい部分も散見され、ちょっとなぁ、という気がしました。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.27:
(5pt)

本来人間とは平和より闘争を好むのか?

1954年に発表された、ノーベル賞作家ゴールディングの代表作。
南太平洋の無人島に不時着した少年達は、初めは団結して秩序ある生活を送っていたが、
徐々にリーダー格の二人の少年の対立が表面化する。
リーダーに選ばれたラーフは秩序を守ろうとするが、狩猟隊のジャック達は次第に暴力的なグループを形成し、
最後は流血の闘争へとエスカレートしていく。
少年達が徐々に凶暴化していく過程が実に巧みに、かつ説得力を持って描かれており、
最後まで秩序を保とうとしたラーフが最後にはついに孤立化してしまい狩猟隊から逃げ回るところは悪夢を見ている様である。
この、恐怖と暴力が支配する小さな世界は、大人たちの世界の縮図と捉える事もでき、
本来人間とは平和より闘争を好む生き物なのかと考えさせられる。
本書が発表された当時の、第二次大戦後の冷戦という不安定な秩序と、
そして再び大戦が勃発するかもしれないという不安感を反映していると私は感じたのだが、どうだろうか。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.26:
(5pt)

人間は決して理性的な動物ではない。

人間が心の闇やエゴ、理性と本能ということを考えさせられると同時に、暗澹たる気分になってしまう小説。救いようのないストーリー自体もそうだが、丹念に描かれる子供達の姿・心の動きが、より一層その気分を増幅させてしまう。この作品は「寓話」という位置付けがされているようだが、人間の素の姿が子供だと考えると、これほどリアルで直接的な寓話もないように思う。気持ちが塞いでいるときに読んではいけない本当に怖い小説だ。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.25:
(5pt)

人間の闇の部分

この小説は人間の闇の部分を映し出している作品だ。
物語の最初のほうは選挙によって選出したリーダーを中心としてまとまり、薪を燃やし、煙によって発見され救助されるのを待っていた。
しかし、次第に今まで人または生き物を傷つけたことの無い無垢な少年達の心に生き物を狩る喜びが芽生え、人間の奥底に眠っている残虐な本能が露になっていく。しだいに本能が理性に勝るようになっていき、最後まで理性を捨てなかったリーダーが孤立していく。
この本の時代背景として戦争があり、戦争によって人間は生き物を殺すことへの快感に気づき、本能に目覚めるというものとこの話の子供達は同じ状態を味わっているのだろう。
人間の理性の及ばない極限の状況になると人間はどういう行動に出るかということを教えられた一冊だった。これを読むと、戦争というものはどれほど悲惨なものか分かる。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016
No.24:
(5pt)

人間の終わり?

今や僕たちは何も信じていない。連日のようにマスメディアによって報道される政治家の汚職、ずさんな企業体質、いじめ、問題教師、治安の悪化、警察の失態、医療事故。しまいには、そのマスメディアの信用さえ失墜してしまった。人々は厳重な防犯装置のついた家に閉じこもり、外出時には神経をとがらせる。買い物をするときや、映画を観るときでさえ、ネットや雑誌の評判を気にしてしまう。そのくせ、科学技術がもたらす物質的な豊かさには盲目的な信頼を置いている。これが現代の日本社会の現状だろう。

僕はもう何年も前に読んだ『蠅の王』をよく思い出す。科学は、理性は、本当に「夜」を駆逐できたのか?僕たちが内にかかえる「獣」を外部に投射して、征服した気になってるだけじゃないのか?人間が動物じみてきていないか?いつか取り返しのつかないことになるのではないか?

予兆は既にあった。地下鉄サリン事件、9・11テロ、「儀式」としか言いようのない凄惨な猟奇殺人。皮肉なことに、個人が内に閉じこもれば閉じこもるほど、組織的な暴力はかえってその牙を鋭くしているように見える。もっと無意味で、もっと大規模な暴力の饗宴が、近いうちに起こるのではないか?

「蠅の王」と対話するときが来たのだ。「城砦」に閉じこもっている場合ではない。SOSの煙を、理性の炎を絶やしてはならない。外界への健全な憧れを、信頼を取り戻すのだ。そのとき、「恐怖」は「畏怖」になり、文明の火は再び燃え上がる。
蠅の王 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:蠅の王 (新潮文庫)より
4102146016

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