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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全139件 61~80 4/7ページ
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ノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロの作品。 私も多くの人の例にもれず、カズオ・イシグロ氏がノーベル賞を受賞したという事で氏の本を読んでみたくなった一人である。 正直何をテーマにした小説化も知らず、題名の「忘れられた巨人」に惹かれて読み始めた。 多分寓話的な要素の多いファンタジー小説じゃないかと思う。 翻訳が素晴らしいせいか非常に読みやすかった。 しかし、正直この本のテーマとなるとちょっと自分には解り難かった。 巻末の解説を読んでやっと多少解った気がした。 面白くなかったかと言われるとそうではないが、ほかの人に勧めるとなると微妙な感じだろう。 舞台は、アーサー王が亡くなって何十年か経過したブリテン島。 島の人々は、ほとんど気が付いていないが、記憶を呼び起こすことが難しくなっている。 そんな中、老夫婦が遠く離れた土地に住む息子を訪ねる為、村を出て旅に出発する。 普通に鬼とか妖精・竜などが出てくるのでファンタジー小説の体裁なのだが、明らかに何かの寓話であるような雰囲気が強いと感じた。 ブリテン島に住む人々のものの忘れ方がすごい状態で、昨日の事すらちゃんと思い出せなくなっている。 しかも誰もそれを気にしてはいない明らかに不思議なシチュエーションの中物語が展開していく。 イングランドの先住民族であるブリトン人と外来のサクソン人の確執なども絡んでくる。 様々な登場人物が出てきて、様々なことが起こるが、全て何らかのメタファーなんじゃないかとも思えてくる。 読んだ後に非常に不思議な感じが残った本であった。 | ||||
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やはり、賞は政治が絡み社会が軋む問題に直面する欧州が、 移民感情の不安性を昇華した作家を選択した。 訳者が「訳者あとがき」で言いたかったことであろう。 欧米が直面している問題を寓話に落とした現在性の強い普遍的な問題を扱った作品で、 ガラパゴス化している日本人にはお伽噺だ。 カズオの心は母国を忘却するのが怖くて、 脳が本能的に何度も記憶を再生していたのではないだろうか。 だが、本人には何故繰り返し記憶が蘇るかはわからない。 幼少期の記憶が存在理由の根拠と埋め込まれていたのだろうか。 この忘却による存在理由消滅の不安が 幾多の作品を生む原動力になった思う。 2013年4月15日「ボストンマラソン爆弾テロ事件」 は特にカズオを強振したことだろう。 母国をかつて抑圧した事実を取り戻した復讐事件は 同じ移民で敗戦国民の出自を持つカズオには衝撃だっただろう、 予想した通りだと。自分が抱えていた存在の問題は、 破壊という形でも進行し、とんでもない方向に行きかねないのだと。 2017年12日10日更新NHKインタビューでのカズオの発言にて やっと私には「巨人」の正体をつかめた。曰く(抜粋)、 「・・・あらゆる社会には埋められた巨人がいると思います。私がよく知るすべての社会には、大きな埋められた巨人がいると思います。今アメリカでは、「人種」という埋められた巨人がいると思います。それが国を分断させています。なぜなら、それは埋められたままだからです。・・・ ・・・これは日本にとって、多くの暗い記憶や日本が犯した残虐行為を、第2次世界大戦直後に押しのけなかったとしても可能だったでしょうか? 不可能だったかもしれません。日本のようなよい社会をいかにして築けるかは、無理にでも物事を忘れることにかかっているのかもしれません。・・・ 確かに日本は多くのことを忘れましたが、日本は自由世界におけるすばらしい自由民主主義国家になることに成功しました。それは無視できない成果だと思います。・・・」 作品には自国、英国人の対立の物語、アーサー王物語が必然的に選択された。 そこでは、父アーサー王と殺し合う実の子モルドレッド。 アーサー王の養父名はエクトル。当書の主人公名はアクセルで似ている。 アーサー王物語では、最期のアーサー王は実子とその配下を皆殺しにした後、 瀕死の状態で、高貴な女性達と小舟に乗ってアヴァロンの島へ行く。 物語を奪胎しており、対立問題が普遍的であることを示している。 主人公の夫婦は、異国で不安な自分のアバターであるから 年老いていなければならぬ。 始まりから鬼(犯罪者)や竜(権力の手先)が話題に出て 自己を脅かしたものを暗示する。 鬼に捕らわれ、呪いの傷を持った少年はイシグロの少年時代。 その傷は不安の象徴だろう。 カズオが書かざるを得なかった意図は美しく 本人は作品化に満足しただろう。 しかし歴史については認識が甘過ぎ失敗作だ。 権力が、個人の自己防御のように 恣意的に歴史的事実を歪曲しては不味い。 正々と歴史・事実を公開し批判に耐え得る権力こそが王道だろう。 それでも国家・民族・個人が融合せざるを得ない大きな潮流の中で、 後世、対立構造を解消させる先駆的作品との評価がされると思う。 多忙な読者はラスト9ページから読んで良いと思う。 そこには女に裏切られた男の深い怨念と許しが書かれる。 男は腑に落とされ、女は嬉しく感動に落涙することだろう。 つらい体験がないとその一文が読み切れないので、作品をより難しくしている。 カズオの読者は、袖触れ合う者にも、 「驚くほど寛大に受け入れてくれた」 と思われるように接するのではないか。 カズオのお蔭で100年後、 人類は驚くほど寛大になっているかもしれない。 今回の実験作品を糧にした、今後の作品に期待したい。 | ||||
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忘却は力なり。 忘却力なんて言葉もあったっけ。 でも忘れ去れることと、忘れ去れないことがある。 忘れ去った記憶を取り戻したいという思いもある。 それらが何をもたらすのかは、一様ではない。 最初は老夫婦の退屈なお話かと思ってしまいました。 その後は冒険ファンタジーめいてきて。 いやはや大変重いテーマをこんな風に書けるんですね。 | ||||
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人生の終焉に相対した時にきっと訪れるだろう走馬燈の物語のようで、すぐに引き込まれるイシグロ世界です。 私には主人公はすべて「私」の少年期、青年期、老年期の自分だろうと感じます。 侵略、殺戮の激しい戦国時代を生き抜いて、妻と老衰の時を迎えたアクセルの悲惨な走馬燈世界。 間違っていないと信じた殺戮の真実、愛され続けたと信じた妻の真実、人生は残酷です。 でも最後まで「お姫様」と呼びかけるアクセルに大きな救いを見つけます。 優しくなければ生きている意味は無い、とのフィリップ・マーローの言葉を思い出します。 | ||||
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記憶 の断片が 徐々に形作られる とても遠い所 を眺めている そんな感じで 読み終えました | ||||
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「人間って嫌なことは忘れる」と聞いたことがありますが、必ずしもそうではないと思います。わたしの場合、過去の嫌な事、特に他人にたいして行った申し訳ない行動、言動を思い出し、自己嫌悪に陥ることもあります。かといって、そういうことをきれいに忘れてしまいますと、再び誤りを犯してしまうような気がします。カズオ・イシグロ氏の『忘れられた巨人』は、記憶の喪失と想起の意義や意味についても考えさせる作品です(それだけではありませんが)。イシグロさんはいつものように、読者が本当に知りたいことを教えずに小説を終わらせています。だから余韻が良いのでしょう。 | ||||
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ノーベル文学賞を受賞された作家のものなので購入しました。期待通りのものでした。 | ||||
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いろいろな人種が混ざってきたよ言うことです。 アングロサクソンは世界の勝者です。 ラテン系の諸語の動詞の変化に比べて英語は難しい文法ではないかも知れないが、 発音は複雑で言い回しは結構難しい。 漢字はいくら頑張っても既に越南とか高麗が逃げてしまったし、本国まで妙ちきりんな文字を使っているので、古文が読めないでしょうね。 | ||||
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最初の数ページで引き込まれました。曖昧な記憶の中に感じる優しさを感じました。これから冒険が始まるところで風邪ひいてお休みしてます。 | ||||
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古代イギリスの二つの民族を分断するものは、現代のブリグジットに象徴される社会の分断に通じるものだった。難解な古代の情景を一気に読ませる驚嘆すべき筆力は、まさにノーベル文学賞受賞者の名に恥じない素晴らしいもの。 この最新作を読み終わって、完全に「カズオ・イシグロ」 ロスに罹ってしまった! | ||||
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dragonクェスト 年寄り版かな? うまくいってるのか、どうかはわからない。69歳のわたしでは!! 翻訳は読みやすい。この人のを初めて読んだので、よけいにわからんが!! 歴史的にはええのだろうが、登場人物は現代人だな( ^∀^) | ||||
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ノーベル賞を受賞されるような偉い方にもこんな苦悩があるのかと思い、慰められた気持ちです。人生の不条理と愛を綴りながら、著者の目線ははじめから彼岸に向けられています。抗い難い人生の奔流が緻密に描かれていて、人生とはどういうものか深く考えさせられました。 | ||||
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イシグロ氏の最新作ですが、とても素晴らしい。次作が楽しみになります。 | ||||
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記憶をほとんど亡くした、中世の老騎士夫婦の巡礼の旅紀行文です。 面白かった。すばらしい寓話ではないかと思いました。 「アーサー王伝説」を下敷きとするゲーム画面のように、この寓話の 一連のシーンが目に浮かんでくるようなファンタジー小説です。 王のための戦いに明け暮れた中世の騎士たちが繰り広げる、中世の 騎士道精神を思い出させるストーリー展開です。 記憶をほとんど亡くした老騎士とその老妻の巡礼紀行です。 息子がいると老妻が信ずる小島を訪ねる夫婦最後の旅になりそうです。 六世紀、七世紀ごろには、魔法の息も絶え絶えになっていた雌竜です。 老騎士の考えでは、雌竜がこんなに弱ってしまった原因は、「わしら同様、 老いだ。だが、まだ息をしていて、息をしているかぎりマーリンの魔法も 消えぬ」(429頁) 霧のように、か細い息の上には、大魔法が乗っていて、雌竜は今も、戦う 騎士たちの大切な記憶を奪っているというのです。 そして雌竜は「息がある。息があるかぎり義務を果たしつづける」(428頁) 雌竜の義務とは? 竜はなぜ「雌」なのか? 「アーサー王の意志とともに神の意志をも行ったのだ。 この雌竜の息なしで、永続する平和が訪れただろうか」(429頁) 「かつては国のため、神のために戦ったわしらが、いまは復讐に倒れた 同志の復讐のために戦う。いつ終わる。赤ん坊は、戦の日々しか知らずに 大きくなる」(411頁)と嘆くアーサー王の騎士。 そして、歴史を忘れたふりをして、復讐だけを繰り返す若き騎士たちの いつまでも終わらない戦い。 主人公の老騎士とその老妻は、騎士たちから大切な歴史の記憶を奪ってしまう 雌竜を退治したいという思いから、毒を仕込んだ山羊を雌竜の餌としよう とする計画を手伝います。 巨人(アーサー王)のケルンまで、この山羊を連れて行き、そこに繋ぐ役を 引き受けるのです。 結局は、雌竜の巣穴に下りた若き騎士の剣が、雌竜の頭を宙に飛ばせます。 「雌竜はもういない。アーサー王の影も雌竜とともに消える」(447頁) という結末です。 中世のアーサー王の時代のことなど、ほとんど忘れている現代人に、 この寓話はどんなことを問いかけているのでしょうか。 敗戦国日本から、五歳で渡英した著者イシグロを受け入れて、ずっと親切に 接してくれ続けたイギリス人。 そのイギリス人の伝説となっているアーサー王の時代のブリトン人とサクソン人 の騎士たちの戦いの物語は、今もイギリス人の心の中に残っていて、EUから 離脱するという現代英国の政治状況に影響している、とイシグロは考えている ように思います。 争う人々の心の底の歴史認識は、今も昔も、アーサー王の時代の終りと共に 変わるような、変わらないような……不思議な気分で読み終わりました。 | ||||
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カズオ・イシグロがノーベル賞作家というのは正直意外でした。 ノーベル賞らしい政治色もなければ、文学的テーマというほどのものもない、ライトな作家だからです。 僕はわりとブッカー賞の審査は信頼できると感じているのですが、 やはり『日の名残り』は良作だと感じました。 『わたしを離さないで』は僕が原書で読み通せるほどリーダブルで、小説としても面白いものでした。 しかし、本書『忘れられた巨人』は著者のネームバリューなしでは評価されるはずがない駄作だと思います。 舞台は六、七世紀のブリテン島で、いきなり語り手が鬼の話をはじめるファンタジックな世界になっています。 アクセルとベアトリスの老夫婦が主人公で、彼らが息子のいる村を訪ねて旅に出る話なのですが、 そのうちに戦士と出会い、竜退治へと向かう展開になっていきます。 まず冒険ファンタジーとして本書が面白いと本気で思った人は少ないと思います。 そもそも、冒険ファンタジーなら老夫婦が主人公の時点でアウトです。 肝心の竜退治もクライマックスとはならず、瀕死の状態であっけなく殺せました。 アーサー王の円卓の騎士の一人、ガウェインも登場しますが、すでにヨボヨボです。 エンタメとして読んだとして、『わたしを離さないで』以上に面白いという人がいるとは思えません。 老夫婦のラブストーリーとしては満足できるでしょうか。 読みどころがあるなら、ここだと思うのですが、 冒険譚や少年の存在のせいで、ラブストーリーとしても散漫だと言えます。 読者がラストの解釈に困るあたり、老夫婦の愛についても描き切れているようには感じませんでした。 では、文学的意匠にすぐれたものがあるかと考えると、 これも非常に怪しいと言わざるを得ません。 内容に触れていくので、読了した方だけに読んでいただきたいのですが、 本書のテーマが忘却(埋却)なのは題名からもわかると思います。 物語では村人たちに奇妙な物忘れが頻発し、その原因がクエリグという竜による「霧」にあるとなっています。 竜退治によって「霧」が晴れることは本当に良いことなのか、というのが、 イシグロの問いかけだという読み方です。 これにはブリトン人とサクソン人との対立という背景が絡んでいます。 アーサー王がサクソン人を虐殺してブリテン島を統一したため、 サクソン人にはブリトン人への遺恨があったのですが、 「霧」のおかげでそれが忘却されていたのです。 (「霧」が体制側の装置であることは、ガウェインの記憶が健在であることから推察できます) 「霧」が晴れることでサクソン人とブリトン人の争いが再燃することは、本書の中でも触れられています。 しかし、「忘れられた」と邦訳された本書の原題にBuriedが用いられていることから考えると、 bury(埋葬する)をどうしても思い浮かべずにはいられません。 ここで忘却されているのは、死者の怨念だと考えるべきでしょう。 島へ渡るラストが謎であるとか、余韻だとか言われているようですが、 ベアトリスの死への旅立ちを意図したシーンだと僕は解釈しています。 アクセルは死んだ息子の墓参をベアトリスに禁じた(つまりは死者を忘れさせた)ことで、ベアトリスと別れることになったのでしょう。 ベアトリスはベアトリーチェの英語名ですので、ダンテ『神曲』のヒロインに接続します。 アクセルは死者を追いかけて地獄へ行くのか、それとも死者を忘却していくのか…… アクセルという名からは前へと進むイメージしか持てませんが。 まあ、こういった読みができるとは思うのですが、 こういう文学的な読みをしたところで、本作が駄作だという印象は変わりません。 致命的なのは、やはり作品がつまらないということです。 テーマのわりには作品も長すぎます。 エドウィン少年にしても、キャラとしても魅力的でもありませんし、あまり登場の意義がわかりませんでした。 政治的な言説が禁止されているわけでもないのに、 ファンタジックな寓話の形式をとるのであれば、それだけの必然性を感じさせてもらえないと困ります。 そうでないと、単に著者が政治的責任のない形で政治的見解を示そうとしているように感じてしまいます。 個人的にはこの作品をクエリグの霧によって覆い隠してもらいたい気持ちになりました。 | ||||
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文章の書き出しから、今までにない作品です。翻訳家も素晴らしいのでしょうか。とてもよい作品です。 | ||||
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ストレートに読むと、老夫婦が失われた記憶の断片を頼りに息子に会いに行こうと旅をするファンタジー小説。 戦士、船頭、竜、鬼… などが出てきて、新しい設定での一作です。精力的に振り幅を広げているのかなと率直に感じました。 根本的テーマの訴えは随所に感じみることができて、人の記憶の不確かさや危うさ、忘却とは何なのか、熱狂の恐ろしさ、などの投影を感じました。 間接的に読む作品ということなのかな。。 | ||||
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たいへん読みやすい。「鬼」や「竜」など出てくるが、ギリギリのところで荒唐無稽にならず、 最後まで話についていける。 過去の記憶(と忘却)がメインのテーマである。ただし、過去の記憶といっても、夫婦間の思い出から、民族や国家に刻まれた歴史まで、幅広い。 民族に刻まれた記憶に関しては、過去の歴史を意識し続けることが、必ずしも平和には繋がらないんじゃないか、と考えさせられる。確かに、「〜を忘れるな」という標語は、憎しみを継続させ継承させるときにしばしば使われる。 夫婦間の記憶については、じんとさせられる。長く連れ添った夫婦でも、いつかは永遠の別れが訪れる。多くの場合は、どちらかが先に逝くことになる。そのとき、人生の大事な記憶をシェアできた人がいる、という思いが、安らかな眠りを与えてくれるのだろう。主人公のひとりである老婦人はいま、幸せのうちに向う岸に渡っていくのだと信じたい。 | ||||
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よみ疲れ。ぜんぶよみました・字が小さくてくろうしましたがさすがだとおもいました。 | ||||
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ミーハーですがノーベル文学賞と聞いて買ってしまいました。 これを読んで村上春樹がノーベル文学賞を獲るのは無理ではないかと感じました。物語性も訴えかけるメッセージもこちらのほうがはるかに上。 霧によって過去を忘却させられている人々。その中で老夫婦が息子の村に行こうと旅立ちを決意し、奇妙な事件に次々と出会い、戦士、少年、アーサー王の甥などに出会って忘却の原因を探して行く物語。 静謐な文体で穏やかな世界観を作り出す。これが翻訳者の力なのか、原文の持っている力なのかわからない。しかし穏やかに読書を引き込んで行く独特の世界観を持っている。 へんてこな登場人物で物語が進行してメタファー的にメッセージを伝えて終わりなのかと思うと物語の終盤に向けて現代人に直接響く問題につながっていく。民族対立、虐殺、公的と私的な問題に挟まれた人の葛藤。 テーマが大きく、大きなメッセージを読書に伝えてしまうとラストが難しく。終わり方によっては白けた作品になりがちだが終わりも程よい余韻をもって締めくくっている。 なかなかの作品だと感じる。この人の他の作品も読んでみたいと感じた。ノーベル文学賞、選者の眼は確かだと感じました。 | ||||
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