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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全139件 101~120 6/7ページ
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巨人の正体が分かってみると「忘れられた」という形容が、しっくりしないように感じた。「忘れられた」には「覚えておかれるべき」が くっついてしまうように感じるのです。原語どおりの「葬られた」の方が良いのではないだろうか。「葬られた巨人」。 「覚えておかれるべき忘れられた巨人」ではなく「白日の下に曝されるべき葬られた巨人」。 | ||||
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「日の名残り」はとても良かったのに・・・。この本にはその良さがありませんでした。 「わたしを離さないで」もダメでした。同じ作者の作品とは思えません。 | ||||
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わたしを離さないでと比較した場合、明らかに劣る。雰囲気はいいが、それだけという感じだ。途中から展開もダラダラになり、読むのがしんどかった。 | ||||
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カズオ・イシグロは書く度に異なった作風を発表してきた。『私を離さないで』から10年、イシグロは新しい作風で読者を驚かせた。『忘れられた巨人』は、中世のイングランドを舞台に、鬼や龍、勇者、騎士などが登場し、主人公たちが旅するファンタジー風で寓意が散りばめられた小説だ。 だが主人公が老夫婦という設定からして、一般的なファンタジーとは違う。老夫婦は息子を訪ねて旅に出る。それは記憶を訪ねる旅でもある。何とも穏やかに慈しみあう二人の旅は幾度もの苦難に遭遇する。 この国の人々は皆、眠れる龍の吐く霧によって大事なものを忘却している。龍を対峙せんとする勇者と、それを阻もうとする者。支配者は何を望み、民は何に期待するのか。すべてを失った老夫婦の末路はいかが。小説に結論は無い。読者の想像力だけが結果を導く。 忘れることは是か非か。過去の侵略や殺戮、裏切りと略奪は忘れるべきだろうか。個人の記憶の回復は、民族の記憶に繋がる。記憶の回復は愛を取り戻すのか、それとも引き裂くのか。記憶なき平和は本物だろうか。そもそも記憶とは何か? 死とは何か? | ||||
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最後のほうまできつい。 イシグロ節である「噛みあわない登場人物の会話」 と、「読者に嘘をつく登場人物」は、「日の名残り」などではものすごい効果的だったが、 今回の設定では逆効果。 なにしろ「霧が記憶を奪う世界」で、メインが老夫婦と老騎士(ガウェイン)。 これで噛みあわない会話と、読者に嘘までやられるので、もう痴呆症レベルの?が連続する。 この人なんでここにいる? 過去に何があったの? いったい何を話しているの? この人この立場で、なんでこんな思考形状しているの? 納得できない。 いろんなことが。 明らかに無意味な過去へのカットバック。 物語の核心には触れてこない断片。 いらつくのだ。 いろいろ。 特にいらつくのはガウェインの思考で、クエリグをいつまでも倒さずに、 「わしが勇敢ではないなどといえるのか」などと自己弁護を延々と繰り返しながら なぜクエリグを倒さ(せ)ないのかは読者に明かさないというのはきつい。 息子の村に行くだけの老夫婦が、ひたすら寄り道して竜退治の目撃に至るのも、 強引。鬼退治の村人の若い衆が、いったい何にどうされて竜への案内人になったのかも不明瞭。 竜はずっと岩穴で寝ていたんだよね? 死にかけ状態で。 しかし、最後には一応、多くの謎は開示されるのである、 そして読み終えた後は、なにかしんみりとして、余韻があるのである。 哀しいとも、寂しいともつかぬ、多くの隠喩が暗示したものに思いをはせずにはいられず、 美しいものを読んだ、 と感じてしまう。 途中と、読了では、評価が変わる物語だ。 霧が晴れる。少なくとも半分ぐらいは。 最後まで読むべきである。 しかし、この余韻をもってしても、 全体として、「よくできている」とはどうしても思えなかった。 非常に不思議な小説である。 超退屈な映画を観ているんだが、最後まで見たら放心したみたいな感じ。 | ||||
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“Never Let Me Go”でも一定の、ある意味安定したトーンでストーリーは進んで行きましたが、 今回の“The Buried Giant”もイギリスの天候を思わせるようなグレーで且つ深緑色の雰囲気の中に私を引き込んでくれました。 ファンタジーということでドラゴンクエストのようなものを想像してしまって少し読むのをためらっていたのですが、 一度読み始めると小野不由美著の「十二国記」のように世界観の構成と表現にためらいがなく、 現実世界ではないはずなのに本当は歴史上そうであったのかもしれないと錯覚してしまうくらいで、仕上げるのに10年かけただけはあるなぁと感じました。 巨人といいながら本の中には“巨人”は出てきません。Giantはこの本での大切なメタファーになります。 本の登場人物はみなそれぞれの理由でそれぞれのGiantに執着し、忘れ(ようとして)、そして時の中に埋めてきました。 Giantは時には偉大なるアーサー王であり、クエリグ竜であり、老夫婦の寂しさであり、戦士のアイデンティティーでもあり少年の母でもあります。 しかしそれだけでは終わりません。漫画“鋼の錬金術師”の「一は全、全は一」を彷彿させるように Giantは個人の中だけで完結せず周りの人、世界にも関わってくるのです。 そして最後のアクセルの表現は著者から私たちへの問いかけのような気がしました。 それは現実世界にいる私たちへ「あなたならどうですか?憎しみや復讐心を思い出してしまったとき、 遠い昔のことだったとしても全てを忘れて(許して)今これからも平穏に過ごしていけますか?」というような・・・。 船頭の横を何も言わずに進んでいったアクセルの表情はどうだったのか、どんな思いを抱いていたのか。 ベアトリスへの愛は霧が晴れたあとも変わらなかったのか。 一途で無邪気な二人の愛が本当のハッピーエンドで終わらないだろうと感じ始めた時から 心がざわつき、読後は目に涙が滲んでいました。 読んで数日は心の中にこの本に閉じ込められている様々な思いに魅入られてしまう作品でした。 | ||||
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忘却がもたらしたあいまいな平安を、真実が打ちのめす。かすかな不満で結ばれた協定は、過去が暴き出されるとともに粉々に粉砕される。 それでも歴史を背負って、私たちは苦しみ続けなくてはならないのか。世界的に民族主義が高まり、宗教も先鋭化している。そうして私たちは自らお互いを遠ざけながら時代を進まなくてはならないのか。孤独と不安に立ちすくむ結末だった。 | ||||
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先日、BSでカズオ・イシグロの出版記念講演会を観た。 カズオ・イシグロは好きな作家だから、遅い時間だったが、 頑張って起きて観た。本当に良かった! 丁寧に考えながら彼が話すのを聴いて、今、この作品を読むと、語り口そのものが、 文章となっていたのだと感じさせられて読んだ。 記憶が薄れていく世界で、老夫婦の旅が始まる。 彼らの過去は語られず、不確かに、でも居ると思っている息子を 訪ねて村を出ていく。年老いた二人は集落で孤立していた。 だから、息子の村の場所さえ確かではないのに訪ねようと決心する。 そういう心を決める事も、記憶が薄れゆく、もやっとした世界では、 中々決められなかったのだが、ようやく旅立つことになる。 彼らの旅に、アーサー王の騎士ガウェインが登場し、ウェスティンという、 サクソン人の騎士と出会うと、旅の様子が、目的も変わってくる。 出会いの都度、彼らの旅は困難になり、息子の村は遠ざかるかのよう。 息をつくと息子は思い出されるが、目の前の難題に向き合わなくて はならないし、それを解決することも、もはや無理だとさえ思わされる。 途中で行き会った老婆たちの話が妙に記憶に刻まれる。 「島へは一人しか渡れない。夫婦の愛を確かめられる。 本当に二人が愛し合っているかを、渡し守が試すのだと言う。」 記憶を消していた竜を退治すると、サクソン人とブリトン人の 戦いが呼び起される。アーサー王が守ろうとしていたものは、 何だったのか。 老夫婦がたどり着いた渡し場では、渡し守が待っている。 小舟は小さく弱った妻を先に一人で乗せるしかない。 霧がはれてくると、記憶はよみがえり、訪ねようとしていた息子は思い出の中にいる。 夫は岸辺に立って妻の乗る船を見送る。すぐに行くからと声をかけて。 人の記憶とは何か? 人は忘れることで生きているのかもしれない。 何もかもが鮮明に記憶されていたら、苦しくていたたまれないかも。 この作品はアーサー王伝説やイギリスの歴史を、 こういった物語に組み込んで、人間とは?や年を取っていく事への 怖れや悲しみをつづっている。 カズオ・イシグロは巧みな書き手だと思う。 本人も言っている様に、前作とは全く違った設定でありながら、 彼の作品に共通の、人間が生きる事への温かいまなざしがある。 それは、厳しい人間観察の上で書かれているのだろう。 久しぶりに物語の世界に没頭した。 | ||||
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イシグロ作品はどの作品を読んでも作りがあまりに見事で、日本文学じゃないのが何だかとても悔しくなります。 この作品は、日本では仏教が伝来した頃の、アーサー王時代の英国を舞台にした物語です。 舞台は古代ですが、個人の中でぶつかり合う二つのアイデンティティ、「自分は何人か?」に基づく民族の記憶と「自分が愛しているのは誰か?」という個人の記憶の相克という近代的なテーマを扱っています。 (家族か国家かという選択をせまるところは、思いっきり現代のインテリジェンス小説と同じ構造なのですが、それをファンタジーでやっているところがすごい……) 竜の吐息によって生じた霧で、人々の記憶にも靄がかかってしまう、という道具立てをすんなり受け入れさせてしまう設定も、全く見事だと思います。 ボンヤリした記憶をハッキリさせるために進む人々と、それを阻止しようとする人々…… やがてその対立が長年連れ添った夫婦の間にも訪れて…… 読み終わって、何日間も胸の裡に重い物を残していく物語でした。 読みやすいのに、かなり重い、不思議な目方をした作品です。 とても悔しいことですが、あちらの方ではまだまだ文学がビチビチ生きているのだな……という気配を感じさせました。 かなりお勧めできる佳作です。 他の作品も読むと、この作者の攻めの姿勢にもっとびっくりすること請け合いです。 思い切り攻めて、どこまでも上品な作品ばかりです。 | ||||
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国家の歴史と、個人の歴史。作者はインタビューで我々の国もそろそろ”忘れられた巨人”に向き合うことができるとおっしゃっているが、はたしてどうだろうか。 思い出したくない記憶に向き合うことが成熟の証だと。 愛や結婚については、作者のメッセージに共感しつつ読む。フィクションではない愛の存在について強く信じられる本。 前作よりも今作のほうが愛の存在がより前面にでている印象で、作者の愛についての自負も感じた。 私もそういった人生を歩みたい。そしていつかあそこへ | ||||
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人間はいつか死ぬ。不安を乗り越えるために、楽しいことは良く覚え、辛い悲しいことは霧に包んで記憶する。雌竜の息で、隠したい、忘れたいと思うことは、個人にも、国家や民族といった集団でも常に持ち合わせている。センサ、ネットワーク、人工知能、の発達により、忘れられる権利を全て失う日が近づいている。雌竜が死んだ後の世界を我々は生きて行けるのだろうか。 | ||||
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私にとって、初イシグロ作品。 感動した。 よい作品に出会えたなあと感慨深い読後感。 老夫婦が、息子を訪ねる旅に出かけるところから始まる。 導入部から、イングランド、ブリテン島の霧と、老夫婦の感ずる記憶のあいまいさが絡んでいて、静かさと、文面に漂う重さ、深さの虜になった。 アーサー王の伝説の取り扱い方がいいなあと思った。 ファンタジーといえばファンタジーなのであろうが、ファンタジーと一言でくくるべきではない何かもっと深いものを感じる。 終盤、特にラスト、ただの良いお話にしてしまわず、余韻があっていいと思った。 カズオ・イシグロ作品は初めてだったがとても気に入った。 他の作品もぜひ読まなければと思う。 | ||||
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何時ものななめ読みでは理解できませんでした。もう一度読んでみましょう。そして原文を読んでみます。 | ||||
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巨匠、イシグロ・カズオ10年ぶり7作目の長編。 しかし還暦で7作目とは、つくづく世界各国原語で読まれる 英語圏作家の発刊ペースはうらやましい。 4作目から毎回激しくその作風と物語舞台を変えてきている イシグロだが、本書も読み始めれば、処女作から引き摺る テーマが特に変化していないことにすぐ気付く。 この点はテーマが常に変化し続ける村上春樹とは大きく違う。 本作でもイシグロは、記憶と夢、改変される現実に焦点を 当ててはいる。しかし今まで個人や家族といった、 狭い世界の記憶から物語が紡がれていたのに対し、 本書では民族や地方といった広い世界の記憶改変に テーマが深化している点は目新しい。その舞台が アーサー王時代である必要については賛否両論分れるだろうが。 アーサー王伝説につき、知らなくても本書通読に支障はないが、 ラスト、老夫婦が渡ろうとする島がどんな島なのか、 伝説を知っていれば理解が深まることは間違いない。 | ||||
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アーサー大王の伝説の世界を旅する老夫婦の物語 2005年にイギリスのブッカー賞を獲得した有名な「私を離さないで」を執筆したカズオ・イシグロの最新作だ。 著者は幼い頃、長崎からイギリスに渡り英国籍でイギリス文壇で活躍している。チョット「私を離さないで」を振 り返って見よう。臓器移植のドナーとして集められた青少年を管理する特別な施設、その管理と運営、ドナー 達の教育と派遣等、このオゾマシイ仮想の世界におけるドナー達の心理描写がたんたんと語られて行く。思わ ず最後まで読まされてしまった。 今回はイギリス中世のアーサー大王の伝説の世界に生きる、庶民の老夫婦が息子を訪ねる旅物語だ。日本 人にはあまり馴染みの無い世界なので、前もってウィキペディアで「アーサー王」を検索して目を通しておくこと をお勧めする。特にブリトン人とサクソン人の確執の関係とか。例えが適切かどうか解らないが「南総里見八犬 伝」を舞台にした物語のようなものかもしれない。なにしろトラブルに巻き込まれた老夫婦を取り巻くのは、ヒー ロー戦士、甲冑に身を包んだアーサー王の命を受けた老騎士、鬼とか竜とか修道院とか全くファンタジーの世 界だ。丁度パソコンゲームの「ドラゴン・クエスト」を連想してしまう。紆余曲折延々と旅は続くが、結局老夫婦の 愛の物語である。最後まで目を通したが、この特殊な環境での比喩を日本人が理解するには少し難かしいと 感じた。 もし「私を離さないで」を読んでいない方は、イシグロ作品を理解するのにはこちらの方がお奨めだ。 | ||||
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「私を離さないで」をとても面白く読んだ記憶があったので、この新刊を手に取りました。 立派な本ですし期待して読んでいましたが1/3程進んだところで、…いつになったら面白く なるのかなぁ、と感じてしまいました。ひと月程かけて読み終わった今は、興味深い設定だった とは思いますが、(偉そうなことをいいますが)リーダビリティというかエンタテインメント性が 薄いので面白くてどんどん読んでしまうというタイプの作品ではありませんでした。 | ||||
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長崎県出身で5歳から英国に滞在する日本人作家の作品。海外では大変評価が高いらしく、長崎出身と聞いて興味を持ったので、読んでみました。ノーベル賞を村上春樹よりも先にとるのではないかとの噂もあるらしい?! 様々な作風の著作があるようですが、今回は英国のアーサー王没後の時代の物語で、ファンタジー系。 翻訳のために、その作風は本当に日本語訳の通りかどうかは原作に目を通さないと何とも申し上げられませんが、うーん 評価は難しいところ。 ファンタジーとしての物語の出来は、上橋菜穂子さんの方がずっと上のような気もするし、雰囲気、書き込みの表現はイシグロ氏の方が数段上の感じ。おそらく、イシグロ氏はネイティブの英国人と同等の感性で、書いておられるので、日本人の私には理解出来ない世界、背景がやはりあると考えざるを得ません。そう、作品全体にイメージで言えば、英国の荒涼とした原野とどんよりした雲と氷雨という雰囲気が重く感じられると申し上げればお分かりいただけるでしょうか? ブリトン人の老夫婦のアクセルとベアトリスは、村ではつまはじきにされて苦しい生活を送っていた。ある日、家を出て他の村に住む息子を訪ねようと夫婦は旅立つ。 その旅の途中で、若きサクソン人の戦士、ウィスタンと鬼に襲われて胸に傷を負い、村人から鬼に変わると怖れられ殺されそうになっている少年エドウィンと出会う。 国中を覆うクリエグという雌竜の吐く奇妙な霧によって、皆が昔の記憶を失う状況に、そのクリエグを追い求める旅になってしまう。その旅の道すがら、アーサー王の騎士で年老いた老騎士ガウェインに出会い、危ない目に遭いながらも、クリエグを遂に見つける。そして、、、 | ||||
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カズオイシグロのフィクションを描く力にいつも感嘆させられる。日本人の小説も昔はこのような緻密な構成力と描写力、複雑な人間像を描くことができたような気がするが、今は、短時間で書き上げたような感性的な作品が多い。 その中でこういった小説を読むと、世界の広さを再確認させられる。 アーサー王時代のイギリス内の民族紛争を背景に、ファンタジー要素を、ファンタジー的ではなく、リアルに描く彼の力は見事だ。誰が善人で、誰が悪人か、などの単純な描き方をしていない事が、さらなるリアルな人間像を生んでいる。 ただ、かなり緻密に読んでいかないと、伏線を見逃し、展開についていけないかもしれない。ラストまで読んで、再度読み返したくなる本。 さすが、10年の歳月をかけただけの本だと思う。 ただ、カズオイシグロを初めて読む人は「私を離さないで」など、もう少しとっつきやすい本で彼のスタイルに慣れてからでないと、この本の良さを分かるのは難しいかもしれない。 | ||||
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これまで、「日の名残り」や「私を離さないで」など読んできて本作を読みました。読み始めてすぐに感じたのは、「これは本当にイシグロの作品なのか?!」ということでした。それほど、一見しただけでは、本作はイシグロらしくないのです。第一にイシグロ特有の一人称の語りではなく、全知の語りで物語が展開されていくからです。加えて、アーサー王をはじめとする5世紀(6世紀)を舞台に、当時のブリテン人とサクソン人という人種間の争い。記憶を取り戻すのか、それとも忘れたままでいたほうがいいのか。などなどファンタジーの要素が満載の作品になっています。 以上のように、本作はこれまでのイシグロ作品とは作風を異にする点もありますが、私はこの作品を読み進めるにつれて、「イシグロらしくないが、やはりイシグロらしい」作品であると感じました。確かに語りの方法や場面設定はこれまでになかったものでしょう。しかし、イシグロがよく述べているように、ファンタジーなどという設定は、イシグロにとってあくまでも、「なにかを伝えるための道具に過ぎない」のではないでしょうか。そして、その「伝えたい何か」の核となる部分は変わっていないと感じます。その核とは、「日の名残り」や「私を離さないで」でも核にあった「記憶」、「愛」ではないでしょうか。イシグロはその核を直接的に、教示的に示そうとはしません。普遍的な核、つまりテーマを伝える道具として、今回はファンタジーという設定を選んだのでしょう。その点で、私はイシグロの表現の巧みさに感動しました。どのような設定にするにしても、人間の普遍的なものを生き生きと描き出す、「イシグロらしさ」がとてもよく出た作品であると思います。これまでのイシグロ作品を読んだ方にも、そして、読んだことがない方にもおすすめです。読んだことがない方は、この作品に続いて「日の名残り」を読まれることをおすすめします。上で私が述べた意味がわかっていただけると思います。そして、イシグロ作品を読まれている方は、本作の世界観を楽しむとともに、あえて「記憶」・「愛」以外の視点から本作を読まれてみてはいかがでしょうか。例えば、「憎しみと愛」(憎しみと愛情は共存できるか?)・「正義とはなにか」(正義こそが平和を乱す?それぞれの正義が異なるからこそ、争いが生まれる?)など、様々な読みを本作は与えてくれます。ぜひ、お楽しみください。 | ||||
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6、7世紀と思われるイングランド。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、息子の住む村を尋ねようと旅立つ。アーサー王の甥である老騎士、サクソン人の戦士、サクソン人社会から疎まれた少年などを道連れに旅する中で、霧に霞んでいた記憶が次第に露わになっていくが…。 老夫婦の愛と葛藤という「小さな物語」と、ブリトン人・サクソン人の対立と共存という「大きな物語」が「記憶と忘却」というキー概念によって結びあわせられる。 その展開の巧みさにぐいぐい読んでしまいながら、物語の結末、特に老夫婦の行方がどうなるか心配になって「これ以上読み進めたくない」という気にさせられる。 記憶を失って生きていくことは個々の人間にとってはつらい(私の父は認知症だったので、そのつらさが少し想像できる)。しかし、集団的な/民族的な記憶を保持することは、しばしば正義の実現を求めることに通じ、復讐をもたらし、際限のない闘いに結びつく(「許そう、しかし忘れまい」ということは果たして可能なのだろうか?)。私たちは記憶と忘却をどう扱ったらよいのだろうか。 | ||||
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