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変身
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変身の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全385件 41~60 3/20ページ
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新訳も読みやすく、けれど本文の持つ閉塞感や不安も損なわず、丁寧で、おもしろく読みました。 妹、父と母とザムザの関係、経済的な基盤を持つ者の変化に伴う思惑の変化、資本主義への苛立ち、時代背景にある不穏さもたっぷりと読み解きたくなり、主人公が変わる「虫けら」の姿がどんなものか、読みながら何回も造形を変え、足音を想像しながら読みました。 後半70ページに及ぶ訳者解説もとてもおもしろく、1983年プラハに生まれたカフカがどんな時代を生きたのか、ダーウィンやニーチェ、他の作家やユダヤ人の状況がカフカに及ぼした影響について、興味深く読みました。 カフカ本人の、史実に基づいた当時の人間関係や、就いていた仕事、恋人に送った長い手紙、本人の人間性も、もっともっと読みたくなるほどでした。 今回の新訳にあたって他翻訳との比較や細かい表現の検討の解説も興味深かったです。 また本文に返って丁寧に読み返したくなりました。 並び通り、先に本文から読み解説に進んだ方が興味深く読める気がしました。 表紙に使われているハマスホイの絵画も本文によく合い、素敵です。 | ||||
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■数十年ぶりに再読。訳者は10年前にNHKの『100分de名著』に指南役として出演をヒントに冒頭一行目の「虫」を「虫けら」と訳した新訳であるとネット記事(*)で読み、さらには最近出版された伊集院光著『名著の話』にも取り上げられており、無性に読みたくなったので、にわかですが再読したものです。 (*:2022/2/16(水) 8:30配信 WEBザテレビジョン「伊集院光が語る、名著からの学び「本当に好きなことを見極めながら歳をとっていくのが理想」」) ■全174ページの薄い文庫本です。本編『変身』は101ページまで。それ以降は約70ページの「訳者解説」です。本編は読みやすい訳で、訳者解説が興味深いです。にわかなので、過去訳との比較はできませんので他のレビューにお任せし、以下は、にわか読者としての感想です。 ■先ずは本編:海外翻訳があまり得意ではない私であっても割と読みやすいと感じる訳になっており、すんなりと読むことができました。数十年前に読んだときの印象は何も残っていなかったのですが、読み手のこちらも大人になり社会人としていろいろ経験したためでしょうか、「そうかこういう話だったのか」と味わいながら読めました。 ■そして訳者解説:これも70ページあり、カフカとその背景に詳しくない私にとってはとても面白い読み物でした。解説は、大きく次の3項から構成されています。 ・カフカの前半生 ・『変身』の成立史・出版史 ・『変身』の翻訳について ・この解説で興味深かったことのひとつは、本書は過去からいろんな解釈の仕方がある書であった、ということ;宗教的解釈、実存主義的解釈、精神分析的解釈、社会主義解釈、文化史・社会史的解釈等々…。名著として残るものはいろんな解釈(あるいは誤読)ができるものなのではないかと思わせてくれます。 ・もうひとつは「『変身』の翻訳について」の中で今般の翻訳についての解説をしている点です。冒頭の「虫けら」をはじめ「出張の多いセールスマン」や宗教的な語彙の意訳についての訳語の選定の背景の解説が興味深いです;代々の翻訳者を泣かせてきた部分があるのですね。 ・加え、読みやすい訳なのに意味がわからない言葉(例「業務代理人」)や、違和感をもった部分(使用人は辞めたはずなのに、いる?)についても解説があり納得しました;もともと議論を呼んでいた部分なのですね。 ■不条理を淡々と描く不思議な物語…先述の通りいろんな解釈ができると書ですが、現代的にはサラリーマンとして卑俗的な解釈(出社拒否、あるいは、時代転換で急に不要人材になってしまう等)もできる書です。ぜひお手軽にとってみてはいかがでしょうか。 ※余談:訳者解説内のこのフレーズ「虫のいい妄想にふける」(p.169)には思わずニヤリ;こんな駄洒落をここでさらっと出すとは、軽妙です。 | ||||
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ザムザが変身した巨大な毒虫とは何か?時代により、状況により、国により、信仰により、人種により、社会により、個人により、個人の年齢により、個人の経験により、あらゆる解釈が可能だ。その千変万化の解釈を許しつつ同時に拒む力が、この名作の魅力だ。 蛇足だが、TVシリーズ『ウルトラQ』の中の一話「変身」を思い出した。ある種の蝶の鱗粉を浴びて登山者が巨人化するという物語。実は、”思いつき”という本質はカフカと同じだと感じ入った。そう思いませんか? | ||||
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有名な本にて、遅まきながら読んだが残念です。 | ||||
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内容は素晴らしいと思います。 読む人によって様々な解釈や想像が可能であり、 さすがに100年以上読み継がれている作品だと感じました。 しかし翻訳がなぁ・・・・ 初版が昭和27年なんですが、 翻訳文学にありがちな文章×ひらがなの多い文章+なんか変な日本語 という出来そこないのグミみたいな文章です。(あくまで私感です) 原文の雰囲気を伝えるためにあえてこういう文章にしている可能性もありますが、 んー、どうなんでしょ? 他の訳も読んでみます。 | ||||
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毒虫に変身してしまった後も自我のあるグレゴールが、だんだん家族に疎まれて行く様子がひたすら可哀想。 | ||||
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なぜグレゴールは虫になったのか。この本を初めて読んだ人はまず、その真相がひたすら気になるでしょう。それまでの過程がなく冒頭からいきなり虫になってますからね。 けれど、この物語が言いたいことはそんなこと(グレゴールが虫になった理由)はどうでも良いことなのかも。 グレゴールは長男なのかな。ザムザ家の大黒柱として、父親、母親をはじめとする家族に非常に頼りにされていた存在だったということが、読んでいけば理解できます。 虫になってしまった彼に対する、家族の態度や心境の変化。世の中の不条理さを表しているのかな。 そもそもグレゴール自身は、なぜ自分が虫になったのか全く不思議がってないですから。 変わってしまったのは、『変わってしまった彼』を取り囲む周りの人々だけ。 なんとも言い難い読了感ですが、大好きな一冊。 | ||||
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主人公が夢から覚めたら虫に変身しているというかなり衝撃的内容です。 虫が好きな人又は虫になったら家族はどんな目で見るのかを知りたい人向けです。 | ||||
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かわいそうなザムザ。あんなに家族のことを思い、会社にも貢献してきたのに。原因不明で突然、気味の悪い虫に変態。会社という世間からも、家族からも見捨てられ孤独に死をまつばかり。憐憫を禁じ得ない。ザムザは若くしてこのような運命に陥ったが、この本を読むシニアの読者は自分の身の上と重ねて読むだろう。 ところで、翻訳についてひとこと。各種の翻訳が存在し、その多くは東大独文系のものだが、それぞれ持ち味が違うので合わない本を択ぶとがっかりすることになりかねない。昔読んだものを懐かしむシニアは、新潮文庫(1952年、現在では、古本とkindleのみ)がよい。訳者の高橋義孝は、旧制高校の教官でありナチス時代のドイツに留学した。「へんくつの発想」という著書もがある。次に古いのは、角川文庫版で、直木賞の候補にもなった広島大学の中井正文によるもの(1952年)。無料のkindle版(1961年)は、訳者の原田義人は東大教養学部の教授昇任後、夭折した。ザムザが「おれ」と自称しているので他の訳書とは雰囲気が異なる。(ちなみに、レビューは、高橋版と原田版が混在し、しかも、無料の原田版は日本語学校のテキストになったためか外国人学生の感想が多数入っていて大混乱を示している)。 岩波文庫版は、1958年に東大教養学部教授だった山下肇の翻訳によるものだが、子息の拓殖大学教授、萬理(カフカの本の題名から命名された)が2004年に改訂・改訳しているので現代的できわめて読みやすい版となっている。はじめて読む人にはこれをお勧めしたい。 新訳に当たるのが、まず、古典新訳文庫の、首都大学教授丘澤静也によるもの。2007年。「新訳」と銘打っているため、訳に関するレビューがいっぱいある。白水社版の本書は、元東大文学部教授で文筆家、池内紀によるもの。2001年。個人で訳した各作品をカフカ小説全集にまとめた。池内の翻訳は、文章が短く、日本語として違和感は全くないが、逆に言えば、関係節が多く、一文がめっぽう長いドイツ語の原文の雰囲気は完全に消え失せており、「池内作」といってもよいように当レビュアーは思う。西洋料理を食べやすい日本の洋食にしてしまった感じ。集英社版は、ドイツ在住で芥川賞作家の多和田葉子による異色の翻訳。ドイツ語でも小説を書いている多和田の感覚が突出している。(2015年)。他の作品も多く収載されているため厚くなっており、変身だけ読みたいなら別の本がよいだろう。 「変身」のドイツ語は比較的容易なので、大学生でもアプローチできる。個々の訳語についても様々でいろんな意見がある。ザムザの姓(グレゴールかグレーゴルか)、(多和田は「変身」を「かわりみ」と読ませているが)題名の訳語、ザムザが変身したもの(毒虫、甲虫、原語のままのウンゲチーファーなど)、ザムザの職業(古典的訳では、「外交員」となっていたが最近では「(外回りの)セールスマン」など、さまざま。何に変身したかということについては、私は、オサムシ(ネットで検索して画像を見てもらえばよいのだが)がイメージにあうのではないかと思っている。気味の悪い甲虫のようなものと考えると辻褄が合う。原語には気味の悪いという雰囲気はあるが、毒があるという意味はない。訳語の混乱は、独和辞典の昆虫に関する語彙がお粗末なことに起因していると思われるが、さすがに「毒虫」は誤訳だと思う。 | ||||
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再生のしかたが分からなかった。無料なので問い合せは遠慮しました。 | ||||
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人はロボットできはないので、どんどん変わっていきます。そのあたりを自然と描いた作品でした。 | ||||
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カフカは実存主義の先駆者とか言われますが、そんなことで文学論に走るよりも自分自身が読んだ 感想をありのままに述べたいと思います。私にとってカフカはどこまでも「せつない」です。この 「変身」でもその「せつなさ」は同じで、私は、もういたたまれない気持ちにさえなるのです。 朝起きて自分が大きなムカデのような虫に変身してるにもかかわらず、そのことを自身で確認しながらも主人公のグレーゴル・ザムザは、しばらくは、何時の汽車に乗らねばとか、その日の仕事のこと ばかり考えてます。その時の思考は実に明晰で論理的です。虫に変身していることを考えれば彼の すべての論理思考はその土台から崩れさるわけですが、それをグレーゴルは意にも介していない。 かえって虫の触覚の便利さに気づいたりしながら、初めのうちは夜中のひっそり静まりかえった部屋で グレーゴルはひとり今後の生活方針を熟考します。家族の自分に対する対処の仕方などから、彼はまだ 人間世界に結びつけられている自分を実感し、元気づけられるのでしたが、その一方で、異様な不安感にも襲われています。 妹のグレーテは、グレーゴルの変容に若い女の子らしく涙し、初めは献身的に食事なども運び、部屋の 掃除をします。グレーゴルの方も醜いからだを彼女に見せたら悪いと感じ、麻布で自分のからだの椅子の下からはみ出だして見える部分を隠したりします。その小さな思いやりをわかって欲しいのでしょう、 グレーゴルは妹の目にその自分の行為に対する感謝の気持ちを探すのです。どうしようもない状況においても、人としてのつながりを求める「せつない」いたたまれないシーンの一つです。 きりつめた生活の中で妹も稼がねばならずちょっとした仕事で毎日外にでるようになります。この へんから父親も、母親も、妹も、毎日のグレーゴルへの対応が切羽詰まってきます。ちょうど家族の 中に長い病(やまい)の重病人をかかえ、世話をする家族が疲労困憊(こんぱい)するという、世間には 少なからずある話と同じで、多くの読者もきっと同様に思うことでしょう。 まず母親がグレーゴルの姿を直に見て悲鳴をあげ意識を失うほどの事件があり、グレーゴルは誤解を解くことも叶わず、怒った父親にリンゴをぶつけられて、彼の死の遠因ともなるケガをします。家族は、生活のやりくりのために下宿人を自宅に入れます。そして、その下宿人たちがグレーゴルを見てしまったことからひと騒動あり、さらに父親は怒り心頭に発してグレーゴルを彼のいた部屋へと力まかせに押しもどします。その時までには、もう長い間グレーゴルは何日も食事をしてません。そして 事件が一段落着いた直後、妹は父親にグレーゴルを処理することを提案し、父もそれに同意します。 ところが、その翌朝、グレーゴルが自分のからだを埃まみれにして既に死んでるのをお手伝いの女が 見つけるのでした。グレーゴルの家族の彼に対する人情の変化の非情さが際立った終焉であります。 でも、このことを誰も批判はできないでしょう。仕方ない。グレーゴルも息をひきとる寸前は、自分は 死んでいなくならねばならぬと自覚してたのです。実にせつない。仕方なさの普遍性とでもいえるでしょうか。グレーゴル亡きあと、この家族には新たな希望がみえてくるというのも皮肉というより世の中の 現実が象徴的に表されていて、まことに衝撃的であります。その時の家族が感じる解放感に私はいたたまれぬ気持ちになるのです。 この「せつなさ」の原因は、虫に「変身」した主人公が、徐々に人間の思考や感情が弱まっていくとはいえ、また、話すことは虫に変身後、ほどなくできなくなるとはいえ、他人のいうことはちゃんと理解でき、死ぬ直前まで、人間の理性や感情を保っていたからです。これが顕在化する「変身」した虫ではなくて、心の中に潜む「怪物」であったらどうなるでしょうか。この場合は、まわりの対応という意味では、表面上日常と変わらないかもしれません。しかし、本人が人間の理性と感情を保っていても、中身が怪物のため、他者と通じ合えない、実に孤独な人間世界がまわりの現実ならばどうなるのでしょうか。そうなった場合、変わらない日常の中で起こる問題の本質は、この「変身」の中の出来事とさして変わらぬかもしれない。ここまで考えると、ことは切迫しやっと実存主義とかの世界を考えねばならぬ段になるような気もしますが、一般の読者としての私としては、この「せつない」やるせなさを、心底から感じとることだけに集中し、その普遍性をひたすらだいじにしたいと思います。カフカは私が最も好きな小説家の一人です。 | ||||
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これまで読書をしたことがなかった人におすすめの本です。 カフカって聞いたことがある名前の作家だったので気になり、変身を選びました。 読み終えて感じたことは、 主人公のように突然、別の動物に変身することが現代でもありうるということです。 現代でも家族がうつ病になったときに、本人は自分がおかしくなっていることに気づかず、頑張ろうとしてしまい、次第に疲れ果てて気づいたら倒れて動けなくなることがあります。 食べる気力も、他人への興味関心も薄れてしまい、それに違和感を感じてすらいない。 それに似ています。 家族が主人公をまるで赤の他人のように扱うことには、主人公に対する得体の知れない恐怖心があるようです。 引きこもりの家族を持つ親や兄弟は、いつかこの人が他人を傷つけるのではないか?または、自分たち家族のことを傷つける可能性があるのではないか。 そう感じたのなら赤の他人のように接して、決して刺激せずに放置しようと思う気持ちも、理解はできます。 それでも、家族がみんな一様に関わりを持つ努力を諦めてしまえば、主人公のように社会から切り離されてしまいます。 変身という作品を通じて、家族が病気になってしまったときに、自分ならどうするか。その逆で、自分が病気にぬったらどうしてほしいか。それを考えるいい機会になりました。 初めての小説におすすめな理由は、 想像しながら読み進めるのに適している文章表現だったからです。 主人公が動物に変身してしまうという、SFチックなわかりやすさもあって、入り込みやすかったです。 | ||||
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登場人物の冷静さが大変興味深いです。見た者に不快感を与える虫の姿になってしまった主人公ですが、それに伴う家族の絶望ぶりが至って普通であることに違和感を覚えました。まるで数ある不幸のうちの一つとして、可能性は低いが十分に起こりうる事象が起こったかのように感じたためです。 ある日不幸が訪れるが、先の見えない暗闇を涙を枯らしながら進み、最後は光のある未来にたどり着き、その未来は前の不幸なくしては訪れ得なかったものだと感じさせるという本筋があり、不幸をめぐる人間の態度はいつも大体決まっているのかなと思いました。 しかしそれをもたらした主人公の人生はほとんど家族によって殺されるという結末で幕を下ろしている、というのは皮肉だと思いました。 降りかかった当人には大問題である不条理も他の人間には他人事でしかないため、延々と構い続けて停滞することなどなく、適応してまた新たに生活を回し始めるのだと思いました。 一読しただけなのであまり深く理解できていないかもしれませんが、今なお読まれているのが納得できる作品でした。 | ||||
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読んでみたくて購入、ですが無料でとてもうれしいです | ||||
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ある朝、目が覚めると虫になっていた男の奇妙な話。そして彼の家族の冷酷な視点。人によって解釈が異なるであろう、シュルレアリスム的作品だった。 | ||||
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なんか報われない話だな、虫になって妹に優しさを感じたけど、妹の言葉で死ぬことを決めたんだもんな。 | ||||
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主人公がただただ不憫な話でした 最後にグレゴールを除く家族全体で先に進もうとしているのを見ると、グレゴールは虫になる前も後も家族にとってはお荷物だったんじゃないかとも思えてしまいます | ||||
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読書は、相性だと思います。 家族の心情の描き方がある意味グロく、主人公の心情描写も終始モヤモヤしている。 この作品はいわゆる名作だとは思いますが、純粋に楽しむことはできませんでした。 | ||||
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カフカの「変身」といえば、とりあえず主人公が朝起きたら多数の足がある虫になっていたというオープニングで知っていた。それ以上のことは知らなかったし、凡庸な作者であればその後の展開は単なるB級ホラー以上のものにならなかったろう。本作品において虫というのは、主人公と同様の状況に置かれた人間が持つ、あらゆる属性を代表した形態であり、それが引き起こす不幸を生々しく描く。 本来主人公には築き上げた地位があり、役割があり、与えられるべき家族愛があった。しかしある日「虫」という形態が与えられ、その呪いがもつ強大な力が今まであった関係性と強烈に衝突する。そして圧倒的な現実の重みをもって、過去を征服してしまう。その形態に凝縮されている要素は大病だろうか、障害だろうか。人間には誰にも一定の確率でふりかかる可能性がある不幸であろう。その理不尽に与えられた不幸を前にして、無力にも戦おうとする主人公や家族がとても健気で、涙を禁じえなかった。 本作においては主人公の心情の動きが緻密に描写されており、注目に値する。「虫」という形態においてたとえ正常な思考を持っていたとしても、それを正常に保つことは非常に困難である。それは思考能力に異常をきたしたからではなく、自分の状態や周囲の環境、周囲との関係性の変化がそうさせるのである。例え本人が正常な思考を保ち、貢献しようと努力をしても、「虫」であることが常に重荷となり、思考を侵食し、不可逆的な変化をもたらしてしまう。この過程を見ればこの物語は悲劇である。 だが現実において、完全な悲劇などあるだろうか? この点も本作はとても上手く作品をまとめている。 文章量はそんなにないが、とても密度の高い読書体験を得られるので、一読をおすすめしたい。 | ||||
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