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忘れられた巨人
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忘れられた巨人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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問題ございませんです! | ||||
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読了するのに1カ月以上かかった。終盤で色々な伏線が回収され、物語のなかの忘却の霧と共に、読者の見通しも晴れていく。あまり強烈な読後感はなかったが、時間をおいて再読するとまた違った印象があるかもしれない。この本を読んでいる途中、ウクライナ紛争が勃発し悲惨な状況が続いている。国家民族宗教間の対立、現代における霧(情報統制)など、物語のあらすじと直接関係ないが、少し頭をよぎった。 | ||||
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題名で買ったので石黒さんとはしりませんでしたが、こんな本を書く人だったかな。 最後までどうしたいのか謎でしたが。イシグロさん日本人だということを 忘れたかったんでしょうね、最後の最後にそう思いました。アーサー王の時代とは違うような 気がしましたが真実を知る人はいませんしね。 | ||||
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私もカズオ・イシグロ氏が2017年のノーベル文学賞を受賞した日系英国人ということでその名前を知り読み始めた人間です。 カズオ・イシグロという作家はかなり寡作で、現時点での公式なアナウンスでは「長編小説7作品」と「短編集」ですから、彼の年齢を考えてもやはり相当に寡作でるのは事実でしょう。 この『忘れられた巨人』は完成するまでに10年かかったそうですが、その長い執筆期間は本作にとってあまりいい影響を与えてはいないようにも感じてしまいました。 私はこの小説を読みすすめるのが大変でしたし、おそらく多くの読者が似たような思いをしながら読んでいたのではないかと思います。 この小説は「寓話」や「神話」の形式をベースにして、スムーズでリズムのいい展開にはなっていません。 むしろ大仰で不自然な語り口と、かなり退屈なストーリーというのが正直なもので、難解な小説だといっていいでしょう。 ただ「文章」はむしろ平易ですが、非常にコンセプチャルな作品で、読む楽しみよりは作者の意図の表現という意味あいの方が圧倒的強いという難儀な作品です。 原題は『The Buried Giant』ですから「埋葬された巨人」が直訳になるでしょう。 本書の詳細までは書きませんが、大きなテーマは「記憶」で「人種間の問題」などは「大きな記憶」として、それぞれの個人的な人間関係における色々な出来事の記憶は「小さな記憶」としてあり、「大きな記憶」というのはなかなか消し去ることは難しくいつまでも深く残り続けるのに対して、「小さな記憶」というのはそれぞれの個人レベルでのことなので「ゆるし(許し・赦し)」というものは納得できればすぐにでもおこりえます。 イシグロ氏はこの二種類の「記憶」を対比することでこの作品のテーマにしているようです。 私もこうしたテーマについて読後に理解してからは「なるほど」とは思いましたが、それでもそうしたテーマと小説としての出来に大きな隔たりを感じてしかたがありません。 そういうテーマを読み取って考えることは大変重要なことだと理解は出来ますが、ほぼそのためだけに延々と綴られた 長い文章を何度見直しても、これは小説として重要な要素が完全に欠落しているのではないかという不満は解消されませんでした。 もちろんたかだか私ごときの感想ですからこれが正しいとは言えません。 本作の英語圏での一般評価が気になったので「amazon.com」で検索してみたところ、英語圏でも本作の評価は辛いものでした。 3.7★(1,049 customer reviews)です。 ちなみにamazon.comでのカズオ・イシグロ氏の最高評価作品は『日の名残り』で4.4★でした。 英語圏の読者にとっても「読みにくい作品」という感想は多かったので、これはことさら邦訳の問題だとは思えまん。 頁も終わりのほうになって色々なことが明らかになっていきますが、それらとの話上のつながりがとても悪いです。 とってつけたようなそれぞれのエピソード展開と結末が余計に読後感を削いでいるように思えてなりませんでした・・・。 | ||||
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読んでる最中はハラハラしながらすごく引き込まれてあっという間に読み終えたのだけれど、終わってみれば霧の中、結局何が言いたかったんだ?と、呆然、立ち尽くす、そんな読後感。 鬼、霧、赤い髪の女、夢、蝋燭、黒後家、兎、船頭、島、雌竜、戦士、山査子、全てが記号?でも一体何の? もう、置いてかれ過ぎて、考えてもわからないから、ネット上の色々な方の書評や考察、また、作者ご本人のインタビュー内容で答え合わせ。 結果、全っ然違うこと考えて読んでたわ、自分。何故だろう、冒頭から一つの仮説に囚われ過ぎて、結局、物語終盤までその疑念が拭えなかった。 その仮説というのも、実はこの物語に登場する人物全員、本当は「霧」になんて全然影響されてなくて、皆んな忘れたフリをしてるだけ。都合の悪いことを作為的に忘れ、自分自身も騙してるんじゃないかとか、そんなこと。 だって、皆んな忘れているようで本質的なことは忘れてないように見えたし、「霧」の影響がすごく限定的に思えたから。アクセルも、ベアトリスも、お互い、ずっと何かを隠しているみたいな風に思えたから。息子について語る二人の会話が妙に白々しく思えたから。そして極め付けは、船頭とアクセルとの会話の中で明かされる息子の死が、突然でありながら、静かでさりげな過ぎたから。(でも読み返してみると…”爺さんはおれの足音を聞いて 、夢から覚めたような顔で振り向く 。夕方の光を浴びた顔には 、もう疑り深さはなく 、代わりに深い悲しみがある 。目には小さな涙もある 。”と、ここで思い出したのかなと読みとれますね。) ていうか、その仮説でいくと、雌竜クエリグのくだりから辻褄合わなくなってくるんだけどね。うむ。ウスウスは矛盾に気づいてはいたんだけどね、ホントは、ね…いやはや、解釈はむつかし。 ポストアーサー王の時代設定プラス、ファンタジー要素により、作者のメッセージが見えにくくて、他の方のレビュー見ても、評価が二分してる。物語にメッセージ性を強く求める人たちには不評みたいだけど、イシグロ氏はアクティビストではなく文学者。敢えてこの設定にする事で、物語に普遍性を持たせようとしたのかな。時代を経ても語り継がれるアーサー王の伝説みたいに。 | ||||
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戦争の後の和解と忘却を一つのモチーフとして、6世紀の英国を舞台にした物語です。妖精や亡霊が出てくるのでファンタジー的要素も取り込んでいます。話の展開はなかなかおもしろいです。例えば敵を塔におびき寄せて皆殺しという場面もあります。また霧の正体をはじめいろいろな謎が終盤になって解けていくのも快いです。しかし、この作品を読んで何か得られるものがあったかというとそういうわけでもなく、別に読まなくても良かったと思いました。ユーゴスラビア紛争を連想したものの、戦争と和解のテーマは文学でカバーするにはあまりに深刻で難しいのかもしれないと思いました。 翻訳は、おおむね丁寧に訳されていますが、ところどころ気になるところがありましたので3例だけ記載します。第3章81頁14行目に「長屋」とありますが、これは原文はlonghouseで、サクソン人を含むゲルマン人固有の建築です。「ロングハウス」として注をつけて写真または絵を入れるべきでしょう。また、第5章164頁12行目で、「わし自身も何年か前、落馬のけがから回復するとき、修道院の痛み止めには大変世話になった。」と訳されていますが、原文は “And I myself, recovering some years ago from a fall, found much comfort in their balms.”ですが、fall を落馬と訳したのは特定しすぎであり、「わし自身も何年か前倒れた時に、回復するとき、修道院の膏薬には大変世話になった。」と訳せばよいと思います。第8章277頁の12行目で「足取りを緩めたのは、一番険しい坂を上るときだけだ。」とあります。しかし、原文は “slowing only for the steepest slopes”とslopesが複数形になっています。従って、「足取りを緩めたのは、険しい坂を上るときだけだ。」の方が正確と思います。 | ||||
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記憶が曖昧なゆえにともに生きてゆける。あえてそこを戻すのか。忘れていいこと・いけないことがあるのは分かる。死んでしまえば同じこと、にはならないものか。 | ||||
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作者は日本人であるが、幼少よりイギリス人として生活しているせいか私のように生まれてから70年以上日本で暮らしている者には 川端、三島、山本有三などの小説と比べて、異質なものを感じました。 | ||||
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英国の歴史を知らないので、ちょっと、わかりにくい部分もあった。そのせいか、スピード感溢れる物語(FFとかRPGゲームのような展開)なのに気持ちが入りにくい感が。カズオ イシグロ さんのインタビューをTVを見て感銘を受けて読んだ。 | ||||
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ノーベル文学賞を受賞された作家のものなので購入しました。期待通りのものでした。 | ||||
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いろいろな人種が混ざってきたよ言うことです。 アングロサクソンは世界の勝者です。 ラテン系の諸語の動詞の変化に比べて英語は難しい文法ではないかも知れないが、 発音は複雑で言い回しは結構難しい。 漢字はいくら頑張っても既に越南とか高麗が逃げてしまったし、本国まで妙ちきりんな文字を使っているので、古文が読めないでしょうね。 | ||||
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ストレートに読むと、老夫婦が失われた記憶の断片を頼りに息子に会いに行こうと旅をするファンタジー小説。 戦士、船頭、竜、鬼… などが出てきて、新しい設定での一作です。精力的に振り幅を広げているのかなと率直に感じました。 根本的テーマの訴えは随所に感じみることができて、人の記憶の不確かさや危うさ、忘却とは何なのか、熱狂の恐ろしさ、などの投影を感じました。 間接的に読む作品ということなのかな。。 | ||||
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「日の名残り」、「わたしを離さないで」、「忘れられた巨人」の3作しか読んでいませんが、最新作である本作はもっとも単なるファンタジーと捉えられかねない描かれ方。いささか筋や設定にも無理があります。彼を初めて読む、象徴する作なら、まず、「わたしを離さないで」(never let me go)をおすすめします。翻訳も原文のニュアンスが出ていて、巧み。名訳です。「日の名残り」は、英国貴族につかえる執事の話で、英国の歴史のにおいがしてきます。 | ||||
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霧に覆われたイングランド、記憶に霧がかかったような人たち、伝説のドラゴンと騎士、老夫婦の旅の仲間や旅の目的を邪魔する次々と現れる試練、秘められた過去・・・。 当時のイングランド人のサクソン人に対する気持ちなどは解かりようはないのだが、老夫婦の愛情、民族同士の軋轢やドラゴンに対する恐れ、騎士の使命感などイングランド人の心の深いところを掴むような内容が評価されたことを伺わせる。 入れ替わり立ち替わりする登場人物の長いモノローグで構成される、霧の中でそこだけスポットライトが当たる舞台演出のように思える。ドラゴンクエストの冒険譚でもあり、老夫婦の愛情物語でもある内容だが、数多くの戦闘のシーンがあるにも関わらず、見通しが効かず、静謐が支配する物語だ。 | ||||
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巨人の正体が分かってみると「忘れられた」という形容が、しっくりしないように感じた。「忘れられた」には「覚えておかれるべき」が くっついてしまうように感じるのです。原語どおりの「葬られた」の方が良いのではないだろうか。「葬られた巨人」。 「覚えておかれるべき忘れられた巨人」ではなく「白日の下に曝されるべき葬られた巨人」。 | ||||
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最後のほうまできつい。 イシグロ節である「噛みあわない登場人物の会話」 と、「読者に嘘をつく登場人物」は、「日の名残り」などではものすごい効果的だったが、 今回の設定では逆効果。 なにしろ「霧が記憶を奪う世界」で、メインが老夫婦と老騎士(ガウェイン)。 これで噛みあわない会話と、読者に嘘までやられるので、もう痴呆症レベルの?が連続する。 この人なんでここにいる? 過去に何があったの? いったい何を話しているの? この人この立場で、なんでこんな思考形状しているの? 納得できない。 いろんなことが。 明らかに無意味な過去へのカットバック。 物語の核心には触れてこない断片。 いらつくのだ。 いろいろ。 特にいらつくのはガウェインの思考で、クエリグをいつまでも倒さずに、 「わしが勇敢ではないなどといえるのか」などと自己弁護を延々と繰り返しながら なぜクエリグを倒さ(せ)ないのかは読者に明かさないというのはきつい。 息子の村に行くだけの老夫婦が、ひたすら寄り道して竜退治の目撃に至るのも、 強引。鬼退治の村人の若い衆が、いったい何にどうされて竜への案内人になったのかも不明瞭。 竜はずっと岩穴で寝ていたんだよね? 死にかけ状態で。 しかし、最後には一応、多くの謎は開示されるのである、 そして読み終えた後は、なにかしんみりとして、余韻があるのである。 哀しいとも、寂しいともつかぬ、多くの隠喩が暗示したものに思いをはせずにはいられず、 美しいものを読んだ、 と感じてしまう。 途中と、読了では、評価が変わる物語だ。 霧が晴れる。少なくとも半分ぐらいは。 最後まで読むべきである。 しかし、この余韻をもってしても、 全体として、「よくできている」とはどうしても思えなかった。 非常に不思議な小説である。 超退屈な映画を観ているんだが、最後まで見たら放心したみたいな感じ。 | ||||
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長崎県出身で5歳から英国に滞在する日本人作家の作品。海外では大変評価が高いらしく、長崎出身と聞いて興味を持ったので、読んでみました。ノーベル賞を村上春樹よりも先にとるのではないかとの噂もあるらしい?! 様々な作風の著作があるようですが、今回は英国のアーサー王没後の時代の物語で、ファンタジー系。 翻訳のために、その作風は本当に日本語訳の通りかどうかは原作に目を通さないと何とも申し上げられませんが、うーん 評価は難しいところ。 ファンタジーとしての物語の出来は、上橋菜穂子さんの方がずっと上のような気もするし、雰囲気、書き込みの表現はイシグロ氏の方が数段上の感じ。おそらく、イシグロ氏はネイティブの英国人と同等の感性で、書いておられるので、日本人の私には理解出来ない世界、背景がやはりあると考えざるを得ません。そう、作品全体にイメージで言えば、英国の荒涼とした原野とどんよりした雲と氷雨という雰囲気が重く感じられると申し上げればお分かりいただけるでしょうか? ブリトン人の老夫婦のアクセルとベアトリスは、村ではつまはじきにされて苦しい生活を送っていた。ある日、家を出て他の村に住む息子を訪ねようと夫婦は旅立つ。 その旅の途中で、若きサクソン人の戦士、ウィスタンと鬼に襲われて胸に傷を負い、村人から鬼に変わると怖れられ殺されそうになっている少年エドウィンと出会う。 国中を覆うクリエグという雌竜の吐く奇妙な霧によって、皆が昔の記憶を失う状況に、そのクリエグを追い求める旅になってしまう。その旅の道すがら、アーサー王の騎士で年老いた老騎士ガウェインに出会い、危ない目に遭いながらも、クリエグを遂に見つける。そして、、、 | ||||
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時代はアーサー王が身罷(みまか)ってさほどの歳月が過ぎていないころ。ブリトン人の老夫婦アクセルとベアトリスは、今は離れて暮らす息子を訪ねるべく、住み慣れた村を後にした。しかし息子がなぜ自分たちの元を離れたのか、今となっては記憶が定かではない。二人は文化習俗の異なるサクソン人の騎士や少年と行動を共にしながら息子の住む村を目指すのだが…。 先月(2015年6月)来日したカズオ・イシグロが『』以来ほぼ10年ぶりに世に問う新作小説です。 どんな内容なのか、何が描かれるのか、全く予備知識もなければ予測もせぬまま購入して読み始めたのですが、これはなかなか手ごわい小説でした。 まず物語の端緒では、アクセルとベアトリスの長年月を共に過ごしてきた夫婦ならではの互いをいたわり合う心根の美しさが描かれ、それは読者である私の気持ちにしっとりと寄り添いました。 ですが、息子に関する二人の記憶が曖昧なのは高齢のせいなのだろうか、とぼんやり思いながらページを繰り続けた末に、やがてこの物語が騎士や竜といった中世幻想譚の装いを見せ始めると、率直なところ、距離を感じてしまったのです。 この物語が訴えるのは、どうやら記憶が人間に与える喜びと哀しみのことのようです。 人間の記憶は幸せだったことよりも辛かったことのほうが強く脳に刻まれるものだと聞いたことがあります。それは将来訪れる危機的状況から身を守るために人間に備わった能力だとも耳にしています。 ですがその辛い思い出を反芻することは苦いおこないであることには違いありません。出来うるのであれば、その辛い記憶を拭ってしまいたい、そう考えるのも無理のないことです。 その願いが幸いにも叶ったとき、しかし同時に息子との掛け替えのない思い出も失ったとしたら。 アクセルとベアトリスのこの物語が紡ごうとしたのはそうした世界なのではないでしょうか。 「神様はわたしたちがしたことの何かに怒っているんじゃないかしら。それとも恥じているとか――」(中略) 「わたしたちを――わたしたちのしたことを――深く恥じて、ご自身でもわすれたがっていたら? その人がアイバーに言ったように、神様が覚えていないなら、わたしたちが忘れても不思議じゃありませんよ」(100) 村上春樹も記憶や思い出について繰り返し物語を編んできましたが、それは思い出こそが人間を支えるよすがになるというものでした。 「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。(中略)もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。」(『』250~251頁) 記憶を失うことが意味することの両面について見つめるきっかけを『忘れられた巨人』が与えてくれたのは、ひとつの得(う)るべき点だと私は思います。 ですが、この幻想譚の行方がなかなか読みとれなかった私には、この小説はおよそ10年前に『わたしを離さないで』で味わったような平坦な読書経験を与えてはくれませんでした。そのことが残念なのです。 ------- 373頁:「こいつを鞘から引く抜く」とありますが「引き抜く」ではないでしょうか? | ||||
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昨日(5月31日)の朝日、毎日の二つの新聞の書評で、カズオ・イシグロの最新作「忘れられた巨人」が紹介されています。2005年の前長編「私を離さないで」で、臓器を病む人々のために、新しい臓器を提供するクローンとして生育される少年少女を描き、圧倒的な衝撃を世界に与えたイシグロの10年ぶりの小説だから、すばらしくないわけがない、と誰もが期待していたことが、評者の文面から伝わります。鬼を裂き、妖犬の首をはね、最後は竜と対決する、ファンタジ-の語り口はストーリ-テラ-としてのイシグロの面目躍如ですが、でもそれだけじゃないだろう、あのシイシグロだから、と評者たちが、戸惑っている様子も文面から伝わります。 民族の違いや宗教の対立を超えて人々がおだやかに共存するためには、過去の記憶を忘れる必要があるけれど、忘れ去った記憶には、愛情を始めとする活き活きとした感情の起伏がある、それをどうしても取り戻したいというのも人々の知性の性でもある。わざわざ、つらい過去を思い出すために、生命をかけた戦いをする価値があるのか、どうか。忘却の中に静かに暮らしてはどうか。 素直に読むと、こうしたモチーフをファンタジ-の形を借りて語っていると思います。であるならば、あの「私を離さないで」のイシグロとしては、物足りないではないか。そうした読後感でした。 | ||||
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