■スポンサードリンク
クリスマスに少女は還る
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
クリスマスに少女は還るの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.67pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全45件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み始めは嫌悪感。 読後はすべての作中人物が愛おしくそばに寄り添ってあげたくなりました。特にある人物は私の生涯の友です。 2度目3度目も楽しめます。というより2読3読せずには居られませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
過去、推理もので一番仰天したのは『ハサミ男』だけど、 それを超音速でぶち抜いた。 ありきたりなはずの連続殺人モノなんだけど、 イケてるキャラクター陣のせいで、斬新極まりないものに仕上がってる。 生まれて初めて本物のカレーを食べた気分、オレがいままで食べていたのは全部レトルトだった。 あー、フッフーチェンっていうんだっけ? 極上の素材を煮込みまくってできあがる究極のスープ。 この小説はミステリ界のフッフーチェンですわ。 続編ないのかな。このキャラクターたちの活躍をもっかい読みたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
真犯人を知っている人物が職業上の守秘特権を盾に捜査に非協力であることと、捜査陣の連携があまりにも悪すぎることが事件の解決を困難にしているだけ、という印象。私立探偵ではあるまいし、捜査員の単独行動が多すぎるように思う。鍵になりそうな少年からようやくのことで得られた情報は、長々と続いた導入部を通じて読者がすでに知っていることばかりで拍子抜け(その後、作者はこの少年はひどくぞんざいに扱っている)。最後の「意外な」オチは……ミステリではなくてファンタジックホラーだったのか、と。うんざりした読後感だけが残った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長いだけの退屈な物語。原題は「Judas Child=ユダ達の子、だがもっと深い宗教的意味があり、本作の眼目そのもの」なのに訳の分らない邦題だと思っていたが、作者としてはミステリ風「クリスマス・キャロル」を書きたかったという次第。そう考えると、この邦題は訳者としての腐心の結実(見事だと思う)で、実際、本文の訳の出来も良い。 ある街で何十年にも渡って起こる連続幼女誘拐殺人事件。15年前に一卵性双生児の妹を殺されたルージュ(ハンサムな上に、知能指数が異常に高い)は今や警察官となっている。そして新しく発生する幼女誘拐事件。何故かルージュに接近する小児性愛専門の精神分析医アリ。ルージュとアリを中心としたこの事件の捜査模様と誘拐監禁された二人の幼女の恐怖と逃亡努力とがカットバックで描かれる。これを本作の縦軸とすると、横軸には精神分析医の職業倫理、幼児期に受けたPTSDが人生に与える影響、アメリカにおけるエリート校のあり方等、社会・医学・倫理的問題が散りばめられている。警察署長の名前がフロストだったり、ある助手の名前がヘイスティングスだったりするのは作者の遊び心なのだろう。遊び心と言えば、誘拐監禁された内の一人サディーがホラー・マニアという設定は少女の勇気・反骨心の象徴でもあり、サディーの明るさと爽やかさは本作で一番印象に残る。それだけ、他の登場人物に魅力がない事の証左でもあるのだが。 普通なら肝心と思える捜査活動の描写に全く身が入っていないのである。FBIまで投入しているのに、これだけ小さな街(殆どの住民が顔見知り)で監禁場所が見つからないとは不自然過ぎるし、頭が切れる筈のルージュが真犯人に"とうの昔"に気付いていないのも不自然過ぎる。また、無駄な書込みが多いため、捜査の方はどうなっているんだよ、とツッコミたい箇所が山ほどあった。更に、ルージュがアリを覚えていないのもこれまた不自然過ぎる(どこかで説明してしかるべきだと感じた)。これらの理由は最後まで読むと分るのだが、本当にガッカリするもので、本作の結末を読んで感動出来る方はある意味羨ましいとさえ思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
反則です。 物語としては秀逸ですし、緊張感も持続しますが、 結末が反則です。ファンタジーなの・・・・ この作家のいまひとつ好きになれない点です。 リアリティは、あまり大事にしていないのでしょうが、 はしごを外された読後感です。面白かったけど・・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
生涯にそう何度も出会わないであろう素晴らしい傑作。クリスティの『アクロイド殺し』は、余人の真似することあたわぬ絶妙のプロットで名高いが、このオコンネルの『クリスマスに少女は還る』も同様の作品であり、いわゆる「どんでん返し」のありようとして、これほど見事な構造は類例を思いつかない。だが、本作の本当に優れた点は、この巧緻をきわめたプロットが、圧倒的なキャラクター造形とあいまってこそ十全な効果をあげているところにある。奇妙な言い方になるが、本作において、もし読者がある登場人物を愛さなければ、この「どんでん返し」はさほどの効果をあげず、単なる変化球に終わったかもしれない。ところが、おそらくすべての読者がまちがいなくその人物を愛してしまう。それも深く深く。だからこそ、この「どんでん返し」は最大限の効果を発揮している。『クリスマスに少女は還る』の恐るべきところは、まさに「読者がある登場人物を愛さざるを得なくなる」ほどに見事なキャラクター造形を実現した上での絶妙のプロット、その一点にあると思う。その登場人物こそ、タイトルロールの少女・サディーである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
以前図書館で借りて読みました。結末が衝撃的で、精神的にしばらく立ち直れませんでした。(笑)それからかなりの時間が経ち、もう一度読みたくなりました。また図書館で借りようとしましたが見当たりませんでしたので、ネットで調べましたところ、冒頭を読むことができて買う気持ちになりました。中古品でも程度が非常によくて嬉しくなりました。再読ですので一度目のような衝撃はありませんでしたが、じっくり味わって読み進めたところ、本当に佳作だなあと感じました。推理小説ですが、結末が分かっていても何度も読み返したい作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
夢中で終盤まで読み進めました。最後のところが、ちょっと想像通りで、ウーンという感じだったので★ひとつ減らしました。 全体的には、すごく楽しめました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ストーリー展開、キャラクター造形、 すべてが見事で読ませてくれる。 贈り物はいつだって嬉しいものとは限らない。 クリスマスに、少女は還る。 贈り物がどんなものであるのかは 受け取った人の在り方次第だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
自分が親ならサディーのような娘を愛さざるを得ないだろう。。書評で『消えた少年たち』との共通点に触れたものがあったので、ネタばれは覚悟のうえだったが楽しめた!ただ泣きどころは『消えた少年たち』の方が上 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリーとしてはもちろん、家族や友情の絆を描いた(そんな単純なものではないが)人間ドラマとしても秀逸です。 やや宗教色が強い作風ですが、抵抗なくすんなり受け入れられました。 女性作家だからか、一見淡々とした言葉の綴りの中にも優しさや思慮深さが見え隠れしていたように思えます。主要キャラクターの描き方に愛を感じました。 私は最初、主人公はルージュだと思いながら読み進めていたのですが、案外そうでもなかったようですね。私的には、アーニー・パイルに焦点を当てた物語を読んでみたいと思いました。 ラストについては多少の賛否両論があると思いますが、彼女の生み出したキャラクターに魅せられた私には間違っても低評価を下す真似など出来ません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は読んでよかったと思う。というか、読まなきゃ損する。 登場人物の誰一人として、いや読者さえも、「奇跡」が静かに進行していることに気づかない。 これを技巧というのは簡単だが、下手をすると大失敗作になったかもしれないのだ。 完璧な完成度とまでは言わないが、ちゃんとミステリーとして仕上げたのは、やはり実力あってのことだと思う。 読んでない人は一体何を言ってるのかわからないだろうが、良識あるレビュアーたちに倣い、私もネタばらしはすまい。 一読の価値はある。読んで欲しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
15年前のクリスマス前に、一卵性双生児の妹が殺され、兄はその後、刑事になった。そして、クリスマスが近づいてきた頃、今度は二人の少女が行方不明になる。しかし、妹を殺した犯人は紛れもなく今も刑務所の中にいる。新たな犯人の登場なのか、はたまた、あの時の犯人は本当の犯人ではなかったのか。刑事の兄は15年前のトラウマを抱えつつ、犯人逮捕に異常な執念をもやす。 本書のヒロイン・サディーは犯人に監禁されるのであるが、当然脱出を試みる。このサディーのキャラクターの魅力は特筆ものである。そして、タイトルの「クリスマスに少女は還る」なのだが、何気なしに読んではいけない。深い意味が潜んでいるのだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
特に内容も知らず、クリスマスだったらクリスマスミステリーでしょう。くらいの軽い気持ちで購入。まさか、寝るのも惜しんで二日で読んでしまうとは思いませんでした。特に上手い!と感じたのは、キャラクターの入れ替わりかたの絶妙さ。キャラの置かれた状況から、本を置くタイミングが作くれませんでした。ラストの展開もお見事。久しぶりに鳥肌が立ちました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ニューヨーク市警女性刑事キャシー・マロリーをヒロインとするシリーズを持つキャロル・オコンネル女史が’98年に発表したノン・シリーズ大作。’99年、「このミステリーがすごい!」海外編で第6位にランクインしている。クリスマスまであとわずかと迫ったニューヨーク州の片田舎でふたりの少女が姿を消した。ひとりは州副知事の娘グウェンで、もうひとりはその親友の問題児サディー。さっそく州警察、FBI、法心理学者たちによって特別捜査班が組織され、地元警察からはルージュが臨時州警察捜査官として抜擢される。実は、彼は15年前に似たような状況で誘拐されて死体で発見された少女の、心に傷を負った一卵性双生児の兄だった。彼は自らのトラウマとなった記憶を紐解くと同時に捜査にのめりこむ。この長い物語は、映画のカットバックのような手法で、外部の警察捜査の動きと、内部の監禁されたグウェンとサディーの勇気と友情に溢れた、犯人への果敢な反撃と脱出行動が交互に描かれる。そしてそれぞれがクリスマスというデッドラインに向けて緊張を高め、意外な真犯人の登場という1点で交叉し、一応の決着を迎える。個性的・独創的な登場人物たちの強烈なキャラクター造形。乾いてクールな語り口でありながら描写の隙間から零れ落ちる感傷。一種独特な幻想感。そしてどんでん返しともいえる終章とエピローグ。読者はここにおいて邦題が『帰る』ではなく、『還る』であることの真の意味を知るのだ。本書は、私にとって過去にあまり読んだことのない、超絶技巧のサスペンスであると同時に、読後になんとも言えない余韻を残す、愛と救済と贖罪の、奇蹟のような物語である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読後、心に残るミステリーは以外と少ない。 そんな中、この本は 心に余韻を残す一冊だと思う。 ストーリー自体は、そこまで筆舌するほどのものは無い。 唯、登場人物達がとても魅力的だからなのかもしれない。 主人公ともいうべき、新米捜査官ルージュ。 彼は、幼いころ双子の妹を誘拐された上、殺されるという過去を持つ。 双子というものの、その血の濃さを ルージュは決して自らは語らないが 周りの者達の話から垣間見ることが出来る。 その傷が、どれだけ深いのかは ルージュの寡黙で淡々とした行動が 静かな怒りとして、哀しみの深さが相乗されて伝わってくる。 そして、冒頭で謎の女として登場したアリ。 顔の半分に、醜い傷を持ち、それを隠そうともしない。 整形をしようともせず、まるで「見て」と言わんばかりのアリ。 若くて教養もあるアリの過去が、気になって仕方が無い。 その傷の意味が最後の最後に明かされる。 アリの背負ってきた哀しみがわかった時、思わず目尻が熱くなった。 そのアリの叔父も、どうしようもないものを背負って生きている。 そして、特筆すべきは 誘拐された2人の少女、サディーとグゥエンだ。 この2人の会話は、必死に生きることを考えて行く強さがある。 10歳の少女達の逞しさ。 弱気になり、もうダメだと挫けそうに何度もなりながらも 「戦う」ということを持ち上げる強さに、心を打たれる。 囮として使われたサディーが、何よりも魅力的だ。 そして、その母のベッカ。 こんな母親はそうそういない。 決して優等生ではないサディー。 それでもみんなが愛さずにいられないサディー。 「みなさんは、あの子を愛さずにいられなくなるわ」 この一言に、母としてのすべての愛情が現れ、読んでいる者の胸を打つ。 ラストは、決してハッピーエンドとは言えないけれども 不思議な感動を貰えた。 何年か経って、又 読みたいと思わせてくれる本のリストに 加えらました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミステリと思って読んでいたんだが、途中から真犯人や過去の謎解きは二の次になってしまった。 この物語の主人公は、間違いなく誘拐された少女たち、サディーとグウェンだ。 ホラー映画マニアの二人の会話がめちゃくちゃ楽しい。 薄味な 「大人たち」 の中にあって、一際魅力的なのが、サディーの母親ベッカ。あの母にしてこの娘あり。 あと、警察署の女性職員マージ。なんとも、「抱かれたい」 女性たちだ。 「巧緻を極めたプロット」 だの 「超絶の問題作」 だのという過剰な宣伝文句はどっかにおいとくとして。 「みなさんはあの子を愛さずにはいられなくなるわ」 はい、愛おしくなりましたとも。 こうくるとはな。泣かされてしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
オースン・スコット・カード「消えた少年たち」とメアリー・W. ウォーカー 「神の名のもとに」を足して3か4で割ったような作品。カバーの紹介に「巧緻を極めたプロット」と書かれていて、確かにそのとおり技巧を凝らした作品ではあるけれど、それが成功してるかというとちょっと疑問。技巧を凝らすために無理してるな、作りすぎてるなというところがかなりあり、それが気になりもうひとつ作品の世界に入り込めなかった。それがなければラストでもっと感動できたのに。惜しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
不満だ、大いに不満だ。今からでもなんとかならないのか。何故ああいう終わり方なのだ。今からでも変えてもらいたい。そうすれば10個くらい星を与えたいし、今後の人生において何度でも読む本の筆頭に掲げてもいい。単なるミステリーとして読めればよかったのにと思う。しかしこの本を読み終えたほとんどの人は、単なるストーリーテラーとしてのテクニック云々ではなく単純だが正直な人としての感情を吐き出すだろうと個人的感覚では思う。試しに時を経ず連続して読んでみるといい。最初から泣けてしまう。それと同時に作者に対するうらみ節があらためて湧き起こる。私はマロリーが大好きではあるが、キャロル・オコンネル、この作品では彼女を認めたくはない。絶対認めてやるもんか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いわゆるミステリーの多くは、読者を驚かすトリックに重きを置くゆえ、人間ドラマとしての感動は浅くなりがちである。名作と呼ばれるものであっても、読後、心の深い部分に響くものはほとんど無い。それはそれで、何かしらの知的楽しみがあれば十分役割を果たしているのであろう。しかし、まれに、ミステリーとしてもきっちり成立していて、なおかつ謎を最後まで明かさない事が文学的必然になっている、奇跡のような作品が存在する。本書がまさにそれである。少女の誘拐事件を縦糸に、現代の宗教観や医師の守秘義務、登場人物たちの深い心の傷等を横糸に折込み、涙なしには読めない最後の衝撃までなだれ込んでいく。スケールは違うが、神の不在を宗教者が噛み締め、しかし神を否定できないリアリティなどは、あの「薔薇の名前」にさえ匹敵する。あ、決して、とっつきにくくないですよ。連れ去られた少女たちのホラー映画趣味なんかは、なかなか笑わせてくれます。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!