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だれがコマドリを殺したのか?
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だれがコマドリを殺したのか?の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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ギリシャ彫刻のような美青年のノートンと、華やかな絶世の美女ダイアナ。二人は出会ってすぐ恋に落ちた。それはまさに運命の出会いだった。ノートンは貧しい開業医だったが、資産家のおじさんから多額の遺産を相続する予定だった。しかしそれにはある条件がついていた…前半は延々と人間関係の描写が続くので退屈と思う人たちはいるでしょう。後半は急展開をみせます。 以下ネタバレあります。ダイアナに天性の女優の才能があるという伏線はわかりますが、ふたごでもないのに実の父親や召使、主治医らを欺くのはさすがに無理があると思います。登場人物の少なさから、現代ではこのトリックを見抜く人は多数いるかもしれません。けれど、1924年の時点では仰天のストーリーだったと思われます。フィルポッツの描く犯罪者心理が好きなので、「医者よ自分を癒やせ」も全訳で、電子書籍で読みたいです。 | ||||
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開業医のノートンと、神学博士の父から"コマドリ"と呼ばれるダイアナ。偶然出会った美男美女の二人はお互いに一目で恋に落ちる。ノートンに父親はなく、恩人である伯父は独身の大富豪だが、遺産相続の条件は偏屈な伯父が人間性に惚れこんでいる彼の秘書ネリーとノートンとの結婚だった。相続権喪失の可能性から、迷いながらもダイアナとの結婚に踏み切るノートン。詳しい事情を知らずにノートンが遺産を相続するものと期待して疑わないダイアナ。そんな認識の食い違いから、二人の結婚生活には次第に暗雲が垂れ込める。 1924年に刊行された本作はイギリスとフランスを舞台にしたミステリ作品です。主要登場人物は先述の五人に加え、ネリーの兄、ダイアナの姉、姉妹と親しいベンジャミン卿、看護師、医師、そしてノートンの友人である探偵の11人となっており、ミステリ作品の登場人物としては多くはないでしょう。そのうえ事件自体も物語の半ばを過ぎるまで発生しません。そのため間がもたず退屈するのかというと、けっしてそうではなく、多くはない登場人物たちの人物像と心理が巧みに描かれており、仮に事件がなく恋愛や家庭をテーマとしたドラマとして完結してもおそらく不満を感じないであろうと思わせられました。事件のトリックとしては、実質的な容疑者が少ないこともあって真相の予測はやさしいほうだと思いますが、展開に沿った無理のない形に落ち着いていると感じます。 総じて、ミステリでありながら人間を描くことを重視した作品として楽しむことができました。トリックの面で物足りない読者もおられるかもしれませんが、個人的には推理をあくまで一要素として扱う本作の方針にはむしろ好印象でした。ちなみに著者フィルポッツは、創作を始めたばかりのアガサ・クリスティに助言をしたこともあるそうです。 | ||||
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同作家の「赤毛のレドメイン家」が面白かったので続けてダウンロードしました。 前半は全くミステリの要素を感じさせないメロドラマ的な展開です。絶世の美男美女がお互いに一目惚れし、周囲の気持ちなどお構いなしに突っ走ります。半分くらいから唐突にミステリになり、緊張感が高まります。 1冊で2度美味しい小説でした。しかし、他の方のレビューにもある通りで、犯罪の必然性が感じられないですね。謎解きは意外な展開でした。 同作家の小説が初めてでしたら、私は「赤毛のレドメイン家」の方をお勧めします。 | ||||
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フィルポッツは昔、子供向けにリライトされた「闇からの声」で知り、ミステリにはまり始めた10代で「赤毛のレドメイン家」を読み、こちらの作品は3作目になります。「レドメイン家」は恋愛要素の強いミステリで、その点が賛否両論だったと記憶していますがこの作品も同様で、目を疑うほどの美青年である医師ノートンとあでやかな美貌の令嬢ダイアナが互いに一目惚れするところから始まります。ダイアナに求婚するつもりの貴族ベンジャミン卿、そのベンジャミン卿を愛しているダイアナの姉マイラ、そしてノートンを心から思っている誠実なネリー。彼らをめぐる不穏な雰囲気は、この時代に多く書かれたメロドラマ的なロマンスの香りが強いです。ノートンとダイアナがお互いの好意を告白しあうシーンは大変美しく、相手のことしか眼中にない熱病のような恋の描写はとてもロマンチックです。登場人物たちの心の動きも繊細に描かれていて、すばらしい恋愛小説といってもいいと思いました。ただ、延々と読み続けても一向に犯罪が起きず、恋愛模様や夫婦間の葛藤ばかり描かれていくので、途中で??になってきました。本格ミステリ・ファンには、いまひとつかもしれません。 そして、あれほど強烈な個性と強い意志を持ったダイアナがあっさり亡くなってしまい、呆然。お話として、絶対亡くなってはいけないキャラクターのような気がしたからです。ネタばれするといけませんのであまり書けませんが・・・このあたりから一転して話の展開が速くスリリングになっていきます。探偵が登場するあたりで、実はトリックがわかってしまいました。作中のあちこちで結構ヒントが呈示されています。 今のように綿密な科学捜査ができるわけではありませんから、推理にはいくつか無理な点があると感じましたが、そのあたりは時代を考えるとまあ許容範囲です。雰囲気を楽しむ小説だと思います。動機はすんなりとは理解しがたいものですし、もし自分ならこんな危ない橋は絶対渡らないと思いますが・・・強烈な印象の犯罪であり、犯人でした。総合すると、とても好みの小説でした。 フィルポッツは内気で人見知りをする性格で、都会よりも田園生活が好きだったそうですが、当時の英国や海辺のリゾートの雰囲気がよく出ています。また、英国のお金持ちが、しょっちゅうフランスやイタリア、北アフリカ方面へ旅したり長期滞在していたこともよくわかります。ダイアナとマイラ姉妹の父親コートライト氏が教会の大執事ということですが、この地位がどういうものかはよくわかりませんでした。が、ダイアナは貴族であるベンジャミン卿と結婚することによって、自分の地位も引きあがると感じていたようです。また、この時代には開業医の地位は高くなかったのですね。お金持ちでわがままな患者に引っ張りまわされ、激務だけれどたぶん一生を通じてそんなにお金はたまらないだろうという記述があります。はっきりした階級社会だったのですね。ヴィクトリア朝英文学やBBCドラマなどが好きな人はきっと興味深く読めるのではないでしょうか。 日本でのフィルポッツの評価は、すでに戦前から高かったようです。1937年「新青年」のベストテンで3位、1951年の「鬼」誌では1位だったそうです。1862年生まれのフィルポッツは1960年に長命の98歳で亡くなったということですが、極東の小さな島国での人気を知っていたのか?ちょっと気になりました。 | ||||
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先日読んだ樋口美沙緒のBL小説『パブリックスクール 檻の中の王』の "受"役、レイのあだ名がコマドリちゃんだったので タイトルを思い出し購入、読んでみました。 題名で被害者と名指しされたも同然の“コマドリ”をめぐる 幾多の人々、登場人物の紹介をチラ見しながら 果たして誰が手を下すのか、読み進む裡に。 どいつもこいつもみ~んな殺る気マンマンに思えてくる。 それなのに1ページまた1ページ…半分過ぎてもまだ!? 著者本来の持ち味と解説された田園小説のままラストまで行っちゃうのか? 心配になってきましたよ。 そのうちに、なんだか昔ムカシ、 世間を騒がした“ロス疑惑”を髣髴とさせる 展開でハナシが進み始めて確かに、 探偵小説の歴史に残る 意外な犯人と超絶なトリックが用意されてました。 堪能しました。 ・・・だけども、題名にもなってる問いかけ 《誰がコマドリを殺したのか?》 の答えは一番上に名を連ねてる お前だオマエ! という気にさせられた。 | ||||
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1920年代の古典ミステリ。創元の新訳版が出ていたのを入手して、1年ほど積読になっていたもの。 フィルポッツは「赤毛のレドメイン家」以来である。 ものがたりの大きな流れは、複数の男女のからんだややこしいいくつもの三角関係のもつれのあげく、愛称が「コマドリ」という若い女性が死んでしまう。これは他殺なのか、そうだとして誰が殺したのか、という話である。登場人物は、いわゆる上流階級の家族たちと、そこにからむロンドンで働く開業医の主人公、そしてその友人たる私立探偵。一組の男女のふとした出会いが、二人と周りの面々の運命を大きく変えていくさまを描くのだ。 執筆が古い時代のせいか、登場人物の独白や会話文、地の文やナレーション的な説明がそれなりに交じって書かれていて、今の時代に読むと謎解き物語というよりはややサスペンス調。読み方によっては、映画の原作もののような雰囲気でもある。 といっても、終盤ちかくなって明らかになる超大技トリックは(有名なものだが)驚きをもって読める。まぁいじわるな読み方をすると、記述の厳密性には欠けるけれども、これも古い時代のものなので。 それから、イングランドの保養地や、南フランスの避寒地が主な舞台になっているのは、英国読者向けのポイントなのであろう。ちょっと高級リゾートに旅行したような気分にもなれる。 かなり楽しい読書体験でした。 | ||||
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本書は、Eden Phillpottsの『Who Killed Robin?』(1924年)の翻訳。ただし、もともとはハリントン・ヘクスト名義で、タイトルも『Who Killed Diana?』。 新訳である。安心して読める(ただし、訳語にはときどき疑問も感じる)。 悪女を描くのが上手なフィルポッツだが、本書でもその腕前が遺憾なく発揮されている。いやーな感じ。 イギリスの階級社会ともあいまって、本当に怖い。 ミステリとしてもよくできている。ミスディレクションが効果的で、すっかりだまされてしまった。そして、真相があきらかになると同時に、伏線の数々がパーッと脳裏に浮かぶ。なるほどね。 ただ、ミステリとしてはアンフェアな部分も……。 | ||||
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解説文に、フィルポッツは悪の造形が卓越しているとの指摘が有るが、これは私も妥当だろうと思う。歪な人間関係の中で、誰かの、何ものかの強靭な意志が何処からか働き、関係者一同の見ている現実を歪め、捩じ曲げ、来るべきカタストロフへ向けて強引に舞台全体を引き摺り込んで行く、と云うパターンは彼の作品に或る程度共通して見られるものだが、フィルポッツの愛読者は恐らくその辺の心理描写に最も強く惹かれるのではないだろうか。 本書の設定はこうだ。互いに結婚を期待された相手が居る若く美しい二人が偶然出会い、一目惚れから情熱的な恋に落ち、周囲の反対を押し切って結婚する。だが結婚する前から夫が吐いていた或る嘘がバレることで、夫婦関係は一気に逆転し、そこから地獄の復讐劇が始まるか、と思いきや、妻は謎の病魔の冒される様になり、やがて………と云うもの。如何にも嵐の予感を孕んだ緊迫した人間関係にもハラハラさせられるが、「コマドリ」と呼ばれる鋼の意志と燃え上がる様な情熱を持った女主人公の造形が中でも傑出している。 本格推理小説としては、本書はそれ程評価出来ない。読者はタイトルを読んで、何時「コマドリ」が殺されるのかとヤキモキするだろうが、これが仲々死なない。実はタイトル自体が既に引っ掛けなのだが、これはまぁ良い(因みに本書は歌詞の内容に沿って次々と殺人が起こると云う童謡殺人ものではない)。問題は最後に明かされる真相だ。私の場合は確かにドンデン返しにアッと言わせられたが、これは可能性が予想出来なかったと云うより、まさか本当にこんなトリックで落ちを付けるなんて、と云う驚きによるものだ。これは作者の語り口によるミスディレクションを使ったもので、推理作家がこの手口を使う時には周到な配慮が必要だと思うのだが、その点で本書はフェア・プレイを貫いているとはどうも思えない。では探偵小説として読むべきかと云うと、夫の友人の私立探偵が活躍し始めるのは最後の100頁程度で、些か出番が少なく、活躍も割と地味(最後には追跡劇までやらかすが)。正当派のミステリファンからは忘れ去られたとしても文句は言えない作品だろう。 にも関わらず、本書にも恐らく一定の愛好者は付くだろうと思う。先にも述べた様に、フィルポッツの描く人間模様には一種独特の鋭さを隠し持った色気が有って、その辺りから来る迫力の一点豪華主義が、他の諸々の欠点を覆い隠してしまうのだ。その意味ではフィルポッツは幸運な才能に恵まれた作者と言えなくもない。 | ||||
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旅先で見知らぬ娘に一目惚れする。なんだか「赤毛のレドメイン家」と似たような発端である。 ただし「赤毛」や「闇からの声」にみられる優雅な風光描写はおもいきり捨象されている。 華麗な表現が際だつ立体描写がないぶん、総体的に重厚さを欠くものの、ミステリの骨子と 核心へとつながるキャラクター間の愛憎模様に読書の神経を集中できる。 探偵ニコル・ハートは、根拠なしにノートン・ペラムを犯人から除外し(ここが少しアンフェアに おもえるが)、ある仮説を立て、それを実践的に検証・立証する手順をとる。 検証・立証はじつに単純な結果に終わるが、事物を表側からみれば、トリッキーな犯罪にさまがわりする。 すごいマジックを見せられて、あとでタネを明かされたら、なんだそんなことか、とあまりの単純さに 笑ってしまうのと同じである(この場合、事物を裏側からみる)。 そんな手はもう古いよ、と云われるかもしれない。しかし発表が1924年であることを考慮すれば 大目に見てもよいのではないか。 そしてタイトルの "Who killed cock robin ?"(マザーグースの一節) 自体が巧妙な見せかけに なっているといっていいだろう。 本書の見せ所はなにもトリックだけではない。 各登場人物の心理・動静が著者により緻密に計算されて機能し合い、キャラ間のせめぎあいの果てに 有機的にトリックを完成させているところも魅力のひとつである。 | ||||
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『赤毛のレドメイン家』を最初に読んだ時、評者がウブだったせいもあり、すっかり騙されてしまいました。男のある種の「弱さ」を思い知らされたものです。もし、その頃、本書を読めば、同じようにまんまと一杯食わされていたでしょう。 現代のようにミステリ小説も、さらに小説の内容に関する情報も溢れている状況では、本作のような仕掛けに騙される人はいないと思います。ただ、イギリスの上流階級の暮らしや考え方、時代を感じさせる結婚観など、興味深いことも多いです。探偵が活躍する部分が、かなり少ないので、あまりミステリらしくないのですが、古き良き時代を感じさせてくれる逸品です。 | ||||
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綾辻行人さんの「奇面館の殺人」のすぐあとで読みました。 奇面館~では,というより,綾辻さんの作品では,(どれも)「犯人の動機」とか,犯行に至るまでの心の傾斜がおろそかで 奇面館~でもそれは変わらず,消化不良だったのですが,(あくまで私の印象です) これは犯人が犯行に至るまでの心の傾斜がとても丁寧に書かれていて, 読了後の「納得感」というか,「しっかりひとつの物語に入り込んだ」感じがたまりませんでした。 みなさまのおっしゃるとおり,今となっては「使い古された」トリック(古典ものなので)なのかもしれませんが, 登場人物,ひとりひとりの心情がとても丁寧に描かれているので,それぞれに動機になりそうなものがあり, 「この人が犯人だとしたら,動機はこうだよな~するとトリックは・・・・・・」「この人が犯人ってこともありうるか~この人にも動機っていやぁ動機があるし・・・」 などと,本当に「ミステリ」を愉しむことができました。 自分の中では,今まで読んだミステリの中で,かなり(今のところ一位かもってくらい)上位にランキングする作品です。 | ||||
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フィルポッツの作品と言えば、「闇からの声」と「赤毛のレドメイン家」しか知らなかった私にとって、誠に嬉しい復刻版であり、また、幻の名作と呼んでも差支えないだろう。思えば、 「コック・ロビンを殺したのはだあれ?、私だわって雀が言った」 というマザーグースの一節を初めて読んだのは、ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」だった。「僧正殺人事件」はマザーグースを題材にした"見立て殺人"を1つのモチーフとしているが、本作は題名こそこのままだが、"見立て殺人"ではない。しかし、生前のヴァン・ダインが本作を推奨していた由で、不思議な因縁(あるいはヴァン・ダインが本作にヒントを得た?)であり、その意味で本作こそマザーグース・ミステリの嚆矢と言って良いのではないか。 そして、被害者が殺されるのが中盤過ぎという、如何にも専門が英国田園小説作家のフィルポッツらしい悠揚・泰然とした筆致が印象に残る。事件の背景、登場人物達の"人となり"がジックリと描かれ、読者にとって馴染みのある景色に見せる手腕は流石である。勿論、この間、被害者及びその殺人犯として告訴される元夫に対する動機も巧みに散りばめられている点は言うまでもない。また、「赤毛のレドメイン家」を読了済の方は御存知かと思うが、落ち着いた描写の中で大きなトリックを仕掛ける点が、ミステリを執筆する際のフィルポッツの特長だが、本作でもそれが活きており感心した。ラスト近くでは、アクション・シーンも用意するというサービス振りも目を惹いた。 所謂"ミステリの黄金時代"の前、通常の作家(大家)が執筆したミステリには何とも言えぬ風格を漂わせた作品が少なからず存在するが、本作はその代表例だろう。フィルポッツには未訳のミステリがまだある由なので、その翻訳・出版が楽しみである。 | ||||
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タイトル「誰がコマドリを殺したのか?」の「コマドリ」は、本作のヒロイン、ダイアナのニックネームです。 作品の冒頭、彼女は、海岸で出会った青年医師・ノートンと互いに惹かれあい、いっときの情熱に任せて、結婚することとなります。 それ以降、ダイアナ、すなわち、コマドリは一向に、誰にも殺されることがないまま、ストーリーは進行し、衰弱死という非業の運命を迎えるのは半分以上、ストーリーが進んでからです。 ダイアナとノートンの結婚生活は最初のうちは順調ですが、ノートンの伯父で資産家であるジャービスの財産をめぐり、次第に関係が悪くなっていきます。彼ら夫婦と、近親・旧友との人間関係も、良好な関係を保っているように思えるものの、内面の心情までは伺いしれません。 ノートン、ダイアナ夫妻を軸に、良好なようでいて、不穏さも感じる、危うい雰囲気、人間関係の中、ダイアナは原因がはっきりしないまま体調不良を来たし、どんどんと衰弱し、ついには命を落としてしまいます。 ”誰が”の前に、”いつ”殺されてしまうのか、そう思いながら読み進めましたが、「なかなか事件が発生しない」この展開は、じれったいようでいて、むしろ、本作の魅力であると思います。悲劇に至るまでの、人間関係、心情を克明に読み取ることができ、その後の終幕にむけた展開に納得性を強めていたと思います。また、それぞれの登場人物が、一見穏やかにすごしながらも、いかにも「何かありそう」で、緊張を高めます。 ダイアナの死は、死亡直後は事件性はないとみられ、いったんは葬られますが、ダイアナが生前に残していた手紙をきっかけに、タイトルに則った急展開を見せます。ストーリーのスピードや、登場人物の立ち位置が突如と切り替わる(冒頭に出てきてしばらく姿をみせなかった、ノートンの友人の探偵、二コルが突如と活躍しだす)展開は非常にスリリングです。 終幕の要は、やはり、「トリック」ですね。 どのように仕掛けたのか、そして、「なぜ」この方法なのか。 技法、動機、それぞれともに、古典ミステリのフィナーレとしてふさわしいと思います。また、事件に至るまでの流れが丁寧に描かれているため、唐突さを感じることもありませんでした。 読了して、表紙をみると、タイトル、挿絵、ともに味わいを感じます。 特に、挿絵の左上の端に、何の鳥か判別もできないぐらい、小さくおぼろげに、描かれた鳥が、非常に示唆的なように感じました。 | ||||
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童謡殺人物と誤解されがちなタイトルだがハリントン・ヘクスト名義で発表された本書の英国での原題はWho Killed Diana? (1924年発表)であり、邦題はアメリカ版の題名を踏まえたもの。 小山内徹による旧訳(手元にあるのは《別冊宝石》掲載版だが、おそらく創元推理文庫の旧版と同一訳)では古色蒼然で停滞気味に感じられた前半部の恋愛描写が新訳の効果でロマンティックな心理ミステリの魅力に転じ、面目を一新している。 惹句で強調されているメイントリックは大胆で面白いが、現代の読者には容易に見当がつくのではないか。その点では全体の構成のバランスの歪さも含めて都筑道夫が評論集『死体を無事に消すまで』で価値を認めながらも、やや手厳しく本書を評している通りだ。 むしろかつてオールタイム・ベストの常連作品だった『赤毛のレドメイン家』(1922年)同様、本書も異様な殺人者の心理を濃密に描いた近代的犯罪小説の先駆として再評価されるべき作品だと思われる。 従来冗長で欠点とされてきた作者の風景や風俗描写には新訳によるリーダビリティが増したことで典雅で悠然とした味わいが更に感じられるようになり、1920年代の英国文化に興味がある向きにも推奨出来る。 | ||||
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1960年に創元推理文庫で、「誰が駒鳥を殺したか?」という題で翻訳出版(小山内徹氏訳)された本の新訳である。旧訳本は市価五千円以上の小高い古書になってしまっており、新訳本の刊行は有意義である。 原作は1924年にへクスト(フィルポッツの別名)名義で、イギリスとアメリカで刊行され、イギリス版はWHO KILLED DIANA? アメリカ版はWHO KILLED COCK ROBIN?という題であったので、訳題は、新訳、旧訳ともアメリカ版の題を訳したものである。つまり、有名なマザーグースをそのまま題にしたものである。しかし、本書はいわゆるマザーグースミステリー(見立て殺人)ではない。また、コマドリとは、本書の主人公のダイアナのあだ名なので、イギリス版とアメリカ版の題の意味は同じである。 私的感想 ●傑作である。古典的名作である。 ●「だれがコマドリを殺したのか?」(或は、「だれがダイアナを殺したのか?」)という題は重要である。これには宣言的意味と、伏線的意味と、挑戦的+α意味があると思う。 1.宣言的意味・・今回の訳書は約342頁だが、そのうちの前半44%の151頁まではミステリーらしい事件は起きないし、謎もない。もしこの題名がなかったら、謎好きのミステリーファンはうんざりして、途中で投げ出してしまう恐れがある。だから、フィルポッツは題名で、これはミステリーだと、宣言する必要があったのだろう 2.伏線的意味・・これは、ダイアナはいずれ殺されるのだから、読者はよく気を付けて読みなさい、という注意的意味である。このほかに、人格、職業という、気前のいい伏線が敷かれており、立派なフェアプレイである。 3.挑戦的意味+α・・これは、もちろん、ダイアナはいずれ殺されるから、誰が犯人か当ててみろ、という読者への挑戦+αである。 ●本書は大トリック一本勝負だが、現代のすれっからしミステリー読者なら、二人が相思相愛の激しい恋に落ちる50~60頁あたりで、フィルポッツが予定している事件と謎の大よその構造を見抜くことができるのではないか。また、そこでは気づかなくとも、ダイアナが殺される200頁辺りまでには、謎の大よその真相に辿り着くのではないか。そして、探偵ニコルが奇想天外な仮説に辿り着く288頁までには、ほとんどの読者は同様に仮説に辿り着いているのではないか。 ●しかし、上記のことは、本書の古典名作的価値を何ら下げるものではない。現代読者に見破られてしまうのは、1.作者がフェアプレイに徹し、気前よく、伏線、オウン・ネタばらしを書き込んでいること、2.後年、本書のバリエーション的、フォロワー的、エピゴーネン的ミステリーがたくさん書かれたことによるものだからである。 ●ラストの前の章で、警察小説張りの、激しい追跡、アクションシーンが展開され、たいへん面白い。 ●新訳文は平易で、読みやすい文だが、会話文で、相手のことを呼ぶのに、二人称(あなた)と、三人称(ノートン、ダイアナ等)が混在している個所があり、その点は、当初は違和感がある。(だんだん慣れてくるが)。 | ||||
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眉目秀麗な青年医師ノートンと、カソリックの大執事の娘で“コマドリ”というあだ名をもつ美女ダイアナは、それぞれに大きな財産取得をともなう配偶者候補がありながら、ひと目あった瞬間から燃えあがった恋の炎に突き動かされ、衝動のままに結婚をする。しかし、遺産相続に関するノートンの虚言の発覚をきっかけに、熱病のような恋情は急速に冷えきり、険悪に翳ってゆく結婚生活のなか、やがてダイアナは原因不明の体調不良を訴えはじめる…。 『赤毛のレドメイン家』や『闇からの声』といったフィルポッツの代表作はもとより、ミステリとしてそれほど高い評価を得ていない『灰色の部屋』『溺死人』などの作品も結構面白く読めたフィルポッツ作品と相性のいい筆者は、本作も飽くことなく楽しんで一気に読了できた。定規を当てたようにガッツリとした文体とプロット、腰の据わったジックリとした展開のなかで、ジワリジワリと盛りあがってゆく犯罪劇のスリルと謎解きの面白さを味わえた。 しかし、畳みかけるようなスピード感のある現代ミステリとは違う。前述のあらすじから、ようやく美女が怪しい死を遂げるのが、全編340ページほどある作品の半分以上を読み通した、200ページ近くに達してからである。フィルポッツ作品に特に親しみがあるわけではない方、古典ミステリになじみの薄い読者には、クダクダしい叙述にモタモタした展開が重い、古臭くて冗長でシンドイ作品と感じられるのではないかと危惧される内容でもある。 新幹線でのスピーディな旅や、ジェットコースターなどのアトラクション的な面白さを求める人にはオススメできない。黒煙に黒ずんだSLのズッシリとした鉄の車両の振動に、ミステリアスな悪意の鼓動をジックリと聞き取りたいという方には、一読の価値のある作品ではないかと思う。後半、ようやく探偵役が乗り出してからは、外連味が少ないフィルポッツ作品にしては、なかなか楽しめる謎解きになっていると思う。とりわけ、童謡殺人を錯覚させる本作のタイトルは秀逸―。 | ||||
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