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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全139件 41~60 3/7ページ
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半分辺りまで読み進めて「ははあ」とピンと来た。これはかなり政治的かつナイーブな本だな、と。「罪、忘却、復讐、許し」をモチーフに、ミクロ(個人)レベルとマクロ(国、世界)レベルで罪と忘却が語られる。そして最終的なテーマは「和解」や「融和」なのだろう。 時代は5世紀頃のブリテン島。世界は何もかも忘却の彼方へ包み込んでしまう霧に覆われている。過去を取り戻し、息子に再会する為に旅に出る老夫婦を軸に話は進むが、旅が進むにつれなぜ過去が忘れられたかが明らかになって行く。作者は作中人物の言葉を借りて、記憶を取り戻し罪を暴くことはミクロでもマクロでも復讐と新たな戦いを引き起こす、それでも記憶は回復され罪は語られるべきなのかと問いかける。答えはYESである。そして復讐や戦乱に対する恐れを抱きながら新たな時代が始まる所でこの作品は終わり、読者は不安な気持ちのまま本を閉じるかもしれない。 が、実は最初からイシグロは人間は真の和解を得ることが可能だと言っている。それは舞台がブリトン(ケルト)とサクソン人(アングロサクソン)とが争う時代だから。登場人物たちは全て、記憶回復後のブリトンとサクソンの争いを恐れているけれど、史実においてブリトンとサクソンは徐々に融和し、一つの民族としてまとまって行く。それを後世の我々、なかんずくイギリスの読者は知っている。だからイシグロは恐れずに過去と向き合えと言うのだ。 彼はWW2を始め近現代で、まずはイギリスと欧米が犯した罪についてもう一度向き合えと言いたいのだろう。さらには日本にも過去と向き合えと言ってるインタビューを見た記憶がある。これは多分南京や慰安婦のことだろう。 ね、政治的でかつナイーブでしょ? イシグロは日系と言うこともあって日本の近現代史にもそれなりに詳しいようだけど、あくまでもイギリス人視点からでしかないようにインタビューからは伺えた。 さらに日本周辺で日本が「和解」すべき敵対的な国々、即ち中朝韓は日本との融和を望んではいない。「いやそんなことは無い、それは悪意を持った偏見だ」と言う人も多いだろうが、中朝韓の考える平和・融和とは日本の上位者として君臨すること。華夷秩序の世界に彼らはおり、それは日本が望むものとは全く違う。 あ、それでも文学としては愉しみました。一見ファンタジーではあるんだけど、戯曲的。途中からはシェイクスピアでも読んでいるような気分だった。舞台化すればかなり面白そうだし、話自体比喩的、暗喩的なのだからドッグヴィルのような映画でも良いかも。 | ||||
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カズオ・イシグロで一気に読めなかった初めての作品。 まず時代が分らない。主人公が洞窟に住んでいるので石器時代の話しかと思ったがそうではないらしい。 老夫婦が旅に出る一種のロードムービーだが途中でアーサー王の甥?という老騎士が現われる。 すると時代はアングロ・サクソンがブリテン島に上陸しケルト人を征服する時期か? 老夫婦が次々出くわすボートマンやサクソン人の闘士、さらわれた少年や鬼? 領主の兵士、さらには雌竜? このあたりのエピソードはリアリティーがない上に描写がさらっとしすぎて深みがなく心に染みいる感動がない。 正にファンタジーゲームの展開のような登場人物達。 雌竜はゴジラのような迫力か、はたまた八岐大蛇のようなおどろおどろしい怪物かと思いきや 老齢で息も絶え絶えに呼吸をしているだけ。あっという間にサクソン闘士に頸をはねられ一巻の終わり。 この竜が人々の記憶を消しているという。息が霧となって記憶を消すという。 一体全体この竜は元々そこにいるのか? 誰かの命令で巣に蟠踞しているのか? この竜を巡ってアーサー王の甥とサクソン闘士が闘う理由もよく分からない。 アーサー王の甥は実はこの竜を守っているという。何のために? アーサー王が竜を造り配置したのか? この小説はファンタジー。何でもありでその説明はほとんどない。濃密な心理描写で別離や喪失を 描いた他の感動作とは随分違う。初期作品のような気持ちで読み始めるとがっかりする。 きっちり細部まで入念に描き込んだ油絵を初期イシグロ作品とするなら、これは力を抜いてゲーム世代向きに書いた 余白ばかり多い水彩画だろう。 騎士同士の戦いもあっという間に終わり、竜は存在意義が分らないまま簡単に殺され、息子の家出の理由も 大したことではない。イシグロもこういうのを書くのかという落胆の一冊。 この本からイシグロに入ると彼の真価を見誤ります。「日の名残り」「遠い山なみの光」がおすすめ。 | ||||
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夫婦・親子・民族・・・どんなレベルでも人と人の間には諍いがあり、不実がある。 それでも、忘却という霧が諍いを緩和したり、ごまかしを生んだりしている。忘却もまた方便なのだ。 しかし忘却の霧が晴れたとき、「忘れられた巨人」が起き出し、ふたたび諍いと憎悪の世界へ。 日本とアジアの国々との間、ルワンダ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。 一時は現在生活を確立するための方便に忘却のポーズをとっていても、 いつか必ず、忘却の霧が晴れて憎悪が広がるときがくるのか・・・。 愛にあふれているように見えた老夫婦も最後に記憶がよみがえり・・・と余韻をもたせて小説は終わる。 | ||||
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記憶が曖昧なゆえにともに生きてゆける。あえてそこを戻すのか。忘れていいこと・いけないことがあるのは分かる。死んでしまえば同じこと、にはならないものか。 | ||||
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主人公の老夫婦と同じような年齢の私たち夫婦のことを考えさせる本でした。 | ||||
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結論から言えば読むべき作品と思う。いつものイシグロ作品に見られる3つの要素がある。1つは舞台として新たな題材として伝説的な5-6世紀の中世イギリス。2つ目は、本作品を貫く“忘却と記憶”。3つ目は全編を通して紡がれて行く“愛”という糸。届いた分厚い本を前に深呼吸し、飽きずに読み切ることができるか、との不安もあったが、普遍的な主題に自分の経験や世界の歴史を思い出しながらイシグロの久々の長編をあっという間に読み切ってしまった。ただ、各章のつながを読み取るのに多少忍耐が必要なので、星4つ。 | ||||
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作者は日本人であるが、幼少よりイギリス人として生活しているせいか私のように生まれてから70年以上日本で暮らしている者には 川端、三島、山本有三などの小説と比べて、異質なものを感じました。 | ||||
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40時間ぐらいかけて読んだ。 カズオ・イシグロは初めて読みます。 牧歌的なファンタジー小説という印象で、THE・ビッグオーのような世界観です。 記憶を奪う霧のせいで過去が曖昧な老夫婦がある日息子の存在を思い出して、 どこに住んでいるかも顔も思い出せない息子に会いに行こうと行くあてのない旅を初めます。 舞台はイングランドで時代はアーサー王伝説なので、 この物語には騎士王伝説の知識があるとより楽しめるのかもしれません。 読んでいて、ついさっきの記憶も危うい人達の会話を延々と読むことになるので、 かなりの混乱が起こりました。 | ||||
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忘却、なんとむなしくはかないのか。 老夫婦の決死の生きざまに心打たれる。 地味なファンタジー感が、物語に面白みを与える。 アーサー王伝説を少し知っているとより楽しく読める。 いい本を読んだ。 | ||||
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カズオイシグロの作品に本格的に接するのは、これで3作目。語りの巧さと、着想の見事さに感銘を受けた。 ここには、確実に1990年代のユーゴスラヴィア内戦の遠い記憶が反映している。 テオ・アンゲロプロスとの比較も面白いだろう。 | ||||
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写実的で、カズオ イシグロの世界は好きです。言葉が美しいと思います。 | ||||
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紙媒体の文庫本を購入した。 数頁程度であれば気づかなかったが、この量を読むのは困難。 本来一度に読める量の半分から数分の一しかこなせないだろう。 というのも、妙にフォントの色が薄く非常に疲れる。 これだけを見ていると気づかないが、目の疲れない他社の文庫本と比べてみると、字体の線も細い。 目を近づけると色もグレー寄り。 読み直すこと、参照のためたどり探すこと、続きを始める箇所の探索も困難。 若い人では大丈夫なのかも知れないが無理。 コスト削減はこんなところでやらないで欲しい。 現在、3D酔いと似た状況。 緩和策は、照明の色を暖色系から青みに変更する程度。 | ||||
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ドイツに住んで10年になります。 この本を、ここに来る前の私が読んだら、また、今の日本の若者の大多数が読んでもきっと、龍や騎士や修道院の出てくるファンタジー小説としてのみの読み方しか出来なかったことと思います。 それでも十分に読み応えを感じて満足しただろうと。 しかしこの作品の、作者の意図する読み方そしてメッセージは象徴化されて隠されたものです。 それは恐るべきことに、それぞれの国の人が、それぞれの民族として、個人として、様々なことを当てはめて読むことの可能なテーマとなっています。 ヨーロッパに住む人々にとっての移民の問題は、ほぼ単一民族国家の日本にフツウの日本人として過ごしている人たちにとってはうかがい知れないほどの身近で切羽詰まった問題ですし、内戦、内乱は今も昔も大昔も、そこらじゅうの国で起こり、人を殺し、女や子どもや老人を殺しています。 憎しみの連鎖、殺しの連鎖は、全民族の、また人類の発展と切っても切れない深い闇と言えると思います。 この作品に出てくる竜の存在を、私はイシグロからの使者としてどう受け止めたら良いのか、わたしはまだ迷っています。 彼は竜に肯定的なのか、否定的なのか? 彼は竜、つまり「忘却」を一時的な平和をもたらすものとして物語に登場させているわけですが、最後に戦士によって斬らせています。 わたしが興味深く思うのは、「竜」はいつも勝者の側から、勝者の都合により魔法の息を吐き続けさせられている点です。 竜は、敗者の側からもたらされることがありえない。 だから、最後に反乱を企てる元敗者のサイドから斬られるのは必至であり、その平和も一時的なものに過ぎない。 日本も、平和憲法第9条という竜によって平和が保たれているわけですが… といういわば問題提起で物語は終わっています。 老夫婦の、忘却により赦しが行われたかに思えた夫婦関係でさえ、記憶を取り戻した今、二人は引き離されました。 わたしは、イシグロがこれから、平和にむけて人類になにが必要であるのか、これからも提示し続けてくれることを楽しみにしたいと思います。 それとも最後までアクセルがベアトリスの船から離れまいと試みたこと、彼女を「赦そうとした」こと、最後には顔を船頭から背けたまま行ってしまうとしても、それを試みた事こそが、イシグロからの我々人類への提案であるのでしょうか… しかし私は、竜、つまり忘却について、決して否定的になれません。 なぜなら私たちがいま平和に暮らせているのは、日本にまさにこの竜がいるからです。 はじめは勝戦国であるアメリカからのなかば押し付けであった憲法かもしれない。 私は戦争を知らない世代です。 しかし、私は戦争を知らない世代である事を心からしあわせに思います。誇りにも思います。 殺しあって何になるんだろうって思える事は、幸せです。戦争を遠くに感じる事が、いかに恵まれたことであるのか。 幸せであることが復讐で、いいではありませんか。 長文読んで頂いた方があるなら感謝します。 | ||||
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英国の歴史を知らないので、ちょっと、わかりにくい部分もあった。そのせいか、スピード感溢れる物語(FFとかRPGゲームのような展開)なのに気持ちが入りにくい感が。カズオ イシグロ さんのインタビューをTVを見て感銘を受けて読んだ。 | ||||
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情報が少なく(意図的に明らかにされず)、不思議というか不穏な感じの文体で淡々と叙述されて いて、舞台設定そのまま、読者も霧にからめとられたかのような状態での読書が300ページ以上 続きます。ここを耐えきれるかどうかがまず関門かと思います。 加えて、文章や登場人物の台詞が過剰に装飾的で(情景の描写が必要以上に冗長だったり、 老騎士ガヴェインの仰々しい長台詞、ベアトリスの言動のくどさ等々)、正直、読んでいて かなり疲れました。 一転、最終章で、一気呵成に風呂敷が畳まれていくのですが、それまでの淡々とした調子との ギャップが凄いです。 読み応えのある作品ではありましたが、いくつかの謎については、伏線が回収されなかったのか、 読者の解釈に委ねられたのか、はたまた私の読解力不足なのか、最後まで明らかにならなかった ものもあり、やや消化不良感が否めません。 カズオ・イシグロ、好きだったはずなんだけどなぁ。というのが正直な感想です。 以前の作品とはかなり違った作風の1冊でした。 氏が今も進化し続けているということなのかもしれません。 | ||||
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忘れる、過去に追いやることで、前に進める原動力になるのだと思う。 選択したゆえに、今があって、先の未来の選択肢があると思う。 だからこそ、悔いのない今を選ぶのだと、思いました。 | ||||
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正直、何が言いたいのか分からない作品でした。心に残らない作品。 | ||||
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2冊読んでもう一冊読みたくなってこの本を読み始めた。クエリグの霧の話はわかるがあまりにも回りくどい。今ひとつ。 | ||||
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初めてカズオイシグロの読みました。 レビューの評価を見て期待が大きかったからか、正直イマイチでした。 表現はまるで壮大なスケールの映画を観ているように素晴らしいのですが、 登場人物の関わりとか、なぜこの人物が出てきたの?とか、不明でした。最後まで読めば謎が解けるかと思ったけど、大げさに登場する割に、物語の流れに対してべつに大した役割もなく、残念でした。 他の方も書かれていますが、取って付けたような展開で物語の厚みはとても薄いです。 龍や鬼が出てくる意味も物語的には不明。ただファンタジックな色付けのためだけなら、要らないです。 最後に霧が晴れる意味や、息子を探しに行くってそう言う事だったのか?とかか分かるのですが、謎めいて終わるラストの終わり方も下手。 何故、これがノーベル文学賞? この本を二度と開くことはないでしょう? | ||||
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「昔々(6世紀頃か)、イングランドにおじいさんとおばあさんがおりました。 おじいさんの名はアクセル、おばあさんの名はベアトリスといいました。この夫 婦には、息子が1人いました」 これで、息子が成長して鬼ヶ島へ渡り鬼を退治したら「イギリス版桃太郎物語」 になるのだが、そうではなく、老夫婦が、ずっと前に家を出て行った息子に会う ために旅に出て、老人なりの冒険をするという、老夫婦が主人公の物語だった。 冒険物語だけあって、旅の途中で鬼が出てきたり、戦に巻き込まれたり、竜を 退治(退治したのは老夫婦ではなく、旅の途中で知り合った戦士なのだが)したり する場面が描かれている。 だが、この小説でメインとなるテーマは「冒険」ではなく、「記憶」と「怨恨」 だろう。「冒険」を描きたいのなら、若者を主人公にする方がダイナミックに なって面白いのだから。老夫婦が息を切らせながらヨタヨタと山を登る場面など、 読んでも面白くない。 当時は、ブリトン人とサクソン人との凄絶な戦争があり、それによって兵士 だけでなく村人(民間人)も多数が殺戮されたのだが、その記憶を『忘れる』ことで、 両民族が平和に共存しているという状態だったという設定である。しかし、人々に 戦争や殺戮の記憶が蘇ったら、怨恨も蘇るのか?それなら、『忘れた』ままにして おく方がよいのか? この小説は、そういう難しい問いを投げかけていると思った。だから、人生 経験が豊富で『忘れた』記憶も多く、悲惨な戦争も体験している老夫婦を主人公に したのだろう。 | ||||
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