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丕緒の鳥 十二国記



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【この小説が収録されている参考書籍】
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)

丕緒の鳥 十二国記の評価: 3.89/5点 レビュー 184件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.89pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全127件 41~60 3/7ページ
No.87:
(5pt)

待ちくたびれたよ。

次の本がもうでないと思っていたら、やっとでた。
遅すぎだと思うのは私だけではないはず。でも楽しみました。ありがとうございます。
個人的に二話目の話はあんまり好きではないです。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582
No.86:
(5pt)

だって小野 不由美さんですから

もう20年くらい小野先生のファンです。
十二国記の世界観に入ると、現実の世界観が変わります。
待ちに待った新刊。期待通りです。次がまた待ち遠しいです。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582
No.85:
(4pt)

新潮文庫になって

十二国記の続編を書いてくれて本当に嬉しいです。
でも、長い年月の間にかつて熱中し今は熱も冷めてしまった読者もいるのでしょうね。

自分は十二国記を知ってまだ日は浅いですが、
講談社文庫版→ホワイトハート(WH)版→アニメ→新潮文庫版を読み、視聴しました。
それ以来、いつか続き(特に泰麒の)を書いてくれるんじゃないかとずっと期待し、
12年ぶりの新作と聞いてとても嬉しかったです。

ちなみにWH版購入理由は山田章博先生の挿絵が豊富に入っているから。
挿絵が無い文庫版でも十二国記の世界や人々の暮らし、風俗、思想、が事細かく描かれているので
十分堪能できたのは小野先生の腕なんだろうなと思いますが、
イラストがあることでよりいっそう感情移入できました。
アニメも、あまり読書をしない方や歴史物をあまり読まない読者にとって、
十二国記の世界をイメージしやすく原作を読む上で助けになったんじゃないかと思います。

少し脱線しましたが、丕緒の鳥、短編集で物足りなさを感じたものの、
十二国記シリーズに再び帰ってきてくれた小野先生の軽いジャブだったんじゃないかなと。
だから、がっかりはしていません。既に書き始めているという長編に期待しています。

だけど、新潮文庫版に不満があります。上にも書いたけど、もう少し挿絵が欲しいかな^^;
WHは少女向けだからイラストが多いんだろうというのは分かるんですが、
挿絵ばっかりだと食わず嫌いの大人に見向きされない、コスト&単価増?ってことかもしれませんが、
江戸川乱歩の推理小説やホームズ、南総里見八犬伝、紅楼夢、西遊記、etc...,大人が読む過去の傑作だって、
イラストたっぷりじゃないですか。十二国記はそういう方向で進んで欲しかったなあと。
まあ、でもこれって少数意見でしょうね。。。またまた脱線。

最後に。十二国記の世界は私達が住む世界とは別の異世界だけど、
私達が住む世界と同じように時間的に終わりのない世界だと思うので、
物語を完結させる、というのは難しいかも知れませんが、
十二国記の世界は小野先生にしか書けないのだから、できれば長く引き延ばすことなく、
どこかで区切りを付けて、きちんと完結させて欲しいです。
終わりのない世界だからこそ未完のままでいい、という考え方もあるかも知れませんが。

なんだかわけのわからない自分勝手な思いばっかり書いてすみません。
とにかく十二国記の続きが読めて嬉しい限りです。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582
No.84:
(5pt)

読者一人一人がいかに景王たらんとするか。

この作品は、十二国記という物語の一つの解答が示されているのだと思います。

私を含めた読者の多くは、景王・中島陽子が、どのような国家を作り上げるのか。国王がどう、国家を統治し、それが物語としてどう動いていくのか、といった部分が、当然のごとく描かれるのだと思っていました。
でも、実はそうではない、というのが今回の短編で描かれていることです。

つまり、下っ端の役人であったり、暦を作るなんていう端っこの仕事のようなことに従事する人々、そうした種々さまざまな仕事に従事する人々それぞれが、国家を形作るのだということ。民衆は誰かに頼って、国家を貰い受けるのではなく、一人一人が国を作り上げるものだということが、描かれているのです。

タイトルになっている、丕緒という人物は、王が即位するときの儀式のためだけに存在する役職に従事しています。国家の生産性になんら寄与しないようなこんな役職でさえも、国家を案じ、国ひいては民衆のために自分なりの思いを込めて仕事をこなしている。
暦を作る仕事に従事しているものでも、国家がいかなる状態であっても、地方の農家にとってその仕事がどれだけ重要であり、やらねばならない仕事かを理解し、使命感を持って従事している。山を管理する仕事のものも、命を懸けて使命感という以上の目的をもって何かをなそうとする。
そうした一人一人の働き、幾万の思いを受け取り、景王は国家を建設しなければならないのです。
おそらく、十二国記という物語は、こういう下からの視点で捉えたほうがより面白く、深く理解することができる小説だと思います。上から目線を続けても何とも薄っぺらな、どこぞのあるようなファンタジーと一緒になってしまうが、そうならないのは、このような短編があるからこそなのです。

この作品を読むうえで考えるべきは、景王は何をするのだろうか、ではなく、読者である自分だったらどうしていくべきか、ということ。
本作から、十二国記という物語は、読者ひとりひとりがどういう景王になるべきかを考えるべき作品であるのだと思いました。

※個人的には直接的な続編も読みたいですが、これはこれでなくても良いかもと考えています。
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4101240582
No.83:
(5pt)

待ってたよ!

本当にまってました。
過去発売された十二国記を何度読み返したことでしょう。この続きは〜あの続きは〜と問いかけたくなります。そして今回はまた違った視点での展開になっていて〜早くまた次が読みたい!
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4101240582
No.82:
(5pt)

待ってました!

十二国記は全て読みました。
細かい人間描写で、物語の世界へ引き込まれる。
主人公の気持ちに入り込んで読める小説。
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4101240582
No.81:
(5pt)

読者の目線を大きく転換させる、シリーズ最新作

本書は、名も無き民草による、声無き声の物語である。

本シリーズの主人公・陽子の、慶王としての目線からは外れた、
その陽子がこれから逢うべき、必ず見出すべき人々の物語である。

シリーズ1作目では、陽子は普通の…いや普通より臆病な女子高生であった。
その陽子が異界に放り出され、闘わざるを得ない状況で否応無しに強くなり、
一国の舵取りに奔走する成長を爽快に感じていた読者には、物足りないかも知れない。
だが陽子も当初は、この巻の人々以上に無力で、戦いに対して怠惰だったのだ。

日本に住む女子高生の陽子に希望は無かったが、慶国の民は絶望してはいない。
微かな期待を胸に、自分を、周囲を、少しずつ動かしてゆく。
それがいつか母国の王に、陽子に届くと信じて。

陽子が王になった時、政治に対する知識の無さに自ら歯噛みするシーンがあった。
若い読者には是非一考し、できれば現実の選挙について、投票や出馬を考えてほしい。
以前、シリーズの一作にそのようなレビューを書いた。

陽子に感情移入していた読者が、それを現実に活かせる一冊ではないだろうか。
私たちは民だが、王にもなれるのだから。 しかも天からではなく、人から選ばれて。
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4101240582
No.80:
(5pt)

心に響く珠玉の短編集

4編とも「様々な立場の人達が自分ができることを全うする姿」が描かれていて、とても勇気付けられました。その中でも特に感動したのは、「風信」のラストで蓮花が殺された両親と妹を想って泣く場面です。大切な家族を失った悲しみをこらえながら、暦を作る保章氏・嘉慶のもとで下働きとして暮らす蓮花は本当に立派でした。なかなか真似できないところですね。また、まわりの大人たちの優しさもひしひしと伝わってきてよかったです。それだけに、ラストで流した涙には一言では言い表せない、深い意味があったと思います。

P.S.小野先生、暑中見舞いありがとうございました。山田さんのイラストも素晴らしかったです。次回作「図南の翼」も楽しみにしています。
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No.79:
(5pt)

普通の人々が主人公の話です

十二国記を読み始めて日が浅いのですが、この作品は世界観がよく作りこまれ
ていると感じます。
最初読んだ時は、生物は全て卵が木に生って生まれるというのが納得しづらか
ったのですが、物語のなか少しずつ説明が追加されていくので、読み進める
うちに依然よくわからなかったところが徐々に解明されていきます。
この巻でもそのあたりの説明がさらにされていますので、よりこの物語の
世界をイメージしやすくなっています。世界観がしっかりしているので、そこで
生活する人々の思いや行動に共感しやすいのではないでしょうか。
この巻の主人公たちはあくまで普通の人々であって、これまでの物語のような
王や麒麟が主役の時のような派手さはありませんが、取り扱っているテーマ
が私たちの世界にも共通している内容のため、主人公たちに共感しつつ、作者
もこのような考えを持っているのだろうかと興味深く読むことができました。
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No.78:
(5pt)

人々の想いが伝わってくる

作者の言いたかったことなのかなと思いました。暗いという批評もありましたが、ホラー作家にしては希望のある話だったと思います。でも私としては本編のの続きが読みたかったです。
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No.77:
(4pt)

王と麒麟の物語から離れて・・・

短編集、うち2編は書き下ろしという豪華文庫本です。

どの作品も、己の職責を全うしようとする主人公たち(『風信』」のみ孤児になった女の子の視線で)の苦悩や葛藤が描かれ、最後に希望が灯される物語(『落照の獄』のみニュアンスが違いますが)です。

待望の書き下ろしの2編、読後感がとても良くて楽しめました!
『青条の蘭』は、この物語の舞台は果たしてどこの国なのか?、恥ずかしながら読んでいて分からず、まあそれも楽しみながら読んで、最後の最後、分かりました!

王と麒麟の物語から離れ、結果十二国記の民の物語が語られた本短編集、本編とは違う読書の楽しみがありました。

P.S.
『風信』のP315、「ええとね、あの山の中腹に野木があるんです」の台詞が清白が言った事になっていますが、これは支僑の台詞ではないでしょうか?
場面的に清白ではあり得ないので・・・。
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No.76:
(4pt)

一生懸命な人たちの苦悩は分かるのですが。

すごく久しぶりなので期待して読みました。まず、やっと書いてくださってありがとうございます、と作者にお礼を言います。毎度のことですが、やっぱりもう少し明るい話も入れて欲しい・・。とことん救いようもない人も出てくる分、ちょっと明るい人物(楽俊とまでは言いませんが)も入れて下さると重たい空気が楽になります。泰麒のその後ばっかり心配してますので、ぜひ書いて欲しいです。
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No.75:
(5pt)

短編集よかったです。

久々の12国記です。今回は、王様は出ませんが、一般の人々から見た生の12国記を感じることができ、よかったです。
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No.74:
(5pt)

心に響く短編集

十二国記、待望の新作は短編集。
全四編、短いながらもそれぞれの章が内容の濃いエピソード。
共通するのは、人々が暗い時代の中でも希望を持とうともがく姿。
私たちもおそらく、ここに描かれている人々と大差ないと思われ、一人一人の真摯な生き方が胸に響きます。

実は初めて、十二国記シリーズで泣いてしまいました。
特に、丕緒の想いが王に通じたとき、蓮花が蜜蜂や燕の営みを見て泣いたとき、胸にこみ上げるものがありました。

死刑制度のあり方に惑う瑛庚の姿はファンタジーであるが故に生々しく、
凶悪犯罪が頻繁にニュースで流される社会に生きる私たちにも常にある課題です。

どのエピソードも素晴らしいものでしたが、実は一番共感させられたのは「青条の蘭」でした。
私たちの多くは、ただ「希望」の箱を背負い、次につなぐために必死で歩くことしかできないのではないのか・・・。
その花が咲く姿は見ることができないかもしれないが、きっとこれが未来を生んでくれると信じるしかない。
そして、それを一時でも背負い、次に渡すために必死で生きる。
そんなことしかできないのかもしれません。
でも、確実に繋がっていく。そう望んで、ただひたすら、役割を果たす。

待望の新作は、私たち一人一人への作者の静かなエールのように感じられました。
小野先生、ありがとうございました。
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No.73:
(5pt)

久しぶりの十二国記

ひとつひとつが、胸に刻まれる、珠玉の物語です。それにしても泰麒はどうなったのか、長編の方も待ち遠しい。
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No.72:
(5pt)

十二国記の列伝

読んでいて、「ああ、これは列伝なのだな」と理解しました。

その昔、司馬遷は前漢までの歴史を「史記」にまとめるにあたり、いくつかの形式を用いました。
そのうちのふたつは後の歴史書に引き継がれます。
それが”本紀”(後の”紀”)と”列伝”(後の”伝”)です。
前者は国王の物語であり、木に例えれば、幹を描くことで木を伝えようとするもの。
後者は臣下や庶民の物語であり、木に例えれば、葉を描くことで木を伝えようとするものです。
一枚の葉であっても、それがみずみずしく青々としていれば、人はそこから木の充実ぶりを連想できますし、逆に、水気を失って枯れかけた葉を見れば、人はそこから木の衰退を知ることができる、というわけです。

十二国記にあてはめると、「月の影 影の海」はさしずめ「陽子本紀」であり、本書の表題作などは「丕緒列伝」か、もしくは「羅氏列伝 丕緒の章」ということになります。
著者に、史記の形で、という意思があったかどうかはわかりませんが、少なくとも、頭のすみに意識としてあったのでは、と私は思います。

さて、本書は、いってみれば四つの列伝が収められた短編集です。
個人的には、とりわけ感銘の深かったのは、表題作です。
いやもう、ラストではぽろぽろと泣いてしまいました。
エンジニアとか、ものづくりにたずさわった人ならば、この感銘をわかってもらえると思います。
この物語はつまり”ものづくりバカ”(決して軽蔑しての表現ではありません)が、苦悩の末に作り上げたものが評価される、という、単純といえば単純なお話なのです。
それが丹念に作りこまれ、芳醇な物語となっています。

ハラハラドキドキの”本紀”ももちろんいいですが、こういう渋い”列伝”もまた見逃すてはありません。
ぜひお読みください。
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4101240582
No.71:
(5pt)

もっと出して

十二国記をもっと出して欲しいですね。
続編を出して欲しい、というより中途半端な終わり方をしているのできちんと終わらせて欲しいですね。
この本も違った角度からの十二国記なのでそれなりに楽しめました。
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No.70:
(4pt)

短編集ということで

ひとつひとつ感想を述べる。

・丕緒の鳥
慶の夏官、射儀という儀礼についてこれを摂りしきる下級官吏の話。
主人公の丕緒は4代の王に仕え、100年以上に渡りこの官職を務めてきた。
射儀は式典の一儀礼にすぎず、これを司る丕緒は国政に関わる立場などにない。
とはいえ国官である以上、己の職分を通じて何かしら、国家の安康に貢献すべきだと考える。
時の慶王は、その振る舞いに次第に暴虐の色を強めていた。
丕緒は射儀を通じて虐げられる民の惨状を表現し訴え、これを諌めようとするが──

儀式に象徴的な意味を込め、王や重臣たちに何かを訴えようと錯誤する丕緒の姿を、
自分は途中から作者自身の投影であると、勝手ながらそう解釈して読んでいた。
十二国記という作品も、架空のファンタジー世界を通じて現実社会の、
あるいは人間の本質に関する色々なことを訴えてきたように思うからだ。
丕緒は儀式に様々な手法を凝らすが、王たちには丕緒の真意は一向に伝わらず、
また伝わったと見えてもそれが望むように受けとめられず、
やがて失望した丕緒はそういったことの一切を諦めて、創造的な仕事を断ってしまう。

十二国記シリーズもまた、長らくの中断を経た。
小野先生自身、読者に対して丕緒と同じような失望を抱いていた、
と決めつけることはすまい。
しかし創作意欲が減退し煮詰まる丕緒の様子などは、
空白期間中の作者そのものとしか思えないほど真に迫る。悪く言えば露骨だ。
「次はどうしようか、詰まったことは多々あった。
 だが、そういう場合にも頭の中には、あれこれの断片が無数に漂っていたものだ。
(中略)頭の中に何もない──断片すらなく、
 綿のような空白しか存在しないという経験は初めてだった」
これは本音すぎるでしょう(笑)

そんな丕緒も、登極した新王陽子のために、気の進まないながらも
職責を果たさざるをえなくなり、けれど結果的には、
陽子の気性に触れることで再び意欲を取り戻す。
これが、作者の身にも実際に起きた何事かを象徴しているのかどうかは、
小野先生を直に存じ上げない自分にはもちろん判らない。
しかし、シリーズ再開に際した最初の物語としてはうってつけの内容であったように思う。

・落照の獄
シリーズで度々語られた、法治に優れる柳国を舞台とした話。
延王をして「出来物」と言わしめる柳の法制度はいかなるものか、
と楽しみにして読んだが、少なくとも司法制度に関する限り
これは現実世界の、現代の先進国のものとほぼ同一である。
司法の独立についてさえ、その重要性と意義からして正しく理解され存在している。
これはとんでもないことだ。
何故なら現代の法治の概念は、法の民として今でも讃えられるローマ人が
数百年をかけて築き上げた法体系を基礎とし、
その上に近代思想を積み上げて洗練されてきたものだからだ。
これを劉王が独自に発想し築いたというのであれば、
これは天才というどころの騒ぎではない。
かつて断片的ながら描写された慶の司法制度と比べても、軽く千年は先を行っている。
あまりに先進的であることから、これは劉王が蓬莱の法学をカンニングしたのではないか
と自分は疑っているが、とりあえず今回の話はそれとは関係がない。

柳国は王自らの宣下によって、死刑が事実上廃止されている。
これは人道上の理由ではなく、刑は罪人の更生のために課すものであるとの考えによる。
これが妥当であるかどうかはさておき、この柳国にあって極めて凶悪な大量殺人事件が起こる。
事件犯人の、ささいな理由で子供を殺し、夫婦を生きながら切り刻む
その残忍さには酌量の余地なし。法的には死刑、市民感情も死刑、
しかし最高裁判事にあたる官職に就き、司法官として高度な倫理観を備える主人公は、
公正であらんとするがために安易に決を下すわけにはいかない。
情を排し、あくまで事実と理によって判断しなければならない。
犯行内容とその動機、被告の人格など
既に下級裁判所で行われた取り調べ内容を再精査することにはじまり、
被害者の感情、減刑要素、さらには死刑そのものの倫理的妥当性や、
長らく禁ぜられてきた死刑判決をここで下すことの政治的重大性等々、
あらゆる点についてこれを検事、弁護士(に相当する官吏)と議論し、
あるべき答えを見出そうとする。

これを通じて、死刑に関する現実の多くの議論が再現される。
死刑そのものの是非についてその結論は出されずに終わるが、
重要なのは、この議論を通じて法治というものの奥深さを覗き見ることができるということだ。
いかな悪人といえど、感情任せに刑をお手盛りしたのでは法治は成り立たない。
しかし殺人には死をもって報いよ、とは人の内から発する本能の声である。
と同時に、刑罰と言えど殺人という蛮行を自ら行うのを厭うもまた、人の性である。
……堂々巡りはどこまでも続く。
悪人は死刑にしろ、どんどん重罰にしろ、
と簡単に言ってしまえる人には(あるいはその逆の意見にある人にも)、
この章をぜひ一言一句余さずに読んでもらいたい。
法治とはそんなに単純なものではないのだ。

ただひとつ残念なのは、この話に限っては十二国の設定がノイズとなってしまっていることだ。
国が傾いている、なので必然的に人心が乱れ凶悪犯罪が増える、
これを片端から死刑にしていては国権はさらに暴走する。
この論理は現実に対応させるのは少し難しいかもしれない。

・青条の蘭
・風信
ひとつひとつ感想を、と書いたけれど、この2つの話はセットであるように思われるのでまとめて書く。
『青条の蘭』は林野庁のような部署、『風信』は生物研究所と気象庁を合わせたような部署が描かれ、
どちらも自然の観察や研究に没頭する「科学者」と呼んでもいいような官吏が登場する。
十二国記の世界の生き物は全て、里木(野木)と卵果という、
まったくいかがわしい仕組みによって誕生する。
これは自然科学の観点からは実に興の醒める話だ。
どの動植物もみな天帝が「そうあれかし」と言って創ったというのであれば、そこにはもはや、
膨大な時間の中で進化した生命の驚嘆すべき精妙な体構造や生態系を読み解く愉しみは存在しないだろう。
自分がこの世界の住人なら、到底自然科学に興味など持てない。

しかしそれでも、この世界にはこの世界なりの自然が存在する。
森林は土壌を支えて地すべりを防ぐのは現実と変わらないし、
セミは野木から孵って土中へ潜ると、生存圏を確保しようと
木々の根を伝い可能な限り遠くへ移動してゆく。
そして自然のふるまいを注意深く観察し、それを読み解こうとする人々の努力は、
現実世界のそれにひけをとらない立派な「科学」である。
『青条の蘭』では科学研究で得た成果をもとに危難から国を救おうとする人々が、
『風信』では国難の最中でも変わらず研究をつづけ民の暮らしを支える人々が描かれるが、
どちらにせよあの世界にはあの世界なりの、人間の叡智が基底に存在する。
天帝がでっちあげた薄っぺらいファンタジー世界では終わらないのだと、
そういう説得力を与えてくれる。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582
No.69:
(5pt)

芳醇なお酒を飲むような喜び

12国記を講談社版で読んだ時、誤字や表現の齟齬が幾つか気になって、どんな編集者がついているのだろう、と思っていました。今回の新潮社版ではそれが修正されたようで嬉しく思います。 
 12国記の文体は、年季の入った芳醇なお酒に似ています。最初の印象は白川静氏の著作の高雅で深い学識に満ちた佇ずまいを思わせます。しかし小野不由美氏は創作家で、その想像力は色彩に溢れ、豊かな語彙力に裏打ちされて、どっしりと厚みがあります。文章を読みながら、瞼の裏で光を感じ、風の音を聴き、雪の冷たさや痛みを通して、人々の息遣いや絶望や希望を思う。力強い文章と豊かな表現力、独特の中華風の語彙の豊かさを舌の上で転がしながら、ゆったりと楽しみつつストーリーを追う。そんな極上の読書の楽しみを与えてくれる作家はそんなに多くありません。
たとえば、この本の最初の文節を見てみましょう。
「その山は天地を貫く一本の柱だった。」まずはじめにドーンと力強い縦の線を舞台に据えています。それに続いて山塊という塊の重層感を添えて、その下に広がる水平線に民の住む街をみせる。縦の線の山頂には王が住み、麓には民が生きて、その間には「偽りなく天地ほどの落差があった」。その中間に下級官の主人公のすむ冶朝がある… これが舞台となり、ここに住む人々が主人公であり、この上下の落差がストーリーのテーマとなる絶望と希望を作り出すのです。最初の一ページでこれだけを描写しきる筆力に感嘆しないわけにはいきません。
 12国記の「天」について思いをめぐらすのは楽しいことです。堀田善衛氏に「美しきもの見し人は」という本がありますが、彼は、“天壇をめぐって”の中でカントの「宇宙論」を引用しています。カントに限らず、“天”とは人類学でいうcosmology の、限りなくtranscontinentalな概念だと思われます。中国の各思想家でけでなく、古代インド、原始仏教、ギリシャの古典思想家達にも、汎神論的な ”天“のアイデアが伺われます。神といい、天といい、人が自分の生きる立ち位置を模索するとき、座標軸として必要になるのでしょうか。
 この12国記の新作は、庶民、又は下級官吏といった、脚光を浴びないけれど地道に社会を支えている草の根の人々を描き、12国世界に厚みと奥行きを与えて、いわば2次元から3次元の世界に昇華することに成功したと思っています。
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No.68:
(5pt)

心に残る作品

派手なアクションは無いが心に残る作品
久しぶりの新作、短編とはいえ名作
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582

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